左から、相方のおかず椀、私の一輪挿し、ナノカのマグカップ Left:Husband Center:Mine Right:Nanoka |
長崎もコロナ感染症が拡がってきて、かなり、行動が制限されることとなった。
ナノカの学校は、休校となった。
ナノカの演劇さーくるは、1月中は活動停止になった。今後、さらに休止される活動も増えていくだろう。
他の文化施設が、軒並み、公演を中止する中で、早い時期から、ミュージカルも、バレエも公演したアルカス。ナノカの演劇サークルも、リモートや、延期を繰り返しながら、やれる時期には新しい生活習慣に則って、活動し、11月には、舞台に出ることもできた。その間、ナノカが得られた「体験」は、この年齢でしか得られない、今を、しっかりと支えてくれた。ただただ、感謝しかない。
リスクが伴う活動で、中止するべきものもある。でも、この形式なら、安全が確保出来る、という活動もある。 前の経験から、家で閉じこもって、一律、活動を休止してしまうのは、違うかな、と思う。
一方、「コロナは 、まったく問題ない」という考えの人もいる。なにを信じるかはそれぞれの自由なのだけど、集団活動をするとなったら、一定のルールを想定しないと、成り立たない。演劇さーくるが、活動を続けられたのは、検温して、消毒して、フェイスガードをして、一定の距離を保って、換気に気をつけてを、すべての人がしたからだ。自分は、かかっても大丈夫、という信条でも、それは、施設や、他の参加者、そしてその家族や職場の人の生活とつながってることを考えたら、ひとりの考えでは動けない。85歳の高齢の参加者がいる。施設で働いている仲間がいる。世のすべてが、自分が感染するのが怖くてマスクをしている訳ではない。従業員の生活を守るため、家族の活動を守るため、など、それぞれ様々な理由で、ルールができて、守られている。
活動を可能にするのは、結局、違う立場の人への思いやりなのかな、と思う。
わたしも、先月、離島にかんころ餅の取材に行ってきたが、今思うと、長崎県に感染拡大する前の、ギリギリの取材だった。関係者の方々が、受け入れてくれた事、感謝するしかない。この時期を逃していたら、1年後まで、取材ができなくて、絵本に実在の体験を書くことができなかった。
さて、まだ、活動がしやすかった頃に、家族で、ろくろ体験をした。ナノカだけ、ダントツにうまかった。「力の抜き方がうまい」と褒められて、嬉しそうだった。現実の体験から、知る感覚は、無限大。
しばらく我慢の時期がやってきたが、できることを、見極めながら、体験を提供し続けていけたらな、と思う。
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