抗原検査を行いながら、活動継続中 |
9月25、26日の公演が迫ってきた。
アルカス演劇さーくるみんなでつくる「佐世保の物語」プロジェクト
学生は学校帰りに、大人は仕事帰りに、連休も終日、稽古、稽古、稽古。
ナノカも、電車待ちのベンチで宿題をして、帰りの車で爆睡して、、、アイドル並の忙しさ、再び来る、だ。
そんなに忙しくて、疲れが溜まっているだろうに、ナノカが、ポツリと「もうすぐ、終わっちゃうなあ、、、」と言う。自分が演じる役は、仮想の舞台の上にしか存在しない。舞台が終われば、いなくなる。さびしいようだ。
そのことは、きっと、他の出演者の人も同じだと感じる。それぞれが、スーツや制服、作業着などを着て、それぞれの職場から稽古場にやってくる様子は、まさに「わが町」。演じることを、日常に負荷をかけてでもやりたいと願う、熱があるのだ。
演じるって、なんだろう、と思う。コロナで、不要不急って言葉に翻弄されて、いったい何が要らないものなのかとか、だれが判断できるのか、考えさせられた。わたしの仕事も、グレーゾーンで、自分で判断しなくてはならず、結局、歩みを止めたものも多かった。されど、取材は、文化は、創作は、表現は、要らないものなのだろうか?緊急時には、命が最優先なのは当たり前だが、人は心も健康に保たなければいけない。どこかでバランスを取るべきラインがあるのではないだろうか。
ナノカは、もともと、舞台を観るのも好きだったし、数年前からは演じることに興味が出てきた。コロナの波を除けながら、観ることも、演じることも、なんとか続けさせてもらった。それは、辛いことを乗り越えたり、自身を成長させたりすることを助けてくれた。演じる、は彼女には、とても必要なことだった。
歴史を紐解けば、演じるということは、なんと古いんだろう。古代から、人が営み続けてきたということは、社会動物である人間にとって、そして脳みそが大きくなったホモサピエンスにとって、必要ななにか、があるんだと思う。
ナノカは、よく「人間は、脳みそが大きくなりすぎた」という話をする。類人猿が肉食をするようになった後、脳が急速に大きくなり、他の動物に君臨するようになった。大きくなり過ぎた脳は、私たちの手にあまるほどの力を持つ。それを、欲のために使えば、不必要なまでの収穫を手に入れることも可能だ。そして、そのことで他の生物を圧倒して、地球をダメにしてしまうのが問題となってると言える。
成功者になるために、という話を聞いていると、なんらかの形での搾取のことが多い。システム化されていて、直接、手を下してないので、見えにくくなってるだけだ。「頭のいい」人の話というけれど、地球の未来を俯瞰してみると、大きくなり過ぎた脳みその使い方として、それって正しいのだろうか?頭がいいのか、わからないな、と思う。
ホモサピエンスが、脳の大きさを拡大した時に獲得したのは、巨大な大脳新皮質だ。そこは、言葉を生み、文学を生み、演劇を生み、人と共感し、感動することができる機能を持つ。大脳新皮質は、ホモサピエンスが平和に生きていくためのヒントを隠し持ってるはずだ。
とまで考えて、演技してるわけじゃないんだけど、、、ナノカは、ミナモトという、佐世保を作った新米の神様の役を、初々しく、演じている。
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