朝から、こうばる探検隊の下見があり、午後からは、原稿書きがあった。締め切りが間もないから、のんびり、これからを考えたりする余裕はない。
娘が帰宅する時間前に、原稿は大方、書き終わった。今回で、3年目が終わる。長かった。来年度中に、とうとう、絵本になることも決定。積み重ねることの大切さを教えてくれた、この連載にありがとうと言いたい。
、、、と終わりそうな一文だが、実は、この連載、まだ続く。次回から、4年目のカンコロ紀行に入る。同じテーマを追い続けて、行けるところまで、行けたらと思う。
最近、ただただ、発展してくばかりの娘を育てていると、自分の体力と、記憶力の衰えが身にしみる。
娘のような「これから」を生きる人と向き合っていると、社会と人との折り合い地点について、考えさせられる。鬼滅の刃を知らず、「麒麟が来る」と「ダーウィンが来た」しか見てないと、まあまあ、世間様からズレて、苦労してる様子を窺い知る。彼女は、ある程度、孤独で、そして、その理由を、自分でよく、わかっていない。
私自身、カンコロや長崎の歴史には詳しくなったが、端末の新機種については、まったく何の話か理解できない。時に、人の集まりに行き、ついついカンコロを熱く語って、変人っぽく距離を取られたこともある。情報があふれるこの社会の中で、流れを知るのは、サバイバルの知恵なのだろうな、と感じることもある。人が生きるには、大きな群れの中にいる方が、楽なのだな、と今更ながら、考えたりもする。
しかし、きっと、これは、物を作り、文を綴る側の人間の、宿命(おおげさ?)なのだろう。
(新機種については、もう少し、勉強しなきゃいけないかもしれないけど)とにかく、何かを作るエネルギーは、やや変人による、孤独な作業の中にあるということを、親子共々、覚悟しなきゃいけないということだ。
変人と、サバイバルの、バランスを探りながら、ここからの人生を、また頑張っていこうと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿