朝起きると、あおむし子は、立派な蝶になっていた。 |
あおむし時代の3割引サイズのサナギで、1週間過ごした後のことだ。 |
羽を乾かしてる間、観察する |
あおむし子は、やや微妙なサナギのなり方をしていたので、
「もしかして、羽化できないかもなあ」と、思いながら、窓辺に置かれていた。
なので、羽化を今日か今日かと待ち望むことなく、やや放置されてきたが、
あっさりと、蝶になった。
それも、文句なしに美しいアゲハだ。
羽化の瞬間は見れなかったけど、気付いた時はまだ飛び立つ準備中だったので、
サナギの脱ぎからの横に汁がついてるのとか、
口を丸めたり、のばしたりして、練習してるのとかを
のんびりと観察できた。登校前のバタバタの時間を、全部使って。
「感動した」「また、来年も、育てたいなあ」
と言うナノカ。
「でもさ、レモンの木、また食べられたら、存続の危機だよね」
と私が言うと、少し考えて、
「やっぱり、つぶそうか」
と答えた。
意外にリアリストのナノカ。
ふと、都会で先日起こった、シカの保護署名のことを思い出した。
農家や自然保護観察の観点からいくと、困り者のシカやイノシシ。
農村では、まさに生活をかけての、野生と人間の真剣勝負が繰り広げらえている。
一方で、シカやイノシシは生き物として、かわいい。
都会に迷い込んだそれらの動物は、「殺すなんて、かわいそう!」と声が上がる。
立場が違うから、見えない部分があり、感情を動かされるのもわかる。
そういう意味で、こうやって自然に触れながら、農作物を育て、社会問題に触れる事は、
さまざまなか感情を体験する事になる。ナノカは、その中で、自分なりの結論を出したのだ。この結論は、なかなか貴重なことなのだとも思った。
とかく、保護活動や、政治運動は、極端になりやすい。
でも、コロナの件でも思ったけど、人が生きていく社会が
経済で動いている以上、ビジネス的な観点も必要である。
いろいろな立場の人間と話し合うためにも、客観的なデータや専門家にしか
できない分析に耳を傾けることも必要。
私は、自然保護活動に勤しむ人々は、非常にリアリストだと知っている。
データを集めて、行政と渡り合い、同時に、非常に地味な観察会で理解者を増やす。
その行動を、尊敬している。
パタパタと飛んでいくあおむし子に、二人で、
「蜘蛛の巣にひっかかるなよー」と声をかけて、見送った。
君は、鳥に見つかったり、トカゲに狙われたり、さまざまな生き残りをかけて、
これからの生命を全うして、次世代に命をつなげるか、がんばるのだろう。
そして、私は、3000円したレモンの苗を、丸裸にされないために、
「そこそこの、蝶々とのおつきあい」を模索するわけだ。
命をかける蝶と、私の趣味的なレモンとの関係じゃ、割に合わないかもしれないけど。
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