About a pray every Friday morning at the Kuroshima Church for Atonement of Stepping pictures of the ancestor |
the women, the owner of the small grocery shop at the island, goes to the church every morning since she was a child. |
毎日新聞掲載「絵本作家が行く、カンコロの島紀行」2020年2月号です。
今回は、佐世保市、黒島にだけ行われている「踏み絵の贖罪」のための「十字架の道行きの祈り」について書きました。
黒島は、人口の8割近くがカトリック教徒という、非常に特殊な島です。
日本におけるカトリック教徒は、0、 4パーセント弱。人口比が高い長崎県で4パーセント強という事を考えると、その特殊性がよく、わかる。
私が20代の頃に住んでいたアイルランドは、世界でも有数のカトリック国だが、
そこのカトリック比率が8割だったので、同じなのだなあ、と感慨深く思った事がある。
アイルランドのダブリンに住んでいた時は、私は国立の美大生だったのだが、同じクラスの生徒にMonkがいた。正真正銘の修道士だ。彼の世界は、純粋な信仰で成り立っていて、透き通るような、美しい目をしていた。
バスに乗っているおばあちゃんは、教会の前を通過すると一斉に十字を切るし、日本でゆるくて、雑多な信仰心に囲まれてきた私には、なかなか衝撃的な暮らしだった。
当時、まだEUに入りたてだったアイルランドは、外国人に慣れておらず、保守的な面を多く残し、クラスでたった一人の外国人だった私は、疎外感を感じて、ホームシックに苦しんだ。半年もたつと、英語もなめらかに出てこないのに、日本語も出てこなくなって、混乱した。緯度が高くて、日照時間が圧倒的に短い冬も拍車をかけた。
そんな私を、クラスメートは週末、地方へ帰宅する時に、一緒に連れ出してくれた。小さな家に、6人の子がいる家。一部屋に2段ベットが2つ入り、成人した女の子が4人眠る。私が泊まるために、一番上のお姉さんが、婚約者の家に泊まりに行ってくれた。
週末の過ごし方は、いたってシンプル。兄弟姉妹、家族で、2時間ぐらい家の周りを散歩する。隣の家が見えないかぐらい、だだっぴろく、ただ、草原の間を抜ける石垣の道を、風に吹かれながら、ずーっと歩き続ける。
アイルランドのカトリックの歴史も、決して、平穏なものではない。イギリス国教会との関係で、多くの政治的な争いに巻き込まれてきた。その中で守りきった、平穏な今の生活を尊ぶ気持ちが、日本の長崎の信徒さんと重なって見えることがある。島であることや、風が強いこと、土地が豊かではないことまで、似ているからだろうか。
上五島で、さつきさんや、ふささんが必ず「私は幸せだ」「私ほど、幸せな人はいない 」と口を揃えて話す。その言葉は、本当に、心の底からのものだと感じさせ、いろいろ、不平不満を感じて生きている、自分に恥じた気持ちになる。
毎朝のミサは、私には苦行に見える。
でも、それを行う人たちが、これほどまでに、まっすぐと自分を信じられるのなら、 祈りは確かに、力を持ち、人を支えてくれるものなのだろう。
不安な時ですが、そうした先人にならって、大切なものは何なのか、見失わないで、過ごしたいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿