2021年8月19日

かんころの島紀行7月号 Goto article July

 8月1日付のカンコロの島紀行です。

8月3日、「かんころもちと教会の島」が刊行される前のタイミングで記事を出せることになったので、絵本の話を中心に書くことにした。

 そもそも、なぜ、かんころもちの絵本を書こうと思ったのか。どういう出会いだったのか。どういう4年間だったのか。

 4年の間に、あまりに色々あって、かんころ餅を取り巻く環境も変わっていったし、世界の情勢も変わったし、わたしの気持ちも変化していった。だから、最初、どうして、かんころ餅に興味を持たれたのですか?と言われて、すこし、考えてしまう。

 当時、NHKのえいごであそぼ、の仕事が終わったばかりだった。テレビの仕事は、多くの人に見てもらえて、新しい経験で、とても新鮮だった反面、週ごとに締め切りが来て、時間に追われ、作品も時と一緒に流れていってしまうことに、寂しさを感じてもいた。次にやる仕事は、残る仕事がいいなあ。久々に、しっかり絵本を描きたいなあ、と思っていた。

 しかし、出版不況で絵本は売れないのに、世界に絵本はあふれていた。本屋さんに並ぶ絵本を見ていると、「今さら、自分が1冊増やす意味って、なんなのだろう?」と考えてしまった。

この中で描くからには、「わたし」にしかできない、意味のある絵本にしたい。

 そんな時、かんころ餅の話を聞いて、島を訪れて、人に会い、ミサに参加して、カンコロの棚を見て、という機会があった。「これは、他にはない文化だ」「まだ、あるうちに記録しないといけない」「多くの人に知ってもらいたい」という使命を感じた。これが、わたしの次の仕事じゃないだろうか。

 だれかに頼まれたわけでもなく、自分が勝手に感じた使命感を形にするのは、難しい。ない仕事を作り出して、人を納得させて、形にしていかなきゃいけない。さまざまな場でアピールしてみたが、辛辣な言葉が返ってきたこともあったし、まったく相手にされないこともあった。わたしは、うまい宣伝マンではないのだろう。

 そんな中、同じ気持ちを共有して、並走してくれたのが、草加家の高木社長であり、建築士の高橋さんだった。彼らは、かんころもちの背景にある文化について、造詣が深く、そして、絵本としてそのことを伝える意味を、理解し、応援し続けてくれた。

 いろんな絵本があふれてる中に、一冊増えただけ。見る人によっては、そうかもしれない。

それでも、これは、出したかった1冊。「わたし」にしかできない絵本になったのではないかな、と思う。

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