2008年8月14日

essay エッセイ


After I started some essay writing job, I have more interest in essay
by other authors. Essay is such individual writing.
Writer talk about themselves, but it is difficult how much they talk and
how much they do not. Very sensitive. Then readers enjoy some but
felt uncomfortable other times.
エッセイを書いてから、以前より他の人のエッセイの文章が気になるようになった。
エッセイはとても個人的な世界だ。書き手は少なからず自分のことを語り
(自分の見たもの、思ったもの、価値観など)
それをどれだけ語り、どれだけ語らないかは、自分のさじ加減。
その加減で、おもしろくもなるし、不快にもなる。とても繊細なものだと思う。

以前、ある女性のエッセイが苦手だった。でも、多分、それは
その作家さんのベースにある彼女の価値観と自分の価値観が合わないために、
不協和音のように、読んでいる間中、鳴り響いていて、なんとなく読みにくかったのだと
思った。かといって、自分と価値観が合わないエッセイが全部そうなるわけじゃない。
むしろ、違っていても、気にならないことが多い。
そこは、多分、「さじ加減」具合なのだと思ったのだ。

最近、向田邦子さんのエッセイを読んだ。
本の向こうに原稿用紙に向かう女性が感じられて、でも、その姿は
清清しくて、心地よい。本人がきっときちんとしているから、書けるんだろうなあ、とも思う
生活の節々の話。私みたいにだらしない人間は、生活を切り売りなんてしたら、
恥ずかしくて、穴にこもらなきゃいけなくなるだろう。

内田百けんも、文句ばっかりたれてる割に、気が弱くて、奥さんと仲がよくって、
愛情深そうな感じが、好印象。

他人の夫婦ケンカも、花瓶が飛び交ってるような、ハチャメチャしたのを
ちょっぴり垣間見るのは、実は、ちょっと楽しい。「ケンカして、発散して、
どうせ仲直りしちゃうんでしょう」て思うと、家族イベントにしか見えない。
ところが、間に入って、ドロドロした相談とかを受けて、恨みつらみに満ちた
応酬を見せられたりすると、これは、被災だ。こっちも、ショックで落ち込む。
大事な友人や家族なら、その被災も引き受けたいものだが、あまり縁の深くない人から
わざわざ、そういうショックを受けるのも、大変だ。
エッセイを読む時の気持ちって、こんな感じかもしれない。
人によっては、演歌のようにどっぷり、とことん付き合う感じのエッセイが好きな人もいるだろうから、
一概には言えないと思いますが。

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