2008年8月30日

Flood 大雨

It had been raining very hard last night in my prefecture.
愛知県では、昨晩、すごく雨が降りました。

One of my friend who watched this kind of flood image on TV
sent message to worry about me.
テレビでこういう映像を見た友人が心配して、メールして来てくれました。

My house is on the hill. And we only have very beggining of river.
So we never have worry about flood.
私の家は、丘の上にあって、洪水の心配をしたことは一度もありません。
ご心配、ありがとうございました。

The thunder was just frightening for my chiken heart.
I could not sleep well.
ただ、雷が鳴り続け、怖がりの私は一睡もできませんでした。
(本当に、被害に合われた方々は、今も大変ですよね。
お見舞い申し上げます。)

editorial MMJイラストより

It has taste of summer. It is getting cooler. I miss summer already...
秋の気配。夏の終わりが、ちょっと寂しい時期です。これは、夏のにおいのする挿絵。


2008年8月27日

smell of autumn 秋




sketch from book idea スケッチより

pig and weasel went to travel. 豚とイタチの友だちが、世界旅行の図





Dog's cookie ごほうびの理論


I went to the bank to check my account. I found only 30.000 yen there.
I have some projects in June, July and August, and I have worked and I had just finished.
It happend because the payment will come one month after publication.
So I am not complaining. The money will be paid. I know well.
仕事が一息ついたので、銀行に行って、通帳記帳してみました。
通帳には30000円しか、振り込まれてませんでした。6,7,8月と結構それなりに仕事をしてたので
なんだか、がっくり。でも、これ、仕方ないんです。
私の仕事は、その仕事が発行された翌月の払い込みとなっている事がほとんどで、
働けども手にするお金がない月って言うのは、よくあるのです。
ちゃんと、いずれ支払ってもらえるので、文句を言う筋合いでは、全然ありません。

(↑everybody got the treat after their performance)
However, a little unsatisfying feeling remains in my mind.
I worked hard. I finished project. I need cookies. Woof, woof.
This time gap makes me wierd. I guess my dog will never sit or stay for no cookie.
Probably I am that kind of type.
しかしながら、なんとなく、腑に落ちない。
一生懸命働いて、何個もプロジェクトを終わらせたのに、ほとんど無収入。
(働かないのに、振り込まれる月もあるので、トータルでちゃんと
考えれば、理にかなってるのですが、、、)
今すぐ、クッキーよこせ、ワンワン。
うちの犬は、えさなしで、おすわりとか、まてとか、できません。
私も、そのタイプなのかしらねえ。
いかん、いかん、人間ですもの。「まて」ですね。

2008年8月25日

Very Sleepy Caterpillar のんびり いもむし


Very Sleepy Caterpillar

One day caterpillar got sleepy in the middle of bamboo trees.
"I will rest here."
The ground was warm and soon he completely fel into deep sleep.

のんびりいもむし、です。

Tale tells the truth 物語の効用

しばらく、仕事でこもってました。一息つきました。

診療室に来た赤ずきん」という本を読みました。精神科医の書いた本です。
「物語には、患者さんの病気の原因になった状況を、うまく言い表してくれ、
納得させてくれる力がある」というような、内容でした。

そういえば、心理療法に箱庭療法というものが、あります。
箱庭は、患者さんの心に突き刺さった原因のトゲを、心の奥底から
自然と引き出してくれるのだそうです。そして、箱庭のいい所は、
心の中のぼんやりした暗闇から、箱の中に引き出してみても、事実として
はっきりと表れないで、抽象的なままな事だそうです。
例えば、「私は母を憎んでいる。殺したい。」という幼少期のトラウマを押さえ込んで
今の症状につながっている場合、
その事を言葉にすると、本人がさらに傷つく事があるといいます。
でも、抽象→抽象で発散してしまったのなら、なんとなく癒されてしまう。
(河合準雄氏の著作より)
物語は、そういう代役で、抽象的に誰かの気持ちを代弁し、共感をさせ、
思わぬ所で、そうした意図もなく誰かを癒すのでしょう。

知己の編集さんが、「読者の本離れは、現代人は本を読むという孤独に
耐えられなくなっているからだ」という説があるのだと教えてくれました。
読書に使われていた時間とお金は、携帯電話代に流れているといいます。
その説を、「お友達には、本は勝てなかった」と称してました。
(あくまで一般的な傾向で、今でも、本を読む人は多くいると思います)
なるほど、ポール・オースターも「孤独の発明」で言ってたけど、
本を書くのは、なかなか孤独な作業です。
それなら、本を読むのも、確かに孤独かもしれない。

でも、現実的には、人間、100%誰かと完全に理解し合って
始終寄り添っていることは無理です。それぞれ個性も価値観も違い、
事情も違うし、その上自分の意思とは関係なく、事件やドラマにも遭う。
携帯などで実際につながっている、生の人間にしか孤独を癒してもらえないのは
危うい気もします。
人は、誰しも、ちょっぴり孤独で、ちょっぴり寂しいもの。
不運な時も、不幸せな時もあるし、ずるい部分もあれば、弱い部分もある。
それを、物語は代わりに、堂々と語ってくれます。こんなにも不幸だけどしぶとく生きてたり、
こんなにもずるい事を平然としていたり、弱くて全然社会に適応してなかったり。

以前、私の「のんびり いもむし」を読んだ、若いお母さんから、
癒された、とメールをもらった事があります。
完璧主義の頑張り屋さんな彼女は、出産を期に仕事を辞め、育児に専念してたのですが、
理想通りに行かない育児や、早く復帰したいという気持ちなどから、
焦りを感じたり、自分を責めたりしてたのだそうです。
そんな時、「どんな事があっても、ま、いいか、と寝てしまう いもむしが
最後まで、結構、うまく行っちゃう」という話を読んで、
「そっか、まあ、いいか、だよなあ」と思えて、楽になったそうです。

私が、その話を書いた意図には、「若いお母さんに、大丈夫だよ、て
言ってあげたい」という、気持ちは別にありませんでした。
4歳ぐらいの子供が読むお話だったので、読みやすくって
場面がよく変わる、明るい話を依頼されて、書きました。
でも、どこかで、私も「ま、いいか」と自分に言い聞かせる生活をしてた時期でも
ありました。そういう意味で、私も書くことで、自分を励ましてた所があります。
どこかで、作者と読者は、つながってるのでしょう。

2008年8月14日

essay エッセイ


After I started some essay writing job, I have more interest in essay
by other authors. Essay is such individual writing.
Writer talk about themselves, but it is difficult how much they talk and
how much they do not. Very sensitive. Then readers enjoy some but
felt uncomfortable other times.
エッセイを書いてから、以前より他の人のエッセイの文章が気になるようになった。
エッセイはとても個人的な世界だ。書き手は少なからず自分のことを語り
(自分の見たもの、思ったもの、価値観など)
それをどれだけ語り、どれだけ語らないかは、自分のさじ加減。
その加減で、おもしろくもなるし、不快にもなる。とても繊細なものだと思う。

以前、ある女性のエッセイが苦手だった。でも、多分、それは
その作家さんのベースにある彼女の価値観と自分の価値観が合わないために、
不協和音のように、読んでいる間中、鳴り響いていて、なんとなく読みにくかったのだと
思った。かといって、自分と価値観が合わないエッセイが全部そうなるわけじゃない。
むしろ、違っていても、気にならないことが多い。
そこは、多分、「さじ加減」具合なのだと思ったのだ。

最近、向田邦子さんのエッセイを読んだ。
本の向こうに原稿用紙に向かう女性が感じられて、でも、その姿は
清清しくて、心地よい。本人がきっときちんとしているから、書けるんだろうなあ、とも思う
生活の節々の話。私みたいにだらしない人間は、生活を切り売りなんてしたら、
恥ずかしくて、穴にこもらなきゃいけなくなるだろう。

内田百けんも、文句ばっかりたれてる割に、気が弱くて、奥さんと仲がよくって、
愛情深そうな感じが、好印象。

他人の夫婦ケンカも、花瓶が飛び交ってるような、ハチャメチャしたのを
ちょっぴり垣間見るのは、実は、ちょっと楽しい。「ケンカして、発散して、
どうせ仲直りしちゃうんでしょう」て思うと、家族イベントにしか見えない。
ところが、間に入って、ドロドロした相談とかを受けて、恨みつらみに満ちた
応酬を見せられたりすると、これは、被災だ。こっちも、ショックで落ち込む。
大事な友人や家族なら、その被災も引き受けたいものだが、あまり縁の深くない人から
わざわざ、そういうショックを受けるのも、大変だ。
エッセイを読む時の気持ちって、こんな感じかもしれない。
人によっては、演歌のようにどっぷり、とことん付き合う感じのエッセイが好きな人もいるだろうから、
一概には言えないと思いますが。

2008年8月13日

magazine 雑誌

Sometimes it is nice to read magazine.
雑誌を読むのも、結構いいものだ。

I did not have custom to take yearly magazine reading,
but I started to work with magazine and I got chance to get delivered
magazine I worked.
もともと(金銭的な余裕のない青春時代のせいもあって)雑誌の定期購読をする
習慣はなかったのだが、雑誌で仕事をするようになって、掲載誌を受け取るようになった。

Magazine is different from books. It is more relaxed.
I usually read magazine without any expectation, and actually
I got to know several new knowledge or good information.
雑誌というのは、本と違う。もっとリラックスしてる。
読む側もなんらかの目的をかっちり持って読むというよりは、だらだら読む。
そして、実はそういう中から、案外いい情報とか知識が入って来たりする。

Sometimes I read magazine in bath.
お風呂で読むこともある。

The other day, I was reading magazine one editor sent me as sample.
I never read that kind of psycological magazine. An article says "people felt unhappy
when they compare themselves with others." and I really agreed.
Without comparing I never notice I have some lack. I can live without it anyway right now.
先日、旧知の編集の方が異動なさって、そこの雑誌をサンプルで送ってきてくださった。
私は、心の問題をテーマにしたその雑誌を初めて読んだ。そこには、「人は、誰かと比べて、
不安になり、落ち込む」と書いてあった。納得。考えてみれば、人と比べなければ、自分の
足りないものに気付かない。それなしで、今、なんとか生きているのだ。

その他、私は、「かたい雑誌なので、かえさんのやわらかい雰囲気で、、、」という要望を受け、
縁のない、専門誌とかで連載させてもらったりしている。医学雑誌とか、英語教員向け指導研究書みたいなのとか。連載すると、送ってもらえるので、自分が書いたページ以外も読んでみたりする。専門的なことは、本当に違う言語のように難しくて、全く理解できないことが多い。あきらかに、自分の書いた(描いた)ものが浮いているのがわかるが、もともと、そういう目的で依頼を受けたのだから、気にしない。

magazines are made by comercial income. Then they include so much comercial pages.
Woman fashion magazines are heavy like dictionary but cost you just 400yen.
Of course they cannot make 400yen magazine for this colourful thick magazines.
It means other companies paid for you to read this magazines. You should know you are forced to read the information. It happens to many media like TV. We should know we got it free
but we actually got what they want us to get.
雑誌はコマーシャル収入に頼ってるところが大きい。女性誌などはたった400円で辞書のように重い
カラフルなものを作ってくるが、こんなものは400円では作れない。広告をうってる会社がそこを
負担しているのだ。雑誌を読む時は、それがすでに「広告を読まされる」料金込みだと言う事も意識したい。薄い雑誌が結構高くても、それは広告に左右されない雑誌を作ろうという心意気かもしれない。
すべて、メディアは、そういう所がある。ただの物には、すでに「作られた情報量」が添加されてる。
値段だけで、物事は決めちゃいけないな、と思う。

2008年8月11日

baby あかちゃん

On the other day, my friend visited me with her baby.
友人が、赤ちゃんを連れて遊びに来ました。

He could now sit, change his position by himself and he could make sounds.
(He met my dog, O. He was very interested in O. My dog loves baby generally)

I met him several times. First he was 10 days and second he was milk-drinking sleepy baby and third he could recognise song and books and now he could understand Dog!!!
It was so fun to watch baby growing. It was like evolution! Also every baby shows smiles when I praised them so much. It must be pleasant to be praised for human being since this very small people already got happy.
最初は生後10日で、ただひたすら寝ていた赤ちゃんが、会うたびに発達してて、ホント人間ってすごいなあと感心する。今まで結構クールな印象だったが(うちの甥っ子がすごく、執着心の強い、泣き虫やんちゃタイプだったので)、今回は結構、静かな自己主張を感じて、それも感動。「ぼかあ、犬を見るまで、うなるよ」みたいに、自分の願いを着々とかなえていました。ちなみに、褒めたたえると、どこの赤ちゃんも嬉しそうなので、褒められるって、人間にとって気持ちがいいことなんだね。

2008年8月7日

Reader's choice 本を読む

I went to bookstore today.
本屋さんに行きました。

When I chose the book, I always chose same author's books.
I wanted to read all books once I like one author's way of writing.
どうしても、同じ作家さんの本を選んでしまいます。
一度その人の文章が気に入ると、全部読みたくなっちゃうのです。

But it limits my reading experience.
To expand the choice, I asked recommendation to friends.
でも、それでは、なかなか新しい出会いが出来ない。
そこで、友達などに好きな本を聞いてみたりします。

Somebody's favorite books are not always another's favorite.
But I got to read books I never chose and I actually got impressed.
誰かのお気に入りが、必ずしも、他の人も気に入るとは限りません。
でも、自分では選ばないジャンルの本を読んで、とても感動することもあるし、

Sometimes I totally could not get into those books.
And I was still amazed my friends could understand this kind of world.
It is very fun to know the other side of person.
全然、同意できないこともあります。(読み切る事すらできないほど、
何かが自分と合わない)でも、この本を、あの友人は読みきって、
さらに何かをつかんで、感動してるのかと思うと、新たな発見で、
それも、それでいいものです。

2008年8月5日

Reason to work 働く理由

One day, my friend was very upset to call me. She finished big project and she was successful. But what she felt at the end was unsatisfying feeling. She wanted to do more creative job.
Sometimes people are facing "why we are doing this"question. We need reasons for life. If we can say "Money" actually it is simpler and easier. And really we have to live.
In my case, I used to be more passionate to creat my own world. I wanted to tell my idea, and I wanted to express myself and I did not care being poor for that and I believed that is the only way of being artist. I was young. Recently I lost that kind of tense. I want to write for somebody and I want to please somebody. I need reasons for creation.
ある日、友人が仕事に悩み、電話をしてきました。大きなプロジェクトを成功させたにも関わらず、自分の仕事に違和感を感じるというのです。もっとクリエイティブな仕事がしたい。
時に、こんな風に、「なんでこんな事してるんだろう?」と急に理由を探してしまうことってあります。「お金のため」と言えたら、シンプルでわかりやすいのですが(それに、実際生きていかなきゃいけませんし)それ以外にも、理由を探して、そして深みにはまって落ち込むこともあります。
私の場合、昔、私は非常にストイックで情熱的で、自分の世界を表現して、自分の気持ちを表していくためには、貧乏も構わないし、他のすべてを犠牲にしてもいいと思ってました。若かったなあ。しかしながら、そういうテンションは、いつしか消えました。物語や絵を作り出すだけの情熱が、「自分のためだけ」では理由として足らなくなりました。
When I was young, I was not happy to see wives complained husband's income and tell bad words. Since I was educated under sex equality, I thought that it was not only husbands fault. She can work if she need more, I thought. But recently when I thought about reason to work, I started to think this depandent wives and kids can be prefect reason for husbands work. Then maybe husbands did not lose passion for life. Still it is not nice to tell badly about income though.
昔は、奥さんが旦那に収入の文句を言ってるのを見るのが、理解できませんでした。ずっと男女平等の教育を受けてきたので、足りないなら自分で稼ぐものだ、と思ったものです。でも、最近、自分が働く理由について考えてみた時、こうした扶養家族の存在こそが数々の人のまさに「正当な理由」としても、バックアップしてくれてるのかもしれないな、とも思いました。でも、やっぱり、あんまりひどい事は、言っちゃあイヤだなあ、とは思いますが、、、


Mamamo sometimes complained amount of fish Papaga got.
ママガーはたびたび、パパガーの獲物の量に文句を言います。

Papaga's fishing port was not comfortable. Lots of rivals.
Very stressful and he was not so good at fishing either.
パパガーの漁場はライバルがいっぱいで、とても居心地が悪いです。
だいたい、パパガーは釣りが得意でもないみたいですし、、、

Papaga sometimes wanted to quit this fishing.
But he could keep working for his family. This perfect reason gave him pride.
パパガーは、たまに、なんでこんな仕事してるんだろう、辞めちゃいたいな、と思います。
でも、家族のために働いてるんだ、て思うと、こうしてる自分に誇りがもてます。

Mamaga, please just say, "Thank you for your working at uncomfortable place
for us." sometimes. It would be enough.
たまにはママガーも、わかっていても、口で、「ありがとう」と言ってあげるべきなんでしょうね。

2008年8月4日

99

I was checking my old manuscripts I have written so far. Then I found the text titled 99.
My grandmother dies at the age of 99. I was staying at her house for a month to take care of her at the end of her life. My father and his brother and sister had kept visiting for her care for almost 2years. On very last night, she stopped her breath.
After that, we had her funeral. So many people came to say goodbye to her.We noticed how many people loved her so much.
To think over her life, she was just ordinal person with no fame. She was born as the result of unmarried couple's love (they married after grand grand mother's pregnancy) and she married to engineer of ship, had 5 sons and 1 daughter, brought them up under the WW2 and be my grandmother. She is just one of typical nice old woman. However it is not easy to live almost 100 years to be loved like this.
To see her death, I thought about one's life. I know other successful person. But they are not always respected like her. That is the reason why I wanted to write about her at that time.
今までに書いて、放ったらかしにしてあった文章を整理していたら、99という文章が出てきた。
私の祖母は99歳で亡くなった。100歳まであと一歩。残念賞だ。
当時ビザ待ちをしていて日本にいた私は、祖母の最後の1ヶ月を祖母の家で過ごした。そして、段々弱っていき、祖母は息を引き取った。2年近くに渡る父と叔母叔父の介護生活も、終わった。
その後、葬儀が行われた。100歳にも近かったので、祖母の同世代の人々はことごとく、亡くなっていた。にも関わらず、別れを惜しむ人々が葬儀場に押し寄せた。友人の娘さんとか、近所のご一同とか、30歳ぐらい歳が離れた友人とか、、、そして、誰もが祖母の死を悼んだ。最後の10年は自分ひとりで出かけることもできなかったから、連絡も途絶えておかしくなかったと思うのだが、お見事。愛されてたんだな、うちのおばあちゃん。
人の死を見るのは、その人の生き様を見ているんだと、その時感じた。
名もなきただのおばあさんだった祖母。歴史に名を残すこともなかったし、なにか偉業を遂げたわけでもない。でも、確実にその死に際して浮かんだのは、祖母に対する尊敬の気持ちだけだった。だいたい100年間、人に愛されるべき人間であり続けるということは、どれだけ尊いことだろう。
このおばあさんの一生に特記すべき、「女性で初めて飛行機に乗ったマルさん」とかのような、伝記的事実もないし、小説になるようなスリリングなドラマもない。でも、その一生を淡々と述べたとき、私が祖母の葬式で感じたような「ただ頑張って生きていく平凡な人生も、やりきれば、素晴らしいんだなあ」と感じられるのではないだろうか、、、と思った。

I recently see so many terrible crimes. The crimer said that they hate and dissapointed about the world. I believe 100 years was sometimes hopeless for my grandmother,too and she had to go through so many things, but she had lived. Sometimes life seems to be meaningless for anybody, but the answer will come very later. People can live better life by thinking about better death.
最近、とても悲惨な事件を耳にする。事件を起こした人は、この世に、絶望したと言う。そう短絡的に結論を出すものじゃない。(ましてや人の命を奪うなんて、他人の生への敬意も希薄だ)100年の間には、祖母にもやりきれない事や、悲しい事件が数々起きた。でも、彼女は生きた。誰にとっても、人生が無意味に思える時期はあるだろう。でも、結論はずっと後にやってくる。逆説的だが、「よりよく死ぬために、よりよく生きる」ことによって、生きやすくなるのでは、と祖母のことを思い出すと思う。

2008年8月3日

Summer memories 夏の思い出

What kind of summer memories do you have? Camp? Beach? Hawai??
When I hear "Summer vacation" I remembered my grandmother's house
in countryside of Kyoto.
夏の思い出、と言われて何を思い出すだろうか?キャンプとか海とかハワイとか??
私は舞鶴の祖母の家を思い出す。

At the stage of Kiyomizu temple. I visited on way to grandmother's house.
清水の舞台。祖母の家に行く途中でよった。

Summer in Kyoto is terribly hot. No wind at all.
京都の夏は、めちゃくちゃ暑い。

Cousin and aunt.
いとことおば。

Garden.
庭。

In some ways, hot and slow lazy days as kids at grandmother's house is
so symbolised "Summer Vacation." No entertainment there, but it was happy days surely.
なぜか、暑くて怠惰なゆっくりとした祖母の家が、子供の夏休みの幸せ感の象徴に思えるのだ。

2008年8月2日

read emotion from text 文章から感情を読み取る

あるカップルが大ゲンカをした。
女性は何通もの手紙やメールで、ていねいに心情を説明したが、どうしても相手にわかってもらえなかった。最後に、、、と思い、顔を見ながら説明したら、「そう言ってくれればいいのに」と一瞬で仲直りできたという。女性は、相手がまったく文章を読解できてなかったのだと気付いた。書いてある事実はわかるのだが、そこに存在する感情が実感できてないようなのだ。「かなしい」と言われれば、かなしいんだなあ、と思う。しかし、それは、言葉の羅列にしか見えてなかったのだ。

文章は難しいなあ、と思うのは、書く方にも、読む方にも、それぞれ力がいる、ということだ。
さらに、トピックが感情となると、ハードルがはね上がる。
例えば、「犬が道いく人にほえた」という事実を書けば、誰しも、犬がほえた事を読み間違えることはない。知識がさらにあれば、「ラブラドール犬が、道を歩いていた検察官に吠えた」という、さらにちょっと専門的な文章が正確に読める。
ところが、個人的になってきたり、内容が抽象的になってきたりすると、知識だけでは読めなくなる。「あなたが私の名前を呼び間違えた時、私はドキリとする程、切なかったんだよ。あれから、ずっとぽっかり心に穴が空いたみたいだった。」とか、「その日、月はまるかった。そう、あの日と同じように。月は私の10年間を見透かしたように、こうこうと私を照らした。」とかなってくると、とても微妙になってくる。
ドキリとか、切ない、とか、あるいは、このちょっと安っぽくもなりそうな言葉をあえて使ってきた心情やら、2人の関係に対する相手側の意識など、自然と読み取ることを迫られる。後者に至っては、月は科学的に言えば、人の過去なんて見透かさない。事実は、月が丸かったことぐらいだ。論理的根拠はゼロ。 でも、そんな気分、というものは存在する。その「なんとなく」を表現しようと、四苦八苦してるのが、そうした抽象的な文章のすべてだ。

この感情読み取り能力、感情ある文章を読んだ経験によって養われる所が大きいように思う。人は、なんとなくを、こんな風にも、あんな風にも、書き並べ立てるのだという事例。そうして、「ふむふむ、このように書かれたものは、自分も感じたことがある、あのなんとなく、のことかしら」という共感体験。次第に、文章から感情が読み取れるようになっていく気がする。そう思うと、たーくさん、感情ある文章を読んだ方が、ちょっとばかし豊かになれそうだ。

2008年8月1日

Translate own story 自作を訳す

This is sample of two colour illustration for middle grade readers.
ちょっと上向けの読者用に、2色の挿絵の例。

I am now trying to translate some of my stories done by Japanese.
I usually wrote in English for English readers and in Japanese for Japanese readers.
Two culture are really different and my brain works differently.
現在、日本語で書いた文章を英訳しています。通常、英文は最初から英文で書くし、日本文は日本語で最初に書きます。二つの言語はとてもちがっていて、私の頭も違う考え方で書いているような気がします。

Readers are different of course. There is difference about taste of each cultures. Some emotions are common for every culture and some expression is not so commont for other culture. Very sensitive, sometimes. Very interesting.Especially reading is such a indivisual activity, it is not easy to discuss how much it goes into their heart.
読者が違えば、それぞれの文化での好みがあります。意外なほど通じることもあれば、ささいなことが伝わらなかったり、とても不思議です。ただ、読書は個人的な体験なので、どこまで心に響いたか、みたいな事を詳しく確かめることは困難。英語で文章を書くとは、自分がどこまで人に伝えているのか、手ごたえを自分で感じられないという、変な感じです。