2021年10月27日

伝言ゲームのこわさ Based on the speculation

 Several years ago, I worked with NHK educational to make some stories for English program. During term, I tried not to see any internet rumor about my program since I knew I would mind. I just devoted on my job.

 After handing all the works, my sister sent me the good reputation about my program in the internet. I read it and clicked the next page, then found an internet bulletin board.

 They criticized my works. OK, people thought many things when seeing something. I tried to accept them. But gradually their discussion became groundless. They believed that I got this job through the NHK President, because this artist must be a relative or something of him, otherwise, this silly bad work never got on the TV program! Then all other people started to blamed on me.

 I was just surprised that they discuss based on somebody's groundless specurations. Gradually they believed it was fact. I got no connection to TV people. The fact was that producer of NHK found my book and just asked me to participate to the competition and I won it.  Artists has no chance to explain how to get the job or even no need to explain it usually. We just created the works.

 My family said, just not to mind it since it was not fact at all, then only I could do was ignoring them. But I was still very scared feeling their negative emotions under their words. I was down for a while.

 Now I understood that they were just Minority got together on internet. They need something to threw their dissatisfaction.

Most of people felt the responsibility about what to say, so they were careful to say something. Then careless opinions were more and more on the internet. 

 Through Princess Mako and Mr. Komuro's fuss, I just sorry for them. I wish that they spent happy life in NY.

 以前、NHKの教育番組で、英語のお話と作画を担当したことがある。

 その際、子育てと仕事でてんてこ舞いで、忙しかったのもあったが、ネットの評判は、一切見ないようにしてきた。

 1年間の仕事の提出がすべて終わった後、姉が、ネット上のよい評判を見つけて、送ってきてくれた。その時、読んだ流れで、別のページを開いてしまった。わたしの作品で、盛り上がっているページに出くわした。

 稚拙だとか、登場人物の設定があり得ないとか、まあ、人はいろいろと思うのだから、いろんな意見があるのは仕方のないことだろう。

 しかし、「こんなレベルの低い作品、絶対、コネとかじゃん」と言いだしたあたりから、雲行きが怪しくなった。「会長の親戚とかだよ」「NHKだもんね。さいあくー」「コネとか、許せん!」と、コネ前提で、話がどんどん盛り上がっていったのだった。

 根拠のないことが、事実のようになり、それを前提に、さらに意見が進む様子を、あ然と読んだ。

 そもそもNHKの仕事は、担当者が、アメリカで出版した絵本をどこかで見つけて、出版社に問い合わせて、連絡してきた。

 公共性を保つために、コンペとなった。当初は、お話だけと言われたけれど、絵も自分でやりたかったので、絵コンテ付きでプレゼン資料を作った。1ヶ月ほどの審査ののち、採用が決まった。

 仕事を手にした経緯なんて、ふつうは、説明することはない。ただ作品を見てもらうのみだ。匿名の掲示板に本人が降臨して、反論したところで、収拾がつかないだろう。

 ネットの発言は事実無根だから、家族は「気にするな」と言って、その通りだと思ったけど、そこにある、作品に対する嫌悪感と、ネガティブな感情だけは伝わってきて、傷ついた。

 しかし、わたしの作品は、幼児番組内に数分だけある、小さな存在だったため、自分が避ければ、以後、曲がった情報を目にすることはなかった。 

 娘が、「伝言ゲームをすると、いつの間にか、情報が変わってしまう」という話をしていた。思い込み、「こうだったら、よかったのに」や「こうあっては、困る」という、それぞれの感情が、情報をすこしずつ、変えていく。その情報をもとに、次の情報が生まれる。事実も、多人数の人が「なかった」と言えば、消えてしまう。真実を知っているのは、当事者だけ。

 多くの人は、情報の取捨選択をしているし、言葉の責任を考える人は発言に慎重だ。すると、よけいに、慎重ではない人の言葉で溢れてしまう。

 わたしは、皇室の今回の騒動が、いろんな感情のはけ口になっているようで、気の毒にしか思えなかった。

 憶測が、事実をぬり替えて、孤立を生み、人を苦しめる。学校のライングループのような小さな規模から、日本中を巻き込んだ騒動に至るまで、同じように起こっている問題だと思う。そのことを、彼女は言いたかったんじゃないだろうか。

2021年10月8日

インスタグラムとやら、、、Instagram

県民割で、ハウステンボス公式ホテルに泊まったよ

ナノカが撮った、バエそうな写真 Nanoka took instagram-good picture

  インスタグラムを、始めました。 kae.nishimura

 何年か前に、アカウント開設していましたが、当時スマホじゃなかったため、投稿できず終い。時代に乗り遅れているなあ、との自覚はありましたが、なにせ、普段の生活に支障がないので、放置してありました。

 なぜ、やろうと思ったかといえば、原画展の詳細を決められない状態で、チラシを刷らなきゃいけなくなったからです。後から、おしらせしますの状態で、印刷をオーダーしました。

 さらにいうと、原画展も資金不足。「かんころもちと教会の島」の原画は売りませんが、額装しなくてはいけません。絵本の原画は、サイズが大きいので、一つあたり1万円ほどかかります。これって、下手すると、10万単位?

 今までの作品を売って、資金にしよう。そう思って、倉庫をあさって、額装して販売しようとしましたが、そもそも売る前に、額装にお金がかかる、、、堂々、めぐりです。

相方に相談したところ、

「額装して、売れなかったら、我が家に残るのは、借金だよね」

と言われちまいました。その通りです。わたしは、絵が、かっこいい額に収まってるところが見たくて、ガッツリよい額を注文しまくるつもりでした。

 ということで、額装しないで、販売先を見つける努力をすることに。「この絵、うちの子ども部屋にいいかも」とか「うちのカフェにいいかも」みたいに、行き先が見つかってくれるといいなと思います。インスタグラムなら、海外の人にも見えてもらえるし、どこか、よいところへ、もらわれていくのではないでしょうか。そういえば、アメリカにいた時は、絵本の原画専門のエージェントがいました。もちろん、中間マージン、ガッツリでしたが。

 原画展では、ちゃんと、代表作品が額に収まっている状態になる予定です。気軽に見に来てください。もちろん、絵を売りつけたりはしません。原画は、印刷や写真には出ない味わいがあるので、見てもらえたら、うれしいです。隣で、おいしいコーヒー飲んで、リトルれおさんで、ランチして、千綿駅でジャンプして写真撮って、楽しい一日を過ごして行ってください。

  そして、インスタをしてみて、、、今の所、スマホに翻弄される1日は、 向いてないなあ、と思います。なのかは、わたしのスマホで、絵文字いっぱいで、メールを打ってるんですけどね。子どもは、慣れるのが早いですな。

 そんななのかは、運動会の練習で、走るのが3位でした。3人中、3位です。意識したことがなかったけど、足があまり早くないようです。ダンスは、うれしそうに練習していますが、応援合戦が、気が重いとボヤいています。恥ずかしいようです。小1の時も、同じような態度でした。演劇では、舞台に立って、一人で、でかい声出してたのに、大勢に混じっての応援は恥ずかしいんですな。人の気持ちは、いろいろです。

 優等生ぶってるけど、凸凹だらけのお嬢さんも、がんばってるのだから、わたしも、スマホぐらい、我慢して使い方を覚え、がんばって、生きていかなきゃいけないのでしょう。ああ、なんて、便利で、めんどうな世の中なんでしょう。

2021年10月4日

原画展 オープニングイベント など Exhibition and opening

 

 オンラインの講演会、終わりました。

 観客のいない中、一人でとうとうと喋り続ける難しさ。でも、なんとか、1時間、無事終わらせることができました。 不安になると、部屋にいてくれる、図書館職員さんの顔ばかり、見てしまいました。やさしく、うなづいてくれた、Sさん、本当にありがとうございます

 親というのは、なかなか楽しい役割ですが、親と、自分という、2重生活をしている感覚で、なかなか1つのことにまい進とは行きません。あっちをした隙間に、こっちをする。でも、一個ずつがっつり片付けたいタイプのわたしには、何かを抱えたまま、何かも同時進行するのは、落ち着かないものです。

 おおまかには、先週はナノカの舞台、今週はわたしの講演会、と優先順位を切り替えながら、一個ずつ、片付けました。娘も大きくなり、手がかからなくなった部分と、より活動が広がって、振り回される部分が出てきます。先週は、わたしが娘の後ろを走り回ってましたが、今週は、娘が、私の講演会の間、部屋の外で本を読んで、待ってました。

 さて、次の大きな準備は、というと、わたしの原画展があります。じつは、チラシも作ってありましたが、配りきれておりません(営業時間に訂正があります:10:00ー18:00となります)。近々、貼っていただける方に、お願いに上がるつもりでおります。

オープニングを、10月23日(土)の午後にやります。

14時ー16時:中世風のハロウィーンペン画・ワークショップ (2000円・予約)

17時ー  井上周子さんと 古楽器、キリシタン音楽トーク

      井上周子さん リュート ミニコンサート

  周子さんの演奏するリュートという楽器は、「かんころもちと教会の島」にも、ちょこっと描かれていますが、キリシタン文化が長崎に花開いた時、演奏されていた記録が残っています。当時の、音の記憶に想いを馳せながら、週末の夕焼けを見に、東彼杵にドライブしに来てくださいませ!

ソリッソさん、という素敵な場所をお借りするので、他にも、在廊できる日には、ちょこちょこイベントを企画できたらなあ、と思っています。

期間:10月21日(木)〜11月7日(日)(初日は、搬入日で、作業をしています。来られるなら、22日以降がいいと思います)

2021年10月1日

オンライン講演会準備 Online Lecture at Sasebo Library

 

 今週末に迫った、図書館での講演会。オンラインは初めてで、どうなることやら、とんと想像がつかない。一方的に、反応が見えない状態で1時間、喋り続けるのって、どんな感じなんだろう。

 とりあえず、原稿を書いて、資料写真や画像をじーっと見てたら、突然、吐き気に襲われ、沈没した。画面を見すぎたか、、、 

 資料を見てると、いろんなところに行って、いろんな人に会ってるなあ、と思う。どれも、話し始めたら、キリがない。どの要素も、絵本の一部として、サポートしてくれてる情報だからだ。どれを取り上げて、どの話をしよう、、、

 そして、こういう時、整理された、論理的な構造のお話がいいのか、つかみどころがないけれど、全体として、伝えたいことが伝わって来るお話がいいのか、悩む。

 昨日、ナノカの給食の献立表の裏に、月見だんごの並べ方が図式クイズで描いてあるのを見つけた。下から、9、4、1と積み上げていくのが、正解だ。

 本や文章を考える時、なんとなく、箱みたいなものを思い浮かべる。いくつかの要素(箱)を積み上げて、集合体をつくるイメージだ。劇とか、講演会も同じなのだろうと思う。

 ふと、8、3、2の月見だんごも、おもしろく見えてくる。現代建築のような、いびつで、すこし危うい感じはするけど、いけてる気もする。新しく発見された分子の構造列に見えなくもない。

 絶対に、隙を見せることができない、法務上のことであれば、きっと9、4、1でだんごは積み上げなければいけない。

 また、ナノカの手作りだんごのように、それぞれがいびつで、あやうい場合は、並べ方までチャレンジをしたら、なかなか、うまそうな感じには見えず、多分、わざと配列を変えてきたとは誰も、気づかないだろう。

 箱はいっぱい、ある。

 まだちょっと体調不良の中で、グダグダと組み直してみる。