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クタクタながらも、黒島が舞台の、貴重な映画が上映されると聞いて、
佐世保映画祭に走る。
「裸足の青春」
1956年製作(東宝)
カトリック教徒と仏教徒の村が2分する島という架空の設定で、
おもしろおかしく、おおげさに、ことあるごとに、いがみ合う、というのは、
住民の大方がカトリックで、仏教徒と穏便に共存してきた、
黒島の史実とは違うが、興味深い、映画だった。
なにより、オープニングの九十九島の上空からの映像に、
釘付けになった。
どの島にも、沿岸部に土がいっぱい残っていた。
そして、黒島を覆う、段々畑だ。
当時の漁の仕方や、船の仕様、大聖堂の姿や、海の美しさも衝撃だった。
それを撮ろうとして、撮ったわけでもないだろうが、
郷土資料としての価値の大きさも感じることができた。
次の日、
「スイートスイートゴースト」
2000年製作(日活)
という、大島崎戸をロケ地にした映画を見た。
これも、2000年時点で、大島に、これほど古い商店街や建物が残ってたことが
衝撃的だった。
今、逆に、これがそのまま残っていたとしたら、
都会から人を呼び寄せるだけの、観光資産になっていたかもしれない。
(インスタ映えもするし、、、)
でも、やっぱり、人の営みの中で、
建物も景色も文化も淘汰されるのが、現実だ。
それは、私が、五島に通い、かんころを追いかける中で、
身にしみて、感じること。
どんなに、あがいても、大型農業には敵わないし、
若者が島の畑で稼ぐのは、都会でもらうサラリーより、厳しい。
誰かが、その選択肢をすることは、極めて、難しいことだ。
いろいろな事を模索してみるが、「経済」という壁を越えられず、
ウロウロしているうちに、文化ごと消えてしまうのではないかと絶望的にもなる。
一方、これから、効率化と機械化(AI?)で、世界はさらに、便利になっていく。
そういう中で、逆に、「これこそが、価値があるよね」と
いうものが出てくるだろうとも思う。
それこそ、大きな近代化の波の中でも、なぜか、生き残った
「人間の、営みの、あたたかさ」みたいなものじゃないんだろうか。
そう思うと、せっかく昭和、平成の激動を生き延びた文化を、
今、この数年で、失ってしまっては、取り返しがつかないと思う。
まだ、打つ手はあるはず。
そして、その一つの動きが、
次の世代に、なるべく多くを残すことにつながる。
なにができるのかな、と考えてしまう、眠れない夜だった。
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