2015年3月20日

第6回リトルアーティスト「自画像ふくわらい」Selfportrait game

鏡を見ながら、目、鼻、口などのパーツを 描いていきます。looking into the mirror and drew eyes, nose and mouth.
まつ毛は、どこからはえてるかな?ちゃんと、口には歯が、鼻には穴が。Where are eyebrows?
できあがったら、これらは、ハサミで切り抜きます。cut out all the parts.
今度は、別の紙に、輪廓を。今日は、三つ編み。On another paper, drew the face line.
さあ、二つを組み合わせれば、「ふくわらい」の完成。complete.
ハハハ、、、We can play the game putting the parts with eyemask.
3歳を目前にした頃から、「顔」を描きはじめ、その後、いろいろパーツや表情も増えていった。しかし、それは、どれも、感覚で「目を描いて〜、口も描いちゃおう♪」みたいな感じで、描かれたもの。その様子から、どちらかといえば、実物の顔というより、絵(ナノカの場合は、私の描く絵)や、キャラクターを参考にしているようだ。
実は、リアルに人を描こうとした時でも、案外、子供達の中には、固定概念が存在する。人を、小さな頃から描き続けた中で、「こんな風に描くと、それっぽいのが描ける」という経験を積み重ねているからだ。
しかし、顔のパーツひとつを、よくよく観察してみるとわかるが、ひだやら、まつ毛やら、非常に複雑。それ一つだけでも、1時間も、かけられるぐらい、奥が深い。今回は、それを、子供達に、自分の目で確かめてほしいと思う。
ということで、鏡を渡し、ナノカにもやってもらった。
ナノカには、まだ、「ものを見ながら、描く」ということが難しいようで、鏡が目の前にあっても、ほとんど、最初に覗き込んだきり、あとは、描くのみ。だが、見ていると、いつもはない、細かいまつ毛が描き込まれ、 (場所が変だが)鼻の穴があり、歯がたくさん描かれていた。彼女なりに、「観察し」て、反映させたのだろう。

「描く」というのは、「見る」ということだと思う。
これほど以上に、ものを詳しく見ることはないんじゃないだろうか、と思うぐらい、深く、そのことについて、観察する、考える。表面的な「ここに、影がある」ということと同時に、自分に向き合う、という内省的な動きにもなる。同じりんごを1日描いていると、そのりんごの背景にドラマを感じたり、愛情を感じたり、哀しみを感じたりすることすらある。 ましてや、自分の顔を描けば、その時の、自分と向き合うことにもなる。子供達が、それを意識するようになるのは、もっと先のことなのだろうけど。

今回は、いろいろな画家の描いたいろいろな「自画像」を集めて紹介する。「ふくわらい」を作った後は、バラバラになったパーツを生かして、ピカソ的な絵を描くのもいいし、自分のタッチで、自画像を描いてもいいかな、と思っている。

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