先日、取材に行った分の、記事を書き始めた。
今回は、桐修道院に、山田シスターを訪れた。
以前、お会いして、その聡明で、あたたかいお人柄に、
ぜひ、もう一度、お会いしたいと、願ってきた方だ。
修道院は、一般の人には、ベールに隠された部分が多い。
すこしでも、その生き方や、お気持ちが理解できれば、と
海外の本を読んだり、修道会の歴史を読ませてもらった。
神への奉仕を、一生の仕事とする人生は、
あまりに奥深く、簡単には、書ききれない。
でも、今を生きる私たちに、シスターの在り方は、
多くのことを無言で、語ってくれると、感じた。
私達は、なんのために生き、なにを学んでいるのだろうか。
小さな諍いや、うまくいかないことへの苛立ち、
承認されないことへの不満、忙しさを言い訳した山積みの課題。
人間だから、ただ淡々と受け止めるのは、難しい。
時に、整理しきれず、外にぶつけたり、
鬱々と溜め込んで、よどんでしまったり。
それらを、さざ波を立てず、清らかな水に、流すように、
生きられたら、いいのに、と思う。
桐教会から望む海は、 海流の関係で、
エメラルドグリーンに透き通って、 美しい。
自分の心の中に、このように、透き通った部分を
持つことができたなら。
それが、シスターにお会いして、感じる、私のきもちです。
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