2021年12月22日

カンコロの島紀行「兵庫県でも、かんころチャレンジ」Goto Article December issue

 



こちらは、12月号の記事です。

 11月末に訪れた、兵庫県、西宮公同幼稚園のことを書きました。なんと、長崎ではない土地で、かんころ餅にチャレンジしていらっしゃいました。 

 最近、教育(保育)の現場と、広告や SNSのこと、スマホやインターネットと脳科学のことなどについて、本を読んだり、一人で、もんもんと考え込んでいました。

 先月の「えん」もそうですが、現場に行って、「ああ、自分たちの信じるところを、日々の積み重ねで、実践してるんだな」と感じる場所があります。この公同幼稚園もそうでした。

 一方で、パッケージが立派だけど、果たして、中身はどうなんだろう、と思うことが増えました。立派なラベルが貼ってあって、「みんなが、いいって騒いでいる」というもので、しっくり来ないことが、多々、あるのです。

  以前、大手広告業界の人が、「俺らが、文化を作っている」と言ったことがありました。「中身は、正直、なんでもいいんだ。それを文化に仕立て上げるんだ」と。正直な人だと思いました。でも、それは、広告の思い上がりだな、と思いました。本来、中身を最大限に知らしめるために、パッケージが存在する。わたしは、文化は、中身そのものだと信じていたからです。ただ、広告に文化を作り出してしまうほどの力があることは、事実なのでしょう。

 ネット社会になって、パッケージが文化を先取りする、という考え方は、より進んで行ってしまった気がします。中身を見る力がないと、パッケージに振り回されてしまう。自分はそうなりたくないけど、どうなんだろう。そして、社会が振り回されているところを見るだけでも、疲れてしまいます。

 自分が、この手のことに、神経質なのかもしれません。でも、違和感だけは、どうしても、ぬぐいようがない。そんな中、ただ、信じるところを実践し、日々を重ねる人たちに出会うと、深い尊敬を感じます。

 現実の体験は、まぎれもない本物です。

 たくさん、歩いたこと。そして、足が痛くなったこと。歩いてない子は、知らないことです。

 ケンカして、悲しかったこと。こらえて、謝ることができたこと。ホッとした気持ち。すべて、本人がたどって、初めて、感じることができます。

 手間をかけて、試行錯誤して、その中で食べ物に対して生まれる敬意。

 日々を重ねる人々に会い、自分もまた、大切なものを、見失わないよう、また、日々を重ねていきたいと思わせてもらえました。

2021年12月21日

カンコロの島紀行「えんのチャレンジ」Goto Article Norbember issue

 


11月の記事です。

 「えん」とは、取材を始めて、半年経った頃に出会いました。当時は、第1期生の山村留学生が一人、小野さん一家と生活していました。

 今は、3人の留学生がいます。都会からやってきた子ども達は、めいいっぱい自然の中で、体験を積んで、過ごしています。

 そんな「えん」に、私から、何年か前に、「かんころ餅を、作ってみませんか?」と提案しました。当時、かんころ餅の品評会を上五島でやってみたいという構想があって、普段、作っている「かんころ餅名人」に加えて、業者さん、そして、学校や、いろんな団体がチャレンジしたら、とても、盛り上がると思ったのです。

 そのかんころ餅の品評会を大々的にやることは、叶わなかったのですが、「えん」のおかみさん、千鶴さんは、提案を受け入れて、その年は、実家で作ってもらったサツマイモから、カンコロ切りを、そして、今年は、サツマイモともち米も栽培して、えんのかんころ餅、を完成させてくれました。

 千鶴さんは、島育ちで、お祖母さんが実際、かんころ餅を作ってはいましたが、それは子どもの頃の記憶で、試行錯誤の中でのチャレンジとなりました。

 今年の出来栄えは、私から見れば、本当に美味しくて、素朴さがたまりませんでしたが、千鶴さんは、「来年は、もっと、なめらかに!」と、ああしよう、こうしようと、次への意欲を語ってくれました。

 

 わたしにとって、かんころ餅を絵本にすることは、ひとつのゴールでした。それは、まず、知ってもらう事から、始まると思ったからです。「こんな、事実があります」「みなさんは、どう思われますか?」「どんな未来を、作りたいですか?」という疑問提議でした。 

 かんころ餅や教会の歴史と現在、そして未来はどうなる可能性があるか、を描いたものですが、それが、人間の「生き方」への疑問定義だと、感じ取っていただけたと思います。人は、こうやって生き延びてきた。そして、時代は、変化し続ける。その中で、文化は、どうなっていうのか。

 さて、絵本ができあがって、質問は投げかけられたわけですが、その答えは、それぞれにあるのだと思います。

 「いえ、わたしは、かんころ餅がなくなっても、しかたないと思います。」も一つです。 実は、わたしも、便利さを押しのけて、このままの形態で文化を繋いでいくことは、かなり難しいことだと感じています。

 うちの娘は、かんころ餅の危機を知った、年長さんの時、「わたしが、カンコロ農家になる!」と宣言していました。それも、1つの答えではあるのですが、現実的には、カンコロを生産して、生計を立てるのは、とても難しいと言えます。手間が莫大にかかるのに、収益が上がらないからです。経済的な側面からいくと、効率が悪い、ということです。

 そんな中、えんが、こうしてかんころ餅を実際に、すべて手作りして、子ども達の記憶に残してくれることは、また、ひとつの答えだと思います。

2021年12月14日

特別じゃなくとも、、、 you do not have to be genius

 

 朝は、毎日、ラジオを聴いている。昨日は、リケジョの話をしていた。なぜ、日本の女子は、理系の学部に進まないか問題についてだ。

 その話によると、日本の中学生、高校生の女子の理系科目(数学、理科)は、世界でもほぼトップの成績なのだそう。なのに、大学で理系学部に進む女子は10パーセント台とか(専攻によるが)。

 ここ1年、ナノカが、「自分は、算数が一番、得意」だと言い張り、将来の夢は、科学者だと言い張るので、「そうなんですね」と言って、うなづくようにしている。しかし、本当のところ、わたしも、どこかで信じてない気がする。なぜなら、わたしには、彼女に数学的な圧倒的ひらめきがあるように、見えないからだ。

 自分が高校生の時に味わった、数学的、理系的壁の高さを、彼女の将来に投影しちゃってるのかもしれない。

 高校生の時、自分が理解できないスピードと感覚で、数学や物理を解く人々の存在を知った。そして、脳の構造の違いを感じた。わが脳みそは、そうした分野が不向きだという実感がある。

 さて、ナノカにくわしく聞くと、算数の「仕組みやルールがあって、答えが一つあるところが、好き」だと言う。

 それを聞いて、なるほどな、と思った。わたしは、数字の羅列に、なんのロマンも感じなかったので、小学校の計算問題は、ひたすらに苦痛でしかなかった。小豆の選別の方が、まだロマンがあった気がする。

 案外、この人は、数学の美しさの本質に、惹かれてるのかもしれない。昔、数学者の人と雑談をした時に、「数学は、美しい」という話をしていた。割り切れる定理の世界を、まぶしそうに語っていたのを思い出す。

 脳がスーパーコンピュータのように起動しなくても、数学の持つ美しい規則性や、科学への探究心、自然の法則への興味などがあれば、道が開かれているべきなのかもしれない。しかし、現実社会では、世界で見たら「結構、理系科目もイケてる」はずの日本の女子学生は、理系の専攻を希望しない。

 アメリカの女子高生が、「興味あるから、大学は生物専攻にした」と、さらっと言いのけていて、驚いたことがある。彼女は、日本の理系の高校生より、数学や科学をやりこんでいないと感じたが、彼らにとって、そこは、これから学ぶべき世界なのだ。優秀な学生は、自分の好きな専攻を、もっと自由に選択していた。

 わたしは、苦手な分野で苦労するより、その人が一番、得意な分野で活躍した方がいいと思ってきたが、それも、なにかに縛られた考えなのかもしれない。追求していきたいと思える分野が別にあるなら、努力で克服しながら、一番の得意とはいえない学問を学ぶことが、あっていいのではないか。

 結局、偏差値や点数で評価し過ぎなのだと思った。理系、文系を分けていくことも、その人が持つ学力を、円形グラフでデータ化して、そのデータで得られる、最良の選択をさせようとしているように感じる。

 データごとに、人材を割り振っていけば、似たような傾向のある人間が、同じ専攻に集まる。効率よく、優秀な生徒を集められるように見えるが、研究のアプローチの方法は、変化しないままかもしれない。数学的天才から生まれる発想と、より複合的な視点を持つ人間の発想では、見つけるものが違う。そもそも、本人の情熱は、どうなのだろう?余裕がないので、一定レベル以上の秀才だけが欲しいと研究室が言うのなら、そういう方針の国なのだと思うしかないが。

 多様性と言うけれど、そもそも、社会におけるすべてのケースで、「このレベルの人だけ、集まってください」の設定が、細かすぎる気がする。

 こどもは、まだ、開けた平原に立っている。これから、多くの冒険や発見をし、歩く方向を決めていったらいい。母は、あまり、詳しくない分野も多いけれど、アテンドをできるところはして、できない場所へは、他の大人や仲間と、世界を広げていったらいい。あなたは、考えて、感じて、発見する「ヒト」なのだ。

 本の中の冒険者のように、今を旅していく。それは、楽しみな物語。

2021年12月8日

こども達のレジスタンス Resistance of Kids

  師走。今年も、あとわずかだ。

 今年は、予期せぬことが多く起こって、それが計画してたことと、ないまぜになって、大混乱だった。「その時、出来うる限りの、最善」の選択を繰り返す、見通しのない1年だった。

 年末、娘がのびやかに過ごしている姿を見て、ああ、乗り越えたなあ、と思った。自分の仕事も、なんとか、やりきった。綱渡りな場面が、何度もあったと思うけど、綱の上にいることを考えないように、前に進んできた。サーカスの業師たちと、同じやり方だ。

 今年1年は、娘が小さな頃から積み立ててきた「一見無駄に見える、愛あ〜る時間」貯金を、使ったと思っている。危うい場面でも、娘は、自家発電で、自ら、回復していった。幼少期は大切だと、実感した。わたしは、過去の自分から恩恵を受けたのだ。

 そして、ある程度、落ち着いた今、すべての子どもたちの問題として、いろいろ、思うようになった。

 当時、娘は、自分の置かれた状況に対して、かなり冷静だった。法律や社会制度で身を守る方法を、漫画で読んで、すこし知識があったからだ。後から見せてもらったが、持ち歩いているノートに、その日に起きたことを、箇条書きで、メモを取っていた。第3者機関の存在も知っていた。とにかく、論理的に、シンプルに事態を見ていた。

 加えて、自分の腹の中に、倫理観の虫みたいなものを飼っていて、どんなに権威がある相手に対しても、信念を曲げることがなかった(できなかった)。最終的には、それが彼女の体調を崩したのかもしれないが、長い目で見たら、自分を守ったのだと思う。

 その経験から、すべての子どもが、自分で心や立場を守れるよう、自分の権利を知っていることの重要性を感じるようになった。あっという間に弱者になってしまう子ども。本来は社会で守るべき存在なのだけど、小さな声は届きにくいし、大人はそれぞれ抱えているものがあり過ぎて、大切なことを見失うことがある。大人自身が、問題を抱えていることもある。そのしわ寄せを、「しかたない」で、子どもが一方的に我慢するしかない構造なんて、おかしいではないか。

 では、子どもが自衛する術って、なんだろう。

 解決法の中に、子ども自身が手を伸ばし、アクセスできるものって、どれだけあるだろう?あるなら、どうやったら、多くの子に伝わるかな。抵抗させてあげたい。間違いには、NOと言わせてあげたい。

 加えて、物語の役割の大きさも感じた。

 体調を崩した初期の頃、娘がgleeのDVDを黙ってじっと見続けていたことがある。アメリカのハイスクールで起こるジェンダーの問題、スクールカースト、貧困、体型差別、いじめ、自殺未遂、パワハラ。世の中には、さまざまな問題があるということ。 同じ状況でなくても、人が苦しくなる構造には共通点があって、共感し、納得ができる場面があったのだと思う。

  物語は、辛さ、悲しさ、怒りを、「あってよい」感情なのだと教えてくれる。そして、架空の登場人物と、寄り添い合って、気持ちを消化していく。本当に辛いのは、「自分だけ」になってしまい、感情を一人で抱えることなのだ。

 物語の主人公は、ちっぽけな目立たない存在のこともある。その中で、正しいと信じたことをやってのけ、時に世界を救うヒーローとなる。それは、実社会では納得する結果が得られなかったことでも、正しいと思ったことを正しいと信じ、前をまっすぐと見て生きていくために、必要なストーリーなのだろう。

 わたしは、戦隊モノのヒーローのように、ガッツリ悪を倒す、みんなのヒーローに共感したことはないけれど、「モモ」のような小さなヒーローが人の心には住んでいて、日々、世界を救っていると信じている。

 ずっと、なんか、自分にできないかなあ、とぼんやり、考えているのであった。 

2021年11月24日

舞台で学ぶ Life Instruction

 

真顔だぜ。

  先日、ナノさんは、劇団HIT!STAGEの「白雪姫と美女と野獣を佐世保弁で読んでみた!」に、語りとして、参加した。

 私は、「ステージママ」と化して、ビジネスホテル泊まりで直前稽古に付き合った。 ありがとう、長崎県割。

 音楽も踊りもそうだけど、自分の体を使って、自分を表現することって、ごまかしがきかない。

 演劇は、自分の持っている「なにか」をさらけ出さないと、観客を納得させられない。自分じゃない「なにか」を演じるのだけど、それは、自分の引き出しの中からしか、出てこない。引き出しの中に、何があるかに向き合い、引っ張りだす作業なのだ。人間のダメさ、弱さも含めて、真理を探す作業。

 

 ふだん、子どもが生きている世界は、大人の社会に引きずられ、不条理がいっぱいだ。

 問題は提起されない方がいい。思っていることを、みんなで口を噤んでいる。そんな日常を社会勉強だと言われれば、大多数を前に引き下がるしかなく、どうすることもできない。でも、そうした世界が、受け止めきれない子も存在する。

 追及する性格は、やっかいなものか。でも、知りたい、考えたい、わかり合いたい。それは、新しい何かを生み出す、原動力でもある。押さえつけてばかりでは、わきあがる自分が否定されてるよう。

 それを、存分にやらせてもらえる世界は、表現の世界だけなのかもしれない。その世界と関わることで、救われる子どもがいるのだと思う。

 ナノカに、なぜ演劇が好きなのかと聞くと、「自分じゃないものに、なれるから」と瞬間で答える。目立ちたいからでも、褒められたいからでもない。外から見える「わたし」は、わたしの100%ではない。社会で(便宜上仕方なく、も含め)隠されている「わたし」を、舞台の上で解放する。

 自分も、表現者の端くれとして、わたしの言葉は、わたしとむきあっているのだろうか?と考えさせられた。それでいて、仕事として、人に伝え、共感していくことの、難しさ。

 ナノさんが、舞台に立ってくれたから、興味を持ってくれたから、わたしも、新しい世界に触れられた。世界は、まだまだ、広くて、混沌としていて、表現しなければいけないものがいっぱいあって、追求しなきゃいけないものが、いっぱいある。そして、わたしは、まだまだ未熟だ。

 あなたは、人生も折り返したわたしに、新しい課題をくれる。

2021年11月11日

カンコロの島紀行10月号「キリシタンの聴いた音楽」Goto Article October




カンコロの島紀行10月分が出ました。今回は、音楽について。

原画展会場で、友人でもある井上周子さんに、リュートを弾いてもらいました。

 わたしも、バロック以前の西洋音楽に少しだけ、馴染みがありました。もう、今は昔のこととなりますが、大学時代に、西洋音楽史を選択して、初めて、グレゴリオ聖歌やフランスのバラードなどの舞曲に触れました。当時は、テープを録音して、聴くのが宿題だったんです(時代が、、、)

 クラシック音楽といえば、バッハ以降のものしか聴いたことがなかったわたしは、その精神性の強い音楽に、惹かれました。キリストの神秘性を表すために複雑化した旋律、空間を効果的な祈りの場にするための演出。とても、興味深いと思いました。

 人が、音楽を奏で始めたのは、いつなんでしょう。記録に残らないため、わかりません。でも、ナウマン象を追いかけてた日々にも、歌っていたんじゃないかと思います。

 今も、人は、音楽と共にあり、生きています。祈るため、心を落ち着けるため、悲しみを受け止めるため、喜びを共にするため。 

 昔の人が、聴いた音楽を聴くと、その時、それを聴いていた人の気持ちと寄り添える気がします。どんな場面で、それを聴いたのだろう。希望にあふれた日?絶望的な悲しみを抱えた日?

 昔の人の心に寄り添うことで、今を生きる、他人の心にも、寄り添いたいと思えてきます。

2021年11月9日

黒島天主堂、お絵描き大会 Night drawing time



  

原画展が終わった。

その翌日も、松浦まで話をしに行ったので、バタバタ。帰ってきたら、真っ暗だった。

 原画展開催中、ナノカは学校から帰宅すると、自分で宿題を済ませ、オヤツも食べて、時には、ご飯も適当に食べていた。お風呂も済んでいる日もあった。いつの間にか、こんなに手がかからなくなってたんだなあ、と感心するばかりだ。

 さて、簡単な夕食を済ませた後、ナノカが、「黒島天主堂、描き比べしようよ」と言い出した。いやいや、仕事を思わせること、疲れた日にやりたくない、、、

 と思ったが、長らく、いろいろ我慢させてただろうし、付き合うことにした。寝る前の20分ほど、二人で、並んで、教会を描いた。

 建築物を描くのは、子どもには、まあまあ、難しいだろうと思う。実物があるので、適当に描くと、収拾がつかなくなる。建物、生き物、地図。ナノカは、見て正しく描くのが、好きなようだ。

 子どもの個性やら、人格やらは、本当にマチマチで、なにが好みで、どう描くかは、そこに関わる問題だと思うので、「もっと自由に」とか、「もっと大きく」とかも、ある意味、乱暴な言葉だなあ、と思う。なので、ナノカが描くものの本質部分に関わることは、言わないようにしている。

 具体的に、「色は混ぜても大丈夫だよ」とか、「消しゴムをあとで、かけたら、きれいだよ」とか、そんな言葉なら、きっとヒントになるだろう。あとは、自分で、成長していくものなのだと思う。

 好き、という気持ちで描かれた教会は、とても、やさしいラインで、魅力的だと思う。

2021年11月2日

忍者が着ていた服 Ninja Study

 学校帰り、迎えに行くと、「ちょっと、自慢しちゃおうかな」とランドセルを開けて、賞状を見せてくれた。なにかと思ったら、夏休みの自由研究の表彰状だった。

 夏の初め、忍者で自由研究をしたいと言い出したが、なにをすればいいのか、わからない。とりあえず、持っている3冊の忍者の本をせっせとノートに書き写していた。薬草に興味があるようだったが、毒草の実験とか、危ないから、できないよなあ。

 そのうち、衣装を作ると言い出した。そこに実験を組み込まなきゃいけないわけで、、、いろいろ話し合って、色の違いによっての、目立たなさの実験をすることにした。

  実験は、楽しかったのだが、まとめるのは、けっこう大変だった。

 規定では、模造紙1枚にまとめなきゃいけなかったらしい。ファイルの形になったのは、手伝ったのが、わたしだったせいだ。まとめる、といえば、やっぱり本の形が、一番保存ができ、読みやすいと頭の中にインプットされている。そのせいで、彼女の作品は、自由研究ではなく、作品という扱いになった。すまぬのう。

 自分も、子どもの頃、あれもこれも調べてみたい、やってみたいと思ったけど、その実験の結果、なにがわかったのか、 どうまとめていいのか、わからなくて、やりっぱなしだったなあ、と思う。どんなに小さな試みでも、検証して、まとめて、自力で考察して、ていう作業は、なにかを運営していったり、難しい問題を解決していく、土台みたいなもので、これが一人でできるようになるまで、子どもの頃から、何度も、くり返していくといいのだろうな、と思う。年に一度ぐらい、付き合ってやりたい。

 ちなみに、出だしの、「わたしも、忍びになってみたいと思っています」という、率直な一言が、好きだ。 

Nanoka got the prize from three town educational department for her summer work about Ninja. She did experiment which color clothing was least standing out in different time, different situation. 

I love her starting-"I like Ninja and and I want to be Ninja. " That is lovely 10 years girl opinion. 







2021年10月27日

伝言ゲームのこわさ Based on the speculation

 Several years ago, I worked with NHK educational to make some stories for English program. During term, I tried not to see any internet rumor about my program since I knew I would mind. I just devoted on my job.

 After handing all the works, my sister sent me the good reputation about my program in the internet. I read it and clicked the next page, then found an internet bulletin board.

 They criticized my works. OK, people thought many things when seeing something. I tried to accept them. But gradually their discussion became groundless. They believed that I got this job through the NHK President, because this artist must be a relative or something of him, otherwise, this silly bad work never got on the TV program! Then all other people started to blamed on me.

 I was just surprised that they discuss based on somebody's groundless specurations. Gradually they believed it was fact. I got no connection to TV people. The fact was that producer of NHK found my book and just asked me to participate to the competition and I won it.  Artists has no chance to explain how to get the job or even no need to explain it usually. We just created the works.

 My family said, just not to mind it since it was not fact at all, then only I could do was ignoring them. But I was still very scared feeling their negative emotions under their words. I was down for a while.

 Now I understood that they were just Minority got together on internet. They need something to threw their dissatisfaction.

Most of people felt the responsibility about what to say, so they were careful to say something. Then careless opinions were more and more on the internet. 

 Through Princess Mako and Mr. Komuro's fuss, I just sorry for them. I wish that they spent happy life in NY.

 以前、NHKの教育番組で、英語のお話と作画を担当したことがある。

 その際、子育てと仕事でてんてこ舞いで、忙しかったのもあったが、ネットの評判は、一切見ないようにしてきた。

 1年間の仕事の提出がすべて終わった後、姉が、ネット上のよい評判を見つけて、送ってきてくれた。その時、読んだ流れで、別のページを開いてしまった。わたしの作品で、盛り上がっているページに出くわした。

 稚拙だとか、登場人物の設定があり得ないとか、まあ、人はいろいろと思うのだから、いろんな意見があるのは仕方のないことだろう。

 しかし、「こんなレベルの低い作品、絶対、コネとかじゃん」と言いだしたあたりから、雲行きが怪しくなった。「会長の親戚とかだよ」「NHKだもんね。さいあくー」「コネとか、許せん!」と、コネ前提で、話がどんどん盛り上がっていったのだった。

 根拠のないことが、事実のようになり、それを前提に、さらに意見が進む様子を、あ然と読んだ。

 そもそもNHKの仕事は、担当者が、アメリカで出版した絵本をどこかで見つけて、出版社に問い合わせて、連絡してきた。

 公共性を保つために、コンペとなった。当初は、お話だけと言われたけれど、絵も自分でやりたかったので、絵コンテ付きでプレゼン資料を作った。1ヶ月ほどの審査ののち、採用が決まった。

 仕事を手にした経緯なんて、ふつうは、説明することはない。ただ作品を見てもらうのみだ。匿名の掲示板に本人が降臨して、反論したところで、収拾がつかないだろう。

 ネットの発言は事実無根だから、家族は「気にするな」と言って、その通りだと思ったけど、そこにある、作品に対する嫌悪感と、ネガティブな感情だけは伝わってきて、傷ついた。

 しかし、わたしの作品は、幼児番組内に数分だけある、小さな存在だったため、自分が避ければ、以後、曲がった情報を目にすることはなかった。 

 娘が、「伝言ゲームをすると、いつの間にか、情報が変わってしまう」という話をしていた。思い込み、「こうだったら、よかったのに」や「こうあっては、困る」という、それぞれの感情が、情報をすこしずつ、変えていく。その情報をもとに、次の情報が生まれる。事実も、多人数の人が「なかった」と言えば、消えてしまう。真実を知っているのは、当事者だけ。

 多くの人は、情報の取捨選択をしているし、言葉の責任を考える人は発言に慎重だ。すると、よけいに、慎重ではない人の言葉で溢れてしまう。

 わたしは、皇室の今回の騒動が、いろんな感情のはけ口になっているようで、気の毒にしか思えなかった。

 憶測が、事実をぬり替えて、孤立を生み、人を苦しめる。学校のライングループのような小さな規模から、日本中を巻き込んだ騒動に至るまで、同じように起こっている問題だと思う。そのことを、彼女は言いたかったんじゃないだろうか。

2021年10月8日

インスタグラムとやら、、、Instagram

県民割で、ハウステンボス公式ホテルに泊まったよ

ナノカが撮った、バエそうな写真 Nanoka took instagram-good picture

  インスタグラムを、始めました。 kae.nishimura

 何年か前に、アカウント開設していましたが、当時スマホじゃなかったため、投稿できず終い。時代に乗り遅れているなあ、との自覚はありましたが、なにせ、普段の生活に支障がないので、放置してありました。

 なぜ、やろうと思ったかといえば、原画展の詳細を決められない状態で、チラシを刷らなきゃいけなくなったからです。後から、おしらせしますの状態で、印刷をオーダーしました。

 さらにいうと、原画展も資金不足。「かんころもちと教会の島」の原画は売りませんが、額装しなくてはいけません。絵本の原画は、サイズが大きいので、一つあたり1万円ほどかかります。これって、下手すると、10万単位?

 今までの作品を売って、資金にしよう。そう思って、倉庫をあさって、額装して販売しようとしましたが、そもそも売る前に、額装にお金がかかる、、、堂々、めぐりです。

相方に相談したところ、

「額装して、売れなかったら、我が家に残るのは、借金だよね」

と言われちまいました。その通りです。わたしは、絵が、かっこいい額に収まってるところが見たくて、ガッツリよい額を注文しまくるつもりでした。

 ということで、額装しないで、販売先を見つける努力をすることに。「この絵、うちの子ども部屋にいいかも」とか「うちのカフェにいいかも」みたいに、行き先が見つかってくれるといいなと思います。インスタグラムなら、海外の人にも見えてもらえるし、どこか、よいところへ、もらわれていくのではないでしょうか。そういえば、アメリカにいた時は、絵本の原画専門のエージェントがいました。もちろん、中間マージン、ガッツリでしたが。

 原画展では、ちゃんと、代表作品が額に収まっている状態になる予定です。気軽に見に来てください。もちろん、絵を売りつけたりはしません。原画は、印刷や写真には出ない味わいがあるので、見てもらえたら、うれしいです。隣で、おいしいコーヒー飲んで、リトルれおさんで、ランチして、千綿駅でジャンプして写真撮って、楽しい一日を過ごして行ってください。

  そして、インスタをしてみて、、、今の所、スマホに翻弄される1日は、 向いてないなあ、と思います。なのかは、わたしのスマホで、絵文字いっぱいで、メールを打ってるんですけどね。子どもは、慣れるのが早いですな。

 そんななのかは、運動会の練習で、走るのが3位でした。3人中、3位です。意識したことがなかったけど、足があまり早くないようです。ダンスは、うれしそうに練習していますが、応援合戦が、気が重いとボヤいています。恥ずかしいようです。小1の時も、同じような態度でした。演劇では、舞台に立って、一人で、でかい声出してたのに、大勢に混じっての応援は恥ずかしいんですな。人の気持ちは、いろいろです。

 優等生ぶってるけど、凸凹だらけのお嬢さんも、がんばってるのだから、わたしも、スマホぐらい、我慢して使い方を覚え、がんばって、生きていかなきゃいけないのでしょう。ああ、なんて、便利で、めんどうな世の中なんでしょう。

2021年10月4日

原画展 オープニングイベント など Exhibition and opening

 

 オンラインの講演会、終わりました。

 観客のいない中、一人でとうとうと喋り続ける難しさ。でも、なんとか、1時間、無事終わらせることができました。 不安になると、部屋にいてくれる、図書館職員さんの顔ばかり、見てしまいました。やさしく、うなづいてくれた、Sさん、本当にありがとうございます

 親というのは、なかなか楽しい役割ですが、親と、自分という、2重生活をしている感覚で、なかなか1つのことにまい進とは行きません。あっちをした隙間に、こっちをする。でも、一個ずつがっつり片付けたいタイプのわたしには、何かを抱えたまま、何かも同時進行するのは、落ち着かないものです。

 おおまかには、先週はナノカの舞台、今週はわたしの講演会、と優先順位を切り替えながら、一個ずつ、片付けました。娘も大きくなり、手がかからなくなった部分と、より活動が広がって、振り回される部分が出てきます。先週は、わたしが娘の後ろを走り回ってましたが、今週は、娘が、私の講演会の間、部屋の外で本を読んで、待ってました。

 さて、次の大きな準備は、というと、わたしの原画展があります。じつは、チラシも作ってありましたが、配りきれておりません(営業時間に訂正があります:10:00ー18:00となります)。近々、貼っていただける方に、お願いに上がるつもりでおります。

オープニングを、10月23日(土)の午後にやります。

14時ー16時:中世風のハロウィーンペン画・ワークショップ (2000円・予約)

17時ー  井上周子さんと 古楽器、キリシタン音楽トーク

      井上周子さん リュート ミニコンサート

  周子さんの演奏するリュートという楽器は、「かんころもちと教会の島」にも、ちょこっと描かれていますが、キリシタン文化が長崎に花開いた時、演奏されていた記録が残っています。当時の、音の記憶に想いを馳せながら、週末の夕焼けを見に、東彼杵にドライブしに来てくださいませ!

ソリッソさん、という素敵な場所をお借りするので、他にも、在廊できる日には、ちょこちょこイベントを企画できたらなあ、と思っています。

期間:10月21日(木)〜11月7日(日)(初日は、搬入日で、作業をしています。来られるなら、22日以降がいいと思います)

2021年10月1日

オンライン講演会準備 Online Lecture at Sasebo Library

 

 今週末に迫った、図書館での講演会。オンラインは初めてで、どうなることやら、とんと想像がつかない。一方的に、反応が見えない状態で1時間、喋り続けるのって、どんな感じなんだろう。

 とりあえず、原稿を書いて、資料写真や画像をじーっと見てたら、突然、吐き気に襲われ、沈没した。画面を見すぎたか、、、 

 資料を見てると、いろんなところに行って、いろんな人に会ってるなあ、と思う。どれも、話し始めたら、キリがない。どの要素も、絵本の一部として、サポートしてくれてる情報だからだ。どれを取り上げて、どの話をしよう、、、

 そして、こういう時、整理された、論理的な構造のお話がいいのか、つかみどころがないけれど、全体として、伝えたいことが伝わって来るお話がいいのか、悩む。

 昨日、ナノカの給食の献立表の裏に、月見だんごの並べ方が図式クイズで描いてあるのを見つけた。下から、9、4、1と積み上げていくのが、正解だ。

 本や文章を考える時、なんとなく、箱みたいなものを思い浮かべる。いくつかの要素(箱)を積み上げて、集合体をつくるイメージだ。劇とか、講演会も同じなのだろうと思う。

 ふと、8、3、2の月見だんごも、おもしろく見えてくる。現代建築のような、いびつで、すこし危うい感じはするけど、いけてる気もする。新しく発見された分子の構造列に見えなくもない。

 絶対に、隙を見せることができない、法務上のことであれば、きっと9、4、1でだんごは積み上げなければいけない。

 また、ナノカの手作りだんごのように、それぞれがいびつで、あやうい場合は、並べ方までチャレンジをしたら、なかなか、うまそうな感じには見えず、多分、わざと配列を変えてきたとは誰も、気づかないだろう。

 箱はいっぱい、ある。

 まだちょっと体調不良の中で、グダグダと組み直してみる。

 


2021年9月30日

かんころ紀行9月号 Goto Article

 


連載9月号。

今回は、ふささんとのなにげないお喋りの中で、印象的だったことを書いた。

 コロナ禍の分断は、つよく、感じる。

 でもきっと、今までも、それぞれが、なにを思っているのか、互いに話をする機会がなかっただけなのだろう。必要に迫られた時に、その拙さが、ギスギスとぶつかってしまう。

 同じ思想の人と、「だよねー」と言って、自分たちの正当性を高めあって、合わない思想を「違う」とハナから、否定する。 それでは、きっと何も生み出せず、自分も成長できないのだろうな、と思う。難しいけれど、話し合うことは、大切なんだと思う。

 とはいえ、次回、 新興宗教の3人組が来た時、しっかりと対話するかといえば、きっと、できないだろう。わたしは、未熟者だ。

 小さな笑い話のように見えて、人間としての格の違いを見せつけられたような、そんなエピソードである。

2021年9月28日

ステージマミイのひとりごと Momager

 

なのかの舞台が、無事、終わった。

 前日からは、 駅前のホテルに親子で泊まり、夜のお稽古後に、バタンキューと眠れるようにした。とにかく、体調を崩さず、役目を果たせるように、サポートする。子役ママ気分。

 わたし自身も、仕事をホテルからチェックして、舞台の方では裏方を少しお手伝い。ボロボロのボサボサな1週間だった。

 当日は、ナノカは食事も入らないほど、緊張して、、、でも、みんなで作り上げる舞台は、それぞれが、それぞれの役をやり切らないと、成り立たない。子どもであっても、与えられた役割は、自分で克服して、やり切る責任がある。舞台裏では、多少、グズグズ言ってても、結局、自分自身で気持ちを切り替えて、舞台に飛び出していくしかない。このシビアさの中で、人は成長するんだな、と思った。

 舞台の上では、ナノカの真面目さが、透明感になって、きれいに見えた。それぞれの個性が活かされて、本当に、自然だった。かっこよかった。

 1年半も関わってきた舞台作り。舞台が終わって翌日には、ナノカは、「さびしい、、、」と早くもロスになっている。

「演劇の、なにが、一番、いいの?」と聞いてみた。

 「できなかったことにチャレンジして、できるようになること」「達成感かな」というお答え。なんか、大人やね、、、

 さらに、「なにが、さびしくなるの?なにが、一番楽しかったの?」と聞くと、「みんなで、ワイワイとお稽古するのが、一番、楽しかった。ずっと、一緒だったから、さびしい」と答えた。

 2年生の終わりに応募して、コロナ禍の中で、計画変更を繰り返しながらの1年半。途中、体調不良に転校、舞台降板を経験しながらも、還る場所があったから、もう1度輝こうとがんばれた。

 輝くことでしか、答えが出ないことがある。学校では、子どもが抱えるには、理不尽な事件を経験し、大人が、社会が答えを出せなかった半年間。自分で答えを掴むため、舞台に立ち、輝こうとした。

 ナノカだけじゃなくて、他のすべての出演者もそれぞれ、大人は大人の、子どもは子どもの、人生の事情を抱えて、集まり、それを背負って、舞台に立ったのだろう。

 また、日常が始まった。日々の暮らしの中では、それぞれが、悩んで、もがいて、生きていくしかない。でも、本当は、輝いているんだということ。あの日、あの時輝いたことをを知っているから、見えないかもしれないけれど、君の心の中には、星がまたたいている。胸を張って、今日もがんばろう。

2021年9月22日

アルカス演劇さーくる「わが町佐世保の物語」 Nanoka's acting

 

抗原検査を行いながら、活動継続中

9月25、26日の公演が迫ってきた。

アルカス演劇さーくるみんなでつくる「佐世保の物語」プロジェクト

学生は学校帰りに、大人は仕事帰りに、連休も終日、稽古、稽古、稽古。

 ナノカも、電車待ちのベンチで宿題をして、帰りの車で爆睡して、、、アイドル並の忙しさ、再び来る、だ。

 そんなに忙しくて、疲れが溜まっているだろうに、ナノカが、ポツリと「もうすぐ、終わっちゃうなあ、、、」と言う。自分が演じる役は、仮想の舞台の上にしか存在しない。舞台が終われば、いなくなる。さびしいようだ。

 そのことは、きっと、他の出演者の人も同じだと感じる。それぞれが、スーツや制服、作業着などを着て、それぞれの職場から稽古場にやってくる様子は、まさに「わが町」。演じることを、日常に負荷をかけてでもやりたいと願う、熱があるのだ。

 演じるって、なんだろう、と思う。コロナで、不要不急って言葉に翻弄されて、いったい何が要らないものなのかとか、だれが判断できるのか、考えさせられた。わたしの仕事も、グレーゾーンで、自分で判断しなくてはならず、結局、歩みを止めたものも多かった。されど、取材は、文化は、創作は、表現は、要らないものなのだろうか?緊急時には、命が最優先なのは当たり前だが、人は心も健康に保たなければいけない。どこかでバランスを取るべきラインがあるのではないだろうか。

 ナノカは、もともと、舞台を観るのも好きだったし、数年前からは演じることに興味が出てきた。コロナの波を除けながら、観ることも、演じることも、なんとか続けさせてもらった。それは、辛いことを乗り越えたり、自身を成長させたりすることを助けてくれた。演じる、は彼女には、とても必要なことだった。

 歴史を紐解けば、演じるということは、なんと古いんだろう。古代から、人が営み続けてきたということは、社会動物である人間にとって、そして脳みそが大きくなったホモサピエンスにとって、必要ななにか、があるんだと思う。

 ナノカは、よく「人間は、脳みそが大きくなりすぎた」という話をする。類人猿が肉食をするようになった後、脳が急速に大きくなり、他の動物に君臨するようになった。大きくなり過ぎた脳は、私たちの手にあまるほどの力を持つ。それを、欲のために使えば、不必要なまでの収穫を手に入れることも可能だ。そして、そのことで他の生物を圧倒して、地球をダメにしてしまうのが問題となってると言える。

 成功者になるために、という話を聞いていると、なんらかの形での搾取のことが多い。システム化されていて、直接、手を下してないので、見えにくくなってるだけだ。「頭のいい」人の話というけれど、地球の未来を俯瞰してみると、大きくなり過ぎた脳みその使い方として、それって正しいのだろうか?頭がいいのか、わからないな、と思う。

 ホモサピエンスが、脳の大きさを拡大した時に獲得したのは、巨大な大脳新皮質だ。そこは、言葉を生み、文学を生み、演劇を生み、人と共感し、感動することができる機能を持つ。大脳新皮質は、ホモサピエンスが平和に生きていくためのヒントを隠し持ってるはずだ。

 とまで考えて、演技してるわけじゃないんだけど、、、ナノカは、ミナモトという、佐世保を作った新米の神様の役を、初々しく、演じている。

2021年9月15日

個展準備 Exhibition at my town

 

 夏に、実家の荷物整理に行き、大型の絵を引き取ってきた。こちらは、ニューヨークでジャズのライブ用に描いた絵。

 倉庫で眠らせておくのも、どうかと思い、しかるべき所に飾ってもらえたらと思い、いくつか売却することにした。

 ちょうど、ソリッソの森さんに紹介してもらって、10月末から 「かんころもちと教会の島」の原画展示をすることとなった。合わせて、今までの作品も飾らせてもらう。

 ということで、日本に輸送する時に、フレームが壊れてしまったままだったのを、額装し直す。そういえば、ナノカが3歳ぐらいの頃、原画を額装してたら、ペンで落書きして、「あい」って、持ってきたことがあった。サインを入れる作業を見て、マネしちゃったのだ。さすがに、もうしないよね。

  絵を見ると、その絵を描いた時のことを、思い出す。今は、家族もいて、簡単には、足を運べなくなったニューヨークの空気が、ここにある。

2021年9月14日

次回のテーマ Next art class

 

Play with Accident  偶然と遊ぶ
 

 さまざまな情報と、価値観が行き交う中で、なにを選ぶか、難しいなあ、と思う。

 考えた末、リトルアーティストは、わたしがワクチン接種を終わらせたら、再開しようと決めた。10月には活動開始できるだろうと思ったら、佐世保市施設はフェーズが下がるまで、予約できなかった。いたしかたない。

 ナノカの演劇も、マンボウの発動と共に学生は参加できなくなっていたけど、先週末から、合流可になった。毎回、参加者全員が抗原検査をしてから、稽古に入る。そして、9月末公演を目指す。 

 アルカスは、施設が新しく、換気のシステムがいいこともあるが、それ以上に、やれることを続けた姿勢が、ありがたかった。おかげで、この1年半の間、ナノカは演じることもだけど、ミュージカルも、バレエも観ることができた。

 学校は、修学旅行も、宿泊研修も、運動会も、やらない選択肢が一番、安全だ。でも、もう1年半。その間、子どもは、8歳が9歳、10歳にもなり、2歳が、3歳、4歳にもなる。体験の空白は、成長期の子どもには、あまりに大きい。こうなったら、困るから辞めよう、ではなく、ならないための対策は何か、起きてしまった時には、どう対応するのか、しっかりと決めて、実行する。

 できることは、やる時が来た。みんなでルールを守り、手探りで、やれる範囲を模索する時期。

 わたしも、なにができるのか、できないのか、工夫しようと思う。次のプロジェクトは、とりあえず、机でそれぞれが絵を描く作業にする。コントロールフリーの絵を描いて、遊びたいと思う。

 はやく、やりたいなあ、、、

2021年9月9日

これからの予定 Schedule

 

一番、見つからない忍者の服の色を調べるナノカ she was trying to find the color which Ninja should wear to avoid being found.
 

 昨日、小学校の夏休みの作品展を見に行った。

 みんな、夏休みの間に、親御さんと、ワイワイ言いながら、作ったり、調べたりしたんだなあ、と思ったら、とても、ほほえましい気持ちになった。

 ナノカの小学校は、今日、授業参観だ。対策について説明が配られた。基準を作り、それを守りながら、「今」を空白の時間にしない意気込みに、頭が下がる。 全部ダメも、なんでもオッケーも、議論をしない点では同じ。話し合って、落としどころを見つけていきたい。

 さて、お休みしていたリトルアーティストだが、わたしのワクチン接種が完了(9月半ば)後に、再開することにした。

 体温チェック、マスク着用、換気、席を離して、最初と最後に手洗い。感染状況を見ながらだけど、対策をして、やれることは、やれたらな、と思う。

 

これからの予定

10月3日 

佐世保市立図書館オンライン講演会 「かんころもちと教会の島」ができるまで


 

10月21日〜11月7日

Sorisso riso 千綿第三瀬戸米倉庫 

にしむらかえ展覧会 「かんころもちと教会の島」原画その他

 

2021年9月6日

カンコロの島紀行8月 Goto Article

 
8月号の記事。

8月頭に、上五島を訪れた時の、「現在」の様子を描きました。

 最近、しみじみ思うのは、イメージと、現実は違う、ということです。

 たとえば、都会の人に、離島の話をすると、「島の人は、島時間で、ゆっくりなんでしょう。いいなあ。」と言われるのですが、実は、島の人は、とても忙しいです。天気を気にしながら、家の手入れから、畑のこと、教会のこと、日常は「すること」でいっぱいです。都会の人たちのような、時計に追われてはいないかもしれませんが、忙しいのです。

 島と教会、というイメージに関しても、ロマンチックな雰囲気を思い浮かべる人も多いのですが、現実は、お掃除に始まり、地道な日々の積み重ねです。信仰は、個人的な「心」の部分が大きく、それを感じるには、ただ建物を訪れるだけでは、感じ取るのが難しいです。

 少し前に、海外の文化を紹介する、昭和期のドキュメンタリー番組を見る機会がありました。当時、とても人気のあった番組でしたが、神秘的に行間が埋められているのが気になり、制作側のイメージで語られていると感じました。当時は情報があまりない中、番組を観る人も、遠い地への憧れを求めていて、そういうつくりになったのでしょう。でも、今見ると、ちょっと違和感を感じました。

 わたしも、実在の人や場所を描くにあたって、自分の勝手な理想やらイメージに当てはめてないかな、と意識します。現実を切り張りして、自分のお話にしてしまってはいけないですから。

 インターネットが普及して、誰でも、簡単に発信できる時代になりました。発信するスピードと量も変化しました。なんでも事実だと思いがちですが、現実を切り取って、貼り合わせたものは、必ずしも、事実を表してないことがあります。作り手が意図的に、自分の都合や、人の注目を集めるための切り張りをしたり、演出をすることもできます。一見、事実に見えてしまう分だけ、作り話より、たちが悪いこともあります。情報の真偽を見分けることは、なかなかタフです。

 事実を伝えるためには、どんな形がいいのだろう、と考えてしまいます。情報が溢れる中では、小さな記事の一つかもしれませんが、チャレンジだなあと感じながら、毎回、書いています。

2021年9月3日

ダンスだんす Dancing!

Nanoka has taking ballet lessons since she was 5. She danced based on her ballet, so it was always very classic.
When we got catchy song on radio, then I asked her to dance. She refused it.

"Come on. Just feel and move your body!" "No, I can not. You do wonder dance."
"Yeah, you should do. You wrote on the story in the magazine,"Lots of wonder".

 泣き落としで、習い始めたバレエ。5年が経った。

 運動不足もなくなるし、姿勢も良くなるし、根性もつくし(意外に体育会系)、いいことづくめに感じるが、傾倒しすぎてて、バレエの動き至上主義なため、何を踊っても、かたい。本人も、ポップな踊りに苦手意識があるようだ。

 もっとリラックスして、いろいろ楽しめばいいのに〜、と思って、ノリノリの曲をかけて、誘ったら、「たくさんのふしぎ」ダンスと名付けられた、、、

2021年9月1日

休んでもいいし、行かなくてもいい Back to the school or just absent


 うちの娘は、去年、学校を2ヶ月、休んだ。いろいろあって、だんだん様子がおかしくなっても、最後まで本人は、「負けたくない」と、行こうとしていた。

 低学年だったので、まだ親との関係が近く、気持ちをわたしに伝えてくれた。だから、SOSをつかむことができて、親が、学校を休ませる判断をした。

 その後、2ヶ月、家にいた。ひたすら本を読んでいた。わたしは家で仕事をして、その間ずっと、となりに座っていた。

 今は、転校した学校に通っている。すべて順調とはいかないかもしれないけど、勉強は楽しいと言っている。好きなことは、楽しいし、苦手なことは、気が重い。そんな生活だ。

 思い返すと、学校へ行こうとしている娘を止めるのは、簡単なことではなかった。最後まで、休みたいとは言わなかったし、外では、元気に振る舞い続けた。どんなに、心が疲れてしまっていても、それを自分自身で気づくのは、難しい。

 人生の中で、ちょっと休むことなんて、じつは、よくあることだ。わたしも、数週間単位で高校を休んだことがあるし、大人になってからも、寝込んで、療養してた時期が何度かある。

 社会には、いろんな生き辛さが存在している。それを避けて、通れたらいいんだけど、だいたいの人は、どこかの時点で、どれかにぶつかる。子どもに、その不条理がふりかからないといいな、と思うけれど、残念ながら、結構かかる。子どもの社会だからこその、閉鎖性や未熟さも加わって、深刻なことだってある。

 難しい局面を、大人だって、乗り切ることは難しい。子どもが自力で、乗り越えることは、とてもとても、難しい。

 大人が気づいて、環境を整備してあげることができたら、いいのかもしれないけど、大人が全部に気づくとも限らないし、大人が解決できるとも限らない。大人が原因のこともある。最悪な環境が、まったく改善されない状態が続くことだって、ある。

 だから、休む、という選択肢は、常に、あっていいと思う。

 9月1日。一応、「休んでもいいからね」と声をかけた。特に、思い当たる理由もなかったけど、言うだけ、言ってみた。

「は?ママは、すぐ、そうやって、適当なんだから」と怒られた。

 でも、いつか、そういう場面が来たら、気軽に休んでもらえたらな、と思う。

2021年8月25日

今日中に、自由研究、終わらせるんだあ(泣) Ninja study

 

She studied about Ninja and did experiment of color of their outfit.
 すべてのプリント類を終わらせ、あとは、自由研究のみ。「今日、終わらせる!」と意気込むナノカ。

 しかし、まとめるという作業。そんなに簡単なものじゃない。午前中いっぱいを使っても、まだ下書きすら、終わらない。 

 12時を過ぎたので、お昼休憩を取ろうとすると、「イヤだ」「終わらせる!」「お腹すいてない!」とベソベソ泣く。あと30分で終わるのなら、それもアリだけど、まだ半分ぐらい。午後、仕切り直そうよ。「イヤだ!」

ブチンっ(母の、堪忍袋の緒が切れる音)

 「手伝ってるママにだって、休憩が必要です。イヤです。続けたいのなら、勝手に一人で続けてください。」

ワーーーーーーーーーーン

30分ぐらい、号泣して、大騒ぎして、ようやく、お昼にありついた。やれやれ。

 しかしながら、自由研究って、子どもだけで、できるものなのだろうか?やりたいことを調べて、疑問を洗い出し、それを実験や観察で明らかにして、結果をまとめて、考察していく。高度だよなあ、、、

 悲喜こもごもの夏休みの宿題も、最終章を迎えた。涙を流す姿に、「ここまでする必要あるか?」とも思ったし、「親がこんなに駆り出されていいのか?」とも思ったけど、満足そうに出来上がりを見ている姿を見ると、時間をかけてやり遂げることは、本人も望んでないこともないのかな、とも思える。どうやって、モヤっとした疑問を解決していくのか、過程を体験してみた、というところか。

 宿題に関しても、たしかに、人生には、締め切りまでに課題を終わらせないといけない場面は、たびたびある訳で、これも、人生の1レッスンなのかもしれない。なににせよ、おつかれサマー。これで、あと1週間は、完璧なる解放か。

2021年8月24日

バースデーろうそく実験 Candle Study

 相方の誕生日当日は、わたしの記者発表日だったため、バタバタで、なにも、できず、、、週末も忙しくて焼けなかったケーキを、月曜日にナノカと焼いた。

ケーキは焼けたが、キャンドルがないことに気づく。買い物に制限がある、超のつく田舎に住むわが家。まさか、バースデーパーソンに買い物を頼むわけにもいかず、先日、わたしが絵を描いた和蝋燭をケーキに刺して、ハッピーバースデーを歌った。結構な絵面だったが、キャンドルのないバースデーケーキでは、願い事ができないからね。

和蝋燭は、芯が太く、真ん中に穴が空いているため、非常に大きな炎ができる。一方、一袋いくらのティーキャンドルって、1回使うと芯が小さくなって、蝋がまだあるのに、火が小さくなって、使えなくなるけど、どうにかならないだろうか。

 「芯って、どうなってるの?」と聞くナノカに、和紙でできるんじゃない?という話になって、竹ひごに紙を巻きつけて、蝋に浸して、火をつけてみた。

でか!

 ただの紙であったのなら、火をつけてすぐに燃えて終わってしまうであろうに、蝋に浸した紙は、この大きな炎を維持したまま、ずっと燃え続けた。電気を消してみると、1つの炎で、お互いの顔がしっかりと見えるほど、明るかった。平安時代とか、炎しかなかった時代の夜は、こんな感じであったのだろうか。

 その後、それぞれ紙をよって、火をつけ、テーブルの上の火遊びは、しばらく続いた。 そのうち、紙に蝋を何度も浸して、ろうそくを作り始めたが、すぐには冷えず、なかなか大きくならない。すると、相方が保冷剤を出してきた。保冷剤の上に乗せると、蝋はすぐに固まり、また溶けた蝋に浸すことができ、ろうそくは一気に太っていった。

 その蝋の塊を見てナノカが、「地球の表面は固まっているけど、中が溶けたままなのは、なんでだろう」と言いだした。「あれって、重力の圧縮で、熱があるんだっけ?」と私が言うと、「じゃあ、冷えて固まるのは、外が寒いから?」「宇宙は、寒いんだよ」という話になった。地球や宇宙の話は、自信がない。

 「科学や実験はたのしい」とナノカは言う。「ふしぎに思ったら、なんだって、自分の予想を立てたらいいし、やってみたらいいんだよ」と言うと、「ナノカ、医学に興味がある」と言いだした。医学!

 「え、ナノちゃん、お医者さんに興味があるの?」「違うよ。わたし、お医者さんは、ムリ。」

 よく聞くと、人の体と薬草とかの関係に興味があるとのこと。忍者の研究の続きかな。さすがに医学は初耳で、びっくりした。

 のびやかな好奇心。くったくのない想像力。こどもにとって、日常はふしぎにあふれていて、「やってみたい!」「すごい!」「おもしろい!」の連続。これが、いったいどこへ行くのかは、だれにもわからないことだけど、このままワクワク生きていけるのなら、どんな方向にいっても、きっとしあわせだね。

2021年8月19日

かんころの島紀行7月号 Goto article July

 8月1日付のカンコロの島紀行です。

8月3日、「かんころもちと教会の島」が刊行される前のタイミングで記事を出せることになったので、絵本の話を中心に書くことにした。

 そもそも、なぜ、かんころもちの絵本を書こうと思ったのか。どういう出会いだったのか。どういう4年間だったのか。

 4年の間に、あまりに色々あって、かんころ餅を取り巻く環境も変わっていったし、世界の情勢も変わったし、わたしの気持ちも変化していった。だから、最初、どうして、かんころ餅に興味を持たれたのですか?と言われて、すこし、考えてしまう。

 当時、NHKのえいごであそぼ、の仕事が終わったばかりだった。テレビの仕事は、多くの人に見てもらえて、新しい経験で、とても新鮮だった反面、週ごとに締め切りが来て、時間に追われ、作品も時と一緒に流れていってしまうことに、寂しさを感じてもいた。次にやる仕事は、残る仕事がいいなあ。久々に、しっかり絵本を描きたいなあ、と思っていた。

 しかし、出版不況で絵本は売れないのに、世界に絵本はあふれていた。本屋さんに並ぶ絵本を見ていると、「今さら、自分が1冊増やす意味って、なんなのだろう?」と考えてしまった。

この中で描くからには、「わたし」にしかできない、意味のある絵本にしたい。

 そんな時、かんころ餅の話を聞いて、島を訪れて、人に会い、ミサに参加して、カンコロの棚を見て、という機会があった。「これは、他にはない文化だ」「まだ、あるうちに記録しないといけない」「多くの人に知ってもらいたい」という使命を感じた。これが、わたしの次の仕事じゃないだろうか。

 だれかに頼まれたわけでもなく、自分が勝手に感じた使命感を形にするのは、難しい。ない仕事を作り出して、人を納得させて、形にしていかなきゃいけない。さまざまな場でアピールしてみたが、辛辣な言葉が返ってきたこともあったし、まったく相手にされないこともあった。わたしは、うまい宣伝マンではないのだろう。

 そんな中、同じ気持ちを共有して、並走してくれたのが、草加家の高木社長であり、建築士の高橋さんだった。彼らは、かんころもちの背景にある文化について、造詣が深く、そして、絵本としてそのことを伝える意味を、理解し、応援し続けてくれた。

 いろんな絵本があふれてる中に、一冊増えただけ。見る人によっては、そうかもしれない。

それでも、これは、出したかった1冊。「わたし」にしかできない絵本になったのではないかな、と思う。

2021年8月18日

世話好き Caring person

"I am tired. I'll have a rest."
"Mommy, hold your head(put the pillow underneath and put blanket over)"

She is reading Ann's handmade book.

"Nanoka is reading the book of various delicious food." "I will tell you I am not going to make anything today."

"If you follow the book, you can make good sweets." "I said that I was not making!" at the end, she made orange jello.

昨日、取材が来た。

さまざまなものが、家中のあちらこちらに散乱しているので、片付け始めたら、大掃除になってしまった。つかれた、、、が、結果、さまざまなことが、整理できて、スッキリした。

ナノカは、取材中、なぜか席に座って、漫画を読みながら、自分で作ったゼリーを出したり、かんころ餅を焼いて出したり、秘書のように働いてくれた。

取材が帰ると、取材中に出た世間話について、しっかり聞き取ってコメントしてきた。秘書は、あなどれないな、と思った。

2021年8月17日

根気よく Patient Painter

 



「終わらない」と泣いた宿題だったが、9日が休校になってしまったことで、新たなプリント類が来なくなり、一気に進んだ。

 絵は、いくつかのテーマから選ぶことができて、なのかは、「海とさかな」コンクールの作品にした。こういうテーマは、小さな「サカナ君」みたいなマニアがいっぱいいるから、激戦区だろうなあと思ったが、これも、ご本人が選ぶこと。なのかは、生き物マニアではないが、生き物の絵を描くのが好きなのだ。

 描きたい魚を図鑑から選んで、大きさの比率を揃えながら、生息地に合わせて配置していく。捕食者が現れて、それぞれの隠れ家に隠れようとしている所だ。

 リトルアーティストの時は、なのかの絵にほとんど口出しもしないのだが、今回は「ママ、ここ、どうしたらいいかな?」と、すごくアドバイスを求めてきた。ものすごく慎重に、細かく、描くことを選び、結局、2時間ずつ、魚、隠れ家、影や波の模様など、と3日間に分けて、完成させた。

 早く、終わらせたい気持ちを抑えて、少しずつ、根気よく、仕上げた。とても、満足そうだった。

2021年8月14日

イトウのセカイ リターンズ Family money game

昨日の午前2時、携帯が鳴って、緊急安全確保が東彼杵町に発令された。 

わが家は、川の脇だが、かさ上げされた土地に建っているので、下手に動くより、家にいる方が安全だ。せっかくのお盆休みだが、家に閉じ込められた状態。でも、安全が確保できていることに感謝する。

 さて、こんなお休みの日、ナノカが、「イトウの取り引きがしたい」と言い出した。 わが家には、家族内通貨、イトウが存在する。 

https://kaenishimura.blogspot.com/2020/09/kingdom-ito-game.html 

https://kaenishimura.blogspot.com/2020/09/tea-time-at-ito-kingdom.html

今回は、こんなラインナップとなった。

わたし:グラタンセット5いとう おえかきワークショップ2いとう 講演会10いとう Mom:Gratin set 5ito, Art workshop 2ito, Great author's speech 10ito

相方:布団準備券1いとう マッサージ券10分3いとう 読み聞かせ券各種2いとう4いとう Dad:Making bed 1ito, Massage 10 minutes 3ito, Reading book, 2ito, 4ito,

なのか:おやつけん5いとう お茶いれるよけん2いとう かたもみけん2いとうNanoka:Snack 5ito, Tea 2ito, Massage 2ito

 だいたい、チケットは売れることが前提なのだが、講演会は買われないよう、高額いとうに設定した。最終的に、ナノカが想定より、いとうを所持してて、最後講演会チケットを、買うか迷ってて、ドキドキした。

コロナも大雨も重なり、自宅で待機のお盆休みの人も多いと思う。みなさんも、こんな過ごし方は、いかがでしょうか。