2018年11月30日

くらい作家 Dark Author

相方の「ママは黒い絵本作家(失礼な)だからなあ」という言葉に、「くらい、さっか?」と聞き間違うナノカ。
そこで、暗い作家を実演する母。「ある所に、一人ぼっちで、洞穴に住むネズミがいました」
「毎日、朝起きると、日記にその日付を書き、夜、寝る前には、『今日も、誰とも、喋らなかった』と綴りました」
「そんな日が、30年続きました。そして、年老いたネズミに、その時がやってきました。光が差し、階段が現れ、天国に登りました。『ようこそ』神様が言いました。その日、ネズミは、「神様と喋った」と日記に書きましたとさ。おしまい。」どう、暗い?
なんでも、要求されると、やってしまう、次女体質の母。
そして、なんとか、話をまとめてしまう、職業病。

ナノカは、ジュークボックスか何かと思ってるのか、
「次は、明るい絵本作家になって〜」と注文してくる。しつこく。
しかたなく、それもしたが、暗い話ほど、盛り上がらなかった。

そういえば、昔、美術史の授業で、
「人間は、天国はたいした想像が働かないけど、地獄はものすごくバリエーション豊かに描かれる」 と講師の先生が言ってたけど、
暗い話の方が、考えやすいのか。

ちなみに、最後に、神との出会いがあるので、
救いの話であり、暗い話としては、失格か。

2018年11月28日

19時からの紙粘土 Clay work after dinner

子ども劇場のバザー用に、オーナメントを作っている。
I made ornaments for Bazaar
こうして、淡々と、同じものを何個も作る作業は、
時に、心が落ち着き、達成感もあり、楽しい。
ましてや、とりとめのないお喋りをしながらだと、いい気分転換だ。
Nanoka had a look and said, "I want to make them, too!"
家に帰ってきた娘に、見せると、
「作りたい」と言いだした。

え、今から?
本音を言えば、結構、疲れてたし、
こんな時間から、
テーブルも、手も、道具も、真っ白になる作業を、やりたくなんてない。

でも、だったら、忙しい小学生は、いったい、いつ、やれるんだ?
習い事に、宿題。あっという間に、寝る時間がやってくる。
気持ちが熱い時に、もし空き時間があるのなら、させてやりたい。
結局、夕食後、紙粘土を渡すと、作り始めた。
I was not happy to hear that she wanted to do clay in the evening
since I was tired after a day, also we had limited time before sleep
so it would be tough to clean up after making mess from clay work.
After dinner she started to make rabbit ornaments of clay from 7pm.
学校や学童等で指導を頼まれると
絵の具も紙粘土も、クレヨンも家で禁止されてる子に出会う。
いろいろな事情があるだろうし、
私自身も、こうして、夕方に言われると、
うっとくるので、親側の気持ちもわかる。
でも、自分が子どもだった頃のことを考えると、
その自由は必要だな、と思う。
Some moms were perfectly keeping house clean.
Others were perfectly contorlling their family's time and life schedules.
They were trying to do their best and did good job
but also it made kids a bit tight.

いつも、ダメダメ、ではなく、
今日だけ、今回だけ、少しだけ、
と、ゆるめるのも、必要なのかも。
Sometimes we need to loosen to make kids wish.

2018年11月27日

妖精のお風呂 Fairy and bath

「ねえ、妖精ってお風呂、入るの?」Nanoka wondered if fairy took the bath.
「そうねえ、蝶々入らないしねえ。ママは、入らないと思うな。」I said maybe not.
「ナノカは、入ると思う。汚れて、汚くて、臭くなるから」Nanoka thought they should be since they became stinky.
「薄いカバーみたいなのをして、入るんじゃないかな」シャワーキャップのことか。Nanoka's guess was wearing shampoo hat. That's a kind of good idea.
高専のおもしろ実験に参加した。
先日、高専のおもしろ実験に行ってみた。
ドラム缶は、空気圧でへこむし、ワイングラスは音で割れるし
おまけに、スライムを作るナノカの机の担当は、イケメンのお兄ちゃんだし、
ちいっとは、理化学にも興味が湧いたんじゃないの?

と思ったけど、やっぱり、日常会話には、
非科学的な生き物が、当たり前のように、生活してました。
まあ、母も、そっちの住人ですが。

2018年11月26日

かんころの島紀行14 Goto Article 14

 Mainichi Times Article about elementary school in kami-Goto worked on rulal traditional food making through a year and I and Mr.Takaki, the sweet factory president gave them class as a guest teacher.

今月初めに取材した、上五島の魚目小学校での、授業の様子を
記事にしました。

もともと、かんころ文化研究会発足メンバー、
(私、高橋さん、高木さん)には
「子ども達が、この土地を離れる前に、
この特色ある文化を知って、誇りを持って欲しい」
との気持ちから、教本を作りたい、という願いがありました。

ひょんなことから、県が県産品リーフレットを作る事に携わり、
このことが実現しました。
さあ、「いろんな学校に届けよう!」と思ったのですが、
これが、産業振興課からの発行で、教育関係からでなかったため、
連携がうまくいかず、なかなか、活かされることもないままでした。

そんな中、何年か前からか、かんころ餅作りに取り組んでいた魚目小は
さっそく、リーフレットを授業に組み込みれ、
さらに、高木さんと知り合いだった校長先生が、
私たちをゲストティーチャーとして呼んでくれ、
講義まですることができました。

「やりたいねえ」と言っていたことが、1年半がかりで実現したのです。

子ども達に、答えのない問いについて、議論してもらうことは、勇気がいります。
今回は、大人がずーっと頭を付き合わせても、「しょんなか」と
打開策が見つからないでいる、激減する「かんころ」の未来を
一緒に、考えることになりました。

子ども達は、思い思いに、さまざまな意見を出し合います。
おとなしい子は発表せずとも、思慮深く、考えをめぐらせ、
元気な子は、大きな声で発表することで、みんなと意見を交わしました。
その議論を、とても、美しいと感じました。

「打開策が見つからない」ことだらけのこの世の中に、
議論を諦め、意見を持つのをやめて、そのことから目をそらす。
大人のダメなところだなあと、しみじみ思います。

1年半前、「こうしたら、いいですね」「やりましょう!」と
あてもなく、語り合った、分野も違う、私たち。
それが、壁にぶち当たり、紆余曲折、さまざまな道を辿りながらも、
少しずつ、実現していったこともある。

意外に、打開策は、あるのかもしれません。

私は、取材を通して、さまざまな大人に出会いましたが、
どの人も、厳しい現実をイヤになる程知りながらも、
やれることで、現状を改善しようと、動いている人ばかりでした。
(今回、お会いした山本さんも、その一人です)

ちゃんと、自分なりの答えを答えられる大人として、
子ども達の前に立ちたいな、と思います。

2018年11月21日

ぎもん Question

つるでリース。秋の実りを飾り付けて。autumn wreath

日産の事件。
「おかしい」と感じた役員はいたそうだが、
権限が集中し過ぎていて、誰も、言い出さなかったとか。
Nobody in Nissan could not claim
even they felt something wrong.

優秀で、切れ者の人材が揃っていただろう、
大企業のトップクラスでも、
率直に、疑問を投げかけて、議論することができなかった。
It was such a big company
that the tops of exectives must be so clever and sophisticated,
but they never give their questions to discuss.

そんな組織の危うさを、社会のあちこちで感じる。
That kind of stagunations of organization are all over the society.

私は、なんでも、口に出てしまう方なので、
「おかしくないですか?」
と、言ってしまいがちだが、最近、それらの言葉が
宙に浮いて、空中崩壊していくことが、多い。
I originally say anything what I felt.
But recently whenever I said
"Something wrong about this,"
nobody reacted and my opinion just flow in the air.
 
そんなこんなで、段々と、意見を言わなくなった。
先日も、勇気が出ず、
「専門家によると、そういう対応は、
よくないと聞いたのですが、どうなんですか?」
と、言えなかった。
Then I hardly asked questions.
On the other day, I could not point out questions
at the school PTA commision.

子ども達は、まっすぐな目で、「なんで?」と言う。
Kids are more honest and straight
to give the questions.

残念ながら、学校も、いろいろな公共施設も、大人の作った組織なので、
その疑問を、受け止めず、一刀両断にしてしまうことがある。
But the school and any other public organasations are operated by
grownups and they do not like being bothered by small questions.

社会問題も、身近にあふれているのに、なんだか、他人事。
もちろん、問題を、自分一人で抱えるのは、重すぎるのだけど。
Lots of social problems are all over the town, but
people are igonoring minding their business.
Of course it is hard to think those problems as owns.

疑問を大切にしてほしい。
違和感を表現できる社会であってほしい。
そして、子どもがそうあるために、
大人は、都合で、面倒を押さえつけないでほしい。
Still kids need to keep "questions"
express them freely.
Please do not give them pressure to crash their free thoughts.

100均で、なんでも安く揃う、時代。
でも、それは、なにかを損ねていないか、考えることも必要。
手で編んだ、いびつな、つるリースの美しさは、
「均一」ではない、なにか。
You can buy anything at100 yen flat rate shop, so do wreath base.
But I want my kid think about where those cheap staff coming from.
How it works at the society.
Also I want her to feel the beauty of non-uniformity.

ここで、飾った実や花は、すべて、水の底に沈む予定の所のもの。
それは、失って、いいものなのだろうか?
And those flowers and nuts were from the place
where the Government tried to make dam-the village would be under water.
Stop and think about it as own problem.

2万グラム twenty thousands grams

カンコロが320gだった。「どれぐらいか、わかる?」と聞くと I asked Nanoka how much she thought 320g.
「これぐらいかなあ」と予想。重さを実感するために、「ナノちゃんは、20キロだから、20000gね」と言うと、、、She guessed it. In order to help her feel the weight, I told her Nanoka was 20kg=20000g.
「20000gはイヤだ!」と「やせなきゃ!」と坂を走り出した。"I do not want to be such a big weight!" she started to run.
20メートルぐらい走ったところで、「1000gぐらい減ったかな?」というので、「それで、1000g減ったら、家に着く頃は、豆みたくなっちゃうよ。」She ran 20 M and asked me if she lost 1000g by this running.
「せっかく育てたのに、豆みたいにちっちゃくなったら、困る」と私が言うと、「大丈夫だよ。ママのポケットに入って、移動する」と言う。"In that way, you will be tiny like pea when you reach home." I told her.
「それでさあ、字を書く時は、大きい習字みたいになるね。」とやって見せてくれた。あ、い、うまで、やってくれた。"So I had to write the letter like a big calligraphy!" She showed me how to write when she became a little person.
わが家は、私が車を持たないため、朝の登校、夕方の帰宅までを、
徒歩で迎えに行っている。
保育園の5年間のバス徒歩通園が終わったと思えば、
今度は、朝晩の坂登り。うんざりする日もある。

でも、こんな風に、毎日、くだらない例え話をするのは、
じつは、大切なことなんだろうなあ、とも思う。

たぶん、ナノカは、1日に起きた、さまざまな不条理、
不満、その他もろもろを、帰り道に、私としゃべりながら、
道端に捨てて行っている。

昔の人は、よく歩いた。
84歳で亡くなった祖父は、散歩が日課だった。

人は、歩いて、無になり、
歩いて、素になり、
そして、自由になる。

点と点を、瞬間移動のように、通り過ぎていけば、時間は短縮できる。
そこで圧縮された「親子の時間」が、他に用意されていればいいけれど、
一度、家に戻れば、
やれ、夕食の準備、宿題、明日の準備、と忙しい。

意外に、この時間は、貴重だぞ。
そう思う、今日この頃。

2018年11月20日

マンションかんころ続報 Kankoro in the building

マンションでも、カンコロが作れるか、という命題に、チャレンジ。
We tried to make dried sweet potate at our balcony.
2日目で、かなり、乾く in two days
なかなか、いいのでは? looking good
天候にも恵まれ、順調にカラカラとなった、カンコロ。
途中、大きなネズミ(ナノカ)が、かじって、多少の目減りはあったものの、
3本のサツマイモから、袋いっぱいのカンコロが出来上がった。
Thanks to good weather, we succeeded to make good quolity of dried sweet potate. It was special food for Nagasaki region. This area is made of mountaineer hills and no plain field to plant rice, so people, especially poor hidden Christian planted the sweet potate to survive. Kankoro is the food that they preserve the sweet potate during winter and eat them for a year.

測ってみる。
320グラム a week after I got 320g dried sweet potate
キロ単位で取引されているカンコロ。
先日、小値賀のゆで干し芋協会の総会で話し合われてた数量は
10キロ単位であったことを考えると、その労力や原料の量などが、推し量られる。
I only got 320g. Farmers made 100kg or so.  I imagined how hard they worked.

魚目小学校の子どもに、
「かんころ餅の良さを、何も知らない、東京の小学生に伝えるとしたら、どうする?」
と質問した時に、
「1年かけて、かんころ餅を作ってもらう」
と答えた子がいて、いい意見だなあ、と思ったが、
実際に作って、初めて、わかることが、ある。
We asked students of Uonome elemetary school in Kami-Goto island,
"How do you tell the good point of Kankoromochi to Tokyo city kids?"
and one student answered,
"If they plant sweet potate and took care for a year, then make dried sweet potate and cook Kankoromochi from them, they would know."
I was very moved to his opinion.

私たちも、作ってみて、初めて実感したことがある。
それは、
「カンコロが、乾いていく様子に、毎日が、ワクワクする」
ということだ。
We learnt from only when we experience.
What we learnt from our balcony dring days was
"We were just so excited to check how much dried they became every day"

私も、ナノカも、朝起きては、カンコロを覗き、
家に帰って来ては、カンコロをチェックし、
外出中も、気になって、仕方がなかった。
I and Nanoka woke up and check the potate,
when coming home, check again,
and we thought about them for days even going out.

これが、人が、自分で、食べ物を育て、加工し、食べていた時代の
日々のワクワクなのだと思った。
もちろん、スーパーに行き、いつでも、必要なものが買える、
簡単さ、便利さ、効率の良さ、はない。
日々の生活を回すために、年中、作業を繰り返すことは、大変な苦労だ。
I realized this is the emotion that people used to feel
when they plant the food at their field, they process the food to preserve, and cook them to the table.
I noticed that made us so excited.
Now we can buy anything at any time at the supermarket.
Easy, convinient, and rational.

でも、同時に、必要なものを買う事では、感じることのない、
ワクワクがあったことを、知った。
But we might lose some excitement from everyday life.

今頃、魚目小学校でも、カンコロがカラカラになって、
毎日がワクワクして過ごした、子ども達は、大切な何かを一緒に得たことだろう。
At this moment, kids there must got dried sweet potate,
at the same time, something priceless and impotant.

小学校読み聞かせ講座 School Visit

祇園小で講座で使った本を読みたいという。She wanted to read "Elizabeth was book-worm"
「エリザベスは本の虫」を読んでいる(ナノカのことを、説明するのに使った本だ)I uesd this book to explain my daughter.
「ナノカ、本の虫じゃなくなったよ」と言うので、「いや、虫だろう」と問答していると、She said, "I am not bookworm any more" and I said, "Yes, you are"
「ナノカは、本の蝶だよ」と言った。きれいに、まとめたな。She said, "I am book butterfly" That's beautiful way to conclude.
土曜日に、相方が捌いたカツオとサバが、原因か。
日曜から、微妙な腹具合の母。
低空飛行のまま、なんとか、月曜の講座まで、乗り切った。

小学校では、ゲームやって、お話しして、読み聞かせして、約30分。
どこの小学校に行っても、子どもは、元気で、かわいいなあ。

2018年11月19日

リトルアーティスト「うたのえ」Little Artist "Song"

うたとピアノのユニット「ゆう佳」さんによる歌の指導 We had geust singers at the beginning of the class.
野上彰作詞 團伊玖磨作曲 子守唄
大寒 小寒
の2曲でした。
この世界観を、絵にします。 すべての子が、子守唄を選択。
They sang old beautiful selenade about winter world.
まずは、スケッチ skethcing
そして、色ぬり 15人の小人たちを、丁寧に描いて、背景から塗っていく。paint from background
雪の国の雰囲気を、全体を塗ってから、描き進める方法。背景だけで表現するのは、難しい。Paint pale blue, first.
カラフルなオーロラに照らされた雪のお城と、かわいらしい小人 とっても、たくさんの色が元気に使われてます。Such a cloroful snow castle and little people under orola.
雪の小人=雪だるま という解釈で、オーロラの雪の国を、個性的な色使いで表現 he thought snow kids as snow men.
15人の雪の子どもが、表情も動きも豊かに、かわいらしいオーロラの世界に飛び回ってます。額装するのが楽しみ。15 snow kids playing all around the snow field
こちらは、定規を使って、雪のお城をきっちり建てました。建物一つで、世界観を表現するのは、寂しくなりがちだけど、明るくて(それでいて、氷を思わせる)色使いが、とっても、楽しいです。She drew only castle to exoress the world of this song. It is very clean and sweet color.
2人のお姉さんは、2時間では仕上げられず、持ち帰ったので、仕上げが楽しみ。
さらに、私とナノカも、これから、描きます。

1曲に絵を描いてください、というイラストの仕事をもらう時、
全部の要素を説明的に描くことは、無理なので、
曲を代表するようなイメージを作り上げます。

今回は、みんな、オーロラに、かなり翻弄されてましたが
(オーロラが、描きたかったんですね)
それが、カラフルになって、絵としては、とても、楽しくなりました。

1月8日〜13日 島瀬美術センターで、リトルアーティストの展覧会をします。
この絵たちは、額装して、飾られます。
また、1月12日には、ゆう佳さんたちのコンサートが14時〜あり、
私たちも、コラボで、一緒に歌って、絵の発表もさせてもらいます。

2018年11月15日

手帳買う Haiku and notebook

「手帳買う」は、冬の季語だ。
"Buying new diary" is winter word in Haiku world.

正確に言うと、手帳用のノートを2冊買った。
これを、ナノカとデコって(デコパージュして)、
来年用の手帳にしようと思った。
I bought two notebook for making diary for me and Nanoka.
We did decopague them.

私は、迷った挙句、片面を和紙の2トーン、
裏側を、ランダムな貼り絵にした。
I pasted two different Japanese paper for front
and randam collague for the other side.
ナノカは、シンプルに、一枚の紙ナプキンを全体にあしらった後、
数枚の飾り付けをして、さっと終わってしまった。
そして、次の日から、どこを探しても見つからない。
聞くと、学校に持って行き、思いついたお話を書きためることにしたそうだ。
手帳じゃないし、、、
Nanoka did very simple decoration.

ナノカが、放課後教室で、俳句を習ってきた。
She learnt Haiku at the after school activity in rulal area.
 5、7、5のルールさえ守れば、ほぼ、つぶやき、状態。
ご本人いわく、
「いくらでも、できる」そう。
She told me it was just easy for her.

眺めるたびに、おおらかな気持ちになる。 
I liked her Haiku. They made me feel so open and happy.

2018年11月13日

マンションかんころ Dried sweet potate in building

芋の皮をむく peel off the skin of sweet potate
薄く切って、ゆがく sliced them and boiled
並べて、干す let them dry in the cool air under the sunshine tomorrow
茹で汁を煮詰めて、ぎょうせんにしてみる tried to make natural candy from left of boiled water
ふと、「カンコロ、家でやってみようか」という話になった。

わが家は、ベランダに置いた、プランターの野菜が、
ことごとく、折れてしまうほどの、
海風が、下から吹き上げる、斜面のマンションの13階だ。

もしかしたら、カンコロ向きかもしれない。

包丁で切った、芋は、厚さが一定にならず、
「ああ、芋カンナが欲しいなあ」
と思った。
買うかもしれない。

合計3個の芋を、とりあえず、干してみる。
明日は、天気だし、いい感じに、乾いてくれたらなあ、と思う。

We decided to make dried sweet potate (kankoro)
at our house balcony.
We got very tough wind from ocean, so could be suitable for dried potate.

I know that the best place to make dried potate are Goto islands,
but it is just difficult for us to be there when the climates are perfect
since we need to catch the ship to there.

Satsuki-san told me that she was always talking with climates
to do farming, or making food etc.
It is possible and much easier if you live there.
I realised it when I did these at home.

あぶらあげ Abura-age

ナノカ「あぶらあげって、何でできてるの?」母「前に話したよね?」Nanoka asked me what abura-age was made of. I said, "we talked about this before."
ナノカ「忘れちゃった。原子?」母「いや、原子も正解だけど、、、もうちょっと、手前で。」ナノカ「あ、とうふ?」"I don't remember. atom?" well everything is made of atom,,,
母「そう。豆腐を油で揚げたのが、あぶらあげ」ナノカ「じゃあ、とうふは、なにでできてるの?」母「一緒に豆腐、作ったよね?」"Oh, TOFU!" "Yes, Abura-age was deep fried TOFU." then she asked me what TOFU was made of. She actually made TOFU this spring from soy beans,,,
ナノカ「えっと、、、分子?」いやいや、分子だけども、、、"I got it! molecule?" Well, it is right. But please talk about in much bigger unit, please.
「キツネは、油揚げが好きなのか」
という「日本、昔話的な」話をしてきたナノカ。

「いや、キツネは、ネズミとか、モグラとか、昆虫とか、食べてるんじゃない?」
という、現実的な話をする、母。

次に、
「いったい、あぶらあげは、何でできてるの?」
と聞いてきた。

残念ながら、この話題は、わが家の食卓で過去3回ぐらい、かわされている。

記憶力が相当、悪いのか、
わざと、この会話を楽しんでるのか。

「この話は、前にもした」という所にヒントを得たのか、
ナノカの答えは、「原子」だった。

その答え、すべてにおいて、正解ですから、、、

テストでは、点数が取れないけど、
なかなか、食えないヤツ。
それが、ナノカだ。

I do not know if she really forgot it or
just having fun to talk about same conversation,
but anyway, she was not good at paper test, surely.

Still, in some way, I respect her answers.

2018年11月12日

君は、なにをできるのか What can you do for that?


民家の横に建てられた棚(小値賀)
今も稼働する活版印刷(小値賀)
てんこ盛りの島取材から、帰ってきた週末。

クタクタながらも、黒島が舞台の、貴重な映画が上映されると聞いて、
佐世保映画祭に走る。

「裸足の青春」
1956年製作(東宝)

カトリック教徒と仏教徒の村が2分する島という架空の設定で、
おもしろおかしく、おおげさに、ことあるごとに、いがみ合う、というのは、
住民の大方がカトリックで、仏教徒と穏便に共存してきた、
黒島の史実とは違うが、興味深い、映画だった。

なにより、オープニングの九十九島の上空からの映像に、
釘付けになった。

どの島にも、沿岸部に土がいっぱい残っていた。

そして、黒島を覆う、段々畑だ。
当時の漁の仕方や、船の仕様、大聖堂の姿や、海の美しさも衝撃だった。

それを撮ろうとして、撮ったわけでもないだろうが、
郷土資料としての価値の大きさも感じることができた。

次の日、
「スイートスイートゴースト」
2000年製作(日活)
という、大島崎戸をロケ地にした映画を見た。

これも、2000年時点で、大島に、これほど古い商店街や建物が残ってたことが
衝撃的だった。

今、逆に、これがそのまま残っていたとしたら、
都会から人を呼び寄せるだけの、観光資産になっていたかもしれない。
(インスタ映えもするし、、、)

でも、やっぱり、人の営みの中で、
建物も景色も文化も淘汰されるのが、現実だ。
それは、私が、五島に通い、かんころを追いかける中で、
身にしみて、感じること。
どんなに、あがいても、大型農業には敵わないし、
若者が島の畑で稼ぐのは、都会でもらうサラリーより、厳しい。
誰かが、その選択肢をすることは、極めて、難しいことだ。
いろいろな事を模索してみるが、「経済」という壁を越えられず、
ウロウロしているうちに、文化ごと消えてしまうのではないかと絶望的にもなる。

一方、これから、効率化と機械化(AI?)で、世界はさらに、便利になっていく。
そういう中で、逆に、「これこそが、価値があるよね」と
いうものが出てくるだろうとも思う。

それこそ、大きな近代化の波の中でも、なぜか、生き残った
「人間の、営みの、あたたかさ」みたいなものじゃないんだろうか。

そう思うと、せっかく昭和、平成の激動を生き延びた文化を、
今、この数年で、失ってしまっては、取り返しがつかないと思う。

まだ、打つ手はあるはず。
そして、その一つの動きが、
次の世代に、なるべく多くを残すことにつながる。

なにができるのかな、と考えてしまう、眠れない夜だった。