2018年6月19日

透きとおった水のごとく Like Pure Water

先日、取材に行った分の、記事を書き始めた。

今回は、桐修道院に、山田シスターを訪れた。
以前、お会いして、その聡明で、あたたかいお人柄に、
ぜひ、もう一度、お会いしたいと、願ってきた方だ。

修道院は、一般の人には、ベールに隠された部分が多い。
すこしでも、その生き方や、お気持ちが理解できれば、と
海外の本を読んだり、修道会の歴史を読ませてもらった。

神への奉仕を、一生の仕事とする人生は、
あまりに奥深く、簡単には、書ききれない。

でも、今を生きる私たちに、シスターの在り方は、
多くのことを無言で、語ってくれると、感じた。

私達は、なんのために生き、なにを学んでいるのだろうか。

小さな諍いや、うまくいかないことへの苛立ち、
承認されないことへの不満、忙しさを言い訳した山積みの課題。

人間だから、ただ淡々と受け止めるのは、難しい。
時に、整理しきれず、外にぶつけたり、
鬱々と溜め込んで、よどんでしまったり。

それらを、さざ波を立てず、清らかな水に、流すように、
生きられたら、いいのに、と思う。

桐教会から望む海は、 海流の関係で、
エメラルドグリーンに透き通って、 美しい。
自分の心の中に、このように、透き通った部分を
持つことができたなら。

それが、シスターにお会いして、感じる、私のきもちです。

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