2018年9月30日

イトーまつり Ito Fes

台風の影響で、北九州に行く用事がなくなり、
センターまつりに行ける!と張り切っていたナノカ。
Because of typhoon, the local festival was canceled.

しかし、当日朝、センターまつりも中止に。
ガックリするナノカのため、イトーまつりを開催することにした。

焼きそばとフルーツヨーグルトを、ママが用意して、
ゲームの胴元がナノカ。
パパは、雇われのゲーム係。
チケットも用意して、コイン(ito)も作った。
Nanoka was disappointed, so we planned to do "Ito fes" at home.
We made coin-ito and each of us made tickets.
食べ物を売る母は、たくさんのitoを稼ぐ I made flied noodle and yogurt desert tickets.
ゲームをするたびに、胴元にお金が入る。Nanoka made game tickets.
We were blocked in the house for whole day because of typhoon,
but this was a bit hint to enjoy the storm day.
家に閉じこもらなきゃいけない日は、こんな風に、覚悟を決めて、
楽しむしかないですな。

月見と唱歌 Moon Light and Old Songs

満月2日前、野遊び塾の月見に参加 Two days before fullmoon, We joined the moonlight picnic with kids outside play group.
満月翌日、こんぴらっこ教室で、学校で月見 On the next day of the fullmoon, we had moonlight party at the school.
月見コンサート。地域の方が、昭和唱歌を紹介してくれた。A man played the guitar for kids to sing the old songs together,
今年の中秋の名月は、2回も、外で月見をした。

世知原町の公園で、虫が跳びはねる中、大勢でワイワイ
日が落ちていくのを感じたのは、子ども達もいい思い出になるだろう。
また、星空を、みんなで、見上げたいな。

学校では、毎年、月見を、地域の人たちの協力でしてる。
日が落ちてから、学校公認で、出かけるのは、貴重な時間。
最初、月がなく、みんなで待ったので、
木のてっぺんから月が昇り始めた時は、みんな、ピョンピョン跳ねていた。
君らは、ウサギか。

次の日、ふつうに学校がある中で、
子どもたちを8時過ぎまで、学校で遊ばせる、懐の大きさに、
ありがたいと思った。

月見コンサートは、ボランティアの方がギターを弾き、
昭和の唱歌を歌った。
冊子まで、作ってきてくれていた。
他のママさんが歌えない中、なぜか、歌えてしまう、私。
ジェネレーションギャップ?それとも、地域差?
月の砂漠も、夕陽も、汽車ぽっぽも、いい歌だ。
ナノカも、「とっても、楽しかった」と言った。

数日後、唱歌を歌って、施設などでコンサートをしている
音楽ユニット「ゆう佳」さんから、連絡があった。
お年寄りに歌うことが多いが、美しい歌を
「次の世代に、歌い継ぎたい」との思いも強い。
リトルアーティストに、コラボのお誘いだ。

ということで、次の次の(次回はマスク作り)リトルーアティストは、
生で唱歌を聴いて、歌の世界観をみんなで絵にする、プロジェクトに決定!

唱歌は、著名な歌人や詩人が詩をつけているものも多く、
季節の美しい情景や、世界観が表現されている。
それを1枚の絵にするというのは、イメージもふくらみ、楽しい。
イラストレーションの勉強にもなる。
大人も子供も、貴重なこの機会に、ご参加下さい!
11月18日か12月2日の予定です(これから、日程調整)

2018年9月27日

アンサーボックス Answer Box

gleeのドラマ部分を見るようになった She recently watched the glee
「クインとパックはベスの親だよね?」「なんで、赤ちゃん、あげちゃったの?」「結婚してないと?」「レイチェルは二人、お父さん?」She asked me so many questions about glee-a bit hard to answer.
以前は、gleeの歌の部分だけを、抜粋で見ていたナノカ。
最近、ドラマの部分を、見るようになり、はまっている。

私は、アメリカのドラマが好きだ。
脚本に、社会問題がふんだんに取り入れられていて、
常に、身近に感じさせて、理解させてくれるし、
役者さんの力が層の厚さを感じさせる。

なので、ナノカにも、見てもらっていいと思っていたが、
高校生で出産して、子供を里子に出して、
そうしてゲイカップルの元で育った子もいて、
クラスメートにLGBTがいて、 性の問題があって、、、
朝から、質問攻めにあうと、
「うー、あー」となる。
I love American TV drama.
They treated social problems sincerely.
LGBT, Highschool birth, DV, etc.

gleeなど、アメリカのドラマの基本は「人権」だと思う。

アメリカは雑多な国である。
混じり合えば、トラブルもある。差別もある。
貧富の差もあれば、虐待もDVもある。

それを、「これが、現実」だけど「NOだよね?」と言うのが、
公共の電波で流される、ドラマの役割。
脚本は、何人かのライターがチームを組んで、書いていく。

公というのは、「表現の自由」だけじゃ、済まされない。
だれかの人権が脅かされていないか。
多数側にいると見えない「痛み」を、弱者に与えてないか。
そもそも、そうした、違う立場にある人の気持ちを想像させるために、
ドラマがあるのだとも言える。
America is mixing country.
Then human rights are the most important theme on TV drama.
Each episode were written by each writer and they worked in team.
They are learning human rights and
tried to be fair to the minorities or those under difficult positions
to let people to imagine their emotions.
That was the important rule of the drama.

さて、今日の朝は、「センターまつり」のことで、質問攻めにあった。
そもそも、この祭りに、ナノカは行けないのだが、ここ数日、この話ばかり。

Q「ねえ、ママ。センターまつりって、どこで、あるの?」
A 「児童センターじゃないの。」
Q「でも、お店、ぜんぶ、入るの?」
A「さあ。外も使えば、大丈夫じゃないの」
Q「でも、お店って、許可いるんじゃないの?」
A「さあ。取ってるんじゃないの。」
Q「はあ?」
A「取ってるんじゃないの。」
Q「はあ?」

ブチン。
「取ってるんじゃないのって。知らないよ。
センターの人に聞いてよ。ママ、センターまつりについて、
なんにも、わかりません!」

出店を出すのに、保健所などの許可を取ったのかが、
知りたかったようだ。

朝から、切れてしまったことに、反省。
されど、ママは、なんでも答えが返ってくる箱じゃないんだよ。
だれかに、質問の1割でいいから、引き取ってもらいたい。

2018年9月26日

「エマおばあちゃん、山をいく」 

誕生日の日、石垣島から、ステキなプレゼントが届いた。
歌人の松村百合子さんが訳した「エマおばあちゃん、山をいく」だ。
67歳のおばあちゃんが、11人の子育てを終えた後、
アパラチアントレイルを一人で歩き通す、お話。

私は、欧米の人が、淡々とトレイルを歩く習慣があることを、
思い出した。
1時間、2時間、風に吹かれながら、歩き続ける。

高校生や、20代前半だった私には、
無目的に(目的地があるわけじゃない)歩く意味が、
よく理解できなかったが、とにかく、よく散歩に誘われ、歩かされた。

それが、今、なつかしい。

子も大人も忙しい。
この時間と、あの時間の間に、空き時間があったら、
次の日の用事をこっちに持ってきて、明日の空き時間は、
さらにステップアップのブラッシュアップのアップアップ。

効率的に動こうと、パズルを組み合わせるみたいにしてるから、
思ってたピースがはまらないトラブルが起こると、イライラしてしまう。

なんだか、違う気はしてるのだけど、全体的に、そう回すようになってて、
どうも、ならないのだ。

日本には、あの「散歩」が足りない気がする。
一見、なにも、生み出さない時間。
でも、スケジュールの中で、カチカチになった心が、
本来の姿に戻り、人間らしくなっていく、大切な時間。

週末、1時間、海岸べたを歩き続けたら、
なんだか、その「どうも、ならない」から脱出できそうな気がした。

子がいることは、大きな喜びだが、
どうしても、ピースを組み合わせたような生活になる。
だから、時に、自分を取り戻す時間も必要だろう。
(そこに、子が、一緒に歩いていても、いい訳だし)

あの頃、まだ、携帯電話さえも普及してなくて、
カメラを持ち歩いてもいなかったので、
散歩の写真は一枚も残ってない。
でも、風の強さ、その時一緒に歩いた友人の姿、
寂しげな花、つゆで濡れた靴、そして、ぼんやりした時間の持つ空気。
全部、感覚に残っている。

カメラで切り撮られた「きれいな、できごと」より、
感覚の方が、残るものなのかもしれない。
今の時代、感覚の方を重視することは、
難しくなっている。
だからこそ、「ただ、歩きたい」と思う。

2018年9月25日

モーニングいいん Breakfast committee

朝ごはんを準備してくれた Nanoka prepared for me
ナノカが、ママの誕生日のパーティーいいんをしてくれると言うので、
ポロっと、「パーティーは、難しそうだから、朝ごはんをしてもらおうかなあ」
と、つぶやいたら、「やってあげる!」と張り切るナノカ。

よく、考えたら、
「ママ、これ、どこ?」「ママ、どうやってやるの?」
と、朝イチから、叩き起こされるのが、目に見えて、
「やっぱり、いいよ」
と言ったが、「ぜったい、大丈夫。やってあげる」
と言い張るので、結局、してもらうことになった。

朝、6時前に目覚ましが鳴り、それから後、
あっちでガチャン、こっちでバタン、の大騒ぎだったが、
呼び出されることなく、布団で待つこと、1時間以上。
パパとナノカだけで準備した、朝ごはんを、いただくことができた。

「お寝坊したのに、朝ご飯がテーブルにあるって、とっても、幸せだったよ」
とお礼を言うと、
満足げだった。

2018年9月24日

おもひで Memory

久々に、鬼木の棚田に行きました。We went to the same place at the same time every year
定点観測。ちっちゃ!4 years ago?
ぷくぷく
毎年行ってたねえ。3 years ago
数年ぶりに、鬼木の棚田に、カカシを見に行った。
着くと、「ポン菓子を買って」と騒ぎ、
散策中、ずっと、もりもり食べ続けた。
そういや、前に来た時も、いつも、これ、食べてたなあ。
すると、
「わたし、これ、おもいで、て呼ぶことにする」
と言いだした。

「ママも、おもいで、いる?」
と言われて、手を差し出す。
思い出を、手のひらに乗せてもらうのは、
なんだか、不思議な気分だ。

トイレに行きたいというので、手を繋いだら、
ベタベタした。
おもいで、のせいで、ベタベタになったようだ。
「おもひで、べたべた」だ。

このお祭りは、手作りのカカシが、
ゆるく、並んでいるだけなのだけど、
それを、見ながら、歩いていると、平和な気持ちになる。
みんな、同じ気持ちなのだろう。
たくさんの人が、訪れる。知った顔にも、会う。
ひょっこりはん、は多かったけど、この稲のやつが、一番、かわいかった
毎年、猪ネタがあるけど、だんだん、リアルになってる気がする。
御祝い「ビヨンセ」って、、、
ゆるい、それが、いい。

2018年9月23日

リトルアーティスト「ズームインズームアウト」Little artist"Zoom in and out"

今日は、構図というものの説明からです。同じものを、遠くから、中位から、近くから、描いてみよう。例として、モネ、オキーフ、セザンヌ、クリムト、ゴーギャンなどの作品を見ました。
さあ、静物がいっぱい並んでるので、好きな場所を選び、遠ざかったり、近づいたり。
ファインダーをのぞいて、四角の中にどう収めるか、考えます
遠景、中、近景を、理解できたよう。
その中から、中景を選び、1枚の絵に仕上げました。白クマを際立たせるために、ブルーの影をつけてます。
こちらも、すばらしく、描き分けてあります。どれも、おもしろい構図です。
その中から、中景を仕上げました。色もきれいな混色で、心地いいです。
10個も構図の違うものを、描きあげました。
その中から、この難しい構図の絵を選びました。大胆な構図で、色も堂々としています。
いつも、繊細なドローイングを描く女の子。硬質な木と柔らかい布のほんの一部を描く難しい構図。
影を濃く入れたことで、ぐっと引き締まりました。
人形の頭部より上を切り取ることで、クマの愛らしさが引き立つ構図。
構図を描くのには苦労してたけど、色のミディアムを手にすると、生き生きと静物画に熱中してました。
今回、唯一参加のビッグアーティストさん。清潔なドローイングを、そのまま着彩して、仕上げました。すばらしい、完成度です。
みんな、構図に果敢に、チャレンジして、
バリエーション豊かなスケッチを、何個も描きました。

小さい四角にスケッチするとはいえ、
ものすごい集中力を、何度も使うことになり、
相当、疲れたと思いますが、
今後、さまざまな絵を描くときに、
「いや、待てよ。もっと近づいてみよう」
「こっちを、切り取ってみよう」
と、いろいろな可能性を感じ取ってもらえたら、と思います。

1月には、恒例の「すすむおじさんを描こう」がありますが、
その時に、この構図の課題を、また、取り入れて、描いてみようと思います。

2018年9月22日

問題文 question

宿題の前で、5分硬直。難しいのかな?Nanoka had frozen in front of the paper for 5 minutes.
「のりたい、のりものをかけば、いいの?」プリントには、ナノカが好きじゃなさそうな乗り物がいっぱい。Question said, "Write down vehicles you wanted to ride, but the pictures were all not her favorites. She was confused what to write.
たしかに、、、She was right,,,
ナノカが国語でバツがついてくることがあるが、
設問を読むと、「なるほど、そう理解したのね。」と感心することがある。

今回は、「設問が間違ってるね。上にある乗り物の名前を書こう、て意味だね」
と言ったら、ふつうに、カタカナで乗り物を書き上げていた。

そうでなかったら、このマス数に合う、のりたい乗り物を、必死で考えて、
偶然、見つかったら、書けるけど、書けないまま、提出してしまってたかも。

わたしは、「おお、すごいな」と思ったけど、
国語のテストで似たようなことが起きたら、
バツがついてるんだろうなあ、と思うと、切ない。

ナノカは、「国語が苦手」と言ってるが、こういう混乱が多い。

勉強って、難しいねえ、、、

2018年9月21日

朝活 Time operation ability

ナノちゃん、6時半起床。雨の中、朝顔に水やり(3度ほど、声をかけたが、寝ぼけてるのか、聞こえてなさそう)She woke up at 6:30. She watered her morning glory in the heavy rain.
そのまま、ジョウロの横にあった、木っ端でドールハウスを作り始めた。Beside watering can, she found wood pieces and made doll house of them.
朝食、身支度、ピアノの練習 breakfast, prepare, and piano lesson then,go to the school!
ちょっと待った!その床一面のドールハウス、そのまま行くつもりではないでしょうね?You have to clean up before leaving.
木っ端だけで出来てないので、あっちに人形しまって、こっちに布しまって、と大変。
でも、君が、朝っぱらから、遊んだんだから、君が、最後まで、片付けるんだよ。

まだ、時間の感覚が、ない。
突然、大掛かりなことを、すごい時間に始めたりする。
朝は、最初、ウダウダしてるが、覚めてくると、
隙あらば、遊ぶ。昨日は、工作してた。

失敗して、「ああ、朝は時間ないんだなあ」て覚えるものか、と思い、
ある程度、放ってあるんだけど、
最後は、結局、「あと5分!」
「水筒は?名札は?なんで、まだ用意できてないの?」
と、ギャアギャア、言うことになる。

本当に、放っておいて、
20分遅刻して、ランドセルを忘れるぐらいの失敗とか、
なんだかんだ言って、させられない、覚悟のない母。

少しぐらい、ギャアギャア言われて、
時には、泣く羽目になっても、
ケロッとして、また、遊んでる娘。

このギャアギャアは、親子レクリエーションみたいなもんですかね。

とにかく、朝活は、もうちょっと、時間管理ができるようになってから、
やってほしいなあ、と思うのでした。
She does not know how to manage the time.
She played in the morning then always ran up with time
before leaving for the school.

I thought that she need to notice it by herself,
so I left her as she play,
rather than telling what to do right now,
but at the end, I had to shout, "5 minutes to go!"
"Harry up!" "Did you bring the name plate?"
to avoid her mistakes in the school.

It is always tough to start the morning with kid.

2018年9月19日

きらりん Kirarin doll

前髪、三つ編み、頭の後ろ、の3ブロックに分けた髪の毛。Front, Back and twin tale. three blocks devided.
ドレスは、1枚の布を巻きつけて、切って、縫いました。Dress is made from one clothes.Haute couture.
 てるてる坊主が破れてしまったきっかけで、生まれた、人形。
つるハゲ人形に、愛情を注ぎまくる、ナノカ。
キャンプのリュックにも、入れて、連れ歩く。
Nanoka was happy to get her doll, Kirarin, hair, and dress.

昨日、この人形「きらりん」に、
髪の毛をつけて、服を作るために、
「4時に迎えに来て」と言われた。

「ドレスは紫。
布は、ママのコレクションから選びたい」

頭は、後ろから見ても、いいように、工夫。
ドレスは、先染めチェックの布を、オートクチュール。
チンチクリンな人形に、付加価値が増えて行く。

歯磨きの時、
「ナノちゃん、しあわせ?」
と聞くと、うん、とうなづいた。
「人形が、できたから?」
うん
「キャンプに行けたから?」
うん
「よかったね」
うん

娘がしあわせだと聞いて、うれしい。

子どもは、しあわせな生き物。
たぶん、人形作ってなくても、しあわせだと思う。
家族がいて、自由な時間があれば、笑い声で満ちていく。

当たり前だけど、子どものしあわせは、
実績とか、成功とか、お金で作られるものじゃない。
それは、大人の理屈。

大人の理屈で追いかけ回さなければ、
失敗も、ちょっとした挫折も、意外にケロッと乗り越える。

しあわせな、この生き物から、
しあわせについて、学ぶ日々。

2018年9月18日

ハイバイの「て」 we went to see the play

ミッチェリーさん監修「大人のピアニカ」を手に入れたぜ
土曜日夜、家族で、劇を観に行った。
「こわれても、こわれても、家族」というキャッチフレーズの「て」

小学生から「学生チケット」が買えたので、ナノカも
一番前の席で、緊張感あふれる「家族のあれやこれや」を観ました。

舞台は、同じ場面が、2度ずつ繰り返されて、
「それぞれの気持ち」「事情」が明かされていく。
ナノカも、一丁前に
「なるほどー、そういう事だったのかあ」
と言ってて、笑えました。

じつは、去年、ハイバイを率いる、岩井秀人さんのワークショップに参加しました。
私は、脚本を勉強したかったのに、演技をする羽目になって、
目が白黒になった経験でしたが、
「人を観察し、ドラマにしていく」は、とてもいい経験になりました。
今も、ささやかながら、記事を書く時に、
人の個性やドラマをちゃんとつかみたいと意識してます。

今回、岩井さんの劇を初めて観せてもらいましたが、
あまりの計算し尽くされた脚本に、おおーと感動するばかり。
その観察は、エグいけど、愛のある形でした。
それぞれ、自分の家族や、知ってる人に、想いを寄せたりして。
人間って、そうだよなあ。家族って、きれいごとばっかりじゃないよなあ。

こわいアニメは見れないのに、
緊張感ある人間の群像劇は観れるという、小学1年生。
静かに、観れる、という確信があるから、連れてこられるわけで、、、

先日、現役の先生から、小学校の現場の事情を耳にしました。
「英語、IT、読書、スキルアップ、道徳。
どんどんと増えるカリキュラムに、時間も予算もアップアップ。
そこで、最初に削られるのは、お金もかかって、すぐに効果が見えない芸術、舞台。
学校から、学芸会の演劇が削られ、学校単位で観る劇もなくなった。
なんとか、芸術に触れたという「事実」を作るために、
3年生あたりで「演奏」を聴きに行く。」
 「その余裕のなさは、家庭も同じで、
なかなか、子どものための人形劇や劇にまで、
手が回る家庭は、少なくなっている。」

一本の演劇を観ることで、大きく人生観に響くこともある。
役を演じることで、人の気持ちを想像することもある。
本当に、大切なことは、すぐには、目に見えないもの。
ここは、削っちゃいけないんじゃないかなあ、
と教育素人としては、思うのでした。

2018年9月17日

わたし、キャンプ行きたい I want to go to Camping!

先週の日曜日は、「わたし、動物園に行きたい」だったが、
連休は、「わたし、キャンプに行きたい」だった。

この蚊だらけの季節に、キャンプかあ、、、
急で、準備も大変なんですけど、、、

却下すれば、いいのかもしれないけど、
言われると、腰が浮いてしまう「次女体質」の母。
雲仙にまで行ってきました。

だーれもいない キャンプ場。
長崎県人は、キャンプしないなあ、、、といつも思う。
あまりの廃れぶりに加え、
イノシシの足跡も見つけてしまい、
一晩中、ラジオをつけっぱなしで寝ました。

星空見てても、すぐに退屈して、「ねえ、あの星に、どんな宇宙人がいると思う?
はい、ママから」
と、即興の話を作るよう、ムチャぶりされるし、
からあげの待ち時間には、退屈と騒ぐので、
「からあげの4文字を頭文字に乗せて、文を作る」
という競争をさせられるしで、
すこしは、自然を味わって、心を静かにしようぜ、
という感じでした。
まあ、でも、自然の中にいる子どもの姿は、美しい。
なにかと忙しいし、行ける時に、行っておいてよかったかな。
Nobody else except us did camping there.
We found boar's food steps and put radio on for whole night
to keep them away from our tent.
She kept asking and chatting even under thousands of stars twinkling.
Can you keep a bit silence to feel nature more?
昔は、ここも、もっと盛り上がってたんだろうなあ。野外ステージ跡があった。She found ruin of outdoor stage.
朝ごはん。Breakfast
巨大キノコ Big mushroom
「来た時より、きれいに」を今も実践するオジさん。虫と落ち葉とマナーの悪いお客のゴミを、全部掃除してました。Husband always cleaned up to make it more beautiful than we came.
すべての希望を口にするナノカ。「ボート乗りたい」も叶いました。enjoy boating.

 島原半島を後にしようとした時に、
「水族館でニーハちゃんを見たい」と
「大村湾で石投げをして、クジャク園で、体を動かしたい」
とも言い出しましたが、それらは、却下させてもらいました。
なんと、泣いていました。
どんだけ、貪欲なんじゃ。
She said she wanted to go to Aquarium to see pregnant dolphine
and go to beach to throw the stone and played at the park.
We said "No. Too much."
She cried.
I cannot believe how endless her desire was.

2018年9月14日

ほこらしい I am proud


帰ってきたナノカが、「ママ、わたし、ほこらしい」と言う。Nanoka came home and said, "I am proud of myself."
自由研究が、学校代表に選ばれたから、だった。She handed me the paper telling her summer work was so remarkable that would go to the city exhibition.
私も、小学校1年生の時に、作文が学校新聞に載ってから、国語が好きになったんだっけ。I remembered that I got to love writing after my first grade teacher appreciated and put it on school paper.
「ほこらしい」は、小一のボキャブラリーとしては、
ちょっと、変わってる。
わたしが、使ってるんだろう。
It was a kind of funny vocaburually for 1st grade girl
to use, "proud" 

海外の美術大に行った時に思い知ったことだけど、
「うまい」は、隣近所のレベルでは、評価の対象だけど、
そこから先のレベルに行くには、まったく違う「感性」の世界になる。
I got to know the fact that technique did not mean much
when we go to the art school in higher education.
It was more about individual perspective and philosophy.

だから、自分が教える時も、
「あ、この子、こういう感性なんだな。」と 見ながら、
のばすように、と思っている。
技術は、努力で身につくけど、感性は後から、急には作れない。
ゆっくり、つぶさないように、育てていく必要がある。
So when I teach, I am trying to see each character
and appreciate them.

学校での評価基準は、世の中のすべてではない。
国語は、今の時点では、字のきれいさが評価基準だし、
算数は、計算の速さと、正確さが、求められている。
School is not everything.
Japanese first grade class devoted to the beautiful calligraphy
Math was about speed and accuracy of calculating.

でも、ずっと先まで行けば、言葉をどれだけ操れるかや、感性、
数学は、発想力や宇宙的な広がりを頭に描けること?
少なくても、計算の速さでは、ないはずだ。
But it was not important point when we go to higher revel.
Professional of those area needs different kind of abilities.

だから、「一つ一つの評価を、気にし過ぎないよ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、くり返し、伝えてきた。
今の時点での、一つの目安に過ぎないから。
So I told my girl not to care too much what was said in the class right now.
It was just one factor on the long way to study.

されど、子どもが、そう理解するのは難しい。
褒められれば、うれしいし、
評価を受けなければ、モチベーションが上がらない。
But it was difficult for kids to understand it.
They need praised.
Evaluation means a lot for them to motivate themselves.

「ほこらしい」と言われて、よかったなあ、と思った。
子どもは、何度、「ほこらしい」に出会えるんだろう?
I was glad to hear that she said "I am proud"
How many chances would the kids met feeling "I am proud"

ゴミを一つ、拾えたこと。友達の気持ちに寄り添えたこと。
目立たないことの中にも、評価してあげることで、
「ほこらしい」を感じるタネはある。
When they pick up the garbage on the road.
When they noticed classmate's feeling and support them.
Even it did not stand out, we can notice and evaluate,
so they could be proud of themselves.


たくさんの種類の「ほこらしい」に出会って、
じぶんを「ほこらしい」存在だと思ってほしいな。
I wish kid met various "I am proud" and
I hope that they could find themselves as proud existence.

2018年9月12日

続:宿題について About Homeworks

自由に使える時間があったら、こんな活動もできる。
ランドセルの重さについて、
先日、文部科学省が、言及した。
続いて、宿題の多さについても、議論が交わされてるようだ。

意外に、
「社会人になってから、必要とされる書類を期限内に出すための訓練」
だから必要だと、訴えている人が多く、
「甘やかしたら、子どもが弱くなる」
と言う意見も、結構、見かける。

私は、宿題は、目的がないなら、必要ないな、と思ってたけど、
学習習慣のために必要だ、という意見が、多かった。
宿題の効果とか、害を、議論するのは、
日本の社会のあり方も考えると、複雑そうだ。

私自身、宿題を、ちょくちょく、サボった子どもだった。
他に、やりたいことがいっぱいあって、ついつい、忘れちゃうのだ。
毎日、野山で植物や虫と遊んで、部屋の中で、没頭して、作り物をしていた。
大人になっても、日本の組織社会内で働いているわけではない。
社会への訓練だと言われると、
「みんなも、いらないよ。辞めようぜ」
とは、言いにくい。

でも、時間は、子どもといえども、無限ではない。
遊びの時間、お手伝いの時間、ぼーっとする時間、おしゃべりの時間を
宿題が子どもから奪ってしまってるのも、事実だ。


大学生の頃、LD(学習障害)の子の家庭教師をしていた。
とても、かわいらしく、明るい女の子で、
話していても、何も、違和感を感じなかったが、
プリントに向かうと、一気に、どんよりした。
目から得た情報が、脳で電気信号に変えるのに、不都合があるようで、
漢字のへんとつくりが、左右逆転し、ひとつの文字を書くのに、何十分もかかることがあった。

毎日、国語と算数のプリントが1枚ずつあったとして、
それを家庭教師が横について、2時間かけても、
終わらないこともしばしば。日によっては、9時過ぎまで、泣きながら、
宿題をこなしていた。小学校3−4年生だった。

学校の先生としては、多くの課題をさせることで、
できていない部分をカバーする、という意図だったのかもしれない。
追加のプリントが出ることさえあった。
でも、その生活は、過酷で、気の毒だった。

「特別クラスに行けばいいのに」と思う人がいるかもしれない。
でも、彼女は、日常生活では、障害を感じさせることはなく、
すべて自立していた。幼稚園から、ずっと一緒だった友人から、
学習面の理由だけで、離れてしまうのは、どうなのだろう?
(今は、特別クラスと普通クラスの接続が、もう少しよくなり、
サポートが受けながら、行き来ができるのかな)

あの子の、プリントを前にした、涙を忘れられない。

教室で、何を求められていたのか。
ある枠に入る人間だけを、評価して、そこから、はみ出てはいけない。
そこから、はみ出ないよう、矯正しなくちゃいけない。
そんな風に、言われている気がした。

彼女も、合った職業があり、社会人として活躍できると感じた。
でも、学校という学歴社会の中で、「普通クラス」からはみ出ると、
枠外に出てしまい、生きづらくなる。
何かが、不条理に感じたけど、
その不条理の相手は、巨大な日本社会だと気づいて、
「どうしようもないな」と思ったのを、覚えている。

授業についていけない場合だけじゃなく、
より高度な関心を持つ子供にも、同じことが起きてるんだと思う。

学校の運営上、授業で個々に対応するのは難しいだろうけど、
宿題は、「できたら、やる」「やりたかったら、チャレンジ」
「自分のレベルに合わせて、ドリルを選ぼう」
なんかが、あってもいいのでは、と思った。

健康で、幸せな、放課後を、子どもたち、みんなに過ごさせてあげたい。