2021年3月10日

人がまちがう時 people do mistaking

 

きっと、人は、悪意があって、間違うことは少なくて、近しい人や、家族、自分の生活や仕事、仲間、組織を守ろうという気持ちで、間違いを起こすんだろう。

佐世保で事件が起こった時、そのことを、つよく、感じた。 

誰しも、悪気があったわけじゃない。その時、よかれと思ったことをしたのかもしれない。でも、結果的に犠牲になったのは、なんの罪もない、少女であった。

あの時、どれぐらい、どこで、だれが、どのように間違えたのか、しっかりと検証できたのだろうか?

わたしは、人は人。間違いは間違いだと思う。どんなに、いい人でも、事故を起こせば、警察に行って、検証されなきゃいけないし、 どんなに立場がある人でも、どんな大義名分があっても、起こった事件に対して、責任を取らなくて済む、ということはない。

でも、日本は、そういうことが、すごく、あいまいだ。

人情といえば、聞こえはいいけど、誰かに情をかけたことで、歪みが生まれる。それは、どこかで、だれかを不当な立場追いやり、苦しませる。

こういう風に言われる事は、関係者には辛いこともあるだろう。でも、ものごとは、粛々と、処理されて、明るみに出て、清算され、次に進んでいくべきなのだと思う。そうして、初めて、すべての人が、冷静に振り返られる、過去となる。

アメリカでも、日常で(デリで、不動産会社で、ランドリーで)、ろくでもないことが、ガンガン起こった。でも、まわりの人は、個人の権利のために、一緒に文句を言い、戦う姿勢が常にあった。よく考えたら、組織と、個人は、いつも、個人が立場が弱い。組織なんて、守ろうとしなくても、必要なら、残っていくのである。戦争の後にも、日本はなくならなかった。なにがなんでも、守らなきゃいけないと思って、人は自分の正義すら曲げてしまったわけだけど、その守っているものが幻想であることも、多い。

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