20時〜22時。ロウソクのみで過ごす。 |
できること。おしゃべり、体操、モノマネ、影遊び、などなど。 |
1年で、夜が一番、短い、1日。
この日に、20時から22時までの2時間だけ、電気を消して過ごそう、
という試みがある。
世界中で、キャンドルを使った、イベントなどがある。
地球温暖化やエネルギー問題を考えるための、運動だ。
わが家も、思いついて、電気を消してみることにした。
それに合わせて、急いで、お風呂に入り、歯磨きもした。
電気を消して、数分後に、
「たいくつ」とナノカが言い出す。
本が読めないので、落ち着かない様子だ。
「たまには、ゆっくり、おしゃべりしよう」と声をかけると、
気を取り直して、しゃべり出した。
ナノカの物真似というのは、動物とか、パントマイムが中心だったけど、
けっこう、上手だったし、「正確に言うと、、、」で始まる注釈がおもしろかった。
パパは、暗闇の中で食事を取らなくてはいけなくて、
「おいしいのか、まずいのか、よくわからなかった」らしい。
22時になったので、電気をつけて、片付けと、明日の準備をしたが
それまで、暗闇にいたからか、すぐに、眠くなった。
電気の明かりがないと、本も読めないし、片付けも出来ないし、不便だ。
でも、明かり便利さに甘んじて、
人は、夜の時間を、どんどん、侵食してきた。
パソコンの普及で、さらに、
どこでも、いつでも、いつまでも、仕事ができてしまうので、
結局、遅くまで、作業をして、漫然と時間を過ごして、昼夜がひっくり返る。
たった2時間の暗闇だったけど、その不健康さまで、感じた気がした。
ちょうど、修道院の生活について書かれた本を、読んでいたので、
暗闇は、沈黙と似ているな、と思った。
制限の中で、人は、自分の内側に問いかける時を持つ。
つまり、いつも、煌々と明るく、
ザワザワとにぎやかで、絶え間なく情報が押し寄せてくると、
自分の心を整理する時間がない。
心が疲れていく。
年にたった一度で、何が変わる、という意見もあると思うが、
年に一度だけでも、感じてみるのは、価値があると思う。
ちなみに、私は、昔、十五夜お月様をナノカと見ようと
毛布にくるまって、電気を消して、外を眺めていたことを思い出し、
ナノカは、一緒に作った、和紙のランタンのことを思い出したと言っていた。
華やかな旅の喜びも思い出ならば、
闇や静けさも、また、記憶や思い出を引き起こす。
安上がりで、たのしい、非日常でした。
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