2020年6月10日

あおむし子の旅立ち Fly to the freedom

朝起きると、あおむし子は、立派な蝶になっていた。
あおむし時代の3割引サイズのサナギで、1週間過ごした後のことだ。
羽を乾かしてる間、観察する
今朝、気づくと、蝶がいた。

あおむし子は、やや微妙なサナギのなり方をしていたので、
「もしかして、羽化できないかもなあ」と、思いながら、窓辺に置かれていた。
なので、羽化を今日か今日かと待ち望むことなく、やや放置されてきたが、
あっさりと、蝶になった。
それも、文句なしに美しいアゲハだ。

羽化の瞬間は見れなかったけど、気付いた時はまだ飛び立つ準備中だったので、
サナギの脱ぎからの横に汁がついてるのとか、
口を丸めたり、のばしたりして、練習してるのとかを
のんびりと観察できた。登校前のバタバタの時間を、全部使って。

「感動した」「また、来年も、育てたいなあ」
と言うナノカ。
「でもさ、レモンの木、また食べられたら、存続の危機だよね」
と私が言うと、少し考えて、
「やっぱり、つぶそうか」
と答えた。

意外にリアリストのナノカ。
ふと、都会で先日起こった、シカの保護署名のことを思い出した。

農家や自然保護観察の観点からいくと、困り者のシカやイノシシ。
農村では、まさに生活をかけての、野生と人間の真剣勝負が繰り広げらえている。

一方で、シカやイノシシは生き物として、かわいい。
都会に迷い込んだそれらの動物は、「殺すなんて、かわいそう!」と声が上がる。
立場が違うから、見えない部分があり、感情を動かされるのもわかる。

そういう意味で、こうやって自然に触れながら、農作物を育て、社会問題に触れる事は、
さまざまなか感情を体験する事になる。ナノカは、その中で、自分なりの結論を出したのだ。この結論は、なかなか貴重なことなのだとも思った。

とかく、保護活動や、政治運動は、極端になりやすい。
でも、コロナの件でも思ったけど、人が生きていく社会が
経済で動いている以上、ビジネス的な観点も必要である。
いろいろな立場の人間と話し合うためにも、客観的なデータや専門家にしか
できない分析に耳を傾けることも必要。

私は、自然保護活動に勤しむ人々は、非常にリアリストだと知っている。
データを集めて、行政と渡り合い、同時に、非常に地味な観察会で理解者を増やす。
その行動を、尊敬している。

パタパタと飛んでいくあおむし子に、二人で、
「蜘蛛の巣にひっかかるなよー」と声をかけて、見送った。

君は、鳥に見つかったり、トカゲに狙われたり、さまざまな生き残りをかけて、
これからの生命を全うして、次世代に命をつなげるか、がんばるのだろう。

そして、私は、3000円したレモンの苗を、丸裸にされないために、
「そこそこの、蝶々とのおつきあい」を模索するわけだ。
命をかける蝶と、私の趣味的なレモンとの関係じゃ、割に合わないかもしれないけど。

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