2021年12月22日

カンコロの島紀行「兵庫県でも、かんころチャレンジ」Goto Article December issue

 



こちらは、12月号の記事です。

 11月末に訪れた、兵庫県、西宮公同幼稚園のことを書きました。なんと、長崎ではない土地で、かんころ餅にチャレンジしていらっしゃいました。 

 最近、教育(保育)の現場と、広告や SNSのこと、スマホやインターネットと脳科学のことなどについて、本を読んだり、一人で、もんもんと考え込んでいました。

 先月の「えん」もそうですが、現場に行って、「ああ、自分たちの信じるところを、日々の積み重ねで、実践してるんだな」と感じる場所があります。この公同幼稚園もそうでした。

 一方で、パッケージが立派だけど、果たして、中身はどうなんだろう、と思うことが増えました。立派なラベルが貼ってあって、「みんなが、いいって騒いでいる」というもので、しっくり来ないことが、多々、あるのです。

  以前、大手広告業界の人が、「俺らが、文化を作っている」と言ったことがありました。「中身は、正直、なんでもいいんだ。それを文化に仕立て上げるんだ」と。正直な人だと思いました。でも、それは、広告の思い上がりだな、と思いました。本来、中身を最大限に知らしめるために、パッケージが存在する。わたしは、文化は、中身そのものだと信じていたからです。ただ、広告に文化を作り出してしまうほどの力があることは、事実なのでしょう。

 ネット社会になって、パッケージが文化を先取りする、という考え方は、より進んで行ってしまった気がします。中身を見る力がないと、パッケージに振り回されてしまう。自分はそうなりたくないけど、どうなんだろう。そして、社会が振り回されているところを見るだけでも、疲れてしまいます。

 自分が、この手のことに、神経質なのかもしれません。でも、違和感だけは、どうしても、ぬぐいようがない。そんな中、ただ、信じるところを実践し、日々を重ねる人たちに出会うと、深い尊敬を感じます。

 現実の体験は、まぎれもない本物です。

 たくさん、歩いたこと。そして、足が痛くなったこと。歩いてない子は、知らないことです。

 ケンカして、悲しかったこと。こらえて、謝ることができたこと。ホッとした気持ち。すべて、本人がたどって、初めて、感じることができます。

 手間をかけて、試行錯誤して、その中で食べ物に対して生まれる敬意。

 日々を重ねる人々に会い、自分もまた、大切なものを、見失わないよう、また、日々を重ねていきたいと思わせてもらえました。

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