2018年8月25日

「なんで」と暮らす To Know the Facts

海水浴場の周りの漂着ゴミ Lots of garbage on the beach
 娘が小学生に上がる頃から、面倒な質問が増えた。

どうして、こういう名前なの?
なんで、こうなってるの?

何ひとつ、スムーズにいかない。
私は、目的地に向かって、まっすぐ進み、
今日の用事を、順調に済ましたいのに。

ある時、
「船に、いろんな色があるけど、どうして?」
と聞かれた。
(佐世保港には、フェリーと軍用船が並んでいる)
「白とか、赤とかは、海で目立つため。
逆に、灰色は、目立たなくするため」
と答えると、なんで?と聞かれる。

「目立つ船は、
ぶつからないように、お互いに、よく見えるでしょ。
逆に、灰色の船は、海の色にまぎれて、「敵に」見つからないようにしてる」
と説明したら、
「敵?敵がいると?」
と聞かれた。

「敵は、、、今は、いないよ。
こういう国が、敵になったら、困るな、という思いで、
準備している船だよ」
と答えた。
「戦争になるの?」
と聞かれて、
「戦争にならないように、みんなで、考えているんだよ。
そのための考えがいろいろある。
船も備えで持って、訓練している。
でも、そういう考えが段々、大きくなりすぎると、爆弾になって、
もっと、大きな爆弾になっていく。難しいね。」
という話した。

娘の「なんで」は、ゴミの時もあれば、看板の時もある。
日常で、いちいち
社会の成り立ちや、矛盾や、難題に向き合わされるのは、しんどい。

問題は、いつも身近にある。
その真実を、知ることは、心がかき乱れることでもある。
でも、娘は、その真実を、ひとつひとつ、知りたいと願い、
受け止めていく。
その力強さに支えられると、私も、ひとつひとつ、
冷静に向き合えることに、気づいた。

こどもの「なんで?」は、原動力だ。
聞きたい、調べたい、学びたい、話し合いたい。
一方、大人は、目の前の課題に頭がいっぱいで、
目的地にまっすぐ行き、TO DO LISTをこなしていくために、
「なんで?」と立ち止まる余裕がない。

そうやって、見過ごしてしまった真実のあちら側で、
誰かが、苦しんでいることがある。
知っても、なにも、できないかも。そう思うと、苦しい。
知らないままなら、安穏としていられる。
大人は、そうやって、いろんなことから、目をつぶってるんだろう。
毎日を、生きていかないといけないから。

でも、それで、子どもたちに、「読みなさい」「考えなさい」「学びなさい」
は、どうなんだろう?
子どもには、「なんで?」を、辞めないでほしい。
「これから」を作るのは、彼らだから。
 私たちも、一緒に「知る」「考える」ことで、
次の世代を育てる役割がある。

「なんで」、と暮らしてるうちに、
不都合でも、真実に、向き合える大人でありたいと思うようになった。

 My girl asked me "Why?" "What?" "How?" every minutes.
Our conversation sometimes reached to the topic about environment problems, world peace, discrimination, etc at the end. It was tough.
I just wanted to spend the day as I planned,
head straight to the goal and vanished all the to do lists.
but so I felt a bit annoyed when she found "Why?" on the way.
I was a kind of exhausted to face on the severe social problems
many times in the every day life.
Probably they seemed me to be unsolvable and
just made me feel uncomfortable.

But she was very tough to face on those problems
and I noticed that I can face on any kinds of problems
supported by her strength-to know the fact is just one first step.

I felt many of grown-ups are just too busy to mind their every day life.
To earn, to bring up their kids, to do as others do, etc.
We are living in a kind of crazy time.

But we are responsible to the next generation.
To bring up them, we should keep trying to know the fact
and think in our brain-even we cannot find the instant solutions.

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