2018年9月26日

「エマおばあちゃん、山をいく」 

誕生日の日、石垣島から、ステキなプレゼントが届いた。
歌人の松村百合子さんが訳した「エマおばあちゃん、山をいく」だ。
67歳のおばあちゃんが、11人の子育てを終えた後、
アパラチアントレイルを一人で歩き通す、お話。

私は、欧米の人が、淡々とトレイルを歩く習慣があることを、
思い出した。
1時間、2時間、風に吹かれながら、歩き続ける。

高校生や、20代前半だった私には、
無目的に(目的地があるわけじゃない)歩く意味が、
よく理解できなかったが、とにかく、よく散歩に誘われ、歩かされた。

それが、今、なつかしい。

子も大人も忙しい。
この時間と、あの時間の間に、空き時間があったら、
次の日の用事をこっちに持ってきて、明日の空き時間は、
さらにステップアップのブラッシュアップのアップアップ。

効率的に動こうと、パズルを組み合わせるみたいにしてるから、
思ってたピースがはまらないトラブルが起こると、イライラしてしまう。

なんだか、違う気はしてるのだけど、全体的に、そう回すようになってて、
どうも、ならないのだ。

日本には、あの「散歩」が足りない気がする。
一見、なにも、生み出さない時間。
でも、スケジュールの中で、カチカチになった心が、
本来の姿に戻り、人間らしくなっていく、大切な時間。

週末、1時間、海岸べたを歩き続けたら、
なんだか、その「どうも、ならない」から脱出できそうな気がした。

子がいることは、大きな喜びだが、
どうしても、ピースを組み合わせたような生活になる。
だから、時に、自分を取り戻す時間も必要だろう。
(そこに、子が、一緒に歩いていても、いい訳だし)

あの頃、まだ、携帯電話さえも普及してなくて、
カメラを持ち歩いてもいなかったので、
散歩の写真は一枚も残ってない。
でも、風の強さ、その時一緒に歩いた友人の姿、
寂しげな花、つゆで濡れた靴、そして、ぼんやりした時間の持つ空気。
全部、感覚に残っている。

カメラで切り撮られた「きれいな、できごと」より、
感覚の方が、残るものなのかもしれない。
今の時代、感覚の方を重視することは、
難しくなっている。
だからこそ、「ただ、歩きたい」と思う。

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