2021年6月28日

リトルアーティスト、今後の予定

 





ワクワク After school

めっちゃ、演劇の影響を受けて、多弁な台詞まわし


本文も、劇っぽい

ちょっと、グラフィックっぽい処理が、いい感じの2ページ目
裏表紙もしゃべってます

楽しそう!

こんなに、宿題って多かったっけ?

 家に帰ると、宿題ですべてが埋まっていく日々。それで、帰宅時にはすでに、気が重そうな日もある。かわいそうになってしまう。

 そんな中、6年生が修学旅行に行ってるかなんだかで、5限で終わって、帰ってきた日があった。いつもより1時間、早い帰宅。 

 宿題がスムーズに終わり、空き時間ができた。しばらく、本を読んだり、テレビを見たりしてたが、夕食を食べた後、「なんか、する?」と聞くと、「本が作りたい」と言いだした。

 そこからは、もう、本当に楽しそうで、ずっと、しゃべりながら、「めっちゃ、いいのが、できちゃった!」と、自画自賛。クリエイティブで、ワクワクした時間が、一緒に過ごせた。

 毎日が、宿題だけで、埋まってしまうのは、こういう「ワクワク」の損失だ。ワクワクの余力が残るぐらいの量が適正量なんじゃないかと思う。

2021年6月24日

前夜祭 Party at the Day before Birthday


バックヤードで、バーベキューとパーティー

今年は、ナノカさんのご希望でシフォンケーキを焼きました

折り紙で飾りつけられた、バックヤード。屋外は、ちょっとした彩りを加えるだけで、明るい気持ちになる。

 誕生日は、ご本人の希望を、聞くようにしている。お友達を呼びたい!と言われたので、誘うと、快諾してもらえた。大好きな人に囲まれて、お誕生日を迎えるのは、ひとつの贅沢だ。

 ケーキも、「これ!」と指定された。焼いたことのないシフォンケーキをオーダーされて、シフォン型まで買いに行った。シフォン型の方が、ケーキより高いじゃないですか、、、

 初めて作るケーキを、人に出さなきゃいけないという苦行。でも、それもこれも、バースデーの魔法のひとつだから、しかたない。

 人の欲望は尽きない。欲しいものをいくら、手に入れても、満たされず、次から次へと、欲しくなる。そんなこともある。

 でも、満たされてる人は、ちょっとした幸せを、おいしそうに、味わって、食べる。なのかは、ケーキをしっかりと等分に切って、分けて、クッキーもしっかり包んで、お友達に分けた。分かち合うと、よりうれしいことを、知っている。

 ちなみに、「これは、誕生日の前日だから、誕生日当日は、特別な夕食が食べたいな!」と言われた。続くんですかい?

 さらに、次の日、「誕生日の翌日だから、花火がしたいな」と言われた。「後夜祭って、いうやつ?」

 バースデーウィーク、長いわ!でも、ロウソクともして、アイス食べたり、花火もしましたよ。

 豪華なご馳走や、高価なプレゼントは差し出すことができない。でも、小さなワガママなら、聞いてあげることができる。大切なのは、「聞いてもらえた」という、満たされた気持ち。世界で一番、しあわせ!て思えること。

  親しい人に、あちこちで祝ってもらい、世界で一番しあわせな女の子であった、数日間。これから1年、まわりに、そのしあわせを分かち合っていっておくれ。

2021年6月22日

与うる人 Giving

 

Nanoka put hint cards for guest to look for the presents玄関の柱に、貼り付けられた、ゲストと両親へのプレゼントのヒントカード

she made books for Mom and Daddy上はママへの、世界のけしきの本 下はパパへの、どんな本が、今のきぶんの本?


So, I did same style to give her present翌日、わたしも、ナノカへのプレゼントを同じように、宝探し方式にしました。答えは、おひな様の箱だったんだけど、難しかったって!

Then I gave her some handmade tickets to do something together.また、チケット乱発しちゃった
 

 ナノカは、誕生日前日、だいすきなお友達一家を、招待した。

 数日前から、誕生日パーソンなのに、プレゼントを配るために、いろいろ準備をしていた。お友達のお母さんとお父さんには、ドライフラワー、お友達には、いろいろ工作するためのセット、私たちには、手作りの本である。

 今年は、家中にプレゼントを隠して、そのヒントをもとに、探してもらう「宝探し」方式だった。

 ナノカは、誕生日には、いつも、私と相方にプレゼントをくれる。かなり幼い頃(4歳とか?)から、なにかしら、用意してくれた。プレゼントをもらう喜びを、他の人にも、分かちあいたくて、始めたんだろう。

 ワガママで、奔放で、気の強い子だけど、持って生まれた、くったくのない、やさしさも、そのまま、持ち続けている。

 どの子も、ギフトを持って、生まれ、人に囲まれ、それを育み、いつしか、与える人間となる。

 エネルギッシュで、パチパチと弾けるように、言葉を紡ぎ、飛び回る、あなたは、ギフト。あなたが、世界になにかを与うるようになるまで、わたし達は、見守り続けたい。

2021年6月19日

10歳のティアラ制作 Tiara for 10 year old birthday

和紙を4等分して、4色に塗る。4 primary colored washi papers.
ヒト型に切る cut out into people
厚紙をこげ茶に塗る thick paper painted over with dark brown

貼り付ける pasted
顔と生き物を描き込む drew faces and other lives

毎年、誕生日には、手作りのティアラを作って、被ります。1歳から続く、わが家の習慣。その時に、好きなもの、興味のあることなど、ナノカの希望を聞いて、作ります。

 今年のテーマは、「ヒト」とのこと。むむむ、、、、最初は、ギリシャ彫刻みたいに、人と人が絡み合って、うねってるやつにしようかと思ったけど、ちょいと気持ち悪くなるかなあ、と思って、このデザインにしました。 

色は、ナノカの希望で、こげ茶をバックに、薄めの色で人を作りました。

 ヒトは、動物と同じで、それぞれ生まれて、それぞれ死んでいきます。だれかが他の人の人生を生きることは、できません。いろいろなことが、それぞれの身に起こっても、それを乗り越えていくのは、結局は、一人一人なのだと思います。

 でも、同時に、ヒトは、社会に生きる動物で、一人では生きられません。 そのことを、とても、強く感じた9歳の1年間でした。

  ナノカは、それをしっかりと受け止めて、自分の身に起きたことは、自分の力で克服し、それでいて、社会の中に生きることを、また選び、戻って行きました。

 このティアラは、一人のヒトとして、社会に生きるヒトとして、じゅうぶん立派にふるまえたことの証明として、被ってもらえたら、と思います。

2021年6月18日

小学生的生活 Busy Girl

 

小学生って、いそがしい。

帰宅は、16時ぐらいだが、プール(始まった!)だの、マット運動だの、実験だの、テストだのして、疲れ切って、帰って来る。

そこから、宿題。ナノカは、まず、おやつを食べて、気分転換に本を読んだり、遊んだりしてからしか宿題をしないので、スタートは17時過ぎになる。

きのうは、算数のプリントを目の前に、グダグダと泣いた。お疲れのご様子。四角を描こうとすると、線がずれると泣く。頭が回らないと泣く。

なんとか、算数プリントを終わらせると、忍たま乱太郎を見る。忍たま乱太郎は、1日の日課だ。 そして、ご飯を食べる。

復活!!!

食べ終わると、倒立回転とやらを、練習したいという。しかたなく、座布団を敷いて、倒立の補助を手伝う。

次に、お風呂に入るために上着を脱ぐと、モダンダンス(らしきもの)を踊り出した。髪の毛をおろして、タンクトップ姿で踊ると、それっぽく見える。

風呂から出てくると、今日の給食が少なかった、という話になった。

わたしが、「誰かが、給食室に忍び込んで、食べてった」というパントマイムを、やって見せると、「すごい!!!わたしも、やる!!!」とパントマイム大会になった。楽しかったようで、かなり、しつこかった。

その後、「こういう猫がいた」と言って、膝に乗っかって、べたべたくっついてきたかと思うと、「中学校3年、高校3年、大学、、、」と数え始めた。「あと、10年ぐらいは、こうやって、甘えてもいいんだよね?」と言う。

20歳の娘が、膝に乗って、甘えるのか、、、ないな。でも、一応、いいんじゃない、と答えておいた。

あと3日で、10歳。10本指で、年齢を数えられるのも、ここまで。

10歳に、何を経験してもらおう。そう思ったら、この年齢で過ごす1年は、今年しかないのだと、実感した。

どんな理論よりも、目の前にいる、君の笑顔。あなたが、また、うれしそうに笑っているから、この生活は、きっと、だいじょうぶ。

2021年6月17日

わたしの正しさ、あなたの正しさ Rights

 

 わたしは、身近な人間が、スーパーパワーを信じ過ぎて、たくさんのものを失ったのを見てきたので、「盲信」に対して、拒否反応がある。

 世の中には、さまざまな価値観があって、絶対的な基準なんてものは、存在しない。どの意見も、見る方向によって、どれも「正しい」。どこの方向から見るか、決めるのは、人それぞれである。 

 ただ、ある人にとって「正し」かったとしても、社会が外に開かれている以上、成り立たなくなるラインがある。大河ドラマで、幕末の話を見ながら、「尊皇攘夷も、どこかの時点までは、正しかったんだなあ」と思った。でも、これだけ、多くの優秀な人間を死なせてしまったのだから、「正しさ」が、どこかで、時代や社会に合わなくなっていたことに、気づくべきだった。盲信するのではなく、話し合い、時代に合わせて改善し、方向転換する勇気が必要だったんだろう。

 閉鎖社会では、「正しさ」は、絶対的な「正しさ」として君臨する。そこに疑問をもつことは、「まちがい」であり、さらに、「悪」「敵」となる。

 国が掲げる「正しさ」が、とんでもない方向に行った時、国という密室の中で、人は逃げ場がない。あるものは罰せられ、あるものは社会的に抹殺され、傷つけあい、結果、そこにいるために、正しくなさそうなものを、無条件に信じるしかなくなる。盲信が、強要された。

 毎日、ドタバタと、怒ったり、泣いたり、笑ったりと、忙しいナノカだが、すべての感情が、お腹の底から出てきて、まっすぐとぶつけられて、チーンと天に上っていく。とても、健康的な毎日だ。そのことは、大切な人間の権利だと思う。 

 子どもの、こうした権利が守られる世の中であって欲しいな、と思う。

2021年6月14日

「いろの きもち」art class-color and emotion

今日は、背景の色によって、絵がどんな印象になるかを、最初に見てもらいました

色の性質の説明も、すこし、しました

さあ、自分も体験してみよう!4歳の女の子は、リンゴを選びました!

元気な丸々で描いたりんご。おいしそうなのは、どれ?
いちご。目立つのは、どれ?
グラフィックっぽいお花も、まったく違う絵になります。

こちらは、さらに、背景を複雑な色を足して、一歩先の表現を探ります

ひよこちゃん。捕食者に見つかりやすいのと、見つかりにくいの。
小鳥も、どれ?左二点は、似てるようで、微妙な色の差で、印象が違いますね。

最初の実験を経て、好きな絵を描きます。最初の実験の効果を、参考に、美しい1枚のぶどうの絵にしました。いろいろな色を使ってるのに、とても静けさもあって、心地よいです。

ピーマンの絵。背景の色選びも、そして、まわりの登場人物も、ハーモニーの中にあって、心地よい空間です。まわりのつぶつぶは、模様なんだって!あった方がいいと思ったんですね。センスがいいですね。
最初の色の実験を丁寧に仕上げた後に、この作品を作りました。いつも、プロジェクトの意味を理解して、たくさんチャレンジをしてくれます。指す色もたくさん使って、和やかな作品になりましたね!

ナノカさんは、自由な感じです。今回は、ノーコメントで。

こちらは、4歳さんの作品。絵の具を使い始めですが、大胆に大きめの紙を使っています。筆に迷いがなくて、おおらかな感じが、とても、ほほえましいです。ちゃんと、ストーリーがあって、お話を教えてくれました。

こちらは、宇宙と心の風景を描いてくれました。心の中を描くという、難しいことにチャレンジしてくれて、とても、ステキだな、と思いました。感性を大事にしてほしいです。

こちらは、蛍光ペンを大きな作品に。背景のグレーが、おもしろいです。彼は静かな作品が多いのですが、これから、たくさんのグレーや、微妙な色の違いなどにも出会っていくといいな、と思いました。真面目さを感じさせる、蛍光ペンっていうモチーフが、逆にユーモアに感じます。

こちらは、最初、なんと「誕生日ケーキ」だったんですよ。ものすごい大胆な衝撃的草間的作品です。色のチョイスも、かっこいい。遊び心を大切に、楽しく、描いていきましょう!

ピーマン、お兄ちゃんの作品。カラフルなピンクや黄色やオレンジの背景を、グレーで押さえ込んで、とても、おもしろい作品にしました。油絵のような、手法です。ボナールみたいな、たくさんの色を感じさせて、なお、調和してる感じですね。また、作品、見たいな。
こちらは、おいしそうなリンゴをしっかり描いて、感じ取ってくれました。今日の気分は、黄色背景のリンゴだそうです。その思いで、最後に自分の木を描いてくれました。リンゴの木の幹には、小さな猫が隠れていて、背景は今日の気分の黄色です。自分の心を絵にできるって、すばらしいです。

こちらは、レインボーを、さらに色とりどりの背景で、描いてくれました。ものすごい、パステルカラーだらけなのに、調和していて、すごいと思いました。特に、すこし濃いピンクの使い方や、やわらかめのグレーの雲などが、アクセントになっていて、絶妙です。

こちらも、初めて来てくれた男の子の作品です。バナナ、3点と、「Banana No.13」です。とても、元気な自由なバナナは、あっちにまがり、こっちにまがり、描くごとに、ものすごく生命力にあふれていきました。また、描きに来てね!

2021年6月11日

「かんころもちと教会の島」 The Island of Kankoromochi and Churches in Nagasaki

 I spent 4 years to make this book, The Island of Kankoromochi and Churches in Nagasaki. 「かんころもちと教会の島」の初校が上がってきました。

Cover 表紙

My daughter also checked it目の肥えた読者による、書評タイム
 

 初めて、かんころ餅のルーツを追って、島に行った時、「これは、どこにもない話だし、これから過疎化で、いつまで同じ風景が見られるか、わからない。絶対、記録に残し、多くの人に知ってもらいたい!」と思いました。4年前のことです。

 わたしは、絶対おもしろいはず、と思ったのですが、最初に出版業界に持ち込んだ時は「地方にある、1つの食べ物の話なんて、全国規模じゃ、取り上げられない」という反応が主流でした。「今、世の中は、一月にあと1万円節約する方法、みたいな現実で役立つ話を求めてるのよ」とも言われました。世知辛い世の中だなあ、と思いました。

 がっかりしていたある日、デザインした、佐世保市図書館の利用者カードのマスコミ向け発表会があり、当時の毎日新聞の佐世保支局長と話すことになりました。支局長は、かんころ餅の話に乗ってきてくれて、「それ、とりあえず、地方版で連載しましょう」と、すぐに企画書を出してくれました。

 連載は決まったものの、単独で、フリーランスの人間が取材をすることは、なかなか、ハードルの高いものでした。島の人も、何してる人かわからないわたしに、警戒心があったと思います。しかし、新聞記事がたまり始めると、「こんな風に、島のこと、書いているんですよ」と理解してもらいやすくなり、人が人を紹介してくれ、いろんな人に会うことができました。

 教会、学校、島留学先、塩づくり、県庁の害獣課、農家、かんころ餅業者さん、移住者さん、修道院、、、

 2年ほどが経ち、記事がたまった頃、もう1度、絵本の企画を持ち込みました。手元にアイデアだけではなく、形となるものがある。そして、たくさんのふしぎとして刊行されることが、決まりました。決まってみると、「たくさんのふしぎ」しかあり得なかったな、と思うほど、ピッタリの読者層、形式の内容です。

 最初は絶望的に見えたものも、1つずつ、小さな結果を積み重ねていくことで、最終目標に到達できるんだということを、自分自身も知ることができました。ちょうど、娘の成長とともに取材をしてきて、娘がたくさんのふしぎの対象年齢の時に、出版されます。昨日は、初校を、厳しい目でチェックしておりました。

 9月号で、8月発売になります。読んでいただけたら、うれしいです。https://www.fukuinkan.co.jp/maga/detail_fushigi/

I heard about the roots of Kankoromochi, the traditional food of Nagasaki, 4 years ago. I visited Goto island to see the culture behind it. The island is the place where the descendant of the Hidden Christian still live and kept the faith.

I just believed that their lives should be recorded since it would change within years. The population of rural islands has declined and some churches would close soon. Kankoromochi is the food that they could survive even under the hardship of prohibition of Christianity.

It was really difficult to find the publisher first. I started writing articles in newspaper once a month and kept visiting to meet people in island and collect the materials, looked up the histories and sometimes experienced the life there. After two years writing, I brought those materials and visit publishers again. One editor decided to publish it.

I really thanks to my husband who support the trip which did not make result until now. 

I hope that it would be published overseas, too. This book is about the freedom of the faith, the strong will of the ordinal human being, and the importance of everyday life happiness.

2021年6月10日

うつくしき伝染 Beauty of influences

 

先日、ナノカに

「ママ、作ってもらいたいものがあるの。ランドセルにつける、小さなカバン。お守りが入るぐらいの大きさの」

という注文を受けた。DVDを見ながら、呼びつけておいて、「お願い!」と言ってくる。「暇そうだし、自分で作ったらいいじゃん」という言葉を飲み込んで、作ってあげることにした。

フェルトを折りたたみ、縫い合わせて、ステッチを入れて、スナップをつけて、紐を縫い付けて、終わり。

「わあ。ママ、ありがとう!」

うれしそうに、ランドセルにつけた。


数日後、1年生のお友達がうちに絵を描きにきた。その間に、せっせと、針仕事をしているナノカ。なにかと思ったら、

「はい。あげる!」

そのお友達に、同じものを作って、プレゼントしたのだ。わたしの作ったものを完全コピーしていて、びっくりした。 


さらに、数日後、その1年生の子の家に行くと、

「これ、娘が作ったのよ。はじめての、縫い物」

フェルトを縫い合わせた、小さなカバンを、ママさんが見せてくれた。一つのカバンが、影響して、増殖していった!

 

よい伝染だ。ほほえましい。

ママがやって Mommy do it! 

 

ここ半年ぐらい、「時間ができたら」やってあげると、保留したものが、数々ある。

最初は、クリスマスに「羊のぬいぐるみを、作ってほしい」と要求してきたのを、「羊、ひきかえ券」を発行したことに始まる。

その後、大混乱の中、絵本の締め切りもズルズルと延びていき、食う、寝る、住む、が確保できたら、オッケーという状態が続いた。

その間、ナノカは、わたしといろいろな事をやりたい気持ちをガマンして、代わりに約束を取り付けていった。

よもぎパン作ろうね。ジャム作ろうね。梅シロップ作ろうね。クッキーを作ろうね。学校の頭巾を作ってね。 新しいシューズバックを作ってね。ワンピース作ってね。

締め切りが終わって、空白の時間が生まれてみると、膨大なto do listを抱えて、何から手をつけていいのか、わからない。

ナノカも、忙しい。家に帰宅すると、宿題に追われる。それでも、宿題が終わると、わたしのところへやってきて、「なんか、しよう」と言ってくる。

「いいよ」「何、したい?」と聞きかえすと、一緒に絵を描きたい、とか、一緒に何か作りたいとか、答える。

「マーマレード、作る約束してたから、一緒に作ろうか」と、誘ったら、

「それは、ママがやるの。ママが約束したんだからっ」と(少々、キレ気味に)断られた。

仕方なく、皮をむいて、仕分けて、切っていると、「やる!」と加わってきた。結局、かなりの作業を、彼女がやってくれた。一緒にやりたいなら、最初から、やればいいのに。

そういえば、テレビの仕事を抱えてた時も、締め切りがしょっちゅうあって、しばしば、ひどい末期状態になった。ギリギリに保育園にお迎えに行って、家に帰ると散らかっていて、そして、ご飯はふりかけとキュウリとかの日もあった。

そういう時、ナノカは、親の切羽詰まった感を感じ取って、不満を言うことは、ほとんどない。

「ママ、おむかえ、最後じゃなかったよ」と言ってくれるほど、やさしい。

一方で、仕事が一段落すると、必ず、保育園を休みたいと言い出した。わたしは言われる通り休ませて、どこかへ連れて行ったり、一緒に何かをしたりした。ナノカは、ガマンが続いた後、埋め合わせられる、という体験を、くり返してきたのだ。

今は、「自分の願いごとを、きちんと聞いて、やってくれる」母を、求めている時期なのかな、と思う。たくさんの要求をしてくるけれど、ひとつひとつ、とても、満足そうに、受け取る。自分のために費やされた時間を、確かめるように。

行動だけを見て、ワガママ、と思うこともあるかもしれない。でも、よく見れば、その前の相当量のガマンが隠れている 。

甘夏は、自家用を譲ってもらった。それを、丁寧に切り分けて、煮こぼして、煮詰めて、、、 マーマレードはなかなか手間がかかる。

でも、途中で、ミカンのすっぱい匂いに包まれたり、ゆでた皮の黄色の美しさがあったり、やった人しか知らない風景がある。ものが作られる風景の中にいる幸せ感は、記憶に残るだろう。

ちいとは、埋め合わせられましたかね?

2021年6月9日

トゲオのその後 Caterpillar now

 

Caterpillar is now chrysalis.

 トゲオのその後だが、あれから、トゲオ1号は、逃亡した。

逃亡の発覚を恐れて、わたしは、学校の植木鉢から一匹もらって、箱に入れた。その日、偶然にも、ナノカが下校中に、小さな幼虫を見つけて、連れて帰ってきた。

結局、わたしは、正直にトゲオが逃亡したこと、よその幼虫を養子にとったことを、伝えた。そいつをトゲオ2号とし、 ナノカの連れ帰った子をトゲヒコと名付けた。

しかし、トゲオ2号の食欲はあまりよくなく、数日後、汁を出して、瀕死の状態になった。わたしは、野生種のスミレでは、彼らを飼いきれないと思い、大家さんの終わりがけのパンジーの鉢に瀕死のトゲオ2号と、トゲヒコを放した。

その時、大家さんの鉢の中に、大きな幼虫を発見。距離から考えると、逃亡したトゲオ1号ではないかと思った。しばらくして、トゲオ1号(らしきもの)は、脇にある枯れ木で、蛹となった。

蛹になった、トゲオ1号は、背中のところに、金色のつぶつぶがある。このまま、羽化が見れるといいなあ。

もともと、娘が学校を移るために引っ越したので、転校した今、ここに住まなければいけない理由はないのだけど、こうして、昆虫だの、植物だのを、積極的じゃなくても、身近に感じられるのは、いいものだなあ、と思う。うちの娘は、自然にどっぷりタイプじゃないので、触れなくなったら、興味を一気に失うと思うからだ。

ここ、しばらくは、家の前で蛍が飛び交って、夜、10分ぐらい、外で過ごすのが日課だった。家の裏の畑も、芽が生えないし、虫の被害にあうし、へこたれるけど、日の光を浴びながら、ボーッと成長を見ていると、心穏やかな気持ちになる。

田舎の暮らしは、自然に近いので、どちらかといえば、経験則にのっとっている。

ここに、これ撒いといたら、ムカデ、こなくなったよ、とか、この時期になると、アリが増えるから、その前に、ゴミ箱移動しておこう、とか。

なので、急に外から見せてもらうと、「なんで?」と思う慣習や、いい加減な対処法があったりする。でも、それが、一番、ここで生きていくには、必要な知識でもある。

そういうのも、詳しく調べていくと、科学的に説明できることがあったりして、興味深いなあ、と思う。

まさに、そういうところを、体験してほしいな、と思う。でも、押し付けることはできない。なんとなーく、目にする現象に、さまざまな意味が付属していて、ヒントがあるだけ。

そういう意味で、土に近い生活は、うちの娘には、いいのだ。ものすごく自然に興味がある子だったら、都会の真ん中に住んでいても、小さな自然現象を見つけるだろうし、土日には熱意を持って、虫網と虫かごを持って、どんな遠方にでも出かけていくだろう。でも、この人は、土から離れたら、本で得た知識だけで、すべての世界を見てしまうだろうから。

小さな視点から、大きな俯瞰図まで、山や海や川や野原は、とにかくダイナミックで美しい。その風景を、まだやわらかい心に映して、これから生きていく糧にしていけるといいなと思う。