日曜日、こうばる探検隊とシェアリングネイチャー協会のコラボ企画として、ネイチャーゲームを体験してきました。
コロナの影響もあって、春も夏も、こうばる探検隊を断念しましたが、こうした形で行うことができて、うれしく思います。
こうばる探検隊は行うことができていませんでしたが、その間、私は、下見を含め、何回かこうばるに足を運ぶことがありました。その度に、進んでいく工事の様子に、心が痛むばかりです。
こうばる探検隊には、くり返し参加してくれる親子が、増えつつあります。わが子を含め、ここに通うことが、当たり前となり、あの看板が外れちゃってたねと気づいたり、川の降り口を覚えちゃってたり、そして、数年にわたって来ていると、「この季節になると、ここに、イモリがいるよ!」という感じで、すっかり子どもの心にも、風景、風物が刻み込まれていることを実感します。
子ども達の心の中に、楽しく、美しい里の風景が刻まれ、そこに愛着や思い出が重ねられていく。
あってはいけない事だけれど、このまま、もし、行政のゴリ押しで、まともな議論もなされないまま、ダムが出来てしまったとしたら、それを、子ども達にも、事実として、記憶として、実感を伴って、残しておきたいと思います。
苦い記憶になったとしたら、その苦さも含め、もし、市民全体で考え直すことができたのなら、市民の力強さの記憶として、抱えて生きていってほしいと思います。
政治は、だれかが勝手に決めて、運営していく、自分とは無関係の世の中のルールではありません。人の、総意です(そう思えないほど、遠くなってしまっているけど)。それを、次の世代の子に知ってもらい、これからを、生きていってほしいです。
わたしは、無力である自分を知った上で、こう思っています。
ひとりが、つよく訴えかけることも、1つである。反対運動をすることも、また1つ。「知る」人を増やすことも、また、1つである、と。
役割は、人それぞれ。わたしは、ちいとばかり、文章が書けて、絵を描くのを生業としているのだとしたら、それが、私の役割なのでしょう。
子ども達にも、「あそび」「たのしみ」「かんじる」という役割があります。 その体験を、未来へとつないでいってくれたら、と思います。