先日、8月6日に、台風が気になり、テレビをつけると、原爆特集をしていた。
ナノカが、「見たい」というので、年齢的にも、
すこしずつなら、受け付けるかなと思い、つけておくことにした。
On the other day, I put on TV and it showed the program
about the pictures drawn by nuclear bomb survivors.
Nanoka wanted to watch it.
それは、被爆者の方々が、当時のことを、絵で描いたものだった。
最初は、閃光や雲など、爆発の様子が描かれた絵が並んでいたが、
そのうち、火傷をおって、皮膚が垂れ下がった親子が、
沈黙して、歩いていった、という絵になった。
First few pictures were lights, bomb, clouds etc.
Then it turned to mom and kids walking, who got burned by heat wind
and their skins melted and hung under their body.
漢字で書かれた文字は、読めていなかったようだし、
絵は、リアルなものではなかったが、数秒後、
「消して!」と、ナノカが叫んだので、テレビを消した。
異様な雰囲気を感じ取り、こわかったようだ。
まだ、早かったか。
She shouted, "Switch off!"
It was too early for 6 years kid.
その日、相方が「星の王子さま」を、娘に読んでいた。
「本当に、大切なものは、目に見えないんだよ」
最近、感じていた、違和感みたいなものを、その言葉が表してるように思った。
On that day, husband read her "Le petite Prince"
"You cannot see the most important things."
I feel it showing what I am now feeling recently.
写真とは、不思議なもので、
都合の悪いものを除外して、切り取っていくと、
まるで、美しい「リアル」がそこに、あるように思える。
Photos are tricky.
We shoot the things eliminating what we don't want show,
then we get to believe the beautiful "real"
きれいな料理、たのしそうな場所、映画の主人公みたいな自分、
というような、切り取りができる。
そうして、「リアル」を作り出すことができる。
Beautiful dishes, Fun place and feeling being main characher in the cinema.
「見せたい」ものだけを、並べてみると、幸せそうな自分。
でも、「本当に、大切なものは、目に見えないんだよ」。
ただ、写真を撮り続けるだけでは、空洞の3Dスキャナーのコピーみたいだ。
What we want to show, looked like "happy me"
but it is empty like 3D scanner copies.
見えているものの後ろに、見えていない山のような、人と歴史と文化がある。
その重たい、さまざまなものと、向き合って、人生はできあがっていく。
その人生に敬意を持って、撮られた写真は、たった1枚でも、雄弁に、語る。
見えない部分が、それだけ、しっかり、捉えられているんだろう。
Thousands of imvisible hide behind visible.
People life, history and culture.
When we respect those, a picture talk a lot.
世界の核兵器を取り巻く状況は、よい方向へ向かっているとは言い難い。
The reality surrounding of nuclear weapon is not going well.
現実は、重い。
でも、その重さが、人の命の重さである。
時に、目をそらしたくなることもあるけれど、
大切な人と一緒に、見つめ続けていきたいと思う。
The reality is heavy.
But this heaviness itself is heaviness of a life.
I want to think about this with my precious people.
0 件のコメント:
コメントを投稿