2020年9月28日

こうばる探検隊 ネイチャーゲーム

 


 日曜日、こうばる探検隊とシェアリングネイチャー協会のコラボ企画として、ネイチャーゲームを体験してきました。

 コロナの影響もあって、春も夏も、こうばる探検隊を断念しましたが、こうした形で行うことができて、うれしく思います。

 こうばる探検隊は行うことができていませんでしたが、その間、私は、下見を含め、何回かこうばるに足を運ぶことがありました。その度に、進んでいく工事の様子に、心が痛むばかりです。

 こうばる探検隊には、くり返し参加してくれる親子が、増えつつあります。わが子を含め、ここに通うことが、当たり前となり、あの看板が外れちゃってたねと気づいたり、川の降り口を覚えちゃってたり、そして、数年にわたって来ていると、「この季節になると、ここに、イモリがいるよ!」という感じで、すっかり子どもの心にも、風景、風物が刻み込まれていることを実感します。

子ども達の心の中に、楽しく、美しい里の風景が刻まれ、そこに愛着や思い出が重ねられていく。

 あってはいけない事だけれど、このまま、もし、行政のゴリ押しで、まともな議論もなされないまま、ダムが出来てしまったとしたら、それを、子ども達にも、事実として、記憶として、実感を伴って、残しておきたいと思います。

  苦い記憶になったとしたら、その苦さも含め、もし、市民全体で考え直すことができたのなら、市民の力強さの記憶として、抱えて生きていってほしいと思います。

 政治は、だれかが勝手に決めて、運営していく、自分とは無関係の世の中のルールではありません。人の、総意です(そう思えないほど、遠くなってしまっているけど)。それを、次の世代の子に知ってもらい、これからを、生きていってほしいです。

 わたしは、無力である自分を知った上で、こう思っています。

 ひとりが、つよく訴えかけることも、1つである。反対運動をすることも、また1つ。「知る」人を増やすことも、また、1つである、と。

 役割は、人それぞれ。わたしは、ちいとばかり、文章が書けて、絵を描くのを生業としているのだとしたら、それが、私の役割なのでしょう。

 子ども達にも、「あそび」「たのしみ」「かんじる」という役割があります。 その体験を、未来へとつないでいってくれたら、と思います。

2020年9月24日

そして、旅と芋はつづく Continue to travel

 今日は、誕生日だ。自分の。

朝から、こうばる探検隊の下見があり、午後からは、原稿書きがあった。締め切りが間もないから、のんびり、これからを考えたりする余裕はない。

娘が帰宅する時間前に、原稿は大方、書き終わった。今回で、3年目が終わる。長かった。来年度中に、とうとう、絵本になることも決定。積み重ねることの大切さを教えてくれた、この連載にありがとうと言いたい。

、、、と終わりそうな一文だが、実は、この連載、まだ続く。次回から、4年目のカンコロ紀行に入る。同じテーマを追い続けて、行けるところまで、行けたらと思う。

最近、ただただ、発展してくばかりの娘を育てていると、自分の体力と、記憶力の衰えが身にしみる。

娘のような「これから」を生きる人と向き合っていると、社会と人との折り合い地点について、考えさせられる。鬼滅の刃を知らず、「麒麟が来る」と「ダーウィンが来た」しか見てないと、まあまあ、世間様からズレて、苦労してる様子を窺い知る。彼女は、ある程度、孤独で、そして、その理由を、自分でよく、わかっていない。

私自身、カンコロや長崎の歴史には詳しくなったが、端末の新機種については、まったく何の話か理解できない。時に、人の集まりに行き、ついついカンコロを熱く語って、変人っぽく距離を取られたこともある。情報があふれるこの社会の中で、流れを知るのは、サバイバルの知恵なのだろうな、と感じることもある。人が生きるには、大きな群れの中にいる方が、楽なのだな、と今更ながら、考えたりもする。

しかし、きっと、これは、物を作り、文を綴る側の人間の、宿命(おおげさ?)なのだろう。

(新機種については、もう少し、勉強しなきゃいけないかもしれないけど)とにかく、何かを作るエネルギーは、やや変人による、孤独な作業の中にあるということを、親子共々、覚悟しなきゃいけないということだ。

 変人と、サバイバルの、バランスを探りながら、ここからの人生を、また頑張っていこうと思う。

2020年9月23日

がくに、ひそむもの サンプル Sample art


朝、ナノカを送って行こうとしたら、隣の空き地から、もぞもぞと何か出てきた。

「わ!」アナグマである。

こっちは、後ずさりしたが、向こうは、「なにか?」という顔をして、ゆったりとまた、草むらに帰って行った。

アナグマは目が悪いのだと言う。なので、野生動物にあるまじき、余裕をかまして、人間の眼の前に現れる。「かわいい」とナノカ。そう、わりと、かわいい。

しかし、たぶん、わが家の1株しかない落花生と、育ちがイマイチなサツマイモは、かなりの危機を迎えていることがわかった。掘らなきゃいけないかなあ、、、

さて、毎年10月のリトルアーティストは、ハロウィーンにちなんだものを制作してきた。衣装だったり、お面だったり、あるいは、大人気のコラージュだったり。コラージュが楽しいけど、2年連チャンもなあ、と思って、今回は、前からやりたいと思っていた、半立体をやることにした。

技術や、時間を見る必要があり、なんとかサンプルを作る時間ができたのが、連休最終日。相方に、「どう?こわい?」と、見せに行くと、「自信があるから、持ってくるんでしょ?」と、あしらわれた。いやいや、自分の作ったものの、気持ち悪さは、確証できませんし。

登校日だったナノカが、帰宅後、「げ!」と言って、こわがった。いい反応だ。

ただ、「ナノカ、こわい。作らない」と言いだした。なるほど、こういう子もいるか。

当日までに、「こわくない」サンプルも作らないといけないかな。かわいいもの好きな子も、チャレンジしてくれますように!

2020年9月17日

鬼皮デビュー Peel the chestnuts skin

 

台風一過。裏山の栗が、いっせいに落ちた。まだ未熟なものもあるが、猿、猪が出はじめたし、傷んだ枝も切り払うので、早く拾うように、大家さんに言われる。ありがたく、拾わせてもらった。

さて、栗といえば、その下処理の面倒くささが、最大の難関だろう。栗ご飯に、渋皮煮、そして、モンブラン。いずれにしても、鬼皮を向かないことには、栗にありつけない。

毎年、私が一人で、コツコツと 剥いてきたが、そろそろ後継者が欲しい。ということで、ナノカの鬼皮むき訓練を始めることにした。最初は、一個か二個から始める。

栗の鬼皮を剥くのは、大人でも、ついつい包丁をすべらせて、指に傷をつけてしまうものだ。なので、微妙な手さばきの小学生は、もちろん、心もとない。そういう時に有効なのが軍手だ。対象物を持つ方の手にだけ軍手をはめて、作業をしていく。

実際には、剥いたのは、1個。あとは、私が剥いたのやつの、渋皮剥きの方をやっていた。

やらせてみると、やっぱり子どもは不器用だし、危なっかしいし、食材はボロボロになる。一歩目の踏み出しは、いつも、若干のロスと、それなりのリスクと背中合わせだ。

子どもに、何かをさせる時、シュミレーションして、リスクを洗い出す。そして、「まあ、それぐらいなら、起こってもいいかな」という所まで落とし込めたら、Goサインを出す。指先を包丁で切ってもいいけど、電ノコで指を切り落としては、いけない。

これが、よその子どもさんを預かって、 やってみましょう、となると、事情は変わってくる。指先を切るだけでも、起こしたくないし、また、性格やそれまでの経験値もマチマチなので、包丁を、ふざけて振り回して他人を傷つけちゃう子もいるかもしれない。

そんな「ないはずだけど、あるかもしれない」リスクまで考え始めると、教育機関は、すべてのリスクある活動を排除する方向に行ってしまいがちだ。自分も、活動をまとめる側の立場になると、「やらせてあげたい」けど、「やめておきましょう」となることも多い。

個の能力差や、性格などを、公共の場所で差別することはできない。だから、「やっていいよ」となれば、希望者全員がやる事になるだろう。全員で挑戦できることとなると、幅が制限されていくのも、しかたない。

そういう意味で、「おうち活動」は、大切なのだと思う。

自分の子であれば、今どれぐらい能力があって、どれぐらいの緊張感でのぞめるかを見極めながら、電ノコデビューすらできる。どれぐらいの怪我までならオッケーなのかも、人任せではないので、親も覚悟が違うはずだ。

そんな事を考えながら、ナノカの心もとない包丁さばきを見ていたら、自分の方が、指先に包丁の刃を当ててしまった。子どもの挑戦時は、親側のリスクが上がることも、忘れてはいけない。

2020年9月13日

リトル&ビッグアーティスト「ネガとポジであそぼう」Art Class"nega and posi"

今日は、白と黒を行ったり来たりして、絵を描きます。最初の説明を聞いたら、

まずは、白い紙に。

四角や丸と線だけで絵を描きました。こんなに、いろんなものが、描けたよ。

今度は、黒い紙。これも、それぞれ、いろいろ。

さあ、じゃあ、自由に白と黒を使って、作品を作ってみよう。

小さなレゴを積んでいくような感じで、ていねいに点を重ねて、花火を描き、白い紙のシャープな線で、ぶら下がった、蔓を表現しました。イメージを作り上げるために、とても集中していました。

こちらは、明るい農場の風景でしょうか。切り紙の上に、さらに、また切り紙を貼って、それと線を効果的にかかわりさせながら、きもちのよい空間を作っています。あっけらかんとした、楽しさがあっていいですね。

こちらは、お宝大集合です。黒バックに、白のシャープな切り紙が整理されて、並んでいる様子が、楽しいです。お宝の乗っている台の切り口とかが、細かく工夫されている様子とか、宝石につかったラインの細さとか、小さな所に美しさがあります。

初参加の3歳さんの作品。小さな丸や、線を描くのも、小さな破片を貼るのも、とても器用にこなしていなした。空間の埋め方とか、とても、センスがありますよ。集中して、取り組むのも、まだ難しいかな、と思いましたが、全然、最後まで、しっかりと仕上げていました。楽しめたかな?

縦向きに紙を使って、和的な構図で花火を表現しました。シンプルだけど、ラインをていねいに選んで、構成してあります。上部の花は、白い紙を半立体のように重ねて作り、細かい黒い線で影を入れることで、ぐっと存在感が上がり、アクセントの役割をしています。

難破船。風で揺れる植物の奥に、壊れてしまった港町が見えます。船には、亡霊のように、うっすらと人が乗っている様子が見えます。白の紙を大胆に大きく使って、ダイナミックに2分しながら、自分の世界観に持って行っているので、細かい設定まで、説得力があって、おもしろいです。
白地に黒の建物をしっかりと横並びに並べた、シンプルな構図ですが、まるで黒板の絵のように、表面の黒や白の表面に表情があるので、とても豊かな絵になっています。細かく入れている線や柄にも、バリエーションがあって、清潔だけど、おもしろみがあって、楽しいです。
海の世界を描きました。こんなにいっぱいの種類の生き物がいる、賑やかな、たのしい海、初めて見ました。柄もいっぱい入っていて、とても、かわいらしいです。白と黒のバランスも、いい感じです。

こちらは、急遽参加のお父さん。絵はあまり、、、とのことでしたが、いえいえ、とても、かっこいい、渋い作品を作ってくれました。雁の群れが、月に向かっていく様子が、なんとも、秋ですね。

こちらは、ポップな作品。村上隆みたい!と言って村上作品を見せたら、「違うんじゃない」と否定されてしまいましたが、明るいキッチュさは、ちょっと共通してるかも?作りたいものを、最後まで、しっかりと作り上げました。

今回は、机の上で、比較的小さな紙の中での作業になりましたが、みんな夢中になって、作業をしていました。色のない世界で、制限があるからこそ、その中でやりたいことが明確に見えるのでしょうね。

 また、この白と黒しかないため、紙の中での構図の取り方を、かなり大きく捉えられた子も多かったように思います。切ったり、貼ったり、線を入れたりしながら、全体のバランスを見ている様子が、興味深かったです。そして、「楽しかった!」とシンプルな感想がいっぱい出て、うれしく思いました。

同じプログラムをオンラインで、9月22日にやります。興味のある方は、お早めのお申し込みをお願いいたします。

2020年9月11日

うつくしい楽器 Old instruments

古くなったオニギリを食べて、食あたりを起こした。幸い、食べたのは私だけで、一人で自滅した形だ。 吐いたらすぐ元気になるかと思ったが、夕食を作るほどには、回復できなかった。

ご飯はあったので、台風に備えて買ったレトルトカレーを温めて食べるようにナノカに言って、自分は横になっていた。ひょんな事で、先日の買いだめが役に立つ。 

先日、写真を見て、びっくりした事があった。ナノカの体のシルエットから、完全に子どもっぽさがなくなっていたからだ。どうりで、冷静に一人で、夕食を食べて、お風呂に入り、ピアノの練習をして、ヨーグルトのおやつまで食べてるはずだ。成長しているのだ。 

さて、先日、天草のコレジオ館に行った時、ナノカがオルガンを触らせてもらっていた。イタヅラしそうなほど小さくもなく、けれどこの博物館には珍しい子ども客だったせいだろう。

オルガンは、最初に日本に運ばれてきた菅が悪くなった後、代わりに竹を使ったのだそう。それが再現されている。一緒に触った大人の方は多分、音楽関係者なのだろうか。弾きっぷりが尋常じゃなかった。

この博物館には、古い楽器、グーテンベルク印刷機、南蛮人の衣装などを展示していて、規模は小さいものの、とても興味深かった。ナノカは、東そのぎに来てから、ピアノをリュートの演奏家に習っているが、リュートの展示もあった。 

去年2度ほど、その時代の長崎をテーマにした音楽劇を見に行った。西洋の音楽が、天草や南島原のコレジオで教えられ、奏でられていた時代があった。日本の民謡の中には、その影響を受けたと思われるものがある。そう思って周りを見ると、世界は興味深い。点でおもしろいと感じていたものが、つながる瞬間がある。

そうした感動を味わうためには、人はランダムに、知識や経験を広げておく必要がある。 教養とは、「知ってる」「見たことある」「聞いたことある」の積み重ねなのだろう。それが、別に、即刻、何かの役に立つわけじゃない。材料集めみたいなもんだ。ゆったり構えて、たのしく、集めていきたい。

2020年9月10日

一本のペンで A pen made the world

島瀬美術センターにて、版画を見る  At the museum, she saw the masterpieces of print.

オンラインペン画上級 愛らしい猫 A cat by boy at the online drawing class.


ユーモアたっぷり お母さんの作品 イメージは高須クリニック Mom's work

親子3人で動物を描く。どれも、あたたかく、それぞれの個性が出ている。Other mom and boys drew the animals.

ナノカ、お友達の誕生日に、お友達の顔を描く Nanoka's silent tender work of her classmate.

こっちは、最近、ナノカがよく描く、オリジナルキャラクター。鶴瓶にちょっと似てる。Nanoka's original character.

ペン画は、ボールペンとメモ帳があれば、どこででも、どんな時間にも、できてしまう、手遊びのアートだ。なので、やったことのない人は、いないんじゃないだろうか。ノートの端っこに描いたドラえもんの落書きだって、ペン画だったのだから。

それが、ちょっと見方を変えると、 ぐっと、深くなる。

 たった一本のペンなのに、難しいなあとか、もっと線を入れたいけどどこかなあ、とか、真剣になっていく。

ペン画には、ちょっと、魔法みたいな瞬間があって、たった数本の線を入れただけで、絵が急に生き生きとしたり、ドラマティックになったりする。

それは、仕事でやってるような人が勝手に、「あー、よくなった」「いや、まだ違うな」と感じる瞬間だったのだけど、こうして、教室をするようになって、「変わった!」と感じているのを見るようになった。それは、とても、たのしい。

リトルアーティスト 9月の予定

9月13日(日)9:30−11:30 西地区公民館

リトル&ビッグアーティスト「ネガとポジであそぼう」

 9月19日(土)9:30−11:00

オンラインペン画・敬老の日

9月22日(火・祝)13:00

オンラインリトルアーティスト「ネガとポジとあそぼう」

9月26日(土)13:00ー15:00 カフェゆいまーる

カフェアーティスト「ペン画」 





 


2020年9月8日

カンコロの島紀行8月号 Goto Article August Issue



民泊初体験してきた。

観光は、地方活性化のために必要な分野だが、同時に大がかりな施設や雇用を成り立たせるのは、小さな自治体には難しい問題だ。

離島のように、季節ごとに需要が大きく変化する場合、ホテルチェーンを誘致して、従業員を雇い、、、とは行かない。経営的に1年を通して成立するラインによって、数や大きさが決まる。しかし、宿泊施設がなければ、人はやって来ない。夏の高い需要に応えるためには、柔軟性のある宿泊施設があれば、ベストなのである。

民泊は、すでに他の職業(農業、漁業など)に従事する人たちが、部屋を提供してくれる。宿泊施設解消の切り札とも言えよう。

小値賀は早くから、民泊を取り入れてきた。私も、耳にしていて、気になっていた。

実際、泊まってみると、特に娘は、相当、楽しかったようである。 まるで、おばあちゃんの家に来たような気持ちで、お手伝いしたり、散歩したり、、、

そもそも、「観光」てなんなのか。なんのために、するのか。それは、非日常を通して、 心や体をリフレッシュさせるためのものなのかな、と思う。それが、立派な歴史的建造物のこともあれば、大自然のこともある。

島の日常は、都会の非日常だ。(わが家のように、若干、田舎→島、だと非日常とまでは言い切れないかもしれないが)

便利な社会に生きているからこそ、不便な場所で、不便を体験するのも、また非日常。すべてがお店で手に入る都会にいるからこそ、すべてが手作業で生み出される生活を見るのも、また非日常。そこを、楽しんでもらえたのなら、と思う。

カンコロの島紀行7月号 Goto Article July Issue

 


遅くなりました。7月の記事です。

かんころ餅を「送る」気持ちと、「受け取る」気持ちについて、書きました。

今、絵本の原稿を書き始めていますが、改めてまとめようとして思うことは、かんころ餅ひとつ追いかけることで、さまざまな縮図を知ることができる、ということです。わたしが、真剣に追いかけた食べ物は、かんころ餅が初めてなので、他のものにも、同じように背景があるのかもしれませんが、それにしても、かんころ餅は、なんだか、すごいぞ、と思うのです。

歴史や、信仰や、地方の少子化問題など、さまざまな広がりを見せながら、なお、かんころ餅は、「大切な人に食べてもらいたい」「大切な人から、やってきた」個人的な体験でもあります。

長崎の人に尋ねると、「かんころ餅は、もらっていた」「なぜか、家にあった」など、なんとなしに食べてきたと言います。

また、作り手側に聞くと、春になると、とりあえず芋を作らなきゃと、習慣で作ってきた人も多いようです。

その一人一人が、現代社会の矛盾とか、そんなものを感じながら、食べるはずもなく、やはりただ「おいしい」「なつかしい」気持ちで、食べている。 当事者が「これは、文化だ」と思って、食べている訳ではない。

だからこそ、こうして、淡々と、その価値を綴る人が必要なのでしょう。 それが日常であるうちに、日常の風景の中で、生きる姿を。

イトウのお茶会 Tea Time at Ito Kingdom

 

ナノカプロデュース「おやつセット」そして、ペン画。
イトウのおかいものゲーム。チケットの通り、ナノカはホットビスケットを焼き、わたしは、ペン画を仕上げ、相方は、片付けをした。結局、物々交換というか、労働交換みたいなものなのだろうか。今回は、みんなが、わりと納得をした、イトウ相場になった気がする。興味深い。

前々から、ナノカは家庭内通貨イトウのゲームを希望してたけど、なんだかんだで、1日家にいることってない。

台風のように、来るのがわかっている災害は、前々からの準備がほとんどで、嵐が来てから、できることは、ほとんどない。だから、こうして、イトウゲームをしている訳だ。

なにごとも起こらなかった。でも、一時期は、風速70メートルでガラスが割れるかも、とも考えて、万が一の時に片付けやすいように、ガラスの周りから物を撤去した。相方は、一晩中、起きていた。1週間の停電に耐えられるように、普段は買わないレトルト商品も買った。水も汲みに行った。

近所の人が、「周りに、飛んでいったら、大事になるから」と、離れた納屋の瓦に網を張ったり、足りないものを協力し合っているのも、とても参考になった。 うちも、大家さんにテープと海苔の養殖網を融通してもらった。

大事に至らなかったことを、ありがたいと思うと同時に、勉強になったね、と相方と語り合った。

ナノカは、このお茶会の最中に、「生きてるって、楽しいね」「幸せだ」と言い出した。相当、ホットビスケットが美味しかったのか、イトウゲームが楽しかったのか、それとも、嵐で何事もなかったことを喜んだのか、真意は、わからない。

2020年9月7日

イトウのセカイ Kingdom Ito Game


money. 通貨、イトウ 一人10イトウずつ。

それぞれのチケット tichets

おやつセットのために働くナノカShe was making hot biscuit for tea ticket.

家のこもることになったら、ナノカがやりたいと言っていたのが、「イトウのおかいものゲーム」だ。

以前、やはり嵐が来た時かなんかに、家庭内通貨を作って、お互いにチケットを売って、労働を売り買いした。その時、私が、焼きそば券とデザート券を売ったため、一人だけイトウ持ちになって、終わった。ナノカは、ゲームの胴元かなんかだったかな。

さて、今回は、ナノカは「食べ物」を扱うことにした。ホットビスケットと紅茶の「おやつセット」だ。成長して、イトウが儲かりそうなサービスを提供できるようになったのだ。ただし、ひとりじゃ心もとないので、わたしが2イトウでお手伝いに入る。親子とはいえ、そこは、シビアな世界なのだ。

さて、わたしはというと、絵を売ることにした。「ペン画」似顔絵サービス。相方は、「お掃除」サービス、「朗読」サービス、「ネズミ退治」サービスだ。ナノカは、似顔絵以外に、「カワセミ」のペン画が欲しいと言い、持ちイトウを支払い、結局、わたしが一番のイトウ持ちとなった。

それぞれにサービス提供の準備に入る。まあ、やってることは、お料理とか、本を読んだりとかに過ぎないのだけど、なぜか、めっちゃ、楽しい。オススメいたします。

 

2020年9月6日

台風には備えた。いざ、勝負。Typhoon will come.

台風10号は、風速70メートルかも?との話もあり、2日ほど前から、周りの人は、みな準備に入った。私たちも、家中のガラス窓をバッテン印にして、外に置いてあるものを家に入れたり、数日の停電に備えて食料を買ったりした。

我々がせっせと準備をしている間、ナノカはずっと本を読んでいたが、すぐに手元の本を読みつくしてしまった。籠城を目の前に、手痛い計算ミスだ(というか、配分しようという気が最初からない)。

最接近までに、時間がある。暇を持て余したナノカは、いつもは嫌がる将棋に手を出した。

見ていると、ナノカは、集中してコマの行く末を予想するのが、本当に苦手なようだ。相方の厳しい指導が飛ぶ。

2日は家に籠るであろう事を予測して、読む本の量を配分できなかった事と、飛車を取られたくないなあ、と思っているうちに、王手に気づかない事が、重なって見える。

という私も、冷蔵庫と冷凍庫の中には、停電に備えられなかった、数々の食材が詰まっている。買い出しの時に、停電も念頭に入れて、品選びができたらよかったけど、結局、食べたいものを買ってしまった。 そして、籠城中に食べよう、と思っていた焼きそばを、その日のお昼ご飯に食べてしまった。

私に比べると、相方は、どうやら頭の中で(一人で勝手に)計算して、行動しているようだ。たまに、「これ、どうするの?」と聞くと、「それは、明日だよ!」と叱られた。こういう時は、お任せするに限る。

そして、彼の計画通り、すべてのものは片付けられた。あとは、無事、台風が過ぎていくことを祈りながら、過ごすのみである。

2020年9月3日

ペン画で、おくる Good bye with drawing

 

叔父が、なくなった。

父は6人兄妹で、この上から2番目の兄に大変、世話になり、とても慕っていた。

舞鶴で、長く、青果市場を経営してきた叔父。とにかく働き者で、朝5時とか、4時とか、そんな時間から働く生活を、つい数年前までしていた。 

以前、99歳まで生きた祖母の人生を物語にしようと思って、叔父に話を聞いた。戦争のこと、時代に翻弄されたことを、笑い話にして話してくれた。やさしい人だった。

長崎に住む私たちには、そうそう会いに行ける場所ではないのだが、ここ数年、お正月に帰省した帰りに、叔父たちの顔を見に、寄り道するようになっていた。今年も、まだコロナが騒ぎになる前だったので、顔を見ることができた。会える時に、会えたことを、余分に運転してくれた相方に、感謝するばかりだ。

 こんな時代が来て伝わってくるのは、普通なら会って、確かめ合ったり、交わすことのできた「言葉にならない」親愛の情を、伝えられない、苦しさである。

 「何も、できない」と、父は嘆いた。コロナのこの時代になり、お別れの儀式に制限ができてみて、改めて、そうした儀式が、人の気持ちをつないだり、整理したりしていた事に気づかされる。人は、とむらいの儀式を何千年もやって来た。それが人間の、人間らしい、営みの一つだからなのだろう。

父に頼まれ、ペン画を描いて、送った。お正月に、会った時の写真を見ながら。写真の中でも元気そうだったが、ペン画にすると、今にもしゃべってくれそうな気がした。もちろん、写真の方が本人に似ているのだが、なぜか、絵の方が、叔父のやさしさや思慮深さが、伝わってくるように思った。それは、見る側が、限られた線の中に、故人と対話を試みるからなのだろうか。

2020年9月1日

クラゲのエコバック Jellyfish bag

 


Mantoさんから、エコバックができあがったとの、連絡があった。

黒とカーキの生地に、銀と金のプリントになる。どちらも、キラキラとして、クラゲ感が出るように、との色選びをしてある。

Mantoの中村さんは黒銀押しだが、ナノカはカーキ金押しだ。

ふだん、1点ものでものを作ることが多いが、こうして、商品になると、多くの人の手に渡ることができて、うれしい。

I designed bag since Japan decided to charge for the plastic bag to decrease the plastic use. This project was operated by Sasebo Tsushin, Sasebo information internet service and Manto, the printing company. I participated in this project as Sasebo related artist. I designed Jellyfish which Umi-Kirara Aquarium in Sasebo is famous for as the symbol to protect the sea.

タコとカメひめ Octopus pool and Turtle Princess

 

帽子を取られた。だいたいのものは、娘の方が似合う。

8月が終わった。

最後の週末は、午前は、佐世保市民プール、通称タコちゃんプールに行き、午後は、森山開次さんの講演会に行った。いずれも、ナノカのご希望だ。

タコちゃんプールは、人数制限をしていたためか、平和で、しあわせな気持ちになった。高校生にしか見えないような若いお父さんが、小さなお子さんを連れている姿も、微笑ましい。NHK筋肉体操の先生そっくりの、全身鍛えまくりのお父さんもいて、自分の怠惰な体を、反省するばかりだ。

子どもが生まれるまで、海とか、川とか、ましてや屋外プールなんて、行こうとも思わなかった。 炎天下の中、避けようもないお日様をいっぱい浴びながら、プールではしゃぐ娘と友達を見守る自分を、「今日も、いい事をした」と褒めてやりたい気分になる。そこにいる、すべての親も、褒めて回りたい。

2時間ほど泳いだ後、今度は、森山開次さんのお話会に行く。この日は、さまざまなイベントがかぶっていて、選択肢が多かったが、ナノカは、このお話会を選んだ。

森山開次さんの隣に座ったことがある。正確に言えば、「不思議な国のアリス」の公演で、ナノカの隣に、開次さん演じるウサギが、(たまたま)座ってくれた。

お話会に来た開次さんを見たナノカの感想は、「化粧してない」だった。あの時の印象が強かったのだろう。

化粧をしてなくても、衣装を着てなくても、踊ってなくても、プロで一線で仕事をする人は、存在自体が尊い。美しい。

演出、振り付け、衣装を担当した新作バレエのヒロインは、カメの姫なのだそう。お話を聞いたので、バレエの本番も100倍楽しめそうだ。

さまざまな対策を練って、開けてくれる施設に、ただただ、感謝だ。子ども達の楽しい時間は守られ、プロの美しい作品は、私たちの元へ届けられる。

月曜日、わたしは、事務作業や搬入等に追われ、疲れがどっと出た。炎天下、エネルギーの塊の子どもに付き合えば、中年の体にボロが出る。

わたし達は、核家族。わたしの行動力が、ナノカの行動範囲だ。そのことが、重荷に感じることがある。でも、考えてみれば、これもあと数年の話なのだろう。あと一息、がんばろうと、相方と誓い合う。