2018年9月3日

宿題考 Assigments for kid

長崎県すみたいまち「しぜんいっぱいの、まち」
昨日、ナノカが3泊4日の祖父母宅帰省を終えて、帰って来た。
今日から、学校が始まる。

夏休みの宿題を、二人で、確認して、カバンに詰めた。
何個か、やらなかったことがある。

毎日、計算カードを音読する。
毎日、国語の教科書の音読をする。(カードに毎日記入する)
そして、自分で決めた目標を、毎日できたら、朝顔に色を塗る。

この3つを、まったく、やらせないまま、学校に送り出した。

必要ない、むしろよくない、と判断して、最初から、やらなかった。
その判断を、勝手に、家庭で行ったこと、賛否両論で、ことによったら
(私のブログの読者が少ないので、そんなこと起きないけど)炎上なのかもしれない。

でも、宿題に関しては、日本の公立学校全てがこの調子なら、
改革が必要だと、思う。

娘は、普段から、読書好きで、
音読は、宮沢賢治でも、多少の漢字のある記事でも
すらすらと、感情を込めて、読むことができる。
その状態で、小学1年の国語の教科書を、毎日、3回も、5回も読まされるのは、
普段から、苦痛な宿題だった。

大人も自分に置き換えたら、わかるが、
簡単な、目的がわからない事を、
毎日、3回ずつ繰り返すのは、かなり苦痛だ。
でも、普段は、学校の指示に従うこと自体が
勉強だと思って、努力してきた。

でも、夏休み中も、同じことが、毎日、課されていると知った時、
これは、やらない、と決めた。

夏は、好きなだけ、好きな本を読ませてあげたい。
気の向いた時に、好きな本を、音読してもいい。
劇にしてもいい。
自分の興味のため、好奇心や情熱のため、
自由な気持ちで、読んでほしい。
なににも、指示されて欲しくない。
夏ぐらい、開放感の中で、暮らして欲しかった。

やりました、と適当に、色を塗ったり、
記入して、提出すればいいのかもしれない。
でも、それは、嘘をついている訳で、、、
まじめな娘は、イヤがるだろう。

こうした、「嫌なことも、コツコツと毎日する訓練」が、
学習だという意見もあるかもしれない。

でも、私は、
できなかったことを、補足したり、
上を目指して、オプションで応用をやる以外は、
効果がないように思う。

コツコツやることは、好きなことで、学べばいいと思う。
娘は、あまり得意とは言えないピアノを、毎朝、毎晩、練習している。
それは、上達したい、という気持ちと、
コツコツと練習することで身になることを、実感しているからだ。

すべての子どもに、同じ宿題をさせることが、ムリがあるのだろう。
それぞれの補習や、興味に沿って、宿題が出せれば、効果があるかもしれない。
でも、宿題を出す先生に、そこまで求めるのは、ムリなワケで、
だったら、子どもが、もう少し、選べる必要があるのでは?

少なくても、夏休みの生活まで、
学校が、管理しなくても、いいのでは?

他の宿題は、きちんと以上に、やった。
自由研究は3つも実験をして、図書館で調べ学習もして、
海で3回もゴミ拾いをした。
絵は、違うテーマで、2枚描いた。 プリントも渡されたものはやった。
40日間、盛りだくさんで、楽しく、過ごした。
学ぶこともいっぱいあったし、いろんな人に出会い、
いろんな成長をすることができた。しあわせな40日間だった。

毎日、音読をしなくて、よかったと思う。でも、しなかったので、
娘は、今日、叱れるのかもしれない。
でも、なんのために、叱られるのだろう?

めんどうくさい親で、学校も困ると思うので、
無視してくれたら、それで、いい。
でも、なにか、話し合いを望まれるなら、説明に伺うつもりだ。

どこかの家庭だけ、特例で、宿題を免除するなどは、あり得ない。
真正面から、要望を出したら、揉めるだろう。
だから、宿題のことで、要望を出す親もいないだろう。

でも、もし、改革を考えているのなら、
夏休みの宿題から、「毎日、◯◯をする」の項目を消してほしい。
改革を考えていないのなら、すこし、目をつぶっていただけたら、、、
子どもにも、家庭にも、個性があって、
同じ枠では、収まらないことが、あって、当たり前だと思うのです。

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