2014年10月14日

living in the imagination 想像の世界の住人さん

子供は、小学校低学年頃まで、ファンタジーを生きるのだそうだ。目安は、サンタクロースらしい。自然と、サンタクロースの不在が受け入れられるようになる頃、現実とファンタジーの境目がしっかりつくようになる、ということだ。
しゃべりが達者になった3歳児ナノカ。着実に、ファンタジーの住人になりつつある。Kids live in a fantasy till the age of 8-10. Nanoka also started to live there.
ナノカが、バス停に向かう道で、想像上の風船をキャッチした。Nanoka caught imaginative balloon on way home.
その風船を、バスの中で、どうやら紛失したらしい。She lost it in the bus.
仕方ない。拾ってやる。I decided to pick up from back.
大喜び。Happy.
私も、のりやすいので、ふくらましたり、割ったり、、、I bloom the imaginative ballon, broke it etc

延々と続くので、空気を抜いて、ポケットにしまって、おしまい。It seemed to last forever, so I blew off it and put it into her pocket. End.
私は終わったつもりだったが、お風呂に入る時に、ナノカが「あー、入れっぱなしだった」と想像の風船をポケットから取り出した。こどもって、本気なんだなあ〜。When we took the bath, she said, "I nearly forgot to take the baloon out from the pocket!" and removed the imaginative ballon to the table. She seriously believed it.
大人からすると、このファンタジーにつき合うのは、結構、しんどい。見えてない風船の投げ合いっこを本気で楽しめる親が、いるだろうか?(男の人の方が、少し、上手な気がする)それでも、つき合うのは、彼女の世界をリスペクトしたいし、そのためには、こちらが入り込まないと、コミュニケーションが取れないからだ。それは、離れていた時間の埋め合わせであり、なんでも話してもらうための、信頼関係の勝ち取りのための作戦であり、あとは、大声で要求されるので、それにただ応えているなどなど、、、
私も、大人にしては、いろいろな事を妄想して、喜んだり、悲しんだり、している方だが、それが、現実なのか、非現実なのかは、くっきり分かれているのだと実感する。大人の想像なんて、どっか、意味を求めてしまったり、現実逃避だったり、自分都合だったり、、、一方、子供のそれは、純粋で高潔だ。そもそも、見えない風船を飛ばす事に、なんの意味があるだろう?
この想像遊び。人間のこどもだけにある、特別な世界だろう(猿やイヌも、もしかしたら、考えていて、伝えられないだけかもしれないけど)。そう思うと、この世界が現実と融合して、なくなっていく時まで、できれば、楽しんで観察したいなあ、と思う。時と場合によっては、難しいのだけど。
It is hard for the grownups to play with those imaginative play-are there any parents who can seriously 100% enjoying playing with imaginative ballon? The purpose is the respect to the kids world, communication with kids, building the relationship etc.
I am imaginative type. But by seeing her, I noticed that grownups imagination is more meaningful.Then I felt kids are really purely imaginative creature.
This is only human being kids nature and I want to try to enjoy observing till it has gone.

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