2021年3月30日

砂のお城 Sand Castle

バレエには行けたものの、家でのんびり生活を決め込んでいるナノカ。体力もさることながら、私が仕事があり、このままだと、本とDVD漬けの生活のままになってしまう。

夕方、散歩に誘って、公園に行くと、「砂遊びをしたい」と言いだして、城を作り始めた。「草花城」と言うらしい。材料が、いろいろあるのが、田舎のいいところ。公園が空いているのも、いいところ。 

この城には、牢屋があるのだが、4部屋個室で、絨毯敷きで、それぞれにお花のあかりが灯り、横には滑り台のある、高福祉の国のようだ。

家は骨組みがしっかりとあり、屋根がある。枝の上に枝を組むために、切り口を石で加工していた。何度も倒れるのを、根気よく、直して、仕上げていく。

あなたのストーリー、あなたのクリエイティビティが、遊びとともに、戻ってきた。

2ヶ月近く、ほとんど、写真を撮っていなかったことに気づいた。あなたの満足げな顔を写真に収めることができて、うれしい。

2021年3月28日

レッスンに行けた She went to the ballet class

バレエのレッスンに、約2ヶ月ぶりに、行くことができた。

去年1年、夜遅いレッスンに切り替えて、休まず通った、大好きなバレエ。そのレッスンに、こんなに長く行けなくなるなんて、当初は思いもしなかった。

行ったら、きっと、気持ちが明るくなるはず。お腹痛くなったら、途中で休んだらいいから、と言っても、どうしても、足を運べなかったレッスン。それが、ようやく、自分から、行くと言ったのだ。

行くと、1時間半のレッスンを、年上の子たちに混じって、踊りきった。

筋力も体力も落ちて、フラフラなはずなのに、体が形を覚えていて、ついていく。

スタジオに行くからには、きちんと踊りたくて、中途半端な状態では行けなかったんだな、と思った。6パックに割れかかっていたお腹の筋肉もなくなり、体重も落ちて、貧弱になった体には響いたのだろう。足が痛い、お尻が痛い、とブーブー騒いでいるけれど、すごく安心した、いい顔をしていた。わたしも、ホッとした。わたしの中でも、ナノカがバレエのレッスンに行くことが、たぶん、回復のバロメーターだったんだろう。

引っ越してから、見る機会がなかったレッスンだったが、久々に見たら、それは、美しく、涙が出てきた。

2021年3月26日

キミは、いつから、そこまで強くなったのか The last day

 

一昨日、前の学校に、荷物を取りに行った。

ナノカが、望んでいたことなので、体調が落ち着いたこの時期に、相方が付き添い、学校へと二人で向かった。わたしは、心が乱れそうだったので、付き添わず、外で待っていた。

1年間、取り組んできた小屋が、完成している。それを、まず確かめると、学校に入っていく。一気に子ども達に囲まれた。それに、対応しながら、ざっとクラスを眺めると、荷物を受け取って、帰って来た。

その日は、小屋ができたパーティーだったという。また、本も完成したと聞いてきた。

参加したかったもの。完成させたかったこと。自分の仕事だと思ってたこと。友達との時間。自分が積み上げた人間関係。そういったものを、10分ほどで確かめてきた。

残酷な現実だな、とわたしは思う。でも、ナノカは、その日、ただ淡々と、過ごしていた。たしかに、彼女にまちがったことは、一つもないのだから、堂々と、そこにあればいい。目の前のことを、受け止めていく。子どもはまっすぐで、強い。

納得がいったのかな、と感じた。終わったのだ。

ここから先は、彼女が、体調を整え、前を向いて歩いていくのみである。それと、おとなの間違いは、別問題だが。

2021年3月20日

よかった  better now

 

ご心配をおかけしました。

病院に行き、レントゲンを撮ってもらい、薬を切り替えて、体調、戻りました。

徐々に、体力を戻してきていたところだったので、わたしもショックを受けてしまいましたが、元気を取り戻した姿を見て、ホッとしました。

 

本が読めない、は、この人にとって、こんなにストレスだったんだなあ、と思いました。体勢を工夫して、ミヒャエルエンデのジムボタンを読み始めた時は、心底よかったなあ、と思いました。

本がある限り、大丈夫な、ナノカ。それぞれの子どもにとって、そういう存在って、何なんだろう?

2021年3月19日

そして、本も読めなくなった。 No book

 

昨日、腹痛が悪化。

時に、七転八倒、みたいな感じで、お腹が痛いという。

今まで、家のこもりきりでも、畳1畳分から出ないような1日でも、ずっと読み続けてきた本が、読めなくなった。

週に50冊ほど、読んできた本。2、3箇所の図書館で50冊、30冊、とまとめて借りてきて、片っぱしから読む姿を、「読み過ぎじゃないか?」と心配していたが、読めなくなってみて、彼女をいかに大きく支えていたかを知る。

ナノカは、相方の影響で、ファンタジーが好きだ。わたしは、もう少し、等身大の女の子の話が好きなのだが、魔法とか、妖精とかが出てくる話が、好きだという。ファンタジーものは、壮大なスペクタクルで、分厚い本が、5冊だの、7冊だの、シリーズ化してるものも多い。それを、舌なめずりして、ニヤニヤしながら、読んできた。それが、膨大な時間を埋めて、彼女を退屈から救ってくれてたのだ。

わたしが、もう少し、余裕があれば、読んであげたり、ずっと横に座っていてあげられるのだが、わたしも、仕事がある。部屋の片隅に寝かせて、仕事の最中に、うめき声で飛んでいくのを繰り返していたら、クタクタになってしまった。 

わたしも、本に支えられてたんだな。

今朝、「本も読めない、、、」と涙目のナノカに、かわりにDVDにしようと、サウンドオブミュージックをつけた。なんとか、落ち着いて、見ている。

どうか、お腹の症状が治まって、本が読めますように。

わたしも、祈る。

2021年3月17日

雑種か、猟犬か Mixed or hunter?

 

ナノカは、菜の花、と書く。

この名前を、とても気に入っていたけど、ドライブ中に外に咲く菜の花を見て、

「水菜を育てても、ブロッコリー育てても、菜の花に似た花が、咲くんだよね」

と言い出した。ふと、わたしが、

「菜の花、て総称かもね。」

「え、菜の花っていう花があるでしょ。」

というやり取りになった。そうだ、ふるさと自然の会の川内野さんに聞いたら?と言ったが、

「 アブラナ科の葉っぱの総称ですよ」

とバッサリ答えられそうな気もした。いいよ、電子辞書で調べる!と言っていたナノカ。家に帰って、電子辞書で調べると、ブルブルとふるえて、

「アブラナ科の菜っ葉の花」

とつぶやいた。

そして、その後、

「ナノカ、犬だったら、雑種、みたいな意味だよね。」

と言い出した。わたしは、

「いや、猟犬、とか、牧羊犬、ていう感じじゃね?」

と答えた。

椿、だって、乙女椿もあれば、姫つばきもヤブツバキもあるんだし、桜だって、ソメイヨシノもあるけど、山桜も、シバザクラもあるじゃないか。

里山に、ざっと広がるあの、美しくて、強い、菜の花は、春を告げる、幸せな黄色であることは、間違いない。

つよいこ She is originally very strong


 ここ1ヶ月、衰弱したナノカをお見せすることになり、「よわいこ」みたいに見えていたら、とても、とても、不本意なので、いかに、もともと、彼女が「つよいこ」かを、お話ししたい。

ナノカの学校でのストレスは、昨年9月から始まったが、その後、一度も休まず、通っていた。

状況が一向に改善されない時、友人である、漫画家の大原さんが描いた漫画を読んだ。いじめ問題に関して、第三者委員会に行くことで、対処が楽になったとの話があった。

「ママ、第三者委員会に行ってくれる?」

ナノカに言われて、わたしは、2月頭に、公共の第三者機関に予約を取り、ソーシャルワーカーさんに、その時の状況をお話しした。2月8日の会議に、一抹の不安があったからだ。 

ソーシャルワーカーさんは、時々、メモを取りながら、私の話をしっかりと聞いてくれた。そして、

「つよい子ですね。家庭に、支えられている子です。ふつうなら、この状況は、耐えられませんよ。」

ここで、第三者機関に見てもらっておいたことが、その後の混乱状況で、自分たちがもともと、まともであったことを保証してくれることになった。

2月7日には、バレエのおさらい会で、軽やかに踊っていたナノカだったが、2月8日始まりの1週間で、一気にうつ状態になり、その影響で、胃痛を起こし、ほとんど食べられず、動かなくなった。衰弱してしまったので、今は、リハビリ状態となっている。

こうなると、今の状況だけを見て、保護者や、本人に、病気の原因があったように見られることがある。

でも、その直前に、第三者機関に見てもらっていたおかげで、自信を持って、「いいえ、違います」と言える。たぶん、ナノカをもともと知ってる人だって、同じ気持ちでいてくれると思う。

この人は、ものすごく、つよい。

感受性豊かで、正義感が強く、すべてを受け止めてしまったのかもしれないけれど、それすら、いとわない、本当に、つよい人なのだ。親ですら、いつも、感心するほどに。

こんな状況でも、この人は、誰かのせいにしないし、なにかを、責めたりもしない。今は、ただ、自分が努力して、前に進むだけ。夜にうずくまって、動かない体にいら立って泣く姿は、わたしには、とても辛いが、それだけ、日中、努力している結果で、彼女の意志の強さでもある。

1点の恥ずべきところもなく、つよくて、かっこいい。それが、この人である。

2021年3月14日

まっすぐ Justice

 

わたしは、文章を書くことを生業にしてるぐらいだから、それなりに、やさぐれてる。さまざまな場所を渡り歩いて、苦労しているうちに、人と上手に距離を取りながら、なんとなく、うまくやる方法を身につけてきた。身の安全を確保しながら、世の中を観察して、たたき斬るのが、仕事だと思っている(ちょっと、いやなヤツ)。

ナノカは、わたしに、似てない。

とにかく、まっすぐだ。飾りもなにもない。ただ、ひたすらに、等身大の自分で、人に向かっていく。

ナノカは、相方に似ている。 相方は、誰も知らない朝に、会社の掃除をするようなタイプだ。代車で来た車を、掃除して、返す。裏がない。よく思われたいとか、評価を上げてやろうとかの考えがなく、いろんな計算ができてない。

ナノカは、無愛想で、ぶっきらぼうなので、一見、親切に見えない。でも、小さな子や、困ってる子には、必ず、手を差し伸べる。自分の一番、好きなものを、半分、人にあげる。正しい秩序を守るために、不正に対して、はっきり意見を言う。

わたしは、この人たちと暮らして、まっすぐな人といるのは、なんて、気持ちのよいことだろうと思った。正義が行われる場所には、よい空気が流れる。

まっすぐ公正明大である、ということは、年齢とか、立場とか、関係ない。9歳のナノカが、大人より、正しいということは、ちょくちょく、起こる。こういう事って、いろんなところで、起きているんだろう。

日本中で、まっすぐが、力で、曲げられようとして、曲げられないまっすぐが、キシキシと音を立てて、悲鳴を上げているんじゃないだろうか。

2021年3月13日

肉食なキミ meat eater

 

先週木曜日、学校で、給食にチャレンジした。

最初の日は、給食だけのために学校に行った。それ以外なにもしなかったのに、疲労困憊してしまい、帰りもバスを使った。 

次の日は、さらに、朝から、学校に滞在した。2限分、特別教室で過ごして、その後、図書室に行き、さらに給食を食べた。バスを使って帰ったけど、あきらかに疲れ切っていた。

それでも、絵本の相談に、私の客人が来たら、ココアを作って、何杯もサービスし、なぜか、ハーモニカとピアノの演奏までし始めた。体調を崩してから、1ヶ月間、一回もピアノに触ろうとしなかったのに、なぜ、今日、突然弾いたのか。そして、帰り際には、扇に「バイバイ」という紙を貼って、振って、見送った。

そして、客人が帰ると、また、ぐっと落ちていった。体が動かない。しばらくして、お風呂場の前で、びしょぬれで、裸でうずくまっているのを見つけて、 部屋に連れて行き、体を拭いてやると、ボロボロと泣いた。「がんばったんだよう、、、」と泣きじゃくった。

ナノカは、客人に、いつものナノカちゃんでありたかったんだな、と思った。元気で、サービス精神旺盛で、ユーモアたっぷりのナノカでいたかったのだ。

しかし、頑張り過ぎた後の疲れはすごくて、「座っているのも、きつい」「頭って、こんなに重かったっけ?」と言う。わたしも、さすがに、今日は、無理をしすぎたなあ、と思っていたので、心配した。

ところが、夕食の席には、つく。そして、皿に乗った、鶏肉の塊だけ、食べ始めた。

「噛むのが、しんどい」と言いながら、食べ続け、おかわりまでした。ご飯も、野菜も、スープもほとんど口にせず、肉の塊のみ、食べる。

病院で、「しずむ」原因が、貧血じゃないかと言われたナノカ。とにかく、それを治したくて、肉を食べようとしてるのだ。

米を食わないので、体重が戻らない。奇しくも、炭水化物抜きダイエットみたいになってしまっている。

でも、前向きで、がんばり屋のナノカの中身は、帰って来た、と思った。よくあろうとする姿が、神々しくて、かっこいい。わたしは、この人が無理をし過ぎないよう、後ろをウロウロとついていく。

2021年3月11日

カンコロの島紀行2月 Goto Article



 カンコロの島紀行2月分の記事です。

今週は、かんころもちの絵本の作業に入る前の中休みでした(返事待ちでした)が、返事が来たので、また、作業に入ります。わが家は、末期状態に入ることでしょう。

この記事は、この絵本を仕上げる上で、欠くことができない「かんころ餅をつく作業」を取材させてもらった時の話です。絵本に必要な、最後の1ページを去年の12月まで持ち越していました。

コロナが流行って、思うように取材ができなくなる中、最悪の場合、この場面は、聞いた話や、他の人に写真を提供してもらって、書くことになるかも、、、とも思いました。

でも、行って、本当によかったです。なぜ、かんころもちのある風景が残したいのか、とても、明確なメッセージが、ここにあると感じたからです。

わたしが、島に通うようになって、4年が過ぎました。当初から、「なにか、すごく、大切なものがある」と感じてきましたが、それが、何なのか、言葉にするのは難しく、絵本にするにあたっても、どう描けば、ただの郷土菓子への郷愁じゃないことが、伝えられるのか、考えてきました。

もちろん、壮大な社会問題を、絵本の中で、語るなんてできません。これは、小学生向けの絵本ですから、テーマは、あくまで、かんころ餅とその背景のお話です。

絵本で、描けるのは、ほんの一部です。4年間の取材では、この何倍もの人に出会い、何十倍もの人生や生活を見てきました。どれも、つながっていて、この絵本を支えています。

その中で、子ども達に、より端的に伝わるよう、エピソードを絞る中、「次の世代」へつなぐことは、とても、大きな要素だと思いました。だから、たつき君の姿は、いいモデルだと思ったのです。

このシーンが入ることで、かんころ餅がなくなるかも、、、の危機感に対して、希望を描くことができました。ノンフィクションだから、嘘は書けないので、このシーンに出会えて、わたしは、本当に、うれしかったです。

絵本も最終段階に入りますが、本当に、ここまで時間と労力を使った仕事をしたのは、初めてで、家族にも、ずっと迷惑をかけ続けました。でも、ここまで、やり切れたことを、誇りに思いたいと思います(まだ、終わってない)。そして、どうしようもない状況を、笑って支えてくれた家族に、ただ、ただ感謝です。

新聞に関しては、3月の記事を、1回休ませてもらうことにしました。

絵本の制作が切羽詰まっているし、新たに取材する余裕もないだろうし、ということです。ナノカの事件もあって、1ヶ月ほど、仕事が思い通りに進まなかったし、今後も、ナノカの療養と付き合いながらなので、仕方ありません。売れない文筆業なので、仕事を断るなんて、ぜいたくなことをできる身の上じゃないのですが、ここは集中して、やり切りたいと思います。

とはいえ、煮詰まらないよう、ちょくちょく、息抜きには出て行くと思います。ナノカも、締め切り前の、ヤバくなった母と二人きりじゃ、体調悪くなっちゃうしね。

震災10年を、まなぶ Look at the numbers related to Tsunami



 

毎日新聞の震災10年を、子どもと一緒に学ぶ記事のイラストを担当している。

3回と4回は、算数で学ぶ震災。漂流物の到着を予想する数字。避難する際の目安となる数字。とても、興味深かった。 

災害は、当事者たちに、大きな傷跡を残す。当事者以外の人には、想像できない日々が続く。新聞やテレビを通して、話を聞き、記事を読み、特集を見ると、ただ、心が痛む。

その後に生まれた子どもたちに、それを、どう伝えるかは、難しい。こんな悲しいことがあった、の話だけでは、「地震、こわいな」「津波、こわいな」という恐怖感は感じるものの、未来にはつながっていくとも、言い切れない。

この記事は、そういう意味で、子どもにとっては、橋渡しになる、いい取り組みだな、と思った。

何かが起こった時、的確な判断をして、人を救った話。その計算方法。

事故の処理をするために、必要な数字。その後の復興のために必要な計算。

それを知ることで、子ども達は、「こうして、人を助けることができるんだ」という希望を持ち、「自分もそうありたいから、もっと、学びたい」と思うことができる。

学習に意味づけする取り組みは、いろんな所で、試されているんだな、と思った。

2021年3月10日

体力の限界 Psysical problems

 

月曜日、新しい学校に、試しに行ってみた。

朝はバスで行き、2限分、特別教室で過ごして、歩いて帰っただけだったが、帰る道は、腹痛で辛そうだった。家に帰ったら、ぐったりと横になり、当然、次の日は、登校せず、1日空ける事になった。

1日空けて、学校に行ってみる。教室に誘われるが、「ムリ」だと言う。

前は平気で一人で歩けていた距離が、半分でも、きつい。食事も、半分も食べられない。そして、体力がないから、気力が出ず、教室で人に囲まれる事に、踏み出せない。私の影に隠れるように、学校で過ごす。気持ちは、前に進みたいと思っても、体力が半分ぐらいになっていて、自信が持てない。

もともとは、どんな集団にでも、ひょうひょうと入っていける子で、子ども同士の活動の時に、わたしの手など、借りる必要もなかった。一人で電車でも、バスでも乗れたし、よっぽど自立してて、なんでも、自分で決められる子だった。

それが、新しい環境に、いつもの自分じゃない状態で、紹介されていくことを、本当に、気の毒に思う。ここでは、もともとのナノカを、だれも、知らない。

この人は、1ミリだって悪くないのに、なぜ、この人が、すべてを背負わなきゃいけないんだろう。なぜ、こんなにハンデを負って、転校しなきゃいけなかったんだろう。そして、いつ、ふつうの生活に戻れるんだろう。

それでも、毎日を重ねていくしかない。

人がまちがう時 people do mistaking

 

きっと、人は、悪意があって、間違うことは少なくて、近しい人や、家族、自分の生活や仕事、仲間、組織を守ろうという気持ちで、間違いを起こすんだろう。

佐世保で事件が起こった時、そのことを、つよく、感じた。 

誰しも、悪気があったわけじゃない。その時、よかれと思ったことをしたのかもしれない。でも、結果的に犠牲になったのは、なんの罪もない、少女であった。

あの時、どれぐらい、どこで、だれが、どのように間違えたのか、しっかりと検証できたのだろうか?

わたしは、人は人。間違いは間違いだと思う。どんなに、いい人でも、事故を起こせば、警察に行って、検証されなきゃいけないし、 どんなに立場がある人でも、どんな大義名分があっても、起こった事件に対して、責任を取らなくて済む、ということはない。

でも、日本は、そういうことが、すごく、あいまいだ。

人情といえば、聞こえはいいけど、誰かに情をかけたことで、歪みが生まれる。それは、どこかで、だれかを不当な立場追いやり、苦しませる。

こういう風に言われる事は、関係者には辛いこともあるだろう。でも、ものごとは、粛々と、処理されて、明るみに出て、清算され、次に進んでいくべきなのだと思う。そうして、初めて、すべての人が、冷静に振り返られる、過去となる。

アメリカでも、日常で(デリで、不動産会社で、ランドリーで)、ろくでもないことが、ガンガン起こった。でも、まわりの人は、個人の権利のために、一緒に文句を言い、戦う姿勢が常にあった。よく考えたら、組織と、個人は、いつも、個人が立場が弱い。組織なんて、守ろうとしなくても、必要なら、残っていくのである。戦争の後にも、日本はなくならなかった。なにがなんでも、守らなきゃいけないと思って、人は自分の正義すら曲げてしまったわけだけど、その守っているものが幻想であることも、多い。

2021年3月8日

そして、おしごと And mommy is working

なにが、さらにムリゲーだったかといえば、わたしが、かなり切羽詰った仕事を、同時に抱えていたことだ。

4年間かけて取材してきた、かんころ餅。とうとう、絵本になることが決まり、最終段階に入っている。その一番、大切な作業をしなきゃいけない時期に、娘を病人として、家に迎えることになった。

世界で一番大切な娘が、なにより、優先される。頭はそれで、いっぱいになる。でも、ここ数年、すべてを注いで、やってきた仕事を、どうして、いい加減にできようか?

通常、ナノカは、わたしの仕事の邪魔にならないか、気を使っている。最初に、やらなくていけなかったのは、ここは、あなたのいていい場所だと、しっかりと思ってもらうことだった。

「ママは、ここで、仕事をします。ナノカは、ママが、さぼらないように、見張る係りです。よろしくお願いします」

それで、納得して、ナノカは、わたしの横に座布団を敷き、日がな一日、本を読んで過ごした。

ビックリするような状況に、わたしも、ショックで手が震えて、スケッチの線がぶれるほどのこともあった。でも、仕事はしなきゃいけない。ナノカは、守らなきゃいけない。

だから、遅れに遅れてしまったけれど、なんとか、スケッチを描き終えた時、心から、ホッとした。

ふりかえると、スケッチを仕上げる時間は、思ったよりかからなかった。それだけ、4年間、取材して、積み重ねたものがあったのだと、気づいた。歴史、文化的、社会的背景、作物としての特性、人々の暮らし、気候、すべて、頭の中にストックされていた。

ここから、1ヶ月ほど、さらに作業は、佳境に入っていくが、家族と支えあいながら、よいものにしていきたいと思う。

ふたたび、人の中へ into the group of the people



がんばって、体を立て直し続けた1週間。週末がやってきた。

土曜日、子ども劇場の集まりに、行くことにした。体は、日中は、だいぶ、安定してきたが、人の輪の中に入って、活動をするのは、いつぶりだろうか。表情はかたく、動きもぎこちなかったが、1時間半、人の中で活動ができた。

日曜日、屋外イベントに連れていく。私の用事で帰ろうとしたら、「ここにいる」と残り、友達と1日過ごし、最後はコンサートにも参加して、帰って来た。

友達と談笑する姿。楽しもうと、自ら、飛び込んでいった。よかった。週末中に、だいぶ、調子を戻した。

 

子どもがこのようになって、落ち込まない親はいない。されど、親は落ち込むことは、できなかった。子どもを支えるのは、親だからだ。ムリゲーだな、と思ったが、ゲームオーバーにするわけにはいかない。必死で、勝つ方法を模索しながら、コントローラーにしがみついた。

難しい日々の中、たくさんの支えがあった。活動の最初の復帰先に選んだ子ども劇場は、ナノカが1歳半から通った、赤ちゃん時代からの仲間。他にも、今まで関わってきた人に、支えられた。行く場所があり、戻るところがあり、待っている人がいる。

所属する社会が壊れる時、そこ以外に足場を置いていた事で、「あなたは、間違ってない」を保証してもらえることが、どれほど、大切なことか、身にしみた。それぐらい、いとも簡単に、社会はゆがんでしまい、一人の人間は、それに対して、抵抗する力がない。


わたしも、1ヶ月ぶりに、明るい気持ちになった。ナノカの帰ってきてからの話しぶりに、きっと、ここから大丈夫だと思えた。ナノカの中に、この気力が残っているうちに、決断し、環境を変えることができたこと、本当に、よかったと思った。

2021年3月5日

しずむ sink

なにが、正解かわからない中、体力がなくなってしまう事が二次災害になりかねないと思い、今週は、日中、外へ出る努力をした。

外へ出ると、気分は上がるし、がんばる。元気そうで、わたしも、うれしい。

しかし、夕方になると、その疲れが、一気に体調に出る。その体調の悪さを、本人は「しずむ」と表現する。ずぶずぶと、沼に体が沈んでいくような感じだそう。

夜になると、機嫌も悪くなるし、相当しんどそうだ。でも、それを覚悟してでも、毎日、外に出かけ、活動できる範囲で、動く。おかげで、夜は、ぐっすりだ。

それを何日か、繰り返した後、ナノカが、夕方に、お風呂に入るようになった。

お風呂はものすごく、体力がいるらしく、「しずむ」前に、終わらせておくのだそう。

こんなに体調が悪いのに、自分で対策を立てて、生活を調整しているところが、この人の、ポジティブで、すごいところだなあ、と思う。

おひなさま Girl's festival doll


 腹痛から始まった、ナノカの症状。頭痛に、目眩。不眠。夜尿。唇にヘルペス。鼻血。貧血で、転倒。口内炎に、目のかゆみ。体重減少。胃炎。下痢。

お医者さんに相談して、漢方薬を処方してもらう。

新たに出てきた、違う症状に合わせて、新しい薬をもらった。すると、大泣き。

そして、しゃくりあげながら、何かを言っている。

「おひなさまの、バカ」

わたしが、ナノカの言った言葉を、聞き取りながら、繰り返すと、相方が

「は?ママの聞き違いでしょ。そんな事、ナノカが、言うはずがない。」

もう一度、ゆっくり、言わせるが、同じことを言う。

 

「おひなさまに、おねがいしてたのに、、、」

ナノカは、薬が減るように、おひなさまに願掛けをしていたのだ。それは、体が良くなるように、との願掛けでもあった。

薬が増えることで、症状が悪化したように、感じたのだろう。もちろん、薬自体が負担だったのも、事実だろうが。

 

お医者さんに相談して、今の症状の困りごとに合わせて、薬を減らしたところ、落ち着いて、飲めるようになった。

「おひなさま、ありがとう」

と、お礼を言ったそうだ。

おひなさま、ナノカの気持ちを、教えてくれて、ありがとうございます。

2021年3月2日

きもち からだ

 

元気を出そうと、いつも歩いていた距離を、歩く。歩けた!

でも、夜には、体調がガーッと悪化。

きもちは、「がんばろう!」が出てきたのに、からだは、ついていかない。

 

わたしにとって、ナノカは、いつも、サイコーの女の子。

それは、親バカが、半分以上なのかもしれないけれど、

ただ、一つだけ、言えることがある。

 

ナノカは、いつも、しあわせな子だった。

わたしが、ふとした瞬間に「しあわせ?」と聞くと、

いつも、「うん、しあわせ」と答えていた。

 

それは、自分のことが、大好きだったからだ。

楽しいことをして満たされている自分、工夫してる自分、間違いを認められた自分、

努力している自分、正しいことをしてる自分、弱い人を助ける自分、

決めたことを守れた自分、ちょっとサボっちゃって、失敗しちゃった自分も、

お友達とケンカしちゃった自分も含めて、ぜんぶ、大好きだったからだ。


きもちも、からだも、しあわせになろう。