2017年5月31日

「さとにきたらええやん」を観ました Documentary of children's supporting

I wanted to watch documentary of children supporting house at Kamagasaki(downtown Osaka) and I had to bring Nanoka with me.「さとにきたらええやん」を観に行くことにした。
Only grown-ups around except Nanoka. Is it OK for her to watch this?大人ばかり、十数人。ナノカが、見ていい映画なのかなあ。
She said, "I can stay there!" probably she did not understand why those kids had to stay there.事態は飲み込めてない所も多かったが、楽しそうに見ている。
She was shocked by homeless men. "What are they doing?" "Why are they sleeping with boxes outside?" 一番、ショッキングだったのは、路上生活している、おっちゃん達だったようだ。
去年から、こども食堂に、すこし、関わらせてもらってることもあり、
映画「さとにきたらええやん」は、観に行きたいなあ、と思っていた。
が、ナノカを預ける先がない。
えい、連れて行っちゃえ、と思った。
I had been working with "meals for all kids" project since last year.
This documentary was recommended by friend there.
I could not find the place to leave Nanoka, so I brought her there.

わが家は、ふだん、テレビをつけないので、
ナノカは、どんな映像でも、食いつく。
なので、ちょっとシビアな内容でも、大人の映画でも、
集中して、見ていられるだろうな、とは思った。
We don't watch TV daily,
so Nanoka was usually excited to watch any kinds of films.

家の中に暴力があったり、
親の心の病気、生活力、不登校。
問題そのものが描かれてるわけではないので、
ナノカには、なぜ、お泊まりして、みんなで生活してるのかが、
理解できず、「楽しそう」に見えたようだ。
The documentary about supporting house
where any kinds of kids can stay.
Domestic violence, Parents' mental illness, poverty, school non-attendance,etc.
Nanoka did not understand those problems
and seemed her to be kind of fun to stay there together.
(The place was the shelter of those kids, so it should be relaxed)

「なんで、おうちに、帰らんと?」と言ってたので、
「おうちで、お父さんが、お母さんを叩いちゃったり、
お金が上手に使えなくて、足りなくなっちゃったり、
みんな、いろいろ、あるんだよ」と説明すると、
ふーん、という感じで、聞いていた。
She asked me, "Why are they not going back home?"
I answered, "Because, their parents hit kids,
or run out of money since they do not use money in proper ways."
she just listened to it.

自分自身もそうだが、
自分に直接関係のない「社会問題」は、
見ないようにすれば、「ない」ような気分で、暮らすことができる。
原発、沖縄基地問題、格差社会、貧困の連鎖、移民問題
いじめ、差別、教育、紛争、などなど
でも、どこかで、それが現在進行形で、現実問題で、日常の人がいる。
People(including me)can live daily lives
if we just ignore any social problems
as long as we do not have direct connections.
Radio active, Base problem in Okinawa, Poverty, Immigrations,
Bullying, discrimination, wrong education, conflicts etc.
But somewhere in the world, there were people who live in those problems.

すべてを投げ打って、その解決に邁進するだけの
思い切りも、能力も、ないけれど、
知って、考えて、自分の意見を持ち、
何か接点ができた時には、自分なりの判断をしたい。
I cannot throw everything to live for solving the problems.
I just want to know, think and have opinion.
I want to judge based on what I got
when I need.

ニューヨーク時代の同級生で、
安定した出版社のデザイン職を辞めて、
アフリカのエイズ問題のドキュメンタリーを撮りに行った女性がいる。
今も、世界のあちこちで、カメラを回している。
One of my classmates at NY
left her design job and moved to Africa to shoot the documentary.
She shot the reality of AIDS at South Africa and
now she traveled around the world to let the reality being known.

ドキュメンタリーの、後ろに、いつも、
彼女のような、ジャーナリストの
まっすぐな心を感じる。
I always feel the sincere heart of journalists like her
behind all the documentary films.

作品を見て、問題を知り、自分なりに考える。
それだけでも、彼らの、真摯なジャーナリズムを支えることになる。
こども達にも、そうあって欲しいな、と思う。
To watch, to know and to think.
It supports real journalism.
I eager the world keeping this culture.

女子部室的会話 Changing room chatting

更衣室にて、小一女子が宝塚の話をする。a girl at the ballet talked about the musical, Takarazuka.
Another girl joined the chattering. I asked what part of Takarazuka was so appealing. Dress?
She agreed to the fashion was one of the best part and added "especially plumes!" Yes, they were so remarkable...
They were so excited to talk about Takarazuka, so I asked her "Are you going to join them in the future?" and she answered, "It was one idea, but I think Huis ten bous musical is good one, too" Yes, they were so close that you can work there from your house!
バレエのレッスン中、約1時間、
親たちは、見学できないので(子供の気が散るので)
控え室で待機する。
The governors cannot enter the lesson room,
so I usually stayed at the changing room during Nanoka's lesson.

控え室には、レッスンが終わった(あるいは、待っている)
上級生の女の子たちが、着替えたり、ご飯を食べたり、宿題したり、
ごちゃごちゃ〜と入り混じっていて、
ああでもない、こうでもない、とおしゃべりをしている。
バレエは、ほぼ女子の世界なので、 部室みたいだ。
Other class girls stayed for a while before/after lessons
by changing, eating and doing their home works etc.
They chat each others.

たまに、私も、その会話に入れてもらえるのだが、
おしゃまな割に、子どもだったりして、そのアンバランスさが、かわいい。
Sometimes I joined in their chattering and got fun.

世界中の控え室で、こんな風に、女子が会話してるのかなあ。
I wonder if girls talk like this in changing rooms all over the world.

2017年5月30日

スカーフの人形 A doll made of handkerchief

先日、こども劇場の例会があり、
劇団プークさんの、「ねずみくんのチョッキ」を見た。
言わずと知れた、有名な絵本だが、
その短い、誰もが知ってる話を、劇にするのは、大変だろうな、と思ってた。
でも、間の使い方や、空間の使い方、そして、最後のスケール感など、
なにもかも、プロの作品は、ちがう。
大きめの子供を含め、大人まで、大盛り上がりだった。
We went to see Theater Pook's pappet"Mouse's vest"

プークさんは、NHKの教育番組でも、多くの人形を担当しているのだが、
やはり、人形が、とくに、素晴らしかった。
その作りを、見せながら、お話へと導入していく
「スカーフのファンタジー」が、芸術的な美しさだった。

すると、昨日、突然、ナノカが、
「ママ、布ちょうだい」と言いだした。
「クリエイティブボックスに入ってるでしょ。
自分で、探してよ」
と、調理中だったので、言うと、
「人形には、小さすぎるんだよ!」と言う。
破れてしまったハンカチを使って、作ったのが、こちら。
Nanoka made the handkerchief doll which Theater Pook taught us in the play"Fantasy of Handkerchief"

2週間も経ってから、作り始める所が、ナノカらしい。
そして、それだけ経っていると、私は、作り方をすっかり、忘れていた。
「ねえねえ、手が作れない」
えっと、、、どうだったっけ?

でも、できあがりには、大満足で、夜は、一緒に寝ていた。
そういや、この間読んだ「人形屋にやってきた猫」という本に、
「お人形の嫌いな女の子なんて、いるのかしら?」
という言葉があって、そうだ、古今東西、女の子は、
人形と一緒に、育ってきたんだよなあ〜、と思ったばかりだった。

子供の気持ちを、覚えていると思っているけど、
やっぱり、忘れちゃってる所、多々。
今度は、一緒に、ちゃんと、ノリノリで作ってあげたいな。

物欲の休息 Rest from desire

When we stayed at Tokyo, she had 1000yen in her wallet. She bought 300 yen clay at Tokyu Hands.
and she bought 500 yen floral hair accesary at fashion market at Harajuku.
When she came back home, she only had 200 yen.
I asked her to earn money by making new products for Nanoka1st, but she did not feel doing that. Actually she lost desire for shopping.
ナノカファーストを始めて、
子供の割に、まあまあな自由になるお金を、手にしたナノカ。
最初は、初めての、自由な買い物に、興奮したかのように、
「あれも、これも」
と、勢いよく、買い物をしていた。
その様子に、すこし、心配もしていた。
After starting her business, Nanoka1st,
Nanoka received some money in her hands.
She used up all the money to enjoy shopping.
I worried about her a bit.

仙台ー東京の旅には、1000円の残金を持っていた。
さすがの、東京は、珍しいものが溢れ、
「あれも、欲しい」「これも、いいな」
という場面が多かったが、
そもそもの持ち金が、芳醇ではなかったので、
何回かの場面で、
「これは、買えない」「これなら、買える」
を経験することになった。
She had 1000yen for Tokyo trip.
Tokyo was full of amazing staff
and she said, "I want this!" so many times,
but she faced on "I can buy this" but"I cannot buy that"

結果は、
渋谷の東急ハンズで、「おゆまる」という
おもしろそうな粘土を見つけたので、
300円で購入。
As a result she bought 300 yen clay and 500 yen accesary.

原宿のお店で、一時期流行っていた、
頭につける花輪(流行が過ぎたのか、数個しか、なかった)を
500円で購入。

お土産・思い出、ということで、
浅草で爪切り、
草間弥生展で折り紙
の2点は、親が買った。

魅力的なものが、山のようにあるけれど、
考えた末に、数個買いました、という経験の後、
プッツリと、ナノカの、「これ、欲しい」が消えた。
街を歩いても、お店に行っても、
前は、しょっちゅう、「これ、買いたい」と言っていたのに、
言わなくなった。
After the trip, she stopped saying, "I want this!"

200円しかないからかな、と思い、
「また、増やそう」と誘ってみたが、
今は、気持ちが乗らないようだ。
Because she only had 200 yen left?
I asked her to make money by new project,
but she was not feeling that.

我が家そのものの家計も、
大移動の際に、散財したので、
粛清モード。
実際、物欲の嵐が過ぎ去って、
すこし、疲れてしまったような、
そんな気持ちでもある。
I kind of understood her.
After feeling so much desire and using up money
then feel tired of using.
Maybe running out of desire?

お金って、使い過ぎると、
癖になって、永遠に使い続けないと、
我慢できなくなる、ていう意識が、
どこかに、あった。
でも、こうして、子供の欲が、落ち着いたのを見ると、
バランスの良いところで、
収まるものなのかもと思う。
I had idea that if kids had too much money
and used to use those, they would got used to use much
and addicted to shopping a lot.
But maybe they learned the balance some way.

ナノカファーストは、
ナノカの次なる物欲が出てきた時か、
あるいは、単純に、創作意欲が出てきた時まで、
一時休戦ですかね。
We will start Nanoka1st again
when she felt desire
or when she want to make something.

2017年5月29日

自然素材をゲットだぜ Natural materials

自然素材を、ホームセンターで物色 searching for some natural materials for workshop
麻袋を解体して、縫製してみる。なかなか、楽しい!waving the linen
次回のリトルアーティストは、浜辺で、創作をする。

浜辺を選んだ理由は、砂なら、無尽蔵にあるし、
扱いに、特別な技術もいらないから、
子供でも、巨大な立体を作ったり、
自由自在に動けると思ったからだ。

私が通ったアイルランドの美術大学に、
彫刻家(スカラプター)の講師がいた。

彼女が作っていたのは、巨大な、ゼンマイだった。
ゼンマイは、シダ科の植物で、螺旋形をしている。
その形の美しさに惹かれ、螺旋、というものの持つ、「永遠性」みたいな
ものを、巨大なオブジェにすることで、追いかけていた(のだと理解した)。

彫刻、というと、図書館前とか、公園にある銅像のようなものを、思いがちだが、
世界の流れとしては、布、プラスチック、ビニールや新素材を使ったものや、
音や、LEDや、センサーを使った、近未来的なもの、
島に布をかぶせてみたり、あるいは、何かを行って、その反応をビデオで捉えたものなど
「これ、何?」というもののことも含め、さまざまなアートのことを言う。

こうしたアートは、哲学的だったり、社会問題を婉曲的に表してたり、
「コンセプト」がすべてなので、解釈が難しそうに見える。
たまに、「アートは難しい」という言葉を聞くが、
そういう現場で作られてるのだから、そうかもなあ、と思う。

先生の大きなゼンマイを見た時、
「ただ、ゼンマイ、でかくしただけじゃん」と思った。
でも、大きなゼンマイは、圧倒的なインパクトがあり、
不思議な美しさがあった。 ボーッと長く、見ていられた。
「これが、何なのか」ではなく、私が何を感じるか、なのだと思った。
他のアートだって、どれほどの意味や価値があるかは、
受け取る側の心に、どれだけ、響くか、で決まるのだ。

子供が、新しい分野のアートに触れる機会は、少ない。
また、大人は、子供の造形指導で、どうしても、「素敵な出来上がり」を
目指してしまいがちである。
本来、子供は、言葉を介さず、直接、アートに対面するので、
「なんか、感じた!」と、すんなり受け入れられるのに、
さまざまな価値感や、アートの本質を経験することがないと、
いつしか、心で感じられる時期を過ぎてしまい、
ある日、そうしたアートと出会っても、「わからない」から、苦手、と感じる。

この環境アートは、「いつか、消えてしまうもの」。
風に吹かれて、雨にさらされ、また、地球に消えていく。
残るのは、「経験」と「記憶」だけ。
その気楽さも手伝って、「なにか、いいものを、つくらなねば」と考えず、
「ふんふんふん〜」と、潮風にのって、 鼻歌でも歌いながら、
心のどこかに、「アートを、ただ、感じた」を、持って帰ってもらえたらな、と思う。

2017年5月26日

バッジに仕立て making Badge

先日作った、プラ板を、白のフェルトに乗せて、型取り line the shape on white felt.
ピンを縫い付けてから、ボンドでつけます。put the parts.
バッジ完成。Done!
子供が、作ったものは、ちゃんと、使えるようにして、使う!
Every time when kids make something, I make them something nice to use!

次へのモチベーションアップにもなるし、
かっこよく仕上がれば、自分のセンスへの自信にもなる。
It will motivate them to create next time
and it gives them to be proud of themselves.

今回のプラ板を、一番、輝かせるには、どうしたらいいかなあ、と考え、
バッジに仕立てました。

不透明な着色を生かすために、裏を白で絵を浮き立たせ、
大きめのサイズも、かわいく、使えるようにしました。

うむ、次のナノカファーストは、これかな?
Probably these will be the next Nanoka 1st's project?

苦行 The hardship

「うるさいよ」は、子供には禁句だと思ってたが、
もはや、そんな事は、言ってられないほど、とにかく、しゃべる。
おしゃべりの総量もさることながら、
バリエーション、相手への要求、など、女子のおしゃべりを、聞いているのは、
苦行である。
ところが、女子にとっては、そのおしゃべりを、我慢するのが、
苦行なのだ。
もうしばらく、母と娘の攻防戦は、続きそうです。
それにしても、ナノカが黙ってる間の、バスの静けさには、驚いた。
どれだけ、喋ってたんだ、、、(叫んだり、の迷惑行為はしてませんが)

"Shut up!" is NG word for kids, I had been thought.
But now I cannot help using the words.
It was hardship for me to listen to her endless variety of talks
but for her it was hardship to keep her mouth shut.
We are going to have conflicts for a while.

 One day on the bus, she had kept talking and asking for my answers. I said to her "Mommy was not in a good condition today and cannot answer all the questions,,,"
She was not feeling good about my words and said, "You meant I was noisy? I could make silence once you said, 'Stop!'"
Then she became quiet.
In about three minutes, she seemed to be uneasy, but she kept quiet because of her pride. I was just surprised how quiet in the bus when my daughter shut her mouth.
After getting off the bus, she said, saying "Not stop" starts chatting again and it will never stop even saying "stop!" 

2017年5月23日

根拠のない自信 She is now so independent

日曜日、世知原の古民家にて、イベント。屋外ライブを、楽しむナノカ。On Sunday, Nanoka enjoyed the live music at the country side. She pushed me away to be independent.
途中、一人で、屋内を走るナノカを見かけた。I saw her running in the house.
数分経っても、戻ってきていない。She did not come back to the place for a few minutes.
トイレの前に、人がいる。もしかして、、、I checked the toilet. People said, "Somebody's blocked inside."
力を入れると、扉が開いた。涙をためて、固まっているナノカ、発見。I opened the door and found Nanoka frozen quietly.
救出されてから、泣き出しました。She burst into crying after being saved.
年長に上がってから、万能感に溢れている。
 もはや、保育園には、彼女に指示してくるものは、おらず、
「私が、ルール」ぐらいの勢いなのだろう。

そもそも、根拠のない自信に、あふれているのは、
相方も同じで、
「なぜだかは、言えないけど、大丈夫だよ」というセリフを
何度、聞いたことだろう。
(大丈夫じゃなかったことだって、ある)

とにかく、自信が出てきて、
自分で判断して、自分で行動したいと思うのなら、
見守るしかないよなあ、と思って、放置してると、
たびたび、トラブルに巻き込まれてくる。

知らない場所で、自分でトイレに行き、
自分で鍵を閉めて、トイレを済ませた所までは、
がんばったんだもんね。えらい、えらい!
トラブルさえも、小気味よく思う。

トイレで、ふるえてるナノカを発見した時は、
正直、ちょっと、おもしろかった。
(思った通りの行動をして、思った通りのトラブルに巻き込まれてるのが
おもしろかった)
でも、本当の恐怖にさいなまれる前に、救出してやれて
よかったなあ、とも思えた。

よんぶらこ用カードキット Umbrella Card Kit

カサのシールカードキットUmbrella seal kit
ナノカとやりました played with Nanoka
中身は、お話作りながら、作ってました。She even made inside making stories.
6月6日、よんぶらこにて、お話会&ミニワークショップをします(要予約)
季節柄、カサのカードを用意しました。
カサに模様をつけたり、雨を降らせたり、自由に、完成させてもらおうと思います。

よんぶらこは、0〜2歳児とママの組み合わせが、ほとんど。
集団で、ハサミやノリは、難しいかな、と思い、シールカードにしました。
シールは、「つまむ」「はりつける」という作業になるので、
結構、指を使うんですよ。

ただ、本当は、
1歳代から、1対1で、お手伝いをすれば、ハサミも練習できます。
2歳なら、ヤマトのりも、使えます。

最近、ヤマトのりを
「気持ち悪い」と言って、触れない子がいます。
あるいは、高学年なのに、山のように、のりを塗っちゃう子もいます。

スティックのりとか、テープのりなど、便利なものがあるので、
事務作業をするぶんには、必要なく、
家庭から、ヤマトのりが消えちゃったんでしょうね。

でも、のりを、指で、適量乗せる、という感覚は、
他の、さまざまな作業の「適量」にも、つながっています。
デザインや建築の仕事に就こうと思えば、サンプルも作ります。
それは、たった一つの手作業。

これからの時代に、その作業に、のりを使うかどうかは、ともかくとして、
何事も、指や手で覚えた感覚というのは、一生もの。
子供だからこそ、触らせてあげたいな、と思います。
「イヤだから、使わない」は、大きくなってから、
自分で、選択することですもんね。

最後に、洗えばいいんですよ!
ヤマトのり、初期の頃。のり、てんこ盛りNanoka using glue paste for the first time at the age of two
数ヶ月後。適量を裏に塗って、貼ることが、すこしずつ、できるように。a few months later, she could apply proper amount of glue on the proper place.

2017年5月22日

朝から工作 Morning Crafts

土曜日、午前、「おゆまるがしたい」と言う。
朝ご飯の片付けも、これからの時に、言われると、
気が慌ただしくなる。
On Saturday morning, Nanoka said that she wanted to do OYUMARU,
the crafts to use plastic cray.
今週のおゆまる。ハートの指輪と四角(リカちゃんのかばんのベース?)はナノカ作 then we made these.
日曜日は、朝っぱらから、
ベランダで、相方が、自転車を修理している。
まだ、6時台だ。

朝ごはんを、食べ終わると、
今度は、ナノカが、プラ版がしたいと言う。
On Sunday morning, she said she wanted to make Plastic board crafts.
1年以上ぶりのプラ版。Draw on the plastic board and bake them to shrink down.
なかなか、よい出来です。Done.
日常の活動(家事、雑事)中に、「◯◯やりたい!」と言われると、
(最近、貧血に悩まされてることもあり) 
追い立てられる気分になることがある。
She always said when I was busy doing house staff.
I felt pressure.

体がキツい時、なんとか、日常は回そうと、
がんばって、起き上がる。働く。
でも、そこへ、プラスアルファの要求がくると、
なかなか、辛い。
「まだ、片付けてないよ。ちょっと、待っててよ!」と、
キツく返してしまった。
When I feel tired,
still I push myself to finish house work such as preparing dinner,
cleaning table etc, but it was tough to hear
"Mommy I want to play with this!"
at that time.
"Wait for cleaning up the table!"
I shouted back loudly,,,

まだ、自分で、道具を準備して、手順を追い製作し、片付けまで
完結することもないので、助けが全面的に必要。
だから、「やらせてあげたい」と「いや、今、ムリ」が
交錯する。
Kids cannot prepare by themselves, yet.
They need help to satisfy their demands.
I feel "I want to let her do"and "I cannot do more"
at the same time. And a bit in panic.

一方で、朝一番には、
折り紙で、ハートの杖を作っていた。
色、大きさの違うハートを、3つ作り、
棒部分もつけて、1から10まで、自分で準備、制作して、
できあがり品だけを、見せに来た。
そう、折り紙は、私から、完璧に卒業したのだ。
Early in the morning, Nanoka made heart shape stick
using three different size and color ORIGAMI.
All done by herself from beginning to the end.
Yes. Now she does not need any help to do ORIGAMI.

たぶん、あと少し、付き合ってたら、
今、手伝いを要求されている、さまざまな工作も、
自分で、机をきれいにして、道具を準備して、
手順に沿って、一人で、なんでも、やるようになるんだろう。
今だけのことなんだよな、と改めて、思い直す。
Probably she will graduate from my hand-to-hand
crafts very soon like ORIGAMI.
I just need one more patience
and try to be happy to help her little craftsmanship.

手間ひまかけた分、
今、若干、めんどうくさい状態になっているが、
さらに、時が経てば、自分の道具として、手や頭や体を
連動させて、生きていってくれることだろう。
私も、ガンバレ。

2017年5月19日

斜陽 Sunset industry

編集者さんとの会話。「女性誌、もう、終わったよね」「買うのは、小学生までだね」「中学生になると、スマホを持つから、インスタグラムがあるからいい、てなるんだよね」Editor"No magazine sells.""Only primary school kids bought fashion magazine. Others see Instagram"
「うちの姪っ子も、雑誌、重い、て言ってた」わたし「現代人の筋力が、また、落ちちゃうんじゃないですか〜」"My neath said, magazines are heavy to carry" I said, "Then human being lost more muscular."
「高校生の息子みたいに、片手で、スマホ、打てるようになりたいわ〜」わたし「腱鞘炎になりますよ!」Editor"My son looked down on me touching iphone panel with both hands. I want to use it by one hand." I said, "It will hurt your arm!"
「生まれた時から、スマホのある子たちは、それに合わせて発達するから、大丈夫よ。そのうち、親指が変化するんじゃない?」E"Well. Human being will enlarge their thumb to adjust for touching iphone panel soon." I "Like good swimmer develop their skin between fingers to crawl more water?"
出版は、消えゆく文化なのか、、、我が一家、全滅か?Publishing is banishing industry?
東京で編集者さんたちとした、「出版の今」の話が、シュールだった。
でも、半分笑えて、半分笑えない、わが家。
It was funny talk with editors.
But it was not only jokes for me.

「本を、読まない人、増えたよね〜」と、憂いていたうちは、
まだ、余裕があったのかもしれない。
今や、「まったく、読まない人」というのが、結構な割合になってきた。
絵本がまったく置かれていない家庭も、最初見た時はビックリしたけど、
今じゃ、どっちが多いのか、わからないかもしれない。
新聞、雑誌に関しては、もはや、買ってる人の方が、少ないだろう。
Last decades, we had said, "people don't read books!"
but we still do not take seriously.
Now "Non-reading"population is radically high.
I was surprised to see the home which does not have picture book at all
for the first time a few years ago,
but now I do not know if it is minor or major.

そうして、ふと気づいたら、「本を読む側」の人間がマイノリティになって、
「本を読まなくて、何がいけないの?」
「ていうか、どうして、本なんか、読んでるの?」
となり、ある日、「わ、本、読んでる。変なの」となるかもしれない。
One day I found "book reading people" becoming minority
then people said, "What's wrong about not reading books?"
then "What a hell are you reading books?"
then "Reading books? You are crazy!"

なのに、今も、本の新しい企画を立て、書いている私。
もはや、斜陽産業にしがみつく、頑固な職人の域か?
But I am still a book author and artist.
It will be stubborn craftsman or professor whom people laughed at?

まあ、でも、回り回って、必要なものは、必要な形で残る。
本の持つ「思慮深さ」 という側面は、デジタルのスピード感にはない。
ファストフードとスローフードが、求めるものが違うように、
その、バランスのよい所で、居場所がまた、定まるんだろう。
But actually some culture stayed after some declines.
"Thoughtfulness" the aspect of books, is different from
speed and accessible of digital information.
As first food are different from slow food,
there must be somewhere the book culture is needed.

娘よ。時代に乗って、バリバリ稼いでやれず、ゴメンよ。
そして、旧石器時代の文化で育ててしまって、ゴメンよ。
ただ、回り回って、化石的、骨董的価値が、君の中に生まれることを
祈ってやまない。
I felt sorry for my family that I cannot follow the main stream of time.
I felt sorry for my daughter to bring up under too classic style of culture.
I wish that she will get antique value in her inner culture.

2017年5月17日

あなた、自由ね〜 You are so wild

ピアノ教室では、楽譜を渡された途端、オリジナルメロディーで、歌いあげ At the piano lesson, she made song for lyric handed by teacher.
バレエでは、一瞬の空き時間に、フリーダンス At the ballet, she danced in free style during lessons
バスに乗れば、、、On the bus
私の買ってきたほうれん草に、穴を開けて、顔を作ってました。She made holes to make face with spinach I bought.
目下の悩みは、自分自身が、「口うるさい」ママになってしまってること、だ。
「気をつけて」
「危ないよ」
「よく、見て」
と、ずっと言っている気がする。
I am worried to be mommy who said too much.
"Be careful"
"Watch out"
"It's dangerous!"

そして、その度に、
「あ〜、わかってる」
「言わんで、いい」
と、返されている。
She answered,
"I know!"
"Don't say that!"

口うるさくすることで、
萎縮させてしまってないか、
自立を妨げてないか、
自由を奪ってないか、
と、心配なところだが、
実際のところは、正真正銘の自由人、なのだ。
Do I disturb her independency?
Do I stop her moving freely?
But actually she was super-free girl.

自由人で、危なっかしいから、口が出ちゃうのか、、、
Maybe she was such a free girl that I said too much warning,,,

わたしが、生きてきた上で、一番、
大切だったのが、「自由」だったし、
これからも、「自由」だけは、譲れないし、
だから、この人が「自由」であることは、私の誇りでもある。
I have thought highly freedom through my life
and I will keep freedom in any time
so I am proud of her free spirit.

他人に迷惑をかけない限り、「自由」に生きていってね。
ただし、ほうれん草は、ちょっと迷惑なので、辞めてもらいたい。
I want her to keep being free as long as she respect others.
Well spinach holes were not good though.

2017年5月16日

At 12 oclock in the midnight, she got appointment 真夜中の待ち合わせ

 Nanoka told me that she had appointment with God and fairies in the midnight.バスでの帰り道、夢の中で、神様と妖精と待ち合わせをしている話をし出した。
She had to travel there by train, plain, ship and bus.待ち合わせ場所に行くのに、電車、飛行機、船、バスを乗り継ぐらしい。「歩かなくていいんだよ!」と強調。
Then she would meet them at the castle in the kids world.で、お城のところで、待ち合わせらしい。こどもの国、にあるという(ピーターパンか?)。隣には、「おとなの国」もある。
"Mommy should come. You can play at Adults world next to kids one!" よどみなく、すらすらと、いくらでも、出てくるんだなあ〜
ファンタジーと現実が、まだ、分かれていない子供時代。
それは、なんでも起こりえて、なんでもできちゃう世界とを
行ったり、来たりできる
しあわせな、時間である。
Kids stayed at the world where the fantasy and reality got together.
They could go back and forth.
Such a happy time of the life.

うちのお嬢さんが、夜中に通っているという
世界の話を聞いてみたが、まあ、詐欺師のように、いくらでも、
話が湧き出てくる、湧き出てくる、、、
My daughter's story goes on and on.

それが、起こったような気がするだけで、
実際に起こったのの半分くらいは、
うれしい気持ちを味わってるんじゃないだろうか。
そりゃ、毎日、楽しかろうね〜。
By believing that happened to themselves,
they might feel half of the real experience.

アイスクリームでできた雲とか、半分は食べてるよ、きっと。
She must eat half of clouds made from Ice cream.