2020年8月28日

キリンがくる! She tried to make legendary animal

夏休みの最後の週、宿題がないナノカは、溜め込んだものがなかったが、わたしは仕事を溜め込んでいた。

かなり邪険に扱って、数日を過ごし、一区切りがついた昼下がり、伸びをしながら見渡すと、部屋の角に、「わたしは、平気よ」という顔をして本を読み続ける、不憫な娘を見つけた。

「なにか、したいことはある?」と聞くと、「工作がしたい」と答えた。

話し合いの結果、紙粘土で何かを作って、色を塗ることが決まった。なに、作る?「うーん、じゃあ、麒麟!」

「麒麟がくる」 は現在、絶賛、撮影中で、放送が止まっているが、首を長くして待っている人も多いのではないだろうか。ナノカも、その一人だ。

作っていた「キリン」は、平安の世をもたらす「麒麟」の方だったのだが、ナノカのキリンはに、首が長くなってしまった。(左がナノカ)

これは筒や新聞紙などを芯にして作ったベースで、ここに紙粘土を貼っていく。

こちらは、設計図。想像上の動物とは、なんとも、いい味わいを出す。

ナノカは、じぶんの作ったものに、すぐ魂を吹き込んでしまうので、この未完成のハリボテを「かわいい」と抱きしめていた。

そういえば、先日、友達と車に同乗し、ごっこ遊びをはじめた。友達はぬいぐるみを持ってきていたが、ナノカは持ってきてない。すると、ハンドタオルの一部を紐で縛り、「アノコ」という名前をつけて、対等に、ごっこ遊びに加わっていった。一瞬にして、タオルに心が宿り、アノコは個となった。

完成品でなくとも、想像力でいくらでも、羽ばたける。むしろ、もっと自由に、軽やかに。 人の想像力は、すごい。

同時に、こわい。なにも、ない所に、悪や災を作り出してしまうこともある。

不透明な時代に、想像でなにかを生むのだとしたら、「希望」につながっていたい。そんな願いが、かつて「アマビエ」を作り出し、「麒麟」の伝説を生んだのだろう。

2020年8月24日

夏休みのさいごに Last part of the vacation

 夏休みが終わった。

そもそも長い休校の後で、ご本人が「まったくの自由な時間」を欲してなかったし、私も仕事等を溜め込んでいたため、「ヤッター」というスタートではなかったけど、マイペースな御仁なので、ちゃんと楽しそうに過ごしていた。

なにより、図書館と家の前の川がありがたかった。 

50冊まで借りられるというツワモノの図書館ができたおかげで、次々に読破するナノカ。夏の間に、実際に50冊借りた時もあった(私たちの移動風景は、ほぼ本泥棒)。ナノカの夏の間に読んだ本は、ゆうに100冊は超えていて、もしかしたら200冊近いかもしれない。

ひとりで本を読んでくれるのは助かるが、本に没頭して、活動しなくなるのは心配。外に連れ出すのが、私の役目かなと思い、この状況下でも参加できる活動には、参加した。

川の水質調査に参加

水質は「とてもきれい」でした。

わたしは、専門家の専門的なアプローチが好きだ。水質調査を体験させてもらって感じたのは、川1つの実態を調査するために、ツナギを着て1日中水に浸かって、魚を捕獲して、数を数えて、毎年の記録を残していく、という地道な作業の意味だ。

そうした積み重ねによる定点観測、科学的に考察されてできた指標、そうして集められたデータが、正確に近い「実態」を表してくれて、初めて、客観的な議論を可能にする。

最近、メディアのこと、ネットのこと、考えさせられる。よい状況ではないと思う。あまりに一方的な議論が多い。確証がないのに自信を持って言い切る。そうした、わかりやすさに人は魅力を感じるのか、反響が大きい。一瞬の感情で反応する。そこに大きなうねりができて、混乱や分断が起こる。でも、なんの責任も取らない。曲がりなりにも、名前を載せて、文章を書く身としては、そういうスタンスに、耳を傾ける気分にはなれない。

もっと専門家の意見が聞きたい。そう思って、本を買った。経済学者、感染症学者、社会学等、それぞれの立場で語られる。彼らは、研究を積み重ねる中で、必ず反対側の立場からの視点も、検証する。もちろん、最終的な結論には偏りが生じる事もあるし、間違いもあるだろう。でも、とにかくそういうアプローチが、今は大切だと感じる。 

ナノカに専門家のかっこよさを知って欲しい。しっかりと考察する、骨太の立体的な論理を読み取れるようになって、ニセモノ議論に惑わされないでほしい。

ナノカがいま興味があるのは黒曜石だ。縄文時代にはまって以来、郷土資料館などでも、土器や矢じりやに釘付けになっていたが、ここに来て、黒曜石そのものにロマンを感じ始めたようだ。そして、どこで仕入れた情報なのか、黒曜石の加工方法も知っていた。骨などを使って、割るのだそうだ。

やってみたい。そこで、近所で拾った黒い石を、必死で磨いてみる。しかし、(当然)黒曜石ではなかったようで、机の上にゴロンと放置されていた。

面倒くさいが、黒曜石の取れる所に行って、黒曜石を加工させてやろうと思った。小さな研究者を、尊重したいと思う。

2020年8月19日

新しい生活様式と新しいテント Camping at the new tent

 

老朽化した2人用テントから、3人用テントに買い替え。New tent
距離は十分とれる We had enough social distance to do camping.
韓国岳から降りてきて、キャンプ場でテントを張った。

えびの高原キャンプ場で貼るつもりだったけど、当日、閉鎖していたので、霧島国民静養村のキャンプ場に切り替えた。

帰省はどうなのか、県外への旅行はどうなのか、Gotoキャンペーンやっちゃうの?いやいや経済死んじゃうよ、コロナはただの風邪、などなど、ネットも巷も「意見」で溢れている。

でも、どれも「科学的根拠」や「データ」が伴う「結論」には至っていないから、どれが正しいなんて言い切れない。それぞれ判断が違ってくる。

学校も会社も行けなくなるし、周りにも影響があり過ぎるから、感染したくない。でも、家に閉じこもっていては、ここから2年間の成長と経験が制限される。わが家は、考えた末、「新しい生活様式」に乗っ取って、「安全対策」を取って、活動をしていこうという事にした。

このご時世に、ナノカは5日間の短期プール教室に通い、完全カナヅチを卒業した。スイミング教室は、バスでのマスク着用、着替え室の時間制限、消毒など、対策をして営業している。そこに許可も降りている。それを、「安全」と捉えることにした。

キャンプ場にも、検温とアンケート記入があった。テントを張ってみて、むしろ、活動の中で、一番リスクが低いように感じた。気をつけなければいけないのは数点。トイレと炊事場などの共有スペース。手洗いを徹底することで、リスクはゼロに近づく。

連休中には、「いのちでんでんこ」というミュージカルを観に行った。席は半分に絞られ、検温とマスク着用義務があった。ミュージカルを観る喜び、感動、そして演じる喜びを役者さんからも感じた。対策を立てて、開催してくれたアルカスに感謝するばかり。

わたしが思うのは、「まだ、わからない」ということだ。

だから、じぶんが「正しい」わけでもないし、だれかが「まちがっている」わけでもない。もしかしたら、あの極端な意見が、最終的には正しい、なんてこともあり得る。でも、今の時点では、それを振り回すことは、社会に不信感と混乱を起こすこと。あとで、「正しかった」と威張ることもないと思う。だれもが、予想することはできるが、結末に責任は取れない。収束までのプロセスを平穏に、みんなと過ごしていきたい。

朝、アカショウビンの鳴き声を聞くことができた。だれかが、鳴きまねしたんじゃないの?というぐらい、きれいに聞こえた。この森のどこかに、赤い、美しい鳥がいるんだなあ。

2020年8月18日

やっぱり、山があるから We climbed up the mountain because...

 


毎年、夏には、山に登る。

ナノカが5歳の時から、法華院温泉にテントを張って、1泊、2泊するのがお盆休みの定番。しかし今年は、7月の豪雨で法華院山荘のキャビンが流され、登山道もかなり崩れたところがあるとの事。
毎年、たくさんの思い出を作ってくれた山が、そんな事になっているなんて、、、
心を痛めると同時に、今年は諦めるものだと思っていたら、相方が、霧島の「韓国岳」という選択肢を持ち出してきた。
 
後半は低木で、お日様が照りつける登山道と聞いて、なえる心。
また、九州に忍びよる、コロナの影。

家族でさんざん話し合ったが、相方の意思は固く、山岳協会の自粛要請が解除されているのを確認して、登ることとなった。
 
登山中は、三密にはならない。
むしろ、登山中に救助されるような事になって、その人が感染陽性者だった場合、機能が麻痺して地元に迷惑をかける、といったことが問題となる。なので、安全第一、ルールを守って、マナーを守って、をいつも以上に気をつける。
 
そういう緊張感は、あったけれど、登って、よかったと思った。
 
登っている途中は一切、見えなかったのに、登りきると新燃岳が眼前に現れた。現在進行形で活動中の山は、まるごと自分は火山だと見せつけていた。
他にも、いくつもの火口池が見えた。地球の活動のお手本みたいな景色だった。先日、雲仙の博物館で火山の展示を見たナノカには、興味深かったのではないだろうか。
 
さて、山登りをすると、地上では挑戦することのない、体力のボーダーラインに近い所まで体を酷使することになる。
行きは元気だったナノカの顔も、下りも半分を過ぎたあたりから、無表情になる。毎年、この顔を見る。それでも、結局、自分の足と気持ちで、最後まで歩かないといけない。
 
思いっきり体を動かすことが、贅沢となってしまった、今の時代。
無表情になる程、体力を使わせてやれたのも、贅沢かな。

2020年8月3日

させぼ通信さん、mantoさんと コラボエコバック Eco bag project

ポリエチレンの袋が有料化された。

「実はプラスチック削減にならないよ」とか、賛否両論も出てきたが、海や山で、飛ばされちゃったうっかりゴミを含めた、様々なビニル袋ゴミを見てきた者としては、「これで啓蒙されて、ゴミが減ればいいなあ」と思っている。

そんな中、させぼ通信さんと、Mantoさんのコラボ企画で、エコバックを作ることになり、参加アーティストとして、誘ってもらった。
わたし自身も、度々、エコバック持参を忘れてしまい、ちょうどいいサイズのものがあったらいいのにな、と思ってたところだった。

引き受けてみて、感じたのだが、「させぼ」というイメージは、人によって、違う。
当たり前だが、自分にとっての「させぼ」と、他の人にとっての「させぼ」は違うのだ。
わたしにとっては、娘の幼少期を過ごした街なので、その「思い出」を絵にしたいと考えた。

しかし、まずネックになったのは、エコバックは、濃い下地に白抜きになること。
子どもの表情が、黒線で描かれる場合とは、雰囲気が異なることから、断念した。
黒地に白になることを考慮したデザインを中心に考え直した。
黒布に白で描いてみた。九十九島チョウチョだ。
しかし、チョウチョって、させぼってイメージじゃないよね、の意見もあり、クラゲとか、植物とか、どうですか?と提案される。
クラゲかあ。確かに、海きららのクラゲ館は、きれいだ。そして、海に行くと出会うクラゲちゃんたち(いや、これはポジティブな出会いじゃないか)。
なにはともあれ、クラゲの絵柄にチャレンジ。ミズクラゲという、ヒレヒレのついたクラゲをモデルに、佐世保の花、かのこゆりを模様に入れてみた。
すこしファンシーな仕上がりになったが、たしかに、プラスチック削減で救いたいのは、美しい海。海の生き物っていうのは、よい選択だったかな。

ということで、無事、この後、デザインを提出。もうすぐ仕上がってくるらしい。
どんなになってくるか、楽しみ。

リトルアーティスト「廃材アニマル」Little Artist "scrap animal"


まずは、レディメイドアートやピカソの彫刻を紹介。
まずは、レディメイドアートやピカソの彫刻を紹介。

作りたいのは、ひと。持ってきた材料を並べてるうちに、ぶら下げる形の人間にすることに。各パーツにアイデアを盛り込んでいく。
作りたいのは、ひと。持ってきた材料を並べてるうちに、ぶら下げる形の人間にすることに。各パーツにアイデアを盛り込んでいく。

表。心があったり、ストッキングとガーターベルトがついていたり、細かい。プラプラとカーテンの金具と竹串で本体がつながれていて、大きさの割に軽い。様々な質感の材料を使ったおかげで、銀色にした時に、表情が出た。

この作品のおもしろさは、後ろもあること。クルミを使ったお尻がかわいい。

「飛んでるウサギちゃん」というアイデア。卵パックをいくつもかさねて、スポンジで大きな耳を作る。

うまくバランスをとって、印象的な大きな耳が特徴の、かわいいウサギができました。耳で空を飛んでいきそう!表情も、ひょうひょうとしていて、元気が出ます。

ウサギ。様々な材料を組み合わせて、セッティング。お腹の中に、好きなものをつめてみました。猫背を生かして、おばあちゃんメガネを設置。さあ、スプレーしたら、どうなるかな?

雰囲気がぐっと変わり、かっこいいウサギになりました。突然、メカっぽいですよね。

番外編。ナノカは、ずっと、自分の作りたいものを作ってました。レゲエボトルと、ホイル芯のぶた子ちゃん。