2021年1月29日

キミは、うつくしい You're so beautiful

 

夕方、ナノカと、ちょっと腹を割って、話をした。自分の正直な気持ちをしっかり、話してくれた。

それを聞いて、こっちが頭が下がった。年齢や経験値はこっちが上なのに、「師匠」と呼びたくなる。なんて、大人。清廉。公正。

先日、「いじめは、集団の中のすべての人間の心が傷つく」と言った人がいた。

今まで、あれや、これやと、いろんな不条理を経験し、ナノカの心が壊れちゃうんじゃないかと心配もしてきた。でも、どんな時も、ナノカは乗り越えた。もしかして、当事者の方が、しっかりと受け止めた分、傷は見えやすく、その都度、きちんと癒される機会があったけど、傍観者だった場合、傷は見えない分、残ってるのかもしれない。そんな風に考えたことがなかったけど。

世間の不条理が降りかかった時、親は、子の信じる正しさを、しっかり、支えてやる。話を聞いて、抱きしめるだけで済む時もあれば、調べて、その正しさを証明したり、戦う時もあるだろう。親の気持ちでも、所属する社会でもなく、子の心にある「正しさ」を守るため。

ずっと、「ナノカって強いなあ」「すごいなあ、これも乗り越えちゃうんだ」と不思議に思ってきたけど、そのコアにある部分が、自分の正しさへの自信なのだと思うと、なんだか、納得がいった。

とはいえ、こうした気の張った日々は、ストレスが続く。今日は、ふとしたきっかけで、泣き出した。はやく、解放してあげたい。

2021年1月28日

カンコロの島紀行1月 GOTO article

 


12月、かんころ餅つきの取材に、小値賀に行きました。

今思えば、まだ長崎県内の感染者がほとんどなく、県内からならば大丈夫かな、ということでしたが、 それでも、すでにGOTOが廃止になり、一気に人の動きがなくなった時期。受け入れてくださった、まわりの方に、感謝がつきません。

1年にこの時期しかない、かんころ餅つき。行くことができなかったら、来年の12月まで取材ができませんでした。

連載は、今回と次回の2回シリーズにしたので、来月にさらに踏み込んだ話になります。

朝早くからの作業、たくさんの道具の準備と片付けで、大変!と思いましたが、ものすごく楽しい時間でした。

なにがすごいかと言うと、すべての人が、それぞれのポジションで役があり、連携プレーしていくことです。高校生の男子に至るまで、しっかりと役割があるのです。

伝統を通して、人を育てるということを、実感させられる時間でした。

チョロチョロ参加していた子どもが、遊びですこしずつ加わって、途中からは戦力として、すこしずつ仕事を任されて、最終的には担い手になっていく。伝統を受け継ぐことも1つですが、そうやって、社会の担い手として一人前に、成長していくんだな、と思わされました。

何歳から成人だとか、就職したから一人前だとか、そういう議論は、一本線を引いて、「ここから」と決めることですが、本来、人は、時間をかけて、一個ずつ、社会の重さ背負う準備をして、気づかぬうちに、一人でかつげるようになっていくものなのでしょう。

一人のおとな、を育てるために、人間という動物は、こうやって、小さな頃から、一緒に仕事をする。お祭りも、伝統も、家事も、地域の集まりも、掃除も、きっと、そんな事なんじゃないでしょうか。

コロナが、終わったら After the Covit

 


先週、学校帰りにお友達が来て、ゲームをした。「かたろーぐ」だ。勝ち負けもない、お友達のことを、よく知ることができる、しあわせなゲーム。

上から、お友達、ナノカ、わたし、のコロナが終わったら、やりたいこと順位。まだ、コロナ終わってなくて、やれない事ばかりなのに、もうちょっと、がんばりたいな!て思えたね。

ナノカが、なんども読んでいる赤毛のアンのシリーズの、いがらしゆみこ作漫画版を見つけてきて、読んでいた。そして、わたしに言ったこと。

「ナノカも、一生懸命勉強して、奨学金もらって、高校に行きたいな」

胸が詰まる思いがした。

自分の力で、解決できない進路問題に、巻き込んでしまった、、、 わたし達に、文句ひとつ言わない。愚痴も言わない。受け入れるしかない現実に毎日向き合いながら、前向きに生活している。ナノカの日々の心の内を考えると、切ない。

このことが、高等教育になった時に、起こらないよう、アンのように、優秀な生徒を応援する支援が拡充されていくことを、願ってやまない。親の責任と思う人もあるかと思うが、職業がら、思ったように稼げない親もいる。決して、怠慢だけが理由で、経済格差が生まれているわけではない。せめて、子ども世代の教育の機会だけは、救援策があって欲しい。ナノカが、努力し、優秀だった時、そして、親にそれを応援する力が尽きてしまった時、社会がそれを支える制度があって欲しいと思う。

自分にできる「勉強」「努力」で、人生を変えたいと、願うナノカ。勉強する理由が、誰かに勝ちたいでもなければ、褒められたいでもない。まじめで、まっすぐで、しっかりしたあなたなら、本当に、アンのように、しあわせをつかんでいくことでしょう。

2021年1月27日

箱に、四苦八苦 her box design

 

Nanoka designed the box

She was trying to figure out how to put her design on flat paper.

This two sides were unseen when you see from top.

Sides were connected two dogs tied with ribbon.

The box is telling one story.
 先日、ナノカが四苦八苦して、なんとか作った展開図を使って、箱のデザインをすることに。

箱を見ながら、一生懸命、デザイン通りに絵を入れたつもりでしたが、ひっくり返っている場所を発見。パパにお願いして、もう一回、カラーコピーを取ってもらいに行き、最終系までたどり着きました。

この箱のデザインは、ナノカがなくしてしまった、ぬいぐるみの事を物語にしています。ゴミ箱のチャロが、ゴミ収集車に回収される前に、ゴミ袋からハサミで穴を空けて、抜け出して、世界を旅するお話です。

ナノカは、チャロを、いろんな表現にします。そのことで、憤りや悲しさを発散させて、心のバランスを取っているのだろうな、と思います。

人は、物語によって、理屈ではなく、癒されていく。見守っていこうと思います。

I asked Nanoka to make the flat pattern of this box several days ago. She was excited to try, first, but soon she found it difficult. Anyway she completed flat pattern of the box at the end.

Then she started to design the box. She thought it perfect, but when we made color copy and cut and covered the box, she found it wrong. She corrected the mistake and asked daddy to drive to 24 hour store to make another color copy-she was so interested in how it goes when done.

This design was based on story she made. Her twin stuffed animals, Whity and Browny journey. 

Several month ago, she lost one of those stuffed animal in the school. She found her classmates threw out it into trash box saying "Nanoka was disgusting". They still do some harrasments and Nanoka has to bear it at the school.

Nanoka was trying to believe that Browny escaped from trash bag before the trash track picked it and went to world journey. She kept talking this kind of story again and again. How can I stop her? This way she was trying to keep her heart strong.

2021年1月20日

防災のイラスト illustartion for the article about prevention

 


 

東日本大震災10年目の記事の第2回目です。記事は、東日本大震災後に変わった防災のあり方についてで、私のイラストは、スマホを使った防災をテーマにしています。

わたしが、スマホを持っていない、原始人なので、防災アプリなどもちろん使っておらず、資料を読み、調べて、描きました。スマホで、被災者が情報をシェアし合っている様子が、読者である小、中学生に伝わるといいなあ、と思います。

この仕事をしていて、ふと、美大時代にコンセプトの授業で、記事のイラストの課題をやっていた頃のことを思い出しました。

日本のイラストは、イメージをふわっと表現して、スペースを埋めたり、全体で雰囲気を出したりするものが多いのですが、アメリカのイラストレーションの世界は、ビジュアルを使って、コンセプトを端的に表現するものが主となります。

なので、 一瞬で記事の内容が伝わるようなイラストを、記事を読み込んで、頭をひねって、作り出します。アメリカが、ちょっと懐かしくなりました。

声がでかい Loud

 

声楽の先生が、

「人の声は、もともともっと高かったのだけど、現代人は密集して暮らしているので、小さく、こもっている」

と言っていた。野生動物は、警戒音や威嚇音など、相手に伝えるために自然に轟く音を出す。遠くまで伝わる音が、野生の声だ。

ナノカの声は、でかい。だだっぴろい田舎で暮らしてるので、いくら声を出しても、注意されることがないからだろうか。前より、どんどんでかくなっている。野生に近づいてるのだろうか。

家も広いし、隣の家まで(大家さんが住んでいるが)、音が漏れることもないので、夜、大声で歌っても、迷惑をかけることがない。めちゃくちゃなデシベルで歌を歌っている。

うるさいなあ、と思うこともしばしばだが、舞台に出たり、人前で発表する機会もあったりで、しっかり声を出し切るだけの発声も、身についていた方がいいんじゃないかと思い、放ってある。もともと、通る声なので、音量がつくと、「すげえこと」になってる。

一方、人が集まる場所では、声を控えなきゃいけない。電車の中、店の中など、音量は互いの邪魔にならないよう、気をつける。最近では、公園や保育園にも、近隣住民から苦情が来るから、街で大きな声はどこでも迷惑行為あつかい。都会では、声を思いっきり出すことがほとんどないだろうなと思う。

これも、田舎暮らしの産物なのかな、と思う。

2021年1月19日

うつくしい生き物 Beautiful creatures

 

オヤツを用意する女子 girls prepared their snacks.
冬休み、ナノカのお友達が遊びに来ることが、度々あった。

3年生の女の子というのは、自分たちで、ほぼ完結するので、付き添いのように、ボーッとやり取りを眺めていた。

川に行けば、猿のように遊び、おしゃれをし始めると、女子高生のようにうるさい。

でも、夕暮れの川で遊ぶ彼女たちを見ていて、とにかく、こんなに、うつくしい生き物はいないよなあ、と思った。

普段は、一人っ子で、ほとんどのことが、自分のペースでやれてしまうナノカ。それぞれの女の子たちも、それぞれのワガママと、一緒に遊びたいという気持ちの狭間の中で、 主張したり、折れたり、時にケンカして、時に涙を流して、くっついたり、離れたりしながら、共存していた。

わたし自身、仕事柄、一人で過ごすことが多く、自分も、集団の中で、自分の立ち位置を見つけるのがあまり上手ではない。なので、スーッと距離をとってしまうことが多い。

でも、彼らがこうやって、真剣にぶつかって、それでも、スッと仲直りして、一緒に遊んでいる姿を見ると、甘噛みして、キーキー言い合ってる、子猿を見てるようで、「そうか。社会で生きる勉強をしてるんだなあ」と、感心する。 

自分も含め、昨今の大人は、「集団なんて、めんどうくさい。苦手だから。」と、距離を取ってしまいがちだけど、生き物としての人間は、社会性の強い動物で、一人では生きられない。社会に所属して生きているのに、一人で生きているような気分になってるのは、傲慢なんだろうな、と思う。

ナノカは、孤立しがちな、マイペース人間であったけど、小さな単位で見てみると、人と付き合って、しっかりとぶつかって、時に相手を立ててと、そのことを勉強してるんだなあ、と思った。

不器用さや、未熟さも含めて、うつくしいなあ、と思う。

2021年1月18日

はこのデザイン(準備) Box Design

 朝活。ナノカに、箱を一個渡して、展開図にチャレンジしてもらった。

she was trying to understand the construction of the box by herself.
2月のリトルアーティストの「箱のデザイン」のためのサンプルを作る。教室では、こちらで用意した展開図にデザインしてもらう予定。

今朝、ナノカに、展開図を作らせてみた。難しい作業だったよう。大混乱の中、やり切れず、、、途中まで、がんばったんだけどね。(2回目のチャレンジで、ノリシロがなかったことに気づいた所で、涙)

定規を出して、測ったり、直角にしようとしたり、いろいろ、やってたが、30分ほどで、力尽きた。もう少し、根気が持つと、いいんだけど、、、

しかし、ここは、親も根気。やりたい気持ちになるまで、のんびり、構える。また、時間をとって、やってみよう。

今、思い返すと、小さなナノカに、何度か厳しい対応をしたことがあった。

ナノカが、5歳ぐらいの頃、保育園帰りに、傘をうっかりバス停に、置いてきてしまった事がある。夕方の18時、もう一度マンションから30分かかる道のりを歩かせて、取りに行った。帰りはバスに乗るので、合わせて、結局500円近くかかる。私もその道を一緒に歩くから、仕事が終わって疲れた身に、夕方往復1時間のロスはきつかった。

でも、ナノカが自分で、「取りに行く」と答えたのだ。物を大切にすることは、そうやって体を使ってしか覚えられないと思ったので、付き合った。傘をバス停で見つけた時の、ホッとした顔が忘れられない。

世の中、使い捨てられるものがいっぱいある。今、子どもに、ものを大切にすることは、意識しないと、教えられない。

ものには、物語がある。商品として並んでいる時は、値段通りの価値しかなかったものが、人の手に渡り、誰かにプレゼントされ、歴史を紡いで、重みを持つ。普通のコップに見えても、誰かの形見かもしれない。だから、人のものの価値を勝手にジャッジして、ぞんざいに扱ってはいけない。それを、大人がまず、理解してなくて、子どもに伝えられていないなあ、と感じる。

ナノカは、ものを大切にする子に育った。やらせた時は、自分は鬼のようだと思ったけど、あの時、取りに行く選択をして、本当によかったと思う。

話がずれた。

子どもが、習慣を身につけていくには、時間と手間がかかる。それに親も付き合わなきゃいけないなあ、という話。

「根性なし!」て、叱っても、効果ゼロだろう。最後までやり切って、達成感を味わう経験の長さを、少しずつ、延ばしていくしかない。

2021年1月16日

だいほん! Play writing

 

She was writing the scenario for short play for music concert. ナノカは、子ども劇場の芝居小屋のために脚本を書いています。
 

先日、読んだ本に、「学校には、期待しすぎない」と書いてありました。学校が基本的なことを教えてくれることに、感謝する。子どもの教養は、親がベースを作ってやるものなのだと、考えたほうがいいと。

ナノカが育つにつれ、親が教育を担当することを重荷に感じてましたが、ちょっと反省。もう少し、がんばろうと思いました。自分も、また、体験し直し、勉強し直しと思えば、まだまだ、やれるのでしょう。

さて、そんな事もあり、演劇大好きなナノカのしたいこと、「脚本を書く」に付き合っています。子ども劇場の芝居小屋でやる、ミュージカル寸劇。サウンドオブミュージックをやります。その台本を、ナノカと私で担当します。

大筋は、話し合いで決まっているのですが、それを、ナノカがノートに書き出し、パソコンで原稿に起こしました。それをベースに、わたしが、直して、仕上げるつもりです。

文章を書くこと、議論すること、演じること、役割分担をすることを、もっと教育に取り入れるべきだ!と思ってましたが、今の学校現場では難しいのも理解できます。だとすると、できる場所を探し、やりたい仲間と集い、時に専門家に相談しながら、親が並走して、走っていくしかないのかもしれません。

考えてみたら、一生、シナリオを書くことなどない人も多いでしょう。でも、いろんな文章があり、文化があり、表現があり、可能性があり、、、何かをちょっと説明するときに、劇にすることで、伝わりやすくなるかもしれません。深い理解を得るために、役を演じさせたら、もっと他人の気持ちを実感できるかもしれません。「観る」から、「演じる」につながり、さらに、「創る」に発展していく。そして、また「観る」のが楽しくなる。そんなループが浸透していったら、楽しい社会になりそうです。

間違っていても、たいしたものができなくても、最初の一歩は、なんだっていいでしょう。いろんな表現と出会って、言葉、音、表情、動きを駆使して、伝える手段となっていく。

いつか、あなたが伝えたいことができた時、これも、また、1つの手段となるといいね。

2021年1月15日

レオさんのオードブル Take out French

 


本日、千綿のリトルレオさんのオードブル(2人前)を、テイクアウトしてきました!

ずっしりと重く入ったパッケージを、家に帰ってから、ナノカが3等分にしました。お店で出てくる時は、かっこよく盛り付けられていますが、素人なりに、ナノカも一生懸命、盛り付けてくれました。

さすが、フランスで修行してきた、シェフの作った料理。「家じゃ、出てこない味」です。 こうした味を、子どもの頃に、ちゃんと舌で経験しておいてもらいたいな、と思います。

新型コロナウィルス感染症が、拡がって、飲食店、酒屋さん、居酒屋さん、カフェ、どこも一気に人が入らなくなり、深刻な状況になっています。

わたしのような自由業者も、不要不急のところで仕事をしているので、こうなってからの仕事減、収入減は避けられませんが、ありがたいことに相方が勤め人なので、今すぐ食べていけなくなるまではいきません。でも、お店をしている人たち、夫婦で自営業の人などは、一気に波をかぶることになります。急激な変化に、個々で対応するのは、難しい。こっちで、こんなのやってるよ!これ、利用できるよ!と声をかけ合っていきたいですね。

テイクアウトや、家族単位での利用など、美味しいものを頂きながら、みんなで支え合って、この時代を、乗り越えたいです。

ちなみに、レオさんのオードブル、2人前2200円、4人前4400円があります。また、大村のワイン屋さんでも、毎週末、買えるようですよー。

2021年1月14日

 オンライン「いろいろ」 Online Art Class

 長崎県でもコロナの感染者数が増えてきて、活動に制限がではじめた連休中日。オンラインで色の講座をやりました。

当日、体調を崩して参加できなかった家族もいて、3組だけでしたが、どちらも、しっかり集中して、色を混ぜてくれてました。

レモン、にんじん、白菜の色を探しました。丁寧に色を混ぜて、できあがった色は、とてもやわらかく、あたたかい色。定規を使って線を引いた、美しい木のデザインに、その色をチャk食しました。とても、やさしいデザイン画です。

家族3人で取り組んでくれました。上から、お兄ちゃん、弟君、お母さんです。お兄ちゃんの色は爬虫類の戦っているページから。一見黒に見える濃い緑や茶を、しっかり絵の具で作り出しました。きっと、目がいいんですね!そして、この愛らしい犬と星のデザイン画。犬の顔を薄めの色に切り替えたセンスも、スバラシイです。弟君は、さまざまな種類の青を混色しました。色のラインナップが外国の香りがします。9色も見つけてくれた意欲もスバラシイ。そして、江戸の粋みたいな色を見つけてくれたお母さん。それを使った「文字」のデザイン。いずれも、楽しさが伝わってきて、嬉しくなります。


こちらは、大人の方がご参加。果物を使って作った色を、幾何学模様にデザイン。そして、そこで息子くんがコラボしてくれたそうです。自然にある色は、鮮やかに見えても、意外に色が混色していて、作ってみると、発見がありますよね。

また、自粛期間が始まりました。いろんなイベントはなくなり、娯楽も制限がかかります。

オンラインの講座、すこし、増やそうかと思っています。色の講座も、病欠があったので、近々、もう1回、できたらなと思います。

2021年1月12日

体験をどうするか How to go through

 

左から、相方のおかず椀、私の一輪挿し、ナノカのマグカップ Left:Husband Center:Mine Right:Nanoka
 

長崎もコロナ感染症が拡がってきて、かなり、行動が制限されることとなった。

ナノカの学校は、休校となった。

ナノカの演劇さーくるは、1月中は活動停止になった。今後、さらに休止される活動も増えていくだろう。

他の文化施設が、軒並み、公演を中止する中で、早い時期から、ミュージカルも、バレエも公演したアルカス。ナノカの演劇サークルも、リモートや、延期を繰り返しながら、やれる時期には新しい生活習慣に則って、活動し、11月には、舞台に出ることもできた。その間、ナノカが得られた「体験」は、この年齢でしか得られない、今を、しっかりと支えてくれた。ただただ、感謝しかない。

リスクが伴う活動で、中止するべきものもある。でも、この形式なら、安全が確保出来る、という活動もある。 前の経験から、家で閉じこもって、一律、活動を休止してしまうのは、違うかな、と思う。

一方、「コロナは 、まったく問題ない」という考えの人もいる。なにを信じるかはそれぞれの自由なのだけど、集団活動をするとなったら、一定のルールを想定しないと、成り立たない。演劇さーくるが、活動を続けられたのは、検温して、消毒して、フェイスガードをして、一定の距離を保って、換気に気をつけてを、すべての人がしたからだ。自分は、かかっても大丈夫、という信条でも、それは、施設や、他の参加者、そしてその家族や職場の人の生活とつながってることを考えたら、ひとりの考えでは動けない。85歳の高齢の参加者がいる。施設で働いている仲間がいる。世のすべてが、自分が感染するのが怖くてマスクをしている訳ではない。従業員の生活を守るため、家族の活動を守るため、など、それぞれ様々な理由で、ルールができて、守られている。

活動を可能にするのは、結局、違う立場の人への思いやりなのかな、と思う。

わたしも、先月、離島にかんころ餅の取材に行ってきたが、今思うと、長崎県に感染拡大する前の、ギリギリの取材だった。関係者の方々が、受け入れてくれた事、感謝するしかない。この時期を逃していたら、1年後まで、取材ができなくて、絵本に実在の体験を書くことができなかった。

さて、まだ、活動がしやすかった頃に、家族で、ろくろ体験をした。ナノカだけ、ダントツにうまかった。「力の抜き方がうまい」と褒められて、嬉しそうだった。現実の体験から、知る感覚は、無限大。

しばらく我慢の時期がやってきたが、できることを、見極めながら、体験を提供し続けていけたらな、と思う。

2021年1月8日

新しいリュック New Backpack

 ナノカは、リュックサックで学校に通っているが、学校で背負いっぱなしのこともあり、新しいものが欲しくなったようだ。

サンタさんに頼むか迷っていたが、最終的に、色鉛筆を選んだため、「次は、誕生日かあ、、、」と残念そう。現在使っているリュックサックは、3歳から使っているもので、ボロボロ。買ってあげたいな、、、と思うものの、逆に、最後まで色鉛筆と迷った気持ちを尊重するなら、自力で手に入れさせてやりたい。

そこで、わたしから、提案。「冬休み中、お皿洗いをしてくれたら、5000円あげよう。5000円あったら、好きなリュックサック、買えると思うよ。」

お皿洗いを毎回するのは、ちょっと、面倒。少し迷っていたけど、やる決心をしたナノカ。お出かけしたり、寝た後に出た食器類、友達が泊まりに来た時などの例外を除き、皿洗いをせっせと続けた。

5000円という値段設定は、妥当かな、と思った。お手伝い10円、みたいなケースもあるけれど、労働条件として、世の中的には、ちょっと搾取でもある。10日間ぐらい働いてくれたとして、1日500円也。1日3食オヤツ分の皿洗いをするなら、これぐらい、もらって普通かなと。社会で、労働して、自分のものを手に入れていく参考にしてもらうためにも、妥当な金銭感覚でいきたい。

立派に、皿洗いを(1枚犠牲にしながらも)続けてきたので、リュックサックを注文することにした。ナノカの選んだのは、ネイビー。そして、白で、わたしに絵を描いてもらったものがいいと言う。

好きな動物を、図鑑を見ながら、注文 Nanoka got new backpack by washing dishes during holidays.

ハクトウワシ、ニホンオオカミ、ユキヒョウShe ordered me to draw several animals

そして、ヒトand  human being.

これは、3歳の時から使ってたもの old one-she had used it since she was three.
めずらしく、ナノカが、「このこと、ブログにアップしてくれ」と言ってきた。「そうじゃないと、ナノカがねだって、リュックサックを買ってもらったと、思われるし。」と言う。自分の力で、リュックサックを手に入れたことは、やっぱり、誇りなんだな、と思った。

2021年1月7日

東日本大震災10年 Earthquake 10th year Article illustraion

東日本大震災から、もうすぐ10年という節目になります。

そのことを、記憶していない、経験していない、子ども達にも、わかりやすく一緒に考えてもらおうという連載が、毎日新聞で始まりました。第1回は、1月4日づけでした。

この連載で、イメージイラストを描かせてもらっています。重い内容も含まれるため、親しみやすいよう、それでいて、雰囲気を崩さぬようにしています。

わたしは、横浜で3.11を迎えました。当時、お腹の中にいた娘は、9歳になりました。

出産後、相方の転勤に伴い、九州に引っ越したため、東日本大震災は、遠くなりました。やはり、距離というのは大きいなあと、感じます。

相方の実家は、仙台市にあります。大震災後に訪れた時には、とんでもない所に漁船が乗り上げたままになっていたり、空洞になった家が、たくさん、残されていました。

それから数年後に訪れた時には、廃墟は撤去されていました。港湾部には、巨大なショッピングモールが建設され、復興資金が投入されて、道は立派になり、堤防が新たに作られ、盛り土された土地があり、活気があるようにも見えました。

一方、沿岸沿いの平野は、片付けられたものの、がらんと、手つかずのまま。一度、津波が襲った地区を、どう開発していくか、難しい課題が残ったままなのでしょう。

ひとつの事柄を、「○○年、○○地方で、○○が起きた」では、語れません。その後、人は、再び街を築き、さまざまな問題を抱えながら、今を生きていく。

この連載では、子どもが理解しやすいよう、社会的側面、数学的側面、理科的側面、国語的側面、というように、教科ごとに2回ずつ、特集を組んでいきます。

大震災後に生まれた娘。連載と一緒に、わたしも、学びなおせたらいいな、と思います。

としあけて、うしクッキー Cow Cookies for New Year

わたしが、仕事や作業を抱えている間に、クッキーを作ってくれました。最後の破片を使って、二人で、牛のクッキーを作りました。めっちゃ、味わいのある顔になった。

右:わたし 左:ナノカ 作の牛クッキー Right Me, Left Nanoka

クッキー、ほぼ、一人で全部の工程をやれるようになりました。She now can do all the process making cookies.

カンコロ紀行12月 Goto Article Dec issue

 


アップが遅くなりました。12月27日付の毎日新聞の記事です。

潜伏キリシタンとかんころ餅の背景を取材を始めた頃から、わが家は、クリスマスイブに、ミサに参列させてもらうようになり、「この日は、喜びの日であり、平和を祈る日なんだなあ」と 知ることになりました。

ミサでは、 司祭からのお話があるのですが、東日本大震災のボランティアに行った時の話だったり、ご自身の幼少期の部活の話だったり、身近な経験に照らし合わせて、聖書のお話がなされることが多いです。

クリスマスミサでは、その話は、だいたい、世界平和への祈りにつながっています。たとえ信徒でなくても、心に響くところがあり、清廉な気持ちになります。

これは、仏教のお話を聞く時でも、同じように思います。信仰する、ということは、1つの宗教、信条を選ぶことなのかもしれませんが、宗教は、その指針に従って、自らを省みたり、人や社会のことを思いやったりする機会をもらい、人間が集団生活をしていくのを助けてきたのかな、と感じます。

若い頃、キリスト教の「わたしは、罪を犯しました」「お赦しください」という大前提を、どうしても、理解できませんでした。なぜ、最初から、謝らないといけないのだろう、と疑問に思ったものです。

でも、今、ミサに参列させてもらう機会があるようになり、その後に続く「わたしも、人を赦します」の一言に、大きな意味を感じるようになりました。

誰もが、簡単に世の中に発信できる時代。強い言葉で、自分の思う正義をうたい、それを信じる者同士で集まり、それ以外を攻撃する。簡単に対立してしまうことが、増えました。

「わたしは、たびたび、間違いを起こす」と認めて、「人を、赦す」と宣言するのは、さまざまな違った人種、意見、考えと共存する知恵であったのではないかと、思うのです。わたしの勝手な解釈ですが。

この時代、クリスマスの平和の祈りについて、どうしても書きたいと思い、記事にしました。なにか、伝わるところがあればいいなあ、と思うばかりです。

2021年1月6日

サンタさん、ありがとう Christmas present from Santa

2020年のクリスマス。ナノカは、何をサンタさんに頼むか、悩んでいた。南京錠とか、リュックサックとか、鍵付き手帳とか。悩むということは、あんまり、欲しいものがない、物欲が満たされた状態なのかな、 とも思える。

最終的には、50色の色鉛筆が欲しい、とサンタさんに手紙を書いた。私が、100色の高級色鉛筆を持っていて、頼めば使わせてもらえるが、扱い方に口うるさいから、自分が自由に使えるのが欲しかったようだ。また、学校に持っていける、リュックに入る大きさとして、50色指定をしていた。

サンタさんは、悩んだことだろう。

学校に持っていくのは、トラブルの元。また、色鉛筆の品質も、ピンキリ。私が使っているのは、1本300円越えのファーバーカステルの油性色鉛筆だが、大人になってから思い切って購入したもので、芯が折れるし、子どもには高価すぎる。他に、NHKのテレビの仕事をした時は、発色の良いプリズムカラーを使っていたが、多少、折れやすい気がする。

結局、サンタは、学校に持って行きにくい大きさの72色の、三菱uniを選択した。バランスの良い、柔らかさ、発色、値段、そして、このように、並べて、色を選べることから、デザインをするのに、ちょうどいい。

サンタが、ナノカにくれたもの。72色の色鉛筆。She got 72 color pencil of Mitsubishi Uni.

小さな頃は、クリスマスのプレゼントも、私から、パパから、それぞれ、いろいろ詰め合わせて、本や、手芸道具など、いろいろ、贈ってきた。しかし、今年は、一緒に、手芸洋品店に行って、欲しい色の糸を選ばせて、買うことになった。「自分で選ぶ」が、必要だったから。

大きくなるということは、日常の中に、実用的に欲しいものが増えること。そして、あれが欲しい!という、オモチャへの憧れが落ち着いていくことなんだなあ、と思った。「お人形!」と言ってた、数年前が、貴重な、のんびりした時代だったんだなあ、と思う。

そして、ナノカは、「サンタさんに頼むもの」から漏れた、リュックサックを手に入れるために、冬休み中、皿を洗ったら、5000円を渡す契約をした。せっせと、毎日、皿を洗ってくれる。ネットで、好きなリュックサックを選んで、注文した。こうして、少しずつ、自分の力で、ものを手に入れられるようになり、サンタさんは、段々と役目を終わらせるんだな、と思った。

年始め、牛を描いてます。She drew cows.

2021年1月5日

2021年 お飾りづくり New Year Decorations

今年のお飾り。しめ繩部分は、ナノカが作ってくれた。Our Shimenawa-welcoming year god.
うらじろ、を折り紙で作成中 trying to make glass of paper.
私の作った、うらじろと、梅が、ちょっとクリスマスっぽい、、、a bit Christmas?
相方は、どうやら、図鑑を見たよう。性格が出る。Husband used reference for making.

 

相方うらじろは、鏡餅のところへ They decorated the mochi decoration.

帰省するつもりでいた、年末年始。しかし、刻々と、事態が変わっていき、帰省断念。お正月休みは、とりあえず掃除と片付けをした。なにせ、バタバタした一年だったから、それでも、片付けきれないけれど。

そして最後に、お正月を迎えるために、お飾りづくりをすることに。

乾燥した古い藁を、水に濡らして、ねじって、ナノカが二つのしめ縄を作ってくれた。しかし、取り掛かったのが31日夕刻だったため、暗くなって、うらじろを探しに行くのが難しい。

そこで、かざりは、すべて、手作りすることにした。暮れも押し迫って、テーブルに折り紙を並べて、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤する家族。そういや、去年も、こんなこと、してたっけ。

とにかく、混乱した1年だった。

対応しようと、がんばってみたが、それが続くうちに、ほころびが出てくる。アテにしていたことが、消えてなくなる。多くの人の身に起きているのだと、耐える。そうしているうちに、1年が過ぎた。

休校期間、いい時間を一緒に過ごそう、「これも、よかったね」と思えるような日々にしようと、娘に付き合った。充実した日々だったと思いながらも、その時に出た負担は、1年間響いた。子の成長は、社会に委ねたいと思い始めていたお年頃だったので、家庭になだれ込んできた、成長への責任が重く感じた。

今でも、ナノカが、「これ、一緒にしよう」と言うと、負担に感じてしまう。それは、自分の時間が常に、圧迫された状態で、余裕がないからなのか。

経済的な問題も抱えているから、お金も時間も、余裕がない。これが、続くのは、子の心にも、よくないだろう。ずっと、それを考えながらの、2020年が過ぎた(他にも、いろんなことが、あったけど)

お正月中、これからを、どうやって、捉えていったらいいか、ぼんやり考えていた。

変化しないといけないとしたら、不本意に、受け入れて、前に進みたくない。これが、ベストの選択肢だと信じて、進んでいきたい。成長をサポートできるよう、どうしたらいいのか。すこし、考えることができた。

たとえ、がっくりすることが起きたとしても、その道を歩くしかないのなら、落ち込むのではなく、ご機嫌で歩いていきたい。家族揃って、楽しく、歌を歌って、笑いながら。そのために、深呼吸をする。

 「これ、一緒にしよう」「やろう、やろう!」と言える母でありたい。そのために、心を立て直して、また、1年を始めよう。