2021年2月28日

舞台はつづく Show must go on

 


1年間、やってきた演劇。

最後の最後で、体調を崩して、降板。

その発表会を観に行った。

 

リハーサルの様子を客席から見ていたナノカが、

「演劇、わたしも、やりたいな。」

と、つぶやく。そうか、そんな気分になれたんだ。

 

本番。みんなの輝く姿を見て、素直に笑って、「おもしろかったね!」と言ったナノカ。

そして、振り返りの輪の中に、呼ばれて加わった。

 

一人一人、参加しての感想を話す中、ナノカの番が来た。

正直、2週間以上、まともに人に会ってないし、人前に立つなんてありえない。

話せるんだろうか?首を振って、発表自体を固辞するんじゃないだろうか。

 

そんな中、

「本番は出られなかったけど、見させてもらいました。おもしろかったです。

4月から、また、よろしくお願いします。」

と、はっきりした口調で、発表した。

 

参加できなくて、悔しかっただろうけど、冷静に、観ることができたこと。

その現実を受け入れて、前に進もうとしていること。

大人がほとんどの輪の中で、自分の言葉で、意思を伝えることができたこと。

 

本当に、立派だと思った。

勝つ! Victory

 

自分の置かれた状況に、納得がいかないナノカ。

次から次へと、体調が悪化していく。体重も減っていく。体力も落ちていく。

でも、それで犠牲にしているのは、自分のからだ。あまりに、食べないナノカを前にして、意を決して、話をした。

「ものすごく、悔しいよね。でも、もともと、元気な女の子だったナノカが、このままだと、病気になっちゃう。そうしたら、なにも、できなくなっちゃう。元気になって、いっぱい、楽しいことをしよう。他じゃできないこと、いっぱい、しよう。それが、勝つってことじゃない?」

きつい言葉だと思ったが、わたしは、誰よりも輝いていたナノカを、損ねたくなかった。たとえ、原因が何であれ、この人は、ここを乗り越えなきゃいけない。

話をじっと聞いていたナノカは、背筋をのばし、目の前にある、骨つきのお肉を手にとって、食べ始めた。

ずっと、誇れる自分であるよう、努力することで、自分を守ってきたナノカ。

彼女の「負けたくない」は、輝くことで、きっと、実現できる。

音色七色 Lilyc

 


白い睡蓮 ほら 咲いた音

ながれる とぎれる 雨のしずく

暗い正夢の靴音にも

決して悲しみと名付けはしない

此処で 出逢って 幾度も忘れて

きっと また それでも 詩になる

此処で 出逢って 幾度も忘れて

きっと また 私は 歌うでしょう

 『音色七色』より

 

ナノカが、とても、きれいな声で歌ってくれる。

歌が、寄り添う。

2021年2月24日

菜の花 Her name flower

 


今日は、朝、川べりを一緒に散歩。

ダンスのワークショップで習った、踊りや歌の話をするナノカ。病気になってしまう前日に、参加したダンスに気持ちが向いていることが、わかる。

わたしと相方が、学校を辞めた話を早々にしようと決めたのは、ナノカが学校に行こうとする限り、体調が戻らないと思ったからだ。ソーシャルワーカーさんも、「そこが、スタートじゃないでしょうか」と言ってくださった。

責任感の強い彼女は、今年の目標である小屋作りを、自分の仕事だと思っていた。完成させようと、かなり強い意志で、計画していたので、「今日は、壁張りだ」「そろそろ、窓をつけたかな」と、毎日、気にしていた。旅行の計画も、卒業式の司会も、ぜんぶ、「そろそろ、話し合わなきゃ」と、気持ちから離れない。

でも、学校で、とてもこわい思いをした彼女にとって、そこは危ない場所。責任感と、そこをこわがる気持ちの間で、よくなりかかると、学校に行こうとして、体がすくむ。これでは、一向に、よくなっていかない。

絶対的な終止符を打つことは、むごい事だと思ったけれど、彼女には、これからがある。こんなに、前向きなエネルギーがあふれて、しあわせな空気を持った子なのだから、過去に縛られて、苦しむ必要は、もう、ないのだ。

きっと、心の中には、今も大きな悲しみを抱えているだろうと思う。でも、回復した後に行くべき場所は、楽しかったバレエであり、舞台であり、次の学びの場となった。

半年間、大人の人に混ざって、練習してきた舞台も、降板した。ぐっと成長して、責任ある役をもらって、とてもうれしそうだったのに、ぐったりして、台本を見ることもできなくなってしまったからだ。でも、「体調が悪いままでいる理由」がなくなった今、他のことに、気持ちが行き始めている。近く、行きたいと言うんじゃないだろうか。

菜の花は、甘くいいにおいがして、かわいくて、強い、そして、はちみつ取れたり、油が取れたり、役に立つ花だよね、とわたしが言うと、「食べられるしね」と、うれしそうに答えた。

2021年2月23日

おはなし I will tell you something

 

金曜日、学校を辞めた。

今日、体調が落ち着いてきたのを見て、海辺に連れていき、その話をした。

声を震わせて、「もう、1度も行けないの?荷物を取りに行くだけでも?」と聞くナノカに、

「ママとパパは、それが、安全だとは思えない」と答えた。

相方が他のことで泣いたことを見たことがなかったが、娘の涙に、涙していた。


小さな頃から、ひとりの人間として尊重して、理解できるよう、なんでも、話してきた。

選択肢がある時は、大人の事情や家の経済状況なども含め話して、ナノカに選択を任せてきた。彼女は、いつも、選んだ以上、全力でそれを全うしてきた。

学校のことも、何度も、止めようとしたけど、「行きたい」を選択するナノカを、止めることができず、最後は、心がノーと言い、体が動かなくなった。

最後の決断は、私たちがした。

 

話を聞いたナノカは、悲しそうに泣いていたが、抗議することはなかった。

彼女も、だれかに決めてもらいたかったのだと思った。 


なにも、間違ってないし、本当に、立派だったと思う。よく、がんばった。がんばり過ぎるぐらい、がんばったんだ。

すこし、休んで、前に進もう。

2021年2月22日

彼らが、やってきた日

 

いとこのお姉ちゃんたちが、チャチャとシロをくれた日の写真を見つけた。

ぬいぐるみは、お友達。ぬいぐるみは、生きている。

「シロ、あったまったって」「シロ、ねむいって」「シロも、一緒に見たいって」と言いながら、家の片隅に作った記念碑から連れてくる。毛糸を編んで、何枚も毛布や敷き布団を作る。今日は、玄関にハンモックがぶら下がった。

子どもは、まだ、ファンタジーの世界と、現実を行き来している。ぬいぐるみを、かわいがることで、自分がかわいがられてるように感じて、安心する。あたたかで、やさしい関係。

一日中、小さな頃に戻ったように、ぬいぐるみと話して、かわいがる。

いくらでも、かわいがって、いい。

2021年2月21日

ちえのみ apple


 ナノカが、「アダムとイブが、知恵の実を食べなかったら、どうなったと思う?」と聞いてきた。

答えかねて、「知恵の実を、食べるとどうなったの?」と聞き返すと、「苦しみとかを、感じるようになった」と答える。

より多くを見て、より多くを知る人は、苦しいのだ。

「動物たちのように、シンプルに生きてたら、苦しみを、感じないのかもね。」と答えると、

「ゴリラは、感じる心があるんだよ。繊細で、すぐお腹も痛くなっちゃうんだよ。」と、ゴリラを弁護した。

2021年2月20日

ふかい悲しみと おつきあい

 

家の中では、楽しそうに過ごせるようになった。ずっと、私の横の、寝座布団1枚分のスペースで、1日を過ごしていたナノカが、初めて、自分から、外を歩きに出た。

ほとんど食べられなかった食事も、すこしずつ、食べ始めた。楽しそうに話して、見た目、いつものナノカに見える。

しかし、楽しくみんなで見ていたDVDが止まって、見れなくなってしまい、悲しい気持ちになった瞬間、あふれたように、悲しみがとまらなくなった。お風呂から上がっても、また、お腹が痛くなり、あふれた悲しみで、涙がポロポロと流れ続けた。わたしも、悲しくて、ポロポロと泣いた。

今まで、受け止められなかった悲しみが、体の奥底に記憶として、たまっている。

体が震えるほどの悲しみを、どれだけ、受け止めてもらえず、絶望したんだろう。

大人は、つまらない生き物だ。本当に、くだらない。なにも、受け止められない。自分の過ちを振り返ることも、小さな人に素直に謝ることも、なにも、しない。

わたしは、代わりに、謝ることも、彼女の納得のいく説明をすることも、できない。

ただ、今まで受け止めてもらえなかった悲しみを、せいいっぱい、受け止めるしかない。

2021年2月19日

リトルアーティスト、カフェアーティスト、お休みさせてください

 

ナノカが体調を崩してしまったので、療養に専念したいと思います。

今月のリトルアーティスト、お休みさせてください。

よろしくお願いいたします。

2021年2月8日

コミュニティの喪失 Grown up under the broken community

かわいい人形たちと After the puppet

  バレエのおさらい会の前に、子ども劇場で、人形劇を観た。そのあとで、友人と、子どもを取りまくコミュニティ環境について、話題になった。 

 わたしと、友人は、昭和の後期に子ども時代を、地方で送っている。その頃、地域コミュニティは、かろうじて存在していて、近所のおばちゃんに叱られたり、親切にしてもらったり、まあ理不尽なことに、みんなで怒ったり、地元のお祭りがあって、大人たちが協力して、地元を盛り上げていたり、と地域の中で育ってきた感覚が残っている。

 でも、その後、コミュニティが次々と消えて行き、人は、もっと個人的に生活をするようになった。お祭り的な楽しみが欲しければ、ネズミランドに行けばいいし、劇が観たければ、自分が旅をして、お金を出して、良質なものを観に行けばいい。集まりたかったら、自分の気の合う仲間だけで、集まればいい。そうやって、一見、自由で、シンプルな世の中ができあがっていった。

 今の、子育てしている親御さんは、地域コミュニティがなくなった世界で、育った世代。もちろん、がっつりコミュニティの残る下町エリアで育った人もいるし、親御さんの方針で、さまざまな活動を目の当たりにして育った人もいるので、ここは、個人差だが。 

 社会感覚がないので、なにか問題が起きた時、その問題が起きた「社会」を変えなきゃ、という意識に向かない。「あの人、かわいそうね」と、対岸の火事になる。自分の身に降りかかるまで、声を上げる人がいない。悪気はない。当事者になるまで、問題は、社会の中で、黙殺し続けられていく。

 でも、社会は、当事者には、変えられない。第3者が動かないと、当事者は、孤軍奮闘で、やがて、泳ぎ疲れて、去っていくのである。 社会が、「変わらない」という閉塞感があるのは、このせいだ。

 先日、読んだ本の著者は、親は子を、「世界の平和の実現のために」育てるべきだ、と言っていて、それは、「頭の良い子を育てる」「これからの時代を生き抜くための頭脳を育てる」みたいな話が多い中で、そこが基本だよね、と共感した。

 わたしは、ナノカのいろいろな能力は、社会を公正に見て、民主主義とは何かを自分の頭で考え、違う考えの人と議論を交わし、よりよい結論を模索していくために、使って欲しいと思っている。

 社会感覚は、社会人になったからって、突然、降ってわいたように、出てくるわけじゃない。小さな頃から、信じられるコミュニティの中で、社会の成り立ちを味わい、世界の未来に希望を育てていって、初めて、発動されるものだ。

  頭がよい人材は、これからも、どんどん出てくるだろう。能力のある子も、世渡り上手な子も育つだろう。でも、物事の本質は、いったい、なんなのか。なにを、実現するために、その能力が必要なのか。ちょっと、忘れちゃってはいないだろうか。 

 おとなの社会が、次世代に身につけて、社会に出て行って欲しい感覚を、議論できてない。本当は、そこが、まったなしな気がする。

アイロンで、心のばし Ironing your heart

 


本日、ナノカは、気の重い会議を抱えている。

1週間前から、ずっと、「ああ、月曜日がイヤだなあ」と、プレゼン前のサラリーマンのような独り言を、つぶやいていた。

そんな日の朝、母は、何ができるだろう。とりあえず、ナノカの新しい白い長袖Tシャツに、前から約束していたアイロンプリントをして、刺繍をした。そして、ナノカに、アイロンを頼んだ。

ハンカチ1枚と、わたしのブラウス2枚。しわを、アイロンで丁寧にのばしていく。

「気持ちいいね」

アイロン前の、ごちゃごちゃのシワが、一気に目の前で解決されていく感覚に、夢中になるナノカ。

余った時間で、花瓶の花の入れ替えもした。

すると、最後の方に、ポツポツと、頭を整理するための、確認の言葉が漏れた。

言葉が、とても得意なナノカ。自分の気持ちも、世界の情勢も、論理立てて、すべて言葉を通して、理解していく。

でも、きもちはどうだろう?きもちは、「こんなことをされて、ひどいと思う。悲しいよ」と言えたら、癒えるのだろうか?結局、きもちは、自分で、癒していかないといけない。

じぶんで、ピシッとのばしたシャツに、あなたの心は、すこしは、スッキリしましたか?

2021年2月6日

オニ→ふく Mask of goddess

 さて、節分。手巻きの恵方巻きを、南南東(方位磁石で見つける)に向かって食べて、豆まきの時間。

 順番に自分の作った鬼の面をつけて、自分の決めた鬼を追いやる、という形式。まずは、相方。そして、わたしの番。

 じつは、鬼の面以外に、ナノカとわたしは「おふく」の面を作っていた。玄関外まで鬼の面で追いやられた後、おふくの面に付け替えて、「ふくが、きたよ〜」と入っていった。

「そう、来たか!」と、相方。ナノカも、同様にした。お話仕立てで、驚かせることもできて、楽しかった!

平安美人風のおふく。微妙にリアル。

なぜか、金髪のおふく。
 2日間、まあまあ、行事でエネルギーを費やしたけど、楽しかった。

 そういえば、節分、保育園では、豆を煎るところから、みんなで準備して、毎年、楽しんでいたが、小学校に上がり、学年が上がるにつれて、簡素化していった。季節の行事は、年齢とともに、だんだん、日常から遠ざかっていくものだろう。

 ふと、ターシャチューダーが、子ども達と家で、人形劇を催していたのを思い出した。家の中に、さまざまな本格的な遊びが存在していて、それは、ちょっと楽しむ、のレベルを超えたもので、たいへん、美しい。どれだけの熱とエネルギーで、ものごとを楽しむかは、家庭それぞれだと思うけれど、使ったエネルギー分、なにか残るものもあるだろうな、とも思う。

 ちょうど、和菓子屋社長と、「コロナによる、行事の縮小」の話になった。スーパーの節分コーナーが小さくなったらしい。まとめ買いをする家庭が多く、スーパーに来る回数が減る。行事ごとにうっていたキャンペーンに広告費を出しても、それだけの効果が得られないので、小売の現場も縮小モードなのだそう。外からの刺激が減り、それが、家庭の季節感に影響していってる。

 世帯収入は落ちている家が多いだろう。消費を控える気持ちになるのも、わかる。でも、必要以上に、縮こまっているのかもしれない。祝う気持ち、楽しむ余裕まで、縮小してしまい、なんだか、ぼんやりした日常風景だ。

 わがやに、この「おふく」さんたちは、福をもたらしてくれるかな。

2021年2月2日

オニの面コンテスト Competition of masks

 今年の節分は、2月2日。当日は、豆まきやら、恵方巻き作りやら、忙しいだろう。とのことで、2月1日に、すしす作りと、お面作りをすることにした。

平日の夜、まあまあ、みなさんお疲れのところ、20時半に、色画用紙が運ばれてくる。乗り気になれないパパも、目の前に材料を出されると、参加せざるを得ない。

「だれが、一番、こわいオニのお面が作れるか」を競うつもりだったが、ナノカが、「怖いお面は作れない」と意義を唱える。そこで、「だれが、魅力的なお面を作れるか」を競うことになった。

昭和のアイドルみたいなのは、お面をつけるためのベースである。

 一人2票ずつ与えられて、家庭内投票になった。わたしは、ネットで一般投票をしたらどうか、と聞いたが、ナノカはすぐに結果が知りたかったようだ。

エントリーナンバー1:うるうる目のオニ

エントリーナンバー2:とがった頭のオニ

エントリーナンバー3:フェイスガード風のオニ

 投票の結果、3票集めたナノカの、ウルウルオニが優勝した。ナノカが、歓声をあげた。

家の中で、楽しいことがいっぱいあると、日中のわずらわしさから、自分の人格を切り離すことができる。家を、笑いと、クリエイティビティでいっぱいで満たしたい。

「子どもの生きている社会も大人顔負けのシビアさで、子どもも、毎日、外で戦ってきている。だから、家で、ムリさせちゃいけない」、と子どもの教育の専門家が言っていた。しつけもほどほどに。外で戦って、家で叱られて、じゃ、踏んだり蹴ったりだ。

自己肯定感が落ちたり、卑屈になったり、自信をなくしたり、積極性がなくなったり、免疫力が落ちたり、なんて、とんでもないと思う。めっちゃ、楽しくて、めっちゃ、幸せな毎日を過ごして、自分のことを、大好きでいてほしい。

2021年2月1日

むきあう Listen to kids

at the our town just before the sun down
 

ナノカは、暇さえあれば、ずっと本を読んでいる。昨日も、大村図書館で、30冊ぐらい借りて、その本を車中で読んでいた。

わたしは、「ねえ、車の中ぐらい、本をやめて、景色でも眺めようよ」と声をかけた。景色はちょうど、こんなだったのだ。 

「えー」と言ってたけど、本を閉じた。太陽から、一本の太い線がこちらに向かってのびていて、そこに、緑がかった水色のやわらかな線が、水面に平行にならんでいる。あんまり、きれいだったので、車を降りて、写真を撮った。そこから、太陽が山に入っていく瞬間まで、5分ほど。同じ景色を、見つめていた。

さて、この日の午前中、モデルのアルバイトをしたナノカ。1分×2 30秒×4 15秒×4で、合計5分のポーズ取り。前日に、ドガの画集を見た後、流れを考えながら、自分で1個ずつポーズを決めて、それを小さな紙にメモして、覚えて、しっかりとポーズをとった。

このリトルアーティストのモデルを始めたのは、相方がモデルをして、わたしが1000円払ってるのを見たナノカが、「わたしも、やりたい!」と言ったからだ。1年に1度の話なので、言い出して1年後に打診すると、やると言う。去年は、300円支払った。

人に見られて、動かないで、ポーズを見せる、というのは、なかなかな経験だと思う。でも、お金が絡んでいるからなのか、ナノカは、プロ意識を持って、それだけの時間、ポーズを保てるのか実験し、決まった後は間違えないよう、数回リハーサルをしていた。こういう所、えらいなあ、と思う。

リトルアーティスト「こんなときだから、すすむさんを、かこう」figure drawing

 

プログラムです。

モデル2回目のナノカ。しっかりと、役割をこなしました。

最後の30分ポーズを、木炭で仕上げました。体のサイズ感、角度や、人間の安定感などが、うまくつかめています。このドローイング、4回目だったかな。定点観測していると、成長を感じます。

彼女も、これが、何度目でしょうか。今回は、紙にしっかりと体を収めた構図取りに成功。体の構造もしっかりと感じさせるドローイングになりました。きもちのよい、大きさと、立体感です。

ナノカも、3歳から毎年描いて、6回目でしょうか。去年の、棒っぽいドローイングとはうってかわって、人の重さを感じさせる、しっかりとした構図で人を捉えられていて、成長を感じました。

大人の作品。革製品の作家さんです。正確に物を捉えて、描きたいという気持ちが伝わってきます。ドローイングは、見ること、捉えることの訓練だと思いますが、人によって、その方向性や目的が違ってきます。よい方向で、目的に向かって、描かれていると思います。

はじめて参加の女の子。最初、とても、魅力的な表情のある線で、描き出していましたが、30分の間に、色を使ったり、線を入れ直したりで、試行錯誤を繰り返し、最初の線は消失しました。ドローイングは、実験でもあるので、紙の上で、彫刻のように、練り上げたのだろうな、と思います。また、やりましょうね!

正面からの難しい角度から、堂々としたドローイングを仕上げました。すすむさんの、憂いを帯びた表情が、また、なんとも言えません。背景の中に、自然に人が溶け込んでいて、それでいて、人の存在感もあって、とても、魅力的な作品になりました。

ちいさなフィギュアを、カラフルな背景の中に描きました。最初に見せた、ボナールの印象があったのかな?この日は、他のドローイングも、周りがしっかり描き込まれていて、おもしろい作品ばかりでした。他の対象物を描く時にも、参考になるといいな。

年長さん作品。前回は、すすむさんを目の前にウサギを描いてましたが、今年は、人を描きました。かわいいですね(ウサギがいなくなるのは、ちょっと、さびしいですが)前半のドローイングでは、しっかり、見ながら、人を描いていたので、成長を感じました。

ペン画のクラスから、大人も参加です。周りを見ながら、トーンを決めていくことを意識して、仕上げました。力強いラインと、重みのある上半身が、いい感じです。服のトーンと髪の毛のトーンの描き訳など、細かい所を意識されています。ペン画に参考になるといいな、と思います。

こちらも、ペン画の大人さん。こちらは、繊細なラインと、静かなトーンで描いています。少ないラインで、部屋の雰囲気を描き出し、人間のいる空間に説得力を持たせています。こちらも、ペン画に活かせそうですね。

不要不急がどこまでを言うのか、悩みましたが、換気ができる施設と、接触のないプログラムであることなどから、対策を取りながら、教室を行いました。子どもも大人も混じってのドローイングでしたが、どちらも、非常に刺激になったと思います。1年に1度、これをすることで、1年間の視点の支えになってくれたらな、と思います。