娘が生まれ、まっすぐに育てと、
一生懸命、おしゃべりの相手をして、
面倒でも、納得いくまで、ものごとの説明をしてきた。
なんでも、自分で考えて、しゃべってくれる娘を、誇りに思う。
ある程度、育ってきて、
多くの疑問に付き合っているうちに、
同じ疑問に、大人は、まったく、引っかからないことを、
不思議に感じ始めた。
あきらかに、おかしなこと。
子どもが見てもわかる、まちがい。
変な習慣。
まちがったデータを元に、つぎの計画が作られて、
ハンコが押されて、「え、おかしくない?」と言うと、
「し、黙っておきなさい」て言われる。
そんな感じだ。
おとなは、嘘になれてるんだと、思った。
そんなことを言い出したら、
盗んだバイクで走ったり、真夜中の校舎のガラスを割ったりの
やっかいな、センシティブハート、と思われるかもしれない。
正論だけでは、世の中は回らない。
それぞれに、生活があって、守るものがある。
目をつぶってやり過ごすのも、処世術なのかもしれない。
でも、嘘になれていることを、たまに、自覚しなきゃ、と思った。
なれていくうちに、いつのまにか、嘘に加担して、
最後は、嘘つきになっていないか、確かめるために。
嘘の先に、事件が、起きる。
知らなかった、というかもしれないけど、
知らないようにしてた、が正解なんだろう。
もうすこし、知ろうかな、考えようかな、と思う。
Since my daughter was born,
to bring up her honest, I tried to be sincere
to listen to her stories, explain again and again till she understood.
I am proud of her straight forward questions to every day doubts.
Then I noticed how dull grown ups to the things.
Clearly wrong data.
Bad system. Injustice.
Even somebody found the lie, they just left it as it was.
If one tried to point out it, others would say, "Just keep quiet"
We just get used to the lie too much.
We did not point out the lie if we found one.
Maybe we all are busy minding their own businesses.
There are full of lies all over the society, world.
We could not live if we care too much.
But still we should keep it in our mind
that we were surrounded by the lie.
First, we just ignore them, but next, we support them,
then at the end, we became liar.
I wish I were a bit honest to the all questions. Like a kid.
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