今回は、崩れかけていく風景を追いました。
離村した集落の教会堂 |
背丈以上の防風石垣 |
蔦が生え、崩れていく |
廃屋となった、教会堂。
人が離れ、崩れてしまった、石垣。
蔦がはい、木がそびえ、見えなくなってしまった畑。
文化は、人と自然の攻防の間にある。
だから、人がいなくなれば、元に戻っていく。
それを、「当たり前」「時代の流れ」と言えば、そうだろう。
でも、この「寅さんのような風景」が懐かしいと思う人は、
少なくないのではないだろうか。
大手のスーパーの進出、ゼネコンによる駅前開発などで、
日本全国、津々浦々、ハンコで押したような、同じような風景になり
おもしろみを失った。
便利。人は、そこに集まる。
でも、味気ない。
上五島の将来を考える人たちと、食卓を囲みながら、
「この計画も、このアイデアも、どれも、担う人が必要。」
「人が、ネックですよね」
という話になって、ふと気づいた。
ここでは、人が減り、大変なのだが、
一方で、「人が大切」と、思えることは、幸せなことなのでは、と。
都会にいた時、
「あなたの代わりは、いくらでもいる」(実際、いるんだろう)。
「ITが、そのうち、とって、かわるよ」
と、なんだか、煽られて、立場を危うく感じていた。
でも、上五島では、キーワードは、「人」なんだ。
島では、自分がやらなければいけない仕事は、多岐にわたって、
工夫や苦労が、つきものかもしれない。
でも、「あなたが、必要なんだ」と言われ、動かざるを得ないことは、
代わりのいない、人生。
自然と人の攻防の間に立ち、
そこで、戦い続ける人は、なんだか、長い人間の歴史や叡智を見るようで、
勇ましくも、美しい。
自然に圧勝して、その存在すら、遠く感じる都会で、
「これが、最新文化です」と言って、発信される情報に、
すこし、違和感を感じる、今日このごろ。
そこに、ついていく必要があるのだろうか?
それは、人を幸せにしているのだろうか?
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