2019年12月2日

オシャレな会話 

We ate breakfast with the radio on. It talked about birds and they said, bird year people could eat messy on table as a joke.
In a while, she dropped some food from mouth and chopsticks etc. I told her to eat more carefully. I said too much about manner.
She became silent and started to clean up herself. Did I say too much? Was she going to be blue?
She opened her mouth and said, "I am not bird year birth, but I dropped much" I like your sense of humor in the conversation, always.
ナノカは、たまに、気の利いたことを言う。

相手との関係や、共通体験、
一緒に観た映画など、いろんな所から、うまいこと引用してきて、
その場に、ピッタリの事を、さらっと言う。

「オシャレなやつ」
と思う。

こうした、「ちょっとした、機転の効いた会話ができる」
ことを、とても、私は、価値があると思う。

相手が、外国の人であろうと、辺鄙な場所に住んでいようと、関係ない。
この人と話をすると、楽しい、て思ってもらえる。
それって、すごい、大切なことだと思う。

しかし、当たり前だけど、
そんな事は、学校の成績にはならない。
文章にセンスがあるとか、
会話がウィットに富んでるとかは、
数値で表せない。

他にも、いろんな「魅力」「能力」がある。
でも、数値化できないと、評価対象にならない。
結局、数値化しやすい、基準が作りやすいもので、
人を測って、並べるシステムが、今の「教育」のように思う。

そもそも、なんで、教育って、
評価して、点数つけなきゃいけないんだろう?
順番に並べなきゃいけない理由って、何なんだろう?

点数をつけなきゃいけないから、逆に、
評価基準にならない、能力を、軽視している、と感じた。

例えば、ナノカは、活字バカで、
文章を書くのも大好きだったけど、
どんな、意欲的な作文を書いても、字の形だけ、直されて、返されてきた。
内容にコメントがつくことは、ほとんどなかった。

それで、彼女が思った結論は、
「こくごが、にがて」だ。

たぶん、1年生の単元では、字をしっかりと、書くのが、「めあて」。
だから、そこから、はみ出た部分は、評価対象ではない。

こうやって、できる事は、無視されていくのかな。

うちの子のはみ出た部分を評価してください、
というのは、難しいかもしれない。
でも、
うちの子を、なんの基準でも、評価しないでください、
ということなら、可能なのかもしれない。

点数をつけられなくなった今、
彼女は、「私は、これが、にがて」と言わなくなった。
目の前にあることが、 できたか、できなかったか、
わかったか、わからなかったか。
それしか、感想がない。

そうしたニュートラルな状態で、日々、新しい挑戦と出会っていく。





オシャレな会話が、このまま、育っていってくれるといいな。

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