カンコロ紀行、2月分。
キリシタン迫害の歴史は、どちらかというと、記事で触れないようにしてきた。
悲劇の物語の部分を強調することで、今、ここにある文化を伝える趣旨から、ズレていくように思ったからだ。
また、加害者も日本人であったという事実。だれかを傷つけることにもなりかねないし、センシティブで取り扱いにくかった。
今回、そこにスポットライトを当ててみることにした。今、人や社会の歴史から、学ぶべきことがあると思ったからだ。
キリシタンたちを転び(棄教)させるために行われた拷問の数々は、想像を絶するものばかりだ。布に包んで、海の中に沈めて、絶命前に引き上げて、を繰り返したり、火の中に生きたまま吊るしたり、無理な体勢に縛り上げて力を加えていく、指を切る、鼻を削ぐ、爪の間に針を入れる、などなど。
恐ろしいのは、すぐ死なないように、長時間苦しむように工夫されていたことだ。5日間、10日間と、その苦しい時間が続くように考えられている。また、その様子を晒し者にした。見せしめの意味もあったからだ。
今から考えると、常軌を逸してたとしか思えない、非道な行為の数々だが、これは、時の中央政府が決めた「禁教」という法律にのっとっていて、違法者への処罰として、正当なものであった。
キリシタン側から見てみれば、数十年前まで藩主が推奨して、キリシタンが国教のようになっていたところに、秀吉がキリシタン追放令を出し、江戸幕府が禁教にした途端、日本中が一変。突然、ただ信じているだけで罪人になり、残酷な殺され方をされるようになった訳だ。
どれだけ残酷か、という点を知っても、息苦しいだけかもしれない。ただこの歴史を通して、一般人は社会の中でこんなに弱いのだということ、権力者の意向は絶対的な方向性を持つということは、理解しやすいのではないだろうか。
人間は、社会の中で生きる動物。社会がどうあるかで命を左右されるのは、避けられない。そんな中、一線を越えた残酷なことが起こらないように、苦しみの歴史を知るのは意味があると思う。
今、この時も、世界のどこかで、だれかが苦しんでいる。いくらでも残酷になれる1面を持つ、人間という生き物。それぞれの国に主権があるとはいえ、「たが」が外れないよう、世界的最低限の基準があったのなら、と思う。だれも、こんな風に、自分や家族を失いたくない。
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