2010年9月30日

funny face マネしたくなる顔

昨日の犬に似ている、の発言には、全くもって憤慨だが、私の表情は私が思っている以上にコミカルなようだ。
As seeing the story of yesterday, I look funny sometimes.

おいしかったり、うれしかったり、ちょっと恥ずかしかったりするだけの、ナチュラルな表現のつもりなのだが、
For me, it is just natural expression of happiness, ashamed, or comfortable,,,

相方さんが、すぐマネをする。そんな変な顔をしてるとは自分では思えないので、毎回、ムッとする。
But my partner thought it is funny and imitates whatever I do. "I did not make such a face!" I got upset every time.

ところが、私の顔マネは、ハルトもお気に入りで、よくしているそうだ。え、似てるかなあ、、(例え、かわいい甥っ子でも、譲れない)
Actually Haruto imitated me, too. Even it is the action of a little lovely kid, I do not want to accept it,,,

が、ハルトは、じーじの顔マネもするのだが、こちらは、特徴をつかんでいて、そっくり!うーん、やっぱり、ハルトの観察眼はなかなかなのか。
However, Haruto's imitation of my dad is extremely catching his character! Maybe Haruto might be right,,,

ちなみに、ハルトは、人の顔を描くのも得意らしく、原画展に来て、私の似顔絵を描いてくれた。実際、描いてる途中で、ちらっと、私の顔をチェックしていた。そして、
Haruto is good at drawing caricature. He drew me on the first page of my exhibition guest book. He looked up my face before he finished drawing,,,

最後に、おおーきな口を描き入れました。私って、口、でかいのね。
この似顔絵、原画展のコメントノートの一番最初に大きく描かれています。ブックハウスさんに足を運んだら、チェックしてみて下さいね。さて、似てますか?
and added a big mouth. Yeah, mine is big,,,Check it out if you go to the exhibition. Does it look like me?

2010年9月29日

micro mini 超ミニスカート

先日、マルイの前でセカンドハンドの服を安売りしていた。
On Sunday, I hit the second hand market in front of Marui department store.

そこで、ジーンスの超ミニスカートを見つけた。ミセスになったらちょっと着れなそうなので、よけいに闘志がわいて、購入した。
I found ¥1000 micro mini skirt. I would not able to wear when I became mom. I have to wear it right now! I bought it.

スカイプで、相方さんに「どうだ!」と言わんばかりに、披露した。相方さんは、笑いをこらして、しばらく見ていた後に、一言。
I showed off to my partner on skype yesterday. He tried not to laugh for a while and said,,,

「かえちゃんって、Oに似てるよね」
"You resemble O" O is a dog in my parent's house.

Oって、Oって、、、うちの実家の、能天気な犬の事ですか?動物に似てるって言われちゃう私って、、、張り切り過ぎたか。
Oh, God. Was I too excited? I did not want to look like her.

2010年9月28日

The cook, the thieve, his wife and her lover コックと泥棒、その妻と愛人

郊外育ちで、街に映画を観に行くなんて事はまれだった。中学生になり、バスと地下鉄を乗り継ぎ中心地に出かけるようになってはじめて、名古屋市内の映画館に行く事を覚えた。ある時、友人が誘ってくれた映画が、シャルロットゲンズブール出演の「小さな泥棒」だ。はじめて観るフランス映画にキツネをつままれた気持ちになった。でも、ずっと心に残り、映画というのは、100%理解できて楽しめるものと、ぼんやり世界観に包まれることを楽しめるものがあるのだなあ、と知った。
その時の予告で、「コックと泥棒、その妻と愛人」を観て、ずーっと興味を持っていた。そして、先日、20年以上の時を経て、とうとう観ることになった。
I hadn't gone to see movies until junior high school since I lived in superb with no movie theater. I started to go to the center of city by subway and bus, and one day my friend invited me to watch "Little thieve" staring by Charlotte Gainsbour-it was my first French movie. It did not have complete story and ended all of sudden. I was thrown into the wonder after movie. Still it remained as big impression.I got to know there were movies that I did not understand everything but that I could just enjoy the world that movie shows. Before that movie, I watched the preview of "The cook, the thieves, his wife and her lover" and I had wanted to see for a long time.

マイケルナイマンの音楽に乗せて、ゴルチエがデザインしたガッチリしたドレスを着た女性が行き来する、きれいな耽美な作品だが、なぜ横暴なマフィアがこのレストランを凌駕していて、いったいなぜ、食べ物の中でのエロティックなシーンと、暴力シーンが続くのか、イマイチつかみ切れず、これもキツネにつままれた後味。食欲、性欲、暴力。何かを象徴してるように感じるんだけど、、、何度か観直した後、少し調べてみた。すると、「当時のサッチャーリズムに対する、強烈な批判」と記してあるものにぶつかった。ふむ、政治的な批判が含まれているのか。
Finally I got to see it last week. It was beautiful movie with music by Michael Nyman and costume by Gortiez but I did not get it what it meant. Food, sex, violence,,,I could see they were symbols of something,,,I looked up and found that the column telling "that is the strong message against politic at that time.

食べ物が、生の状態で何度も出てくる。毛をむしられる鴨、飾られてる鵞鳥、腐敗した魚と蛆虫。ゴシックの絵画に描かれた原料としての動物や果物を思わせる。人間の欲のひとつ、食べる、という行為はどんなに気どって着飾っても、やはり、野性的で、粗野なものなのだ。
Food appears as the ingredients. Duck with feathers, dead goose decorated on table, ruined fish and warms. It reminds me the Gothic oil paintings of still life. One of desire, eating is wild and unsophisticated however they tried to hide.

病的な程、清潔を保とうと皿洗いを続ける少年は、ずっと罪(キリスト教における原罪のこと?)を洗い流そうとしている。(食欲、性欲、権力欲のような人間の罪深さとの対比で存在している)また、妻が惹かれる愛人は、常に本を読んでいて、知性や学問を象徴している(泥棒達の無学な下品さと対照的である)象徴的な、登場人物が画面を構成し、全体のメッセージを暗喩のように、読み手の方にゆだねている感じが、ブリューゲルの絵を読み解いてるみたいだ。
以前、作品に対してメッセージを込めるかどうか、について、考えた事がある。日本に帰ってきた時、「絵本には、メッセージはいらない」と助言されたのだ。それまで、アメリカで、「Voice is important」と聞いていたので、カルチャーショックだった。両者の言い分、どちらも正しいと思えた。読み手として、子供が楽しみ、ホッとするために、重たいテーマは、日常的なお茶の間には似つかわしくない。一方、作り手の強い「これが言いたい」がやはり作品の強さになるのだ、というアメリカ的な考え方も、正しいと思う。これは、もともとの、文化の違いや、個性の捉え方の違いが根本にあるように感じた。私個人には、少々大き過ぎるテーマで、適当に流しておくしかなかった。
いろいろな社会問題を目にする時、物語を付与して、問題意識や希望を伝えるのは、やっぱり、作る人間の役割なのじゃないかな、と感じる。事実を伝えるニュースや、評論家にすべてを任せるのではなく、ヴォイスを持っている事に誇りを持ち、勉強し、物語の形で表現して行くのが、作り手という存在じゃないだろうか、と。シェークスピアだって、ピカソだって、チャップリンだって、新聞記事よりも強いメッセージを、人々の前に提示した。私が何かを発信するかどうかは、ヴォイスが出てくるかによるので、どうなるかわからないけど、常にもっと勉強していなきゃいけないな、と勉強不足を反省した。
The boy washing plates was symbol of innocence in the term of Christianity. The lover read books-he symbolised wisdom and culture. Those elements consisted movie as characters and showed some message. But all messages were still metaphors and the watchers had to read the meaning-it is like Brueghel's paintings.
I hit the question "if we need the message in the picture books" when I came back to Japan. One editor advised that we did not need any heavy messages in the picture books. I was surprised since I got education that the most important was author's voice in US. I gradually understand both could be right. In everyday life, moms did not want kids to feel messages. At the same time, the author's voice that they want to tell makes the book strong. Those different ideas comes from the difference in culture and individualism between two cultures. How could I find the answer to such a big issues?
Now I saw so much social issues every day. So much news from all over the world then I feel that it is the task of the authors and artists who tell the stories. In such a days, people need story not just news and facts. Through the history, Shakespeare did, Picasso did, and Chaplin did. They were sometimes stronger. What are the authors and artists doing now? I felt I should study and think more all the time.

2010年9月27日

borrowed life かりぐらし

24日、36歳になった。先日の体験ルポで、読者年齢に合わせて、「アラフォー」という言葉を自分に使うように頼まれた時、とてもショックだったが、実際、アラフォーなのでもある。(しかし、44歳と35歳が同じ囲いに入るのは、複雑な気分)まあ、これからも、自分をアラフォーなんて呼ぶつもりはないので(だいたい、アラサーの時だって、呼ばなかった)関係ないっか。
I became 36 years old on 9/24. I was called "around 40" in Japan. I am not happy about that since it includes 44 and 35 into same pocket.

とにかく、誕生日だったので、バースデー割でアリエッティを観に行った。吉祥寺の映画館では、誕生日月は1000円で、付き添い一人まで1000円で見られる。
Anyway, it was my birthday and I got birthday discount for movies in my neighbor. So I went to see Ariettie, living on what was borrowed.

アリエッティの原作は、イギリスの児童文学「床の下の小人。」映画では、この舞台を、日本の東京郊外と思われる古い洋館に移している。「借り暮らし」って、耳心地のいい言葉だけど、実際にお手伝いのおばさんに「泥棒小人」と呼ばれてたように、必要なものを人間からちょっと泥棒、して暮らしている。でも、考えてみると、人間がこの世に産まれて、地球で暮らしている時、それは、すべて借り暮らし、してるとも言えるのかも、と思えてきた。所有してる、と思い込んでいるけど、それがいったい誰のものであるのか、いつ誰が決めたんだろう?他の動物や、自然界から見てみれば、勝手な言い分。正当(この世の中のルールでは)と言われる手段で所有していたとしても、自分が生きていくのに必要なもの以上を、どん欲に所有しようとしている事こそ、泥棒なのかもしれない。何件もの不動産、投資目的で買われる美術品、金銭ゲームで生み出す利益など。
少しの持ち物は、人を幸せにしてくれると思う。自分の好きな色のカバンを手に入れて、特別な日には、「この服を着よう」と思ったり、ステキなポットでお茶を入れたり、住んでいる家を心地よく改造していったり、、、アリエッティ達の生活は、とても色鮮やかで、豊かだった。そうした生活のお気に入り、を失って、愛した場所から追いやられて行く事は、とても悲しい。時代も変化し、私達は、生き方自体を見直している時期ではないだろうか。生活レベルで豊かになる事と、力任せに財産を手に入れて、膨張して行く事は別。国レベルでも、同じ事のように思う。目指す所がどん欲なだけでは、幸せになれないと思う。
Ariettie's original story comes from English children's story, "the Borrowers." In this movie, the director brought the place to modern Tokyo superb. They said that they live on what they borrowed, but actually they steel from human beings. But I started to wonder who decide what belongs to whom. It is only human being's rule. All the creatures are living on what are borrowed from the nature and survive and finish their lives. Even we gain in legal ways, if it is more than what we need, is it really right things to do? Things makes our life richer and colorful-favorite color bag, dress only for special occasions, and beautiful pot for special tea-Ariettie's family made up their colorful life under the floor. It must be so painful to be forced to leave to give up their precious life. It happened to lots of people through the history in the term of war or conflicts. The wealthy life is not meaning the expanding their possession as much as possible by power.

T-shirts design ウサコTシャツ

23日、神保町ブックハウスさんで、原画展が始まりました。展示会場で着るTシャツを自作で作りたいなあ、と思っていたので、お月見シーズンでもあったので、ウサコTシャツを作ってみました。

白地に水玉

グレー地に赤チェック

さて、3日の当日は、どんなウサコTシャツでしょう?イベントでお会いできるの、楽しみにしていますね。

2010年9月21日

rolled coasters バカップル イン 富士急ハイランド

連休中日に富士急ハイランドに行ってみた。小さな頃は、それなりに絶叫マシーン好きだったのだが、物心と同時に、恐怖心が高まり、20歳を超えてからは、ほとんど近寄ることもなかった。
選んだ日が悪かったのか、とても混雑。3時間、4時間待ちがざらであった。みんな、よく並ぶなあ、と思うが、ただ立っているだけ、というのは、しんどいもので、座り込む若者続出。また、「付き合い始めカップル」「付き合いたいなあと思ってるカップル」などは、3時間以上という膨大な待ち時間の途中で話題が切れ、黙り込んでいるところもあった。ちなみに私達は、持っていったショートショートの文庫本を順番に音読する、というので乗り切った。(読んでもらうのは、悪くない心地である)1冊でも、雑学の本とか、クイズ本なんかを持っていくと、結構役立つんじゃないかと思う。
I went to Fujikyu Highland-it is an amusement park famous for their horrified rolled coasters. It was really crowded and we had to que for 3-4 hours to board one coaster. Many people were too tired to stand. Some new couples had nothing to talk and kept quiet. We carried a book and read aloud one by one to kill the time. I recommend to bring quiz book or knowledge book for conversation.


あまりの待ち時間の長さに、ドキドキも忘れ、最後にマシンにくくりつけられる段階になって、急に「あ、やっぱり、ダメかも」という気分になるが、時遅し。
Too long waiting made us forget even excitement before the board. Finally being settled into the seat and I suddenly started to feel fear. It was too late.



実際に動き出すと、変なアドレナリンが出るぐらいこわい。周りが見えないぐらい振り回されるのだけど、、、
Actually it was more than expect and I was pulled right and left, down and up, got some Adrenalin coming out

たまに、周りの景色がきれいなのが見えるぐらい、冷静な瞬間があったりして、、、終わったら、よだれが出てた。待ち時間がぶっ飛ぶぐらいの、衝撃が脳みそに行った気がした。あとで調べてみると、ドーパミンが出てるらしい。ドーパミンは脳内ホルモンの一種で、買い物中毒やギャンブル中毒な人も、買い物やギャンブル中にこれが出て、一種の興奮状態になるから、辞められなくなるらしい。体にいいかどうかはよくわかんないけど、ストレス発散になるのは、そういう理由らしい。こうしたマシンは、ちょうどそれぐらいになるように(恐怖心が行き過ぎると、こわすぎて、失神しちゃうし、楽しくない)計算されてるんだなあ、と思ったら、すごいなあ、と思った。
On board I had some moment I could see the beauty of the scenery,,,it was very unusual experience. I noticed I got spilled afterward. I looked up after I went home. We got dopamine-brain hormone on rolled coaster. It was the same hormone as shop-horic or gambling. I could see some unexpected excitement I got from the ride. It was planned very carefully to estimated how much fear is proper for the human being to get the ecstasy. If it is more than enough, people will faint out or just get sick.

ちなみに、何が恐怖心をあおるかは、個人差があるようで、相方さんは、前向きに急降下するのが、どの状況でもダメなようで、、、
What makes one's fear is not always same. My partner got fear when he face down and sloped down fast

私は、ベルトや固定ががっちりしてなくて、不安定感があるのが、ダメなようでした。
And I was so scared of the less tightness of the guard. I almost cried on the simple swing in the high place.

2010年9月16日

anti aging adults アンチエイジングおとな

まわりが、婚活シーズンだ。が、うまく行ってる話しは聞いた事がない。話を聞くと、理想が高くて、難しそうだなあ、と感じずにはいられない。それを既婚の女友達と話してて「相手にば かりいろいろ求めて、自分はどんなにいい男(女)なつもりなんだろう?」「大人になれてないんじゃない?年をとる最大のいい所は、自分を知る事だと思うん だけど、、、」と言ってた。的を射ているなあ〜、と感心してしまった。
Many people are looking for their life partners. But I heard no news they found the right ones. Talking with them, I feel that they asked too much for their future partners. My friend said, "do they think how big they are! They must be unmature. The best thing to get old is to know themselves." She was so right.

友人曰く、「ティーネージャとか若かった頃、すごい、なんでも知ってるつもりだったの。いい女のつもりで、「これぐらいは、相手に求めなきゃ」て、条件ばっかり、突きつけてた。今思うと、若くて、かわいいから、周りが大事にしてくれて、勘違いしてたのね。まだ中身、空っぽだったのにね〜」以後、いろいろ経験して、大人になって振り返ると、そう思うのだそうだ。
She continued, "Teenagers thought they know everything in the world. They think themselves as the best woman in the world and they can ask for anything to their partners. It was just because they are young and cute that they are so poplar. They are still empty inside."

確かに、若い頃の方が、「こうじゃなきゃダメ」が多かった。逆に、コンプレックスも、この頃の方が多い。若い頃は、先天的な持ち物の、比率が大きい。親の庇護下にまだいるから、自分だけの持ち物が、みんな少ないからかもしれない。測ってる基準は極端に狭い。足が太いだけで、人生が終わったように感じてみたり、逆に、ちょっとしたものが、絶対的な価値があるように見えたり。でも、この時代の価値は、一生不動のものではない。若さは必ずみんなが失う財産でもある。
It is true that I have lots of "should be" things when younger. The youngers had lots of complex, too. They do not have much inside possesion from experiences yet, so they tend to judge what they have at that time and they are so limited. Appearance, possesion, and their own limited world rules and senses. They think their life is over just because of bold legs. Unfortunately it is destiny of everybody that the youth will disappear. The youth is beautiful, but it is not
more than a part of development.

年を重ねて、若さを懐かしむ気持ちはあるけど、戻りたいとは思わない。なぜなら、今の方が、楽だからだ。社会に出ると、自分が後天的に手に入れてきたもので、人生を形成し始める。それなりに、いろんな経験をして、まだまだ未熟で、まだまだ成長できる事を知る。その経験分の蓄積で、人とつき合う事が出来、人の役に立つ事が出来、人を愛する事が出来る事を知る。足が太いだけで、人生が終わらない事を、知る。同時に、相手に多くを求められない事を理解する。自分が「こんなもの」なのに、相手が完璧なはずがない。自分を知り、身の程を知り、等身大の相手を選ぶ。30代、40代の人間が理想を相手に求めるのは、「まだ、自分の身の程を知らないのかなあ」と思ってしまう。だいたい、頭で人を選んでるように感じる。現実的に譲れない部分はあるのかもしれないけれど、それが絶対に譲れないものじゃない限り、もっと受入れる事の方に集中した方が、大人な人付き合いだと思うが。
取材でアンチエイジング治療を受けてみて、「若々しく、元気に、健康でいる」という意味なら、いいものだと思った。でも、それが「年をとる事を拒否して」「若さにしがみつく」ことだとしたら、未熟な気がする。失うものの方に注目する事で、得ているものを見えてないなら、もったいないとも思う。そういう意味で、精神的にはアンチエイジングしちゃいけないな、と思った。やっぱり、ピーターパンは結婚できないからね。
Of course I missed the youngerhood sometime, but I do not want to go back. I am happier, now. After 20 something, we are in the society and we start to face on what we gain-what we study, what we experience, what we make effort. Now we know the bold legs did not kill our life. We can make our life richer by ourselves-We can make friends, we can do business, we can support somebody and we can love. We know we are still unmature and developing, that's why we accept who the others are. Anyway we ourselves are not perfect.
Anti aging is good as meaning of "keep young, healty energetic." But if it means "not accept getting old" it is the same as unmature. If we live on good life, we should be proud of being older.

2010年9月10日

神保町ブックハウス二人展 Exhibition information

ブックハウス神保町さんで、原画展をさせてもらうことになりました。
今度は、二人展、です。

9月23日(木)~10月5日(火)(水曜定休) 11am-6:30pm

こばやしゆかこ・にしむらかえ 絵本原画展

10月3日(日)14:00〜
こばやしさんワークショップ にしむらかえ読み聞かせ

楽しみです♪

I am having duo-exhibition at Jinbocho, Tokyo
Jinbocho is the center of book market in Japan. There are many old books and rare books shops. It is worth to check out.

Kae Nishimura/Yukako Kobayashi Exhibition
9/23-10-5
Book House Jinboucho
10/3 14:00
Book reading and workshop

pencil case クマちゃんペンケース(アーティストバージョン)

筆記用具類の多い職業だと思う。ちょっと外に出るときでも、鉛筆とペン(油性と水性両方)と消しゴム、鉛筆削りがないと、困ることが多い。さらに言うなら、筆とペン軸とペン、ハサミにカッターに定規、軽く色の付けられる色鉛筆、色ペンも欲しい。が、思いついたままに、かばんに突っ込めば、収拾がつかなくなるし、かといって、市販のペンケースは、おしゃれなものは品の良い万年筆ともう一本ぐらいしか入らないし、でかいものは全く持って味気ない。だいたい、私のように鉛筆類をふつうのケースに突っ込むと、すごい勢いで汚れるのだ。ちゃんと、分別したい。ーということで、自分で作りました。
I carry much stationary with me. Pencils, pens(waterproof and non-waterproof), eraser, sharpner are fundamental. In addition, I need brush, dip-pen and pen top, cissars and cutter, scale and color pencil and pens,,,, It ends up the big mess in my bag. But usually the fashionable bland pen case is too small and hold only one Mon Blanc and one mark pen. Cheap big bag has no character. First of all, I put some pencils-it gets dirty. I need some organised structured pencase-then I made it.

このように、全部、きれいに収まる。つかいやすい!
Like this, I can put all what I need. Very handy!

丸めて携帯。まあ、少し大きいので、キャリアウーマンのカバンから出てきたら、びっくりかな。
Roll it up and carry. It might be too big for business woman's bag though.

表は、クマちゃんを、白抜きしました。なかなか、広げたときの表側は披露しにくいので、隠れキャラみたいになっちゃいますが。
I put bear in white. It does not show because it is always hidden when they use.