2020年9月3日

ペン画で、おくる Good bye with drawing

 

叔父が、なくなった。

父は6人兄妹で、この上から2番目の兄に大変、世話になり、とても慕っていた。

舞鶴で、長く、青果市場を経営してきた叔父。とにかく働き者で、朝5時とか、4時とか、そんな時間から働く生活を、つい数年前までしていた。 

以前、99歳まで生きた祖母の人生を物語にしようと思って、叔父に話を聞いた。戦争のこと、時代に翻弄されたことを、笑い話にして話してくれた。やさしい人だった。

長崎に住む私たちには、そうそう会いに行ける場所ではないのだが、ここ数年、お正月に帰省した帰りに、叔父たちの顔を見に、寄り道するようになっていた。今年も、まだコロナが騒ぎになる前だったので、顔を見ることができた。会える時に、会えたことを、余分に運転してくれた相方に、感謝するばかりだ。

 こんな時代が来て伝わってくるのは、普通なら会って、確かめ合ったり、交わすことのできた「言葉にならない」親愛の情を、伝えられない、苦しさである。

 「何も、できない」と、父は嘆いた。コロナのこの時代になり、お別れの儀式に制限ができてみて、改めて、そうした儀式が、人の気持ちをつないだり、整理したりしていた事に気づかされる。人は、とむらいの儀式を何千年もやって来た。それが人間の、人間らしい、営みの一つだからなのだろう。

父に頼まれ、ペン画を描いて、送った。お正月に、会った時の写真を見ながら。写真の中でも元気そうだったが、ペン画にすると、今にもしゃべってくれそうな気がした。もちろん、写真の方が本人に似ているのだが、なぜか、絵の方が、叔父のやさしさや思慮深さが、伝わってくるように思った。それは、見る側が、限られた線の中に、故人と対話を試みるからなのだろうか。

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