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2023年11月6日

カンコロの島紀行10月「祭りのある町」


 10月は、お祭りについて書きました。

わたし自身は、新興住宅地のできあいの祭りで育ち、その祭りですら継承されず、わが故郷に祭りはなくなっていました。

先日、実家を処分しました。わたしに故郷はなくなりました。もし、わたしの町に祭りがあったのなら、祭りを見に帰ることもできただろうし、「ああ、今頃、祭りがやってるなあ」と思いを馳せることができたでしょう。家はなくなっても、故郷はあるように感じられた気がします。

でも、わたしはそうした、「思いを馳せる風景」もないように感じます。

祭りって、そういう存在なのかな、と取材を通して感じました。

カンコロの島紀行9月「青方のお盆」

 

9月も、続けて青方のお盆の取材のお話を書きました。

わたし自身は、実家での盆行事がほとんどなく育ってきて、今も、精霊舟を見物する程度のお盆の過ごし方をしています。お盆だけではなく、お墓や仏壇など「ご先祖様にまつわる行事」というものは、大変だというイメージが強く、現代の生活には合わないな、と感じてきました。 

ただ、今回、青方のお盆の様子を取材して「その大変さの中に、文化があるので、全部、合理化して、省略していったら、文化は残らないのでは、、、」とも、感じました。玉ねぎの皮を剥き続けたら、本体、なくなってたみたいな。有用な部分だけ残そうと思っても、結局、皮自体が本体で、一つ一つが玉ねぎなのです。

「だから、面倒でも人々はがんばって、すべての文化を継承すべきだ」とも「合理化で、それらが消えるのは、必然だ」とも、言いたいわけじゃないのですが。


カンコロの島紀行8月「青方念仏みゃ」

 

久しぶりに、ブログをアップ。記事のアップをします。

今年度に入り、来年用の雑誌の取材で、新上五島町に通っています。今年は、お盆に島に行くことができました。今まで「取材してみたいなあ」と思いながらも、繁忙期になるので、なかなか機会がなかった時期。とても新鮮な一面を見ることができています。

お盆の取材は、みなさん、それぞれ家のことで手一杯なところにお邪魔するので、ご迷惑になってしまうところなのに、青方の方々のご協力で、とても活気溢れる上五島の一面を見ることができました。

 この回で一番、印象に残っているのが「中学生を引き込む」という作戦が、戦後すぐに始まったことです。おかげで、確実に人は減っているのに、伝統文化は活気のあるまま守られていました。

いわれや歴史的背景もさることながら、「どうして、この文化が残ったか」や「どうやって行きたいとコミュニティが望んでいるか」ということに興味が湧きます。

個人的に、中学生が日当をもらえることも、とてもよいアイデアだと感じました。

2022年4月6日

カンコロの島紀行3月

3月の連載記事です。

今回は、信仰の話にしました。いつもより、個人的な話をしています。

わたしは、神様の存在が半信半疑で生きている、宙ぶらりんな人間です。

いると信じることもできないのに、いないとも思えない。こんな感じになっているのは、多少なりとも、私の生育歴が関係あるんだろうな、と思います。わたしは、スピリチュアルに傾倒することに、拒否反応があります。

ただ、人間の歴史の中で、信仰がとても大きな存在であり、文化のど真ん中にあり続けたのは事実でしょう。それは、人は生きて死ぬから、そして、考える生き物だからなのではないでしょうか。

宙ぶらりんなのに、とても、興味がある。宗教美術にとてつもなく美しさを感じるし、宗教音楽に涙するほど感動するし、聖書も物語として、とてもおもしろく感じます。神的なものに敬意を感じ、信仰を持つ人の横顔に憧れます。でも、一線を置いてしまう。

こんな母に連れまわされた娘も、どこの宗教施設へ行っても礼を尽くして、ふるまいますが、やはり神様のことはわからないんだな、と思いました。

信仰を先祖から引き継いだ人の心の内を見せてもらい、わたしの迷いだらけの疑問に答えてもらえて、とても興味深かったです。

2022年3月1日

カンコロの島紀行2月 Goto Aricle Feb

 


 カンコロ紀行、2月分。

  キリシタン迫害の歴史は、どちらかというと、記事で触れないようにしてきた。

 悲劇の物語の部分を強調することで、今、ここにある文化を伝える趣旨から、ズレていくように思ったからだ。

 また、加害者も日本人であったという事実。だれかを傷つけることにもなりかねないし、センシティブで取り扱いにくかった。

 今回、そこにスポットライトを当ててみることにした。今、人や社会の歴史から、学ぶべきことがあると思ったからだ。

 キリシタンたちを転び(棄教)させるために行われた拷問の数々は、想像を絶するものばかりだ。布に包んで、海の中に沈めて、絶命前に引き上げて、を繰り返したり、火の中に生きたまま吊るしたり、無理な体勢に縛り上げて力を加えていく、指を切る、鼻を削ぐ、爪の間に針を入れる、などなど。

 恐ろしいのは、すぐ死なないように、長時間苦しむように工夫されていたことだ。5日間、10日間と、その苦しい時間が続くように考えられている。また、その様子を晒し者にした。見せしめの意味もあったからだ。

 今から考えると、常軌を逸してたとしか思えない、非道な行為の数々だが、これは、時の中央政府が決めた「禁教」という法律にのっとっていて、違法者への処罰として、正当なものであった。

 キリシタン側から見てみれば、数十年前まで藩主が推奨して、キリシタンが国教のようになっていたところに、秀吉がキリシタン追放令を出し、江戸幕府が禁教にした途端、日本中が一変。突然、ただ信じているだけで罪人になり、残酷な殺され方をされるようになった訳だ。

 どれだけ残酷か、という点を知っても、息苦しいだけかもしれない。ただこの歴史を通して、一般人は社会の中でこんなに弱いのだということ、権力者の意向は絶対的な方向性を持つということは、理解しやすいのではないだろうか。

 人間は、社会の中で生きる動物。社会がどうあるかで命を左右されるのは、避けられない。そんな中、一線を越えた残酷なことが起こらないように、苦しみの歴史を知るのは意味があると思う。

 今、この時も、世界のどこかで、だれかが苦しんでいる。いくらでも残酷になれる1面を持つ、人間という生き物。それぞれの国に主権があるとはいえ、「たが」が外れないよう、世界的最低限の基準があったのなら、と思う。だれも、こんな風に、自分や家族を失いたくない。

2022年2月1日

カンコロの島紀行「聞け、島の子の声」Goto Article January

 



1月のカンコロの島紀行。高校生弁論大会について書きました。

 初めて、高校生の弁論を聞きました。自分の子どもが出場するわけでもなかったら、弁論なんて、聞く機会もなかなか、ないんじゃないでしょうか? 

 弁論は、人が一方的に話すのを聞くことになります。小学校の時の、校長先生の挨拶に始まり、卒業式の来賓の挨拶など、相当、話し上手な人でもない限り、人の話を一方的に聞くのはおしなべて退屈で、睡眠との闘いであった記憶しかありません。しかし、新上五島町の高校生弁論大会は、8人分、そして、教育長や女性部部長の話に至るまで、興味深く、しっかりと聞くことができました。

 人が話す時、それが、どれほど自分ごととして真剣に考えらえ、心からの言葉なのかで、こうも違うのかと思いました。(政治家のみなさんの言葉も、彼らの島を思う気持ちと同じぐらい、真剣に自分のことを話してくれたら、興味深く、聞けるのかもしれませんね)

 この弁論大会を見るために、朝から家族3人で船に乗り、日帰り特攻旅行で、最初は、付き合わせてゴメンという気分でしたが、相方も、ナノカも、衝撃を受けていました。

 自分の言葉で話すというのは、なかなか、勇気がいることです。それも、人生について、語るわけです。そのまっすぐさに、強さを見ました。

 わたし達は、このように恐れなく、まっすぐと、言葉を発せられるでしょうか?わたしは、できていません。大人の社会は、残念ながら、多くの言葉があちこちで、ふん詰まりになって、耳心地よく聞こえるけど、震えるような真剣さがない。そのことに、気づいた時間でもありました。

 高校生が、まっすぐな言葉を放ち、しっかりと受け止められる場として、この弁論大会があって、本当によかった。それを支えている人々にも、敬意を感じます。こういう場が、自分たちの町でもあったらいいなと思います。

2021年12月22日

カンコロの島紀行「兵庫県でも、かんころチャレンジ」Goto Article December issue

 



こちらは、12月号の記事です。

 11月末に訪れた、兵庫県、西宮公同幼稚園のことを書きました。なんと、長崎ではない土地で、かんころ餅にチャレンジしていらっしゃいました。 

 最近、教育(保育)の現場と、広告や SNSのこと、スマホやインターネットと脳科学のことなどについて、本を読んだり、一人で、もんもんと考え込んでいました。

 先月の「えん」もそうですが、現場に行って、「ああ、自分たちの信じるところを、日々の積み重ねで、実践してるんだな」と感じる場所があります。この公同幼稚園もそうでした。

 一方で、パッケージが立派だけど、果たして、中身はどうなんだろう、と思うことが増えました。立派なラベルが貼ってあって、「みんなが、いいって騒いでいる」というもので、しっくり来ないことが、多々、あるのです。

  以前、大手広告業界の人が、「俺らが、文化を作っている」と言ったことがありました。「中身は、正直、なんでもいいんだ。それを文化に仕立て上げるんだ」と。正直な人だと思いました。でも、それは、広告の思い上がりだな、と思いました。本来、中身を最大限に知らしめるために、パッケージが存在する。わたしは、文化は、中身そのものだと信じていたからです。ただ、広告に文化を作り出してしまうほどの力があることは、事実なのでしょう。

 ネット社会になって、パッケージが文化を先取りする、という考え方は、より進んで行ってしまった気がします。中身を見る力がないと、パッケージに振り回されてしまう。自分はそうなりたくないけど、どうなんだろう。そして、社会が振り回されているところを見るだけでも、疲れてしまいます。

 自分が、この手のことに、神経質なのかもしれません。でも、違和感だけは、どうしても、ぬぐいようがない。そんな中、ただ、信じるところを実践し、日々を重ねる人たちに出会うと、深い尊敬を感じます。

 現実の体験は、まぎれもない本物です。

 たくさん、歩いたこと。そして、足が痛くなったこと。歩いてない子は、知らないことです。

 ケンカして、悲しかったこと。こらえて、謝ることができたこと。ホッとした気持ち。すべて、本人がたどって、初めて、感じることができます。

 手間をかけて、試行錯誤して、その中で食べ物に対して生まれる敬意。

 日々を重ねる人々に会い、自分もまた、大切なものを、見失わないよう、また、日々を重ねていきたいと思わせてもらえました。

2021年12月21日

カンコロの島紀行「えんのチャレンジ」Goto Article Norbember issue

 


11月の記事です。

 「えん」とは、取材を始めて、半年経った頃に出会いました。当時は、第1期生の山村留学生が一人、小野さん一家と生活していました。

 今は、3人の留学生がいます。都会からやってきた子ども達は、めいいっぱい自然の中で、体験を積んで、過ごしています。

 そんな「えん」に、私から、何年か前に、「かんころ餅を、作ってみませんか?」と提案しました。当時、かんころ餅の品評会を上五島でやってみたいという構想があって、普段、作っている「かんころ餅名人」に加えて、業者さん、そして、学校や、いろんな団体がチャレンジしたら、とても、盛り上がると思ったのです。

 そのかんころ餅の品評会を大々的にやることは、叶わなかったのですが、「えん」のおかみさん、千鶴さんは、提案を受け入れて、その年は、実家で作ってもらったサツマイモから、カンコロ切りを、そして、今年は、サツマイモともち米も栽培して、えんのかんころ餅、を完成させてくれました。

 千鶴さんは、島育ちで、お祖母さんが実際、かんころ餅を作ってはいましたが、それは子どもの頃の記憶で、試行錯誤の中でのチャレンジとなりました。

 今年の出来栄えは、私から見れば、本当に美味しくて、素朴さがたまりませんでしたが、千鶴さんは、「来年は、もっと、なめらかに!」と、ああしよう、こうしようと、次への意欲を語ってくれました。

 

 わたしにとって、かんころ餅を絵本にすることは、ひとつのゴールでした。それは、まず、知ってもらう事から、始まると思ったからです。「こんな、事実があります」「みなさんは、どう思われますか?」「どんな未来を、作りたいですか?」という疑問提議でした。 

 かんころ餅や教会の歴史と現在、そして未来はどうなる可能性があるか、を描いたものですが、それが、人間の「生き方」への疑問定義だと、感じ取っていただけたと思います。人は、こうやって生き延びてきた。そして、時代は、変化し続ける。その中で、文化は、どうなっていうのか。

 さて、絵本ができあがって、質問は投げかけられたわけですが、その答えは、それぞれにあるのだと思います。

 「いえ、わたしは、かんころ餅がなくなっても、しかたないと思います。」も一つです。 実は、わたしも、便利さを押しのけて、このままの形態で文化を繋いでいくことは、かなり難しいことだと感じています。

 うちの娘は、かんころ餅の危機を知った、年長さんの時、「わたしが、カンコロ農家になる!」と宣言していました。それも、1つの答えではあるのですが、現実的には、カンコロを生産して、生計を立てるのは、とても難しいと言えます。手間が莫大にかかるのに、収益が上がらないからです。経済的な側面からいくと、効率が悪い、ということです。

 そんな中、えんが、こうしてかんころ餅を実際に、すべて手作りして、子ども達の記憶に残してくれることは、また、ひとつの答えだと思います。

2021年11月11日

カンコロの島紀行10月号「キリシタンの聴いた音楽」Goto Article October




カンコロの島紀行10月分が出ました。今回は、音楽について。

原画展会場で、友人でもある井上周子さんに、リュートを弾いてもらいました。

 わたしも、バロック以前の西洋音楽に少しだけ、馴染みがありました。もう、今は昔のこととなりますが、大学時代に、西洋音楽史を選択して、初めて、グレゴリオ聖歌やフランスのバラードなどの舞曲に触れました。当時は、テープを録音して、聴くのが宿題だったんです(時代が、、、)

 クラシック音楽といえば、バッハ以降のものしか聴いたことがなかったわたしは、その精神性の強い音楽に、惹かれました。キリストの神秘性を表すために複雑化した旋律、空間を効果的な祈りの場にするための演出。とても、興味深いと思いました。

 人が、音楽を奏で始めたのは、いつなんでしょう。記録に残らないため、わかりません。でも、ナウマン象を追いかけてた日々にも、歌っていたんじゃないかと思います。

 今も、人は、音楽と共にあり、生きています。祈るため、心を落ち着けるため、悲しみを受け止めるため、喜びを共にするため。 

 昔の人が、聴いた音楽を聴くと、その時、それを聴いていた人の気持ちと寄り添える気がします。どんな場面で、それを聴いたのだろう。希望にあふれた日?絶望的な悲しみを抱えた日?

 昔の人の心に寄り添うことで、今を生きる、他人の心にも、寄り添いたいと思えてきます。

2021年9月30日

かんころ紀行9月号 Goto Article

 


連載9月号。

今回は、ふささんとのなにげないお喋りの中で、印象的だったことを書いた。

 コロナ禍の分断は、つよく、感じる。

 でもきっと、今までも、それぞれが、なにを思っているのか、互いに話をする機会がなかっただけなのだろう。必要に迫られた時に、その拙さが、ギスギスとぶつかってしまう。

 同じ思想の人と、「だよねー」と言って、自分たちの正当性を高めあって、合わない思想を「違う」とハナから、否定する。 それでは、きっと何も生み出せず、自分も成長できないのだろうな、と思う。難しいけれど、話し合うことは、大切なんだと思う。

 とはいえ、次回、 新興宗教の3人組が来た時、しっかりと対話するかといえば、きっと、できないだろう。わたしは、未熟者だ。

 小さな笑い話のように見えて、人間としての格の違いを見せつけられたような、そんなエピソードである。

2021年9月6日

カンコロの島紀行8月 Goto Article

 
8月号の記事。

8月頭に、上五島を訪れた時の、「現在」の様子を描きました。

 最近、しみじみ思うのは、イメージと、現実は違う、ということです。

 たとえば、都会の人に、離島の話をすると、「島の人は、島時間で、ゆっくりなんでしょう。いいなあ。」と言われるのですが、実は、島の人は、とても忙しいです。天気を気にしながら、家の手入れから、畑のこと、教会のこと、日常は「すること」でいっぱいです。都会の人たちのような、時計に追われてはいないかもしれませんが、忙しいのです。

 島と教会、というイメージに関しても、ロマンチックな雰囲気を思い浮かべる人も多いのですが、現実は、お掃除に始まり、地道な日々の積み重ねです。信仰は、個人的な「心」の部分が大きく、それを感じるには、ただ建物を訪れるだけでは、感じ取るのが難しいです。

 少し前に、海外の文化を紹介する、昭和期のドキュメンタリー番組を見る機会がありました。当時、とても人気のあった番組でしたが、神秘的に行間が埋められているのが気になり、制作側のイメージで語られていると感じました。当時は情報があまりない中、番組を観る人も、遠い地への憧れを求めていて、そういうつくりになったのでしょう。でも、今見ると、ちょっと違和感を感じました。

 わたしも、実在の人や場所を描くにあたって、自分の勝手な理想やらイメージに当てはめてないかな、と意識します。現実を切り張りして、自分のお話にしてしまってはいけないですから。

 インターネットが普及して、誰でも、簡単に発信できる時代になりました。発信するスピードと量も変化しました。なんでも事実だと思いがちですが、現実を切り取って、貼り合わせたものは、必ずしも、事実を表してないことがあります。作り手が意図的に、自分の都合や、人の注目を集めるための切り張りをしたり、演出をすることもできます。一見、事実に見えてしまう分だけ、作り話より、たちが悪いこともあります。情報の真偽を見分けることは、なかなかタフです。

 事実を伝えるためには、どんな形がいいのだろう、と考えてしまいます。情報が溢れる中では、小さな記事の一つかもしれませんが、チャレンジだなあと感じながら、毎回、書いています。

2021年8月19日

かんころの島紀行7月号 Goto article July

 8月1日付のカンコロの島紀行です。

8月3日、「かんころもちと教会の島」が刊行される前のタイミングで記事を出せることになったので、絵本の話を中心に書くことにした。

 そもそも、なぜ、かんころもちの絵本を書こうと思ったのか。どういう出会いだったのか。どういう4年間だったのか。

 4年の間に、あまりに色々あって、かんころ餅を取り巻く環境も変わっていったし、世界の情勢も変わったし、わたしの気持ちも変化していった。だから、最初、どうして、かんころ餅に興味を持たれたのですか?と言われて、すこし、考えてしまう。

 当時、NHKのえいごであそぼ、の仕事が終わったばかりだった。テレビの仕事は、多くの人に見てもらえて、新しい経験で、とても新鮮だった反面、週ごとに締め切りが来て、時間に追われ、作品も時と一緒に流れていってしまうことに、寂しさを感じてもいた。次にやる仕事は、残る仕事がいいなあ。久々に、しっかり絵本を描きたいなあ、と思っていた。

 しかし、出版不況で絵本は売れないのに、世界に絵本はあふれていた。本屋さんに並ぶ絵本を見ていると、「今さら、自分が1冊増やす意味って、なんなのだろう?」と考えてしまった。

この中で描くからには、「わたし」にしかできない、意味のある絵本にしたい。

 そんな時、かんころ餅の話を聞いて、島を訪れて、人に会い、ミサに参加して、カンコロの棚を見て、という機会があった。「これは、他にはない文化だ」「まだ、あるうちに記録しないといけない」「多くの人に知ってもらいたい」という使命を感じた。これが、わたしの次の仕事じゃないだろうか。

 だれかに頼まれたわけでもなく、自分が勝手に感じた使命感を形にするのは、難しい。ない仕事を作り出して、人を納得させて、形にしていかなきゃいけない。さまざまな場でアピールしてみたが、辛辣な言葉が返ってきたこともあったし、まったく相手にされないこともあった。わたしは、うまい宣伝マンではないのだろう。

 そんな中、同じ気持ちを共有して、並走してくれたのが、草加家の高木社長であり、建築士の高橋さんだった。彼らは、かんころもちの背景にある文化について、造詣が深く、そして、絵本としてそのことを伝える意味を、理解し、応援し続けてくれた。

 いろんな絵本があふれてる中に、一冊増えただけ。見る人によっては、そうかもしれない。

それでも、これは、出したかった1冊。「わたし」にしかできない絵本になったのではないかな、と思う。

2021年7月6日

かんころの島紀行6月号「たべる人」Goto Article

 



 市井の人を描いた、歴史小説が好きだ。

 歴史上の偉人ではなく、町娘の恋愛や、勘定奉行の葛藤を読んだ時にしっくり来るのは、自分も、市井のひとだからだろうか。

 かんころ餅に携わる人々も、みな、それぞれ、家族を持ち、人生を歩み、他の人も感じるような悩みを感じて、生きている。オムニバスのように、絡み合いながら、どの話も、味わい深く、美しい。

 そんな中で、今回は一番、自分に近い人を描いてみた。

 もらったり、買ったりして、食べる人、だ。

 この記事を読む人(長崎県版)の多くは、ここに属してるんじゃないだろうか。 

 「かんころもちと教会の島」も、「食べる人」が、あるきっかけで、「作る人」に出会っていく話と言える。

 今回の絵本は、ノンフィクションだけど、読む人が、「わたし」のように、島の人に出会って、その背景を愛しいと思ってくれたらな、と思う。

2021年6月11日

「かんころもちと教会の島」 The Island of Kankoromochi and Churches in Nagasaki

 I spent 4 years to make this book, The Island of Kankoromochi and Churches in Nagasaki. 「かんころもちと教会の島」の初校が上がってきました。

Cover 表紙

My daughter also checked it目の肥えた読者による、書評タイム
 

 初めて、かんころ餅のルーツを追って、島に行った時、「これは、どこにもない話だし、これから過疎化で、いつまで同じ風景が見られるか、わからない。絶対、記録に残し、多くの人に知ってもらいたい!」と思いました。4年前のことです。

 わたしは、絶対おもしろいはず、と思ったのですが、最初に出版業界に持ち込んだ時は「地方にある、1つの食べ物の話なんて、全国規模じゃ、取り上げられない」という反応が主流でした。「今、世の中は、一月にあと1万円節約する方法、みたいな現実で役立つ話を求めてるのよ」とも言われました。世知辛い世の中だなあ、と思いました。

 がっかりしていたある日、デザインした、佐世保市図書館の利用者カードのマスコミ向け発表会があり、当時の毎日新聞の佐世保支局長と話すことになりました。支局長は、かんころ餅の話に乗ってきてくれて、「それ、とりあえず、地方版で連載しましょう」と、すぐに企画書を出してくれました。

 連載は決まったものの、単独で、フリーランスの人間が取材をすることは、なかなか、ハードルの高いものでした。島の人も、何してる人かわからないわたしに、警戒心があったと思います。しかし、新聞記事がたまり始めると、「こんな風に、島のこと、書いているんですよ」と理解してもらいやすくなり、人が人を紹介してくれ、いろんな人に会うことができました。

 教会、学校、島留学先、塩づくり、県庁の害獣課、農家、かんころ餅業者さん、移住者さん、修道院、、、

 2年ほどが経ち、記事がたまった頃、もう1度、絵本の企画を持ち込みました。手元にアイデアだけではなく、形となるものがある。そして、たくさんのふしぎとして刊行されることが、決まりました。決まってみると、「たくさんのふしぎ」しかあり得なかったな、と思うほど、ピッタリの読者層、形式の内容です。

 最初は絶望的に見えたものも、1つずつ、小さな結果を積み重ねていくことで、最終目標に到達できるんだということを、自分自身も知ることができました。ちょうど、娘の成長とともに取材をしてきて、娘がたくさんのふしぎの対象年齢の時に、出版されます。昨日は、初校を、厳しい目でチェックしておりました。

 9月号で、8月発売になります。読んでいただけたら、うれしいです。https://www.fukuinkan.co.jp/maga/detail_fushigi/

I heard about the roots of Kankoromochi, the traditional food of Nagasaki, 4 years ago. I visited Goto island to see the culture behind it. The island is the place where the descendant of the Hidden Christian still live and kept the faith.

I just believed that their lives should be recorded since it would change within years. The population of rural islands has declined and some churches would close soon. Kankoromochi is the food that they could survive even under the hardship of prohibition of Christianity.

It was really difficult to find the publisher first. I started writing articles in newspaper once a month and kept visiting to meet people in island and collect the materials, looked up the histories and sometimes experienced the life there. After two years writing, I brought those materials and visit publishers again. One editor decided to publish it.

I really thanks to my husband who support the trip which did not make result until now. 

I hope that it would be published overseas, too. This book is about the freedom of the faith, the strong will of the ordinal human being, and the importance of everyday life happiness.

2021年6月2日

かんころの島紀行5月号 Goto Article May

 

 

 かんころ餅は、子育てに似ている。

 畑を耕して、イモを作り、切って、ゆでて、干して、と淡々と1年を通して、作られていく。手間と時間が、費やされる。その、どこかの工程を簡略化できないかと思うが、自分の畑で作らないで芋を運んでくると、輸送費がかかるし、安全なサツマイモとは言えない。手作業のカンコロ干しを、工場生産にすると、味が変わってしまう。かんころ餅を産業化しようとする試みに、何度か立ち会ったが、なかなかハードルが高かった。興味深いと感じた。

 子育ても、結局、やらなきゃいけない要所の手間は、省くことができない。娘が体調を崩した時、夜、小さな頃のように、絵本を読んだ。娘は、小さな頃にしてもらった時間を思い出し、 赤ちゃんのように安心した気持ちで、すーっと眠りについた。

 保育園に、小さな頃から預かってもらった。決して、四六時中一緒にいられたわけではない。でも、忙しくても、絵本は読み続けた(今は、普段は、相方にバトンタッチ)。あたたかい思い出が、安心感として、今の彼女を支える。

 絵本作りも、莫大な時間と、手作業が続く。そして、大ヒット作でもない限り、その作業量と時間に見合うほどの収益が得られる分野ではない。計算し始めると、絶望的な気持ちになることがある。それでも、これが、生業なのだ。

 カンコロ作りも、子育ても、絵本の制作も、コロナ禍でも、淡々と続けるものである。それは、さまざまな不安の中で、救いでもあるように感じた。日々を重ねることができるのは、喜び。さつきさんの言葉は、そういう意味だと思う。

 6月は、久々に、取材に出ようと思う(迷惑のかからない場所へ)。

かんころ餅紀行4月 Goto Article April

 

絵本の仕上げ作業の真っ最中でも、定期の仕事も、してたが、アップする余裕はなく、、、こちらは、4月号。

 取材に行く時間も、コロナ禍で動きも取れないため、今までの思い出をまとめさせてもらった。取材先で、食べさせてもらった、手作りの食べ物の数々だ。

 お茶のペットボトルが出始めた時の話を、よく聞く。当初、お茶は日常的に、家庭で入れられるものだったし、味も落ちるため、そんなものは普及しないだろう、と思ったという。でも、今や、水筒を携帯している人の方が、「あら、しっかりしてるわね」という印象を持たれるほど、ペットボトルのお茶は身近になった。

  自分たちは、「おや、便利だな」と思って、利用し始めたものだけど、子の世代は、それに囲まれて育っている。「ないと不安」だと感じるほどに。

 時々、自分の今の感覚を、振り返ることは、大切だと思う。そして、一手間かけた時に感じる「あ、自分で、できた」「買わなくて、済んだ」は、結構、自信になる。

 娘には、一緒に手間をかけて、何かを作り、そして、それを人にプレゼントすることを、体験してほしい。そのことで、相手が、自分のためにかけてくれた時間や手間を、気持ちとして、受け止めることができるようになる。

 お店で食べた、いろんな料理は忘れちゃうのに、島で出してもらった、おもてなしの食べ物は、しっかりと覚えている。

2021年1月7日

カンコロ紀行12月 Goto Article Dec issue

 


アップが遅くなりました。12月27日付の毎日新聞の記事です。

潜伏キリシタンとかんころ餅の背景を取材を始めた頃から、わが家は、クリスマスイブに、ミサに参列させてもらうようになり、「この日は、喜びの日であり、平和を祈る日なんだなあ」と 知ることになりました。

ミサでは、 司祭からのお話があるのですが、東日本大震災のボランティアに行った時の話だったり、ご自身の幼少期の部活の話だったり、身近な経験に照らし合わせて、聖書のお話がなされることが多いです。

クリスマスミサでは、その話は、だいたい、世界平和への祈りにつながっています。たとえ信徒でなくても、心に響くところがあり、清廉な気持ちになります。

これは、仏教のお話を聞く時でも、同じように思います。信仰する、ということは、1つの宗教、信条を選ぶことなのかもしれませんが、宗教は、その指針に従って、自らを省みたり、人や社会のことを思いやったりする機会をもらい、人間が集団生活をしていくのを助けてきたのかな、と感じます。

若い頃、キリスト教の「わたしは、罪を犯しました」「お赦しください」という大前提を、どうしても、理解できませんでした。なぜ、最初から、謝らないといけないのだろう、と疑問に思ったものです。

でも、今、ミサに参列させてもらう機会があるようになり、その後に続く「わたしも、人を赦します」の一言に、大きな意味を感じるようになりました。

誰もが、簡単に世の中に発信できる時代。強い言葉で、自分の思う正義をうたい、それを信じる者同士で集まり、それ以外を攻撃する。簡単に対立してしまうことが、増えました。

「わたしは、たびたび、間違いを起こす」と認めて、「人を、赦す」と宣言するのは、さまざまな違った人種、意見、考えと共存する知恵であったのではないかと、思うのです。わたしの勝手な解釈ですが。

この時代、クリスマスの平和の祈りについて、どうしても書きたいと思い、記事にしました。なにか、伝わるところがあればいいなあ、と思うばかりです。

2020年11月5日

カンコロの島紀行37 Goto Article

 


4年目に入った、カンコロの島紀行。今回は、移築された教会について、書いた。

 最近、「積み重ねていく」ことの重さを実感するようになった。それは、身近な例で言うと、子育てもそうだし、物のあつかいや、人づきあい、習い事などに始まり、伝統の継承、職人技術の習得など、重ねないと出ない「厚み」に、惹かれる。

 大木に出会うと、圧倒される。年輪は、毎年、数ミリずつ、重ねてきたもの。幹の太さは、「時」を目に見える形にしたものだ。

 古い建物に出会うと、そこが人と紡いできた「時」を感じる。

 呼子の教会も、馬渡島の教会も、最初、違う場所で、その土地の人の熱い思いで建てられ、そして、発展をしていく時に、「移築」という形で、今の土地に譲られてきた。譲られてから、100年。カトリックの人は、毎朝、教会でお祈りする人も多い。たぶん、100年の間、1日たりとも空になることなく、訪れる人があり、大切に掃除され、花が飾られてきた。

 そこには、不思議な明るさがある。空気までが、透き通って感じられ、光に満ちている。わたしは、カトリック信者ではないので、たぶん、神の存在を感じているのではない。これは、人が積み重ねてきた「時」の荘厳さを感じてるのだと思った。

 それは、高千穂で神楽を見た時にも思った。ここは、明るいと。清潔に、日々を重ねて、何百年と守られているものは、よどみなく、光に満ちている。

 わたし達は、使い捨てることに慣れてしまった。どんどん新しい商品が出てくるし、修理して使うより、新商品の方が割安になることも多い。

 しかし、何かを買って、何かをゴミに出すたびに、なにか大きなものを失う気がする。わたしも度々、100均にも行くし、セール品でものも買う。しかし、「古いものより、安かった」「また壊れるから、これでいいや」の商品には、あの清潔な明るさはない。

 野崎島を離れる時、人は、家をばらして、新しい土地に運んだり、人に売ったりしたと聞いた。それは、当時の習慣だったからだが、 その文化自体が、ものを使えるだけ使い倒し、循環させ、物にも、建物にも、「時」を刻ませてきたのだ。

 小さな頃から、開発される山や土地を見るのが、好きじゃなかった。山をなぎ倒し、新しい住宅地や、産業地に変えていく。そこには、「今、快適なら、いいじゃん」が「今、儲かればいいじゃん」と結びついて、前のことも、後のことも、考えずに、使い捨てていく。それは、時を重ねて行く気もない。空気がよどんでいるように感じ、目を背けたくなる。 

 使い捨て文化を可能にしてくれた、安価で便利なプラスチック。どの海辺に行っても、どこかで目にしないといけない。あれも、すべての風景を台無しにする、よどみだと感じる。

 開発と名のつくもの、新しいもの、全部を、否定してるわけではない。ただ、それは、必要なのか、考えていく時代に入ったのではないかな、と思う。世界から、すっきりと清潔に明るい場所が、消えつつある。

2020年10月7日

カンコロ紀行「馬渡島」 Goto Article



 

カンコロ紀行の3年目、最後の記事を書くために、取材に行った。

ここ半年、島に行くことが、ためらわれる時期が続き、頭を悩まし続けた。本を読んだり、調べ物をすれば、新しいことを知り、記事が書けるぐらい、カンコロの背景は広く、深い。それでも、人の営みをテーマにしている以上、今を生きている人たちの温かみがないと、魅力が伝わらない。「私が見た」ということが、記事に熱を持たせる。

GOTOキャンペーンが始まり、人の動きが出はじめた。そろそろ、行ってもいいだろうか?

でも、より親しく、より身近だからこそ、島に行くことでのハレーションがどれぐらいなのか、考えてしまう。絶対、迷惑をかけたくない。自然、腰が重くなってしまう。

そんな中で、日帰りで、本土に近い島なら行ってもいいんじゃないか、と自分なりの考えで思った(本土との行き来の利便性から、ふだんからの往来歴、そして医療体制の連携などを推測)。そして、思いついた唐津の離島。

佐賀県に、潜伏キリシタンの島がある事を、どれぐらいの人が知っているだろうか?わたしは、3年目にして、初めて知った。衝撃だった。と同時にうれしかった。次から、4年目に入る連載。でも、まだまだ、知らないことがあるなんて!新鮮な気持ちで、まだまだ続けられそうだ。

馬渡島の人は、おっとりとして、おおらかだった。世界遺産の波も来ておらず、観光客も、いなかった。店もほとんどないし、案内もない。情報がなかった理由も、その辺りなのだろう。

島の人にしてみれば、かんころ餅は昔からあったし、カンコロだなもあったし、私に発見!と言われたくないだろう。でも、前情報が見つけられなかったため、自分の足と目で、発見した!という感動を味わうことができた。

世の中は、情報があふれている。そう、ネット社会が感じさせている。でも、実際、わたしたちは、前より、「知っている」のだろうか?

まだSNSが始まって間もなかった20年ぐらい昔、わたしは、手痛い失敗をした。人があげた中越地震後の混乱に関する訴えをそのままシェアした上で、「警察、ひどいですね」とコメントを加えたのだ。

それを、「その人の書いた事は事実だと、確認しましたか?あなたのしている事は、無責任な情報を拡散して、混乱を大きくする、迷惑行為ですよ」と、注意してくれた人がいた。

わたしは、当時ニューヨークにいて、日本の地震のことについて、まったく、知りようもなかった。言われた通り、わたしは、不確かな情報を信じ、そのまま、広げてしまったのだ。

すぐに、訂正して、さらに拡散してしまった人たちに謝罪して回った。あっという間に広がった、不確かな噂話程度の情報。悪気はなかったが、影響力はあった。その恐ろしさを実感した。

以後、シェアする時も、記事を書くときも、「事実であろうか?」と慎重になった。自分の体験に基づく感想なら、一番事実に近いだろう。それもあって、足を運び、人に会い、自分の目で見たことに対して、感想を述べるように、より努力するようになった。 

もちろん、わたしが、こうして書いている「体験談」とて、文字情報である以上、次に読む人にとっては、事実である確認が取れない。そういう意味で、いかに誠実で公正な情報を提供しようとしているか、信用される行動をとり、文章を書き続けることは、1つのチャレンジだと思う。

また、読み手としても、「聞きたかったこと」「そうであってほしいこと」や、「感情をゆさぶる事実」に惑わされず、しっかりと読解力を持ってのぞみたい。

情報が溢れるからこそ、とても、難しい時代なのだと思う。

2020年6月30日

カンコロの島紀行6月「海から見た長崎」Goto Article June


6月は、海の話を書きました。

かんころ餅の背景を追いかけるうちに、私はあることに気付きました。

今まで、本を読んで、「なるほどー」と思うことはあっても、
現地に出向いたり、生活してみないと実感しないことが、結構ある、ということです。

日本が島国で、海洋国家である、というのは、生まれてこのかた
何万回も聞いて、自分も口にして、なじんできた事実ではありますが、
今の発達した文明に守られていると、実感することは、難しいと思います。

ましてや、中部地区の海から遠く離れた陸地の新興住宅地で育ち、
東京の大学に行った私にとっては、長崎にやってくるまでは、
結局、文字知識としての「島国」だったのかな、と思います。

今、海に近づいて、島の人口減や衰退の歴史などを聞いたり、
漁業の現実を見たり、実際に船で離党を行き来したりすることは、
文字知識だけの自分の穴を埋める、「実感」を伴う体験だと感じます。

本当の意味で、「日本は島国」を感じている人は、どれぐらいいるのでしょう。

縄文時代や弥生時代などの遺跡に、遠い島からやってきた
痕跡を見たりすると、突然、自由自在に行き来した、力強い古代人が
大きく感じられたりもします。

様々な便利な機械、道具、システムの中で生きている私たちから見ると、
「不便だったろう」「世界が狭かったろう」
と想像したくなる、旧時代の生活ですが、
ダイナミックに移動していたことを知ると、
おおらかな、意外に自由な姿を思い浮かべることができて、
ロマンを感じてしまいます。

ぜひ、海側から、長崎県を見てみてほしいな、と思います。