バッジを待ってる人がいるよ!と伝えると、さらに制作。右は、カンコロ女子。Nanoka's new budges |
お金が手元にあると、とにかく、使いたくなるが、
なかなか、買い物する機会がない。
すると、「自分で、作った、バッジが買いたい」と言いだした。
もはや、家庭内でもいいから、お金を使いたいのか。
聞くと、お友達への、クリスマスプレゼントにしたいという。
そこで、材料費と、ママの作業代を支払って、バッジを買うことになった。
さらに、カードも作る。She made Christmas card for her friend |
いやいや、一からママが作るのは、ちょっと変だよ。
ナノカの手作りがいいよ、と言っても、「ママのがいい」と言う。
そこで、前に作った、カードキットの残りを材料費代のみで、譲ることに。
すると、「ママが、教えてくれるのに、お金が払いたい」と言う。
サービスしておくと言っても、払いたいというので、10円もらった。
とても、微笑ましい、クリスマスカードができあがった。
餅つきでは、ありません。カンコロ餅つきです。We did pounding of Kankoro mochi. |
だからというわけではないが、相方は、朝一から、夕方過ぎまで、自主出勤。
園のママさんに便乗させてもらい、重尾の収穫祭に行きました。
上五島の現状について、すこし、話をしました。
普段、接点のない「離島」の暮らし。
たとえ、「カンコロ餅」という接点を通しても、
なかなか、ピンと来ることがないのかもしれません。
ましてや、九州の文化を知らない、都会の人には、伝えるのが難しい。
たとえば、災害にあって、
今日、毛布がなくて、寒そうです、
という状況には、人は、ハッキリと反応してくれます。
自分に置き換え、そして、その痛みを感じて、すぐに行動をしてくれます。
でも、長い期間にわたり、徐々に
消えていくものや、問題が悪化していく、ということに対して、
「一緒に考えていきましょう」
という訴えは、遠く響き、届きにくいのかな、と思いました。
伝え方にも、工夫が必要なんでしょう。
どうしたら、誠実で、その上で、人の気持ちを引きつける話ができるんだろうか、
と考えてしまいました。
26日に、連載第2回が、新聞に載ります。
29・30は、取材で、ナノカと島に渡ります。
行くたびに、「なにか」大切なものを、訴えてくる、島の生き方。
でも、簡単に、言葉で、表せません。
多くが、今の暮らしでは、忘れられているものだからです。
忘れられてるものの数が、多すぎて、一つ一つに説明が必要です。
子どもの英語早期教育と、貯蓄型年金制度について悩んでいる人に、
斜面に先祖が作った石垣を守りたいと、イノシシと戦うお年寄りの気持ちを
訴えても、すぐに、理解できるはずもない。
そして、私が、紙面で使える行数は、限られてるのです。
途方に暮れながら、娘の手を引きながら、歩き回る私。
でも、そういう中で、道が、見つかっていくものかもしれません。
すごいと思うのは、娘のバッジのクオリティーが、毎回、上がっていること。
常に、あたらしい側面を、見せてきて(今回は、花のシリーズ)
それを見ているだけで、こっちも、気持ちが上がります。
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