さつきさんの畑で玉ねぎ掘り |
手仕事とは、心から望めば、たのしい作業になる。 |
「私は、しあわせ。畑の仕事が好き。工夫をするのが好き。」
という話を、いつも、してくれる。
「土いじりが、小さな頃から、好きだった。
だから、この生き方ができて、本当に、しあわせ。」
先週ぐらいまで、私も、仕事で大忙殺で、きつかったが、
それでも、終われば、さわやかな達成感で、満たされる。
仕事って、たのしいよね、とやっぱり、思える。
畑仕事が、世界で一番、楽しい、とか
好きな絵の仕事をしてるから、全然、辛くない、
という話ではない。
体を使って、畑を1日耕せば、もちろん、疲れる。
寒い日もあるし、暑い日もある。
創作も、仕事である以上、非常にシビアな現実の中で行われ、
プレッシャーをきつく感じる。
でも、やっぱり、「たのしい」のだ。
ふと、人は、希望のために働いてるのか、不安のために働いてるか、
分けられるのでは、と思った。
同じ仕事内容、仕事量をこなしても、
働き手それぞれに、ダメージが違うのは、そのためかと思う。
それは、子供が勉強するときも同じで、
「ぼくは、どうしても、このことが知りたい」
「これを研究して、人を助けたい」という希望に動かされてる時、
勉強は、きつくても、ストレスにはならないけれど、
「勉強しないと、こんな風になっちゃうわよ」
と脅されて、不安から、勉強すると、
ストレスから逃れるために、新たなストレスを抱える、
というような、先が見えない、スパイラルの中で、もがくことになるのだ。
英語では、仕事のことを、Callingという。
「神様が呼んだ」という所から、来ている。
日本語で言うところの「天職」に当たる。
それはまた、公共の大きな目で見た時、世界に貢献しているべきだ。
私は、子供が生まれ、地方に移ったことで、ハンデが多くなり、
その中で、無理をしてでも、仕事を続けるほど、
私ではないとできない仕事があるのか、悩んだこともあった。
今、人に会い、そして、言葉を探しながら、記事を書いていくことで、
「まだ、私にも、できることが、あった」と感じた。
それは、どれだけお金持ちになったかとか、有名になったかとか、
では計れない(そうはなってないし)自分だけの答えだ。
こうしないと、この立場を守れない。
この立場を守るために、納得いかないが、イエスと言おう。
書類も改ざんしよう。
おかしいと思うが、飲み込もう。
自分には合ってないと思うが、我慢しよう。
ーでは、希望があるはずもなく、不安に支配された仕事になってしまう。
そして、俯瞰してみたら、世界にも、未来にも、貢献していない。
なんとなく、社会全体が元気がなく、閉塞感があるのは、
不安で社会が動いているからではないかと思う。
そのエネルギーは、少しばかり、自分勝手で、
見通しも、せまい。
子らには、希望のために学び、希望のために働いて欲しい。
そして、それが見つかるまで、支えるのは、母のCallingだな、と思う。
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