2018年6月18日

第23回長崎県子ども舞台芸術祭典 Brochure for Children's Theater Art 2018


今年の夏も、長崎県に、たくさんの舞台芸術がやってきます。

劇団風の子九州「いまからいえでにいってきます」
サウンドポケット「ピアニカの魔術師」
人形劇団クラルテ「カマキリと月 ずんぐりイモムシの夢」
人形芝居燕屋「さんまいのおふだ」
劇団そらのゆめ「カメジローおつかいにいく」

ちかくの公民館や、幼稚園、さらには個人宅に至るまで、
会場は様々。値段も、とても、リーズナブルで、
家族で楽しんでもらえたらと思います。

生の舞台の感動は、他には代え難い、経験です。
私も、子供時代に見た、朗読劇や人形劇、舞台、
内容は忘れてしまっても、雰囲気や、ワクワクした気持ちは
心の奥深くに、あたたかいまま、残っています。

今年も、表紙を頼まれたので、
夜、家族で舞台を見るために出かけた、ドキドキ感を描きました。
このリーフレットを見て、「行ってみようかな」と
舞台に出会う家族が増えることを願って、描きました。

よろしくお願いいたします。

第一回かんころ文化研究会 First Meeting

土曜日、かんころ文化研究会の第一回集まりがあった。
工場見学
杵と臼でつく
研究会には、佐世保を中心に、
新上五島町、平戸、宇久島、西海、長崎市、などから
約30人ほどが登録して、今も、増えている。

活気ある展覧会や、反響を見て、
「へえ」と、かんころ餅の人を惹きつける力に驚いた人もいると思う。

表に出ている部分は、一冊のリーフレットと、展覧会かもしれないが、
なにもない所から、ここまで来るのは、それなりに、時間がかかった。
最初の半年は、訴えて回るも、なにも、できなかった。
ようやく、寄稿先が見つかってからも、収入ないまま、
家族を巻き込んでの、地道な取材が続いた。
この結果を眺めながら、
「私、よく、がんばったなあ」と思う。

10年以上、かんころの危機を訴えて、
追いかけ続けてきた、そうかやの高木さんの思いは、なおさらのことだろう。

さまざまなお誘いがあり、コラボしましょう!との話もある。
でも、マンパワーも足りないし、資金もないし、
私達にも家族や社員もあり、その生活もあり、
簡単には応えられないことも多い。

なにより、ようやく、
歩き始めた「かんころ」を守ろうという動きを、大切に育てたい。
「かんころ」を大切に思うということで、つながれる人は、
本当に、さまざまな分野や信条に渡り、
そのことは、分断の時代にあって、希望にも感じる。
それを、見失うことなく、歩いていかなくてはいけない。

今後とも、ご理解、応援いただけたら、光栄です。

2018年6月17日

夏のひかりの中で In the summer light

取材旅行に、かんころ文化研究会会合が終わり、日曜日。
ナノカサービスに、ドライブをしていて、ふと
「大村湾で、石投げをしよう」ということになった。
現代演劇のポスターぽくなった。It is like a poster of theater
夏のひかり Summer Light
ナノカが、2歳だかなんだかぐらいの時に、ここで、やっぱり石投げをした。
本当、ようやく、物が投げられるようになりました、という感じだった。

で、今回、もちろん、まあ、少しは、発達したわけである。

ここに来ると、「大村湾があって、よかったなあ」と思う。
石が、投げられる場所があることって、意外に、貴重だ。

街中で、子どもが、石を投げられるところなんて、あるはずもないし、
だから、石をつかむたびに、「投げちゃダメ」と、止め続けるしかない。
でも、単純な好奇心と、腕試しで、人間は、石を投げたくなる。

誰にも、止められることも、とがめられることもなく、
大きな海に向かって、ひたすら、石を投げ続ける。
返ってくるのは、波と風の音だけ。
これは、なかなか、いいものだ。

自然の中にも、ルールはあるけれど
(ゴミは捨てちゃダメだし、自然は壊しちゃダメ)
それは、大自然のルール。
街中の小さな公園にあるルールは、 社会のルール。
人間疲れしてしまった時、社会ルールの中にあって、
ストレスが100%発散されるかといえば、あやしい。
やはり、社会生活の疲れは、自然で発散だ。

ちょっと、スッキリして、家族みんなで、帰ってきた。
Throwing the stone to the ocean is the best way to refresh ourselves
to kick out the stress from everyday social life.
We all came back home a bit refreshed.

2018年6月12日

さいしょに、ひかりば、あったとよ Bible in Sasebo Accent

(明後日より、五島に取材に行くので、準備をしている。)

先日、ナノカが、突然、なにかの説明をし始めた。

「さいしょに、ひかりとやみば、あったとよ。」
「それで、ひると、よるば、つくりさしたと。」

聖書の話らしい。
この後、アダムとイブの誕生まで、続いて行った。
教会に連れて行った時、子供用の聖書を見つけて、もくもくと読んでたようだ。
それにしても、この佐世保弁、、、
大笑いしたけど、すっかり、聖書が頭に入ってることに、驚きもした。

取材の協力を手配しながら、しみじみ、
うつくしいものは、しずかに、主張をせず、そこにある、と感じる。
そこへ、行くだけで、その人に会うだけで、背筋が伸びる。

ささやかな光を灯しながら、そっと、しずかに、消えていってしまう。
本物とは、そういうもの。
それは、あたかも、花のように、その生涯を、自然に任せて、輝かせている。
造花のように、いつまでも、盛りを見せつけたりはしない。

もし、わたしに、いくばくの力があるのなら、
その姿を、物語にし、絵にして、記録したい。
そして、読んだ人が、
「そうだ。ささやかでも、本物の人生を生きよう」
と、励まされると、いいのに、と思う。

2018年6月11日

たべもの教育 Food Education

夏休み中、かんころ文化研究会で講座をすることになるかもしれない。
対象が子供だとしたら、何をするべきか、ぼんやり考えていた。

かんころ餅は、保存食、である。
かんころ餅は、郷土食、である。
かんころ餅は、地産地消、である。
かんころ餅には、歴史がある。
などなど、いろんな、切り口がある。

以前、40代で結婚した知人男性が、
新妻が作った「アジの塩焼き」を見て、
「顔がついたままの、手抜き料理を出されて、信じられない」と憤慨していた。
よく聞いてみると、彼の母親は箱入り娘で、
魚を捌くという発想がなく、スーパーでパック売りしてある切り身以外が
食卓に出たことがなかったのだそうだ。
彼にとっては、魚の形をしたまま皿に乗っていることが、
粗野に見えたのだ。

魚の姿を見なくても、食事はできる。
されど、そうして、切り身になり、ペースト状になり、加工され、
原型がどんどん見えなくなっていくにつれ、生産地は遠ざかっていく。
それは、問題だなあ、と感じた。
何を、どう食べているかを意識しないと、
実感できない問題が、いろいろ、ある。

一つの食べ物が、食べ物になる前、
自然の中で実っていた時、生きていた時、
どんなであったか想像してみる。
その周りの環境、それを取り巻く社会状況は、今どうあるんだろう?
そこにまつわる、政治的な流れ、今後の展望、も関わってくる。
視野は、どんどん、大きく広がっていく。

食糧問題も、環境問題も、
商品開発も、地域活性化計画も、
一つだけ考えればいいのではなくて、
この大きな視点で、考えていくのが、これからの時代ではないだろうか。

せっかく、自由研究をする子もいるのなら、
「たべもの」から、突き進んでいくのも、
おもしろいんじゃないかな、と思う。
梅干しを干す
かんころ餅工場で、材料を食す
干し柿は、なぜ、お湯につけるのかな
豆腐ってこうなるのね
ヨモギ
グリーンピースはぎっしり入ってる
お米の苗は、ドロドロの中で育つ
こねて、まるめて、ゆでて、水にさらす。

2018年6月8日

はりがねじっけん Wire work

金曜日の夜、見つけたモールで、突然、お花を作った。
「すごいじゃん」と褒めたら、
調子に乗って、さらに、なにか作り始めた。
Friday night, she found wire and made flower of it.
I appreciated it and she started to make something else.
どうやら、文字?おはな。letter flower
まだ、作るの?more?
じっけん おはな experiment flower
はりがね じっけん おはな wire experiment flower
うれしかったようで、写真撮影。She was happy to shoot the photo.
モールの使い方として、チョキチョキ、切り始めた時に、
「あああ、、、」と思ったけど、
ここは、クリエイティブボックス(使っていいものを入れた箱)に
入れた以上は、口出しすまいと見ていたら、
とっても、ステキなものを、作り上げました。

登校 the way to the school

Nanoka's school is located down to the bottom of the mountain.山のてっぺんから、階段を転げ落ちて通う、小学校。
We could not find anyone who go to school with her, so I decided to take her every morning.集団登校ではなく、一緒に通う子も見つからず、毎朝、送っていくことにした。
送って行った後の帰りは、登山並み。心臓バクバク、汗ダクダク。After I see her off, I have to walk up. It is like climbing up the mountain.
でも、毎朝、うれしそうに別れる姿を見て、1年がんばろう!と思えた。But she is so happy to walk with mom that make me feel I would do my best for a year.
毎朝の送迎は、その後30分ぐらい復活できないほど、きつい。
これが、1年続くのか、、、と最初は、ガックリきたが、
別れ際に、抱きついて、タッチして、「ママ、だいすき」と言って、
うれしそうに門に向かう様子を見て、
「きっと、これも、いい思い出になる。がんばろう」と思えた。
Going to the school was big change of her life.
And I am happy to see her smile when she disappear to the school gate.
It would be good memory if we walk every morning for a year.

毎朝の山登りは、いい運動だと思うことにする。
きっと、プリッとしたお尻になるわよ!
It might be a good exercise, too.