師走。今年も、あとわずかだ。
今年は、予期せぬことが多く起こって、それが計画してたことと、ないまぜになって、大混乱だった。「その時、出来うる限りの、最善」の選択を繰り返す、見通しのない1年だった。
年末、娘がのびやかに過ごしている姿を見て、ああ、乗り越えたなあ、と思った。自分の仕事も、なんとか、やりきった。綱渡りな場面が、何度もあったと思うけど、綱の上にいることを考えないように、前に進んできた。サーカスの業師たちと、同じやり方だ。
今年1年は、娘が小さな頃から積み立ててきた「一見無駄に見える、愛あ〜る時間」貯金を、使ったと思っている。危うい場面でも、娘は、自家発電で、自ら、回復していった。幼少期は大切だと、実感した。わたしは、過去の自分から恩恵を受けたのだ。
そして、ある程度、落ち着いた今、すべての子どもたちの問題として、いろいろ、思うようになった。
当時、娘は、自分の置かれた状況に対して、かなり冷静だった。法律や社会制度で身を守る方法を、漫画で読んで、すこし知識があったからだ。後から見せてもらったが、持ち歩いているノートに、その日に起きたことを、箇条書きで、メモを取っていた。第3者機関の存在も知っていた。とにかく、論理的に、シンプルに事態を見ていた。
加えて、自分の腹の中に、倫理観の虫みたいなものを飼っていて、どんなに権威がある相手に対しても、信念を曲げることがなかった(できなかった)。最終的には、それが彼女の体調を崩したのかもしれないが、長い目で見たら、自分を守ったのだと思う。
その経験から、すべての子どもが、自分で心や立場を守れるよう、自分の権利を知っていることの重要性を感じるようになった。あっという間に弱者になってしまう子ども。本来は社会で守るべき存在なのだけど、小さな声は届きにくいし、大人はそれぞれ抱えているものがあり過ぎて、大切なことを見失うことがある。大人自身が、問題を抱えていることもある。そのしわ寄せを、「しかたない」で、子どもが一方的に我慢するしかない構造なんて、おかしいではないか。
では、子どもが自衛する術って、なんだろう。
解決法の中に、子ども自身が手を伸ばし、アクセスできるものって、どれだけあるだろう?あるなら、どうやったら、多くの子に伝わるかな。抵抗させてあげたい。間違いには、NOと言わせてあげたい。
加えて、物語の役割の大きさも感じた。
体調を崩した初期の頃、娘がgleeのDVDを黙ってじっと見続けていたことがある。アメリカのハイスクールで起こるジェンダーの問題、スクールカースト、貧困、体型差別、いじめ、自殺未遂、パワハラ。世の中には、さまざまな問題があるということ。 同じ状況でなくても、人が苦しくなる構造には共通点があって、共感し、納得ができる場面があったのだと思う。
物語は、辛さ、悲しさ、怒りを、「あってよい」感情なのだと教えてくれる。そして、架空の登場人物と、寄り添い合って、気持ちを消化していく。本当に辛いのは、「自分だけ」になってしまい、感情を一人で抱えることなのだ。
物語の主人公は、ちっぽけな目立たない存在のこともある。その中で、正しいと信じたことをやってのけ、時に世界を救うヒーローとなる。それは、実社会では納得する結果が得られなかったことでも、正しいと思ったことを正しいと信じ、前をまっすぐと見て生きていくために、必要なストーリーなのだろう。
わたしは、戦隊モノのヒーローのように、ガッツリ悪を倒す、みんなのヒーローに共感したことはないけれど、「モモ」のような小さなヒーローが人の心には住んでいて、日々、世界を救っていると信じている。
ずっと、なんか、自分にできないかなあ、とぼんやり、考えているのであった。
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