2010年9月28日

The cook, the thieve, his wife and her lover コックと泥棒、その妻と愛人

郊外育ちで、街に映画を観に行くなんて事はまれだった。中学生になり、バスと地下鉄を乗り継ぎ中心地に出かけるようになってはじめて、名古屋市内の映画館に行く事を覚えた。ある時、友人が誘ってくれた映画が、シャルロットゲンズブール出演の「小さな泥棒」だ。はじめて観るフランス映画にキツネをつままれた気持ちになった。でも、ずっと心に残り、映画というのは、100%理解できて楽しめるものと、ぼんやり世界観に包まれることを楽しめるものがあるのだなあ、と知った。
その時の予告で、「コックと泥棒、その妻と愛人」を観て、ずーっと興味を持っていた。そして、先日、20年以上の時を経て、とうとう観ることになった。
I hadn't gone to see movies until junior high school since I lived in superb with no movie theater. I started to go to the center of city by subway and bus, and one day my friend invited me to watch "Little thieve" staring by Charlotte Gainsbour-it was my first French movie. It did not have complete story and ended all of sudden. I was thrown into the wonder after movie. Still it remained as big impression.I got to know there were movies that I did not understand everything but that I could just enjoy the world that movie shows. Before that movie, I watched the preview of "The cook, the thieves, his wife and her lover" and I had wanted to see for a long time.

マイケルナイマンの音楽に乗せて、ゴルチエがデザインしたガッチリしたドレスを着た女性が行き来する、きれいな耽美な作品だが、なぜ横暴なマフィアがこのレストランを凌駕していて、いったいなぜ、食べ物の中でのエロティックなシーンと、暴力シーンが続くのか、イマイチつかみ切れず、これもキツネにつままれた後味。食欲、性欲、暴力。何かを象徴してるように感じるんだけど、、、何度か観直した後、少し調べてみた。すると、「当時のサッチャーリズムに対する、強烈な批判」と記してあるものにぶつかった。ふむ、政治的な批判が含まれているのか。
Finally I got to see it last week. It was beautiful movie with music by Michael Nyman and costume by Gortiez but I did not get it what it meant. Food, sex, violence,,,I could see they were symbols of something,,,I looked up and found that the column telling "that is the strong message against politic at that time.

食べ物が、生の状態で何度も出てくる。毛をむしられる鴨、飾られてる鵞鳥、腐敗した魚と蛆虫。ゴシックの絵画に描かれた原料としての動物や果物を思わせる。人間の欲のひとつ、食べる、という行為はどんなに気どって着飾っても、やはり、野性的で、粗野なものなのだ。
Food appears as the ingredients. Duck with feathers, dead goose decorated on table, ruined fish and warms. It reminds me the Gothic oil paintings of still life. One of desire, eating is wild and unsophisticated however they tried to hide.

病的な程、清潔を保とうと皿洗いを続ける少年は、ずっと罪(キリスト教における原罪のこと?)を洗い流そうとしている。(食欲、性欲、権力欲のような人間の罪深さとの対比で存在している)また、妻が惹かれる愛人は、常に本を読んでいて、知性や学問を象徴している(泥棒達の無学な下品さと対照的である)象徴的な、登場人物が画面を構成し、全体のメッセージを暗喩のように、読み手の方にゆだねている感じが、ブリューゲルの絵を読み解いてるみたいだ。
以前、作品に対してメッセージを込めるかどうか、について、考えた事がある。日本に帰ってきた時、「絵本には、メッセージはいらない」と助言されたのだ。それまで、アメリカで、「Voice is important」と聞いていたので、カルチャーショックだった。両者の言い分、どちらも正しいと思えた。読み手として、子供が楽しみ、ホッとするために、重たいテーマは、日常的なお茶の間には似つかわしくない。一方、作り手の強い「これが言いたい」がやはり作品の強さになるのだ、というアメリカ的な考え方も、正しいと思う。これは、もともとの、文化の違いや、個性の捉え方の違いが根本にあるように感じた。私個人には、少々大き過ぎるテーマで、適当に流しておくしかなかった。
いろいろな社会問題を目にする時、物語を付与して、問題意識や希望を伝えるのは、やっぱり、作る人間の役割なのじゃないかな、と感じる。事実を伝えるニュースや、評論家にすべてを任せるのではなく、ヴォイスを持っている事に誇りを持ち、勉強し、物語の形で表現して行くのが、作り手という存在じゃないだろうか、と。シェークスピアだって、ピカソだって、チャップリンだって、新聞記事よりも強いメッセージを、人々の前に提示した。私が何かを発信するかどうかは、ヴォイスが出てくるかによるので、どうなるかわからないけど、常にもっと勉強していなきゃいけないな、と勉強不足を反省した。
The boy washing plates was symbol of innocence in the term of Christianity. The lover read books-he symbolised wisdom and culture. Those elements consisted movie as characters and showed some message. But all messages were still metaphors and the watchers had to read the meaning-it is like Brueghel's paintings.
I hit the question "if we need the message in the picture books" when I came back to Japan. One editor advised that we did not need any heavy messages in the picture books. I was surprised since I got education that the most important was author's voice in US. I gradually understand both could be right. In everyday life, moms did not want kids to feel messages. At the same time, the author's voice that they want to tell makes the book strong. Those different ideas comes from the difference in culture and individualism between two cultures. How could I find the answer to such a big issues?
Now I saw so much social issues every day. So much news from all over the world then I feel that it is the task of the authors and artists who tell the stories. In such a days, people need story not just news and facts. Through the history, Shakespeare did, Picasso did, and Chaplin did. They were sometimes stronger. What are the authors and artists doing now? I felt I should study and think more all the time.

5 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

コックと泥棒、その妻と愛人!!
僕も、何度か観ました!テーマが難解というか複雑というか、いまだに理解できてないと思うのですが、とても興味深い作品です。

人間の欲望と、思想の関係性なんでしょうか?この映画のテーマは。3年前ぐらいに最後に観たので、はっきり覚えてないので…

職業柄、食材の映像、晩餐の映像とかについては、考えましたねぇ。晩餐というと宮廷の料理を連想してしまうのですが、現在のフランス料理の原型が作られた時代(17世紀ごろだったっけ?)、普通に考えて食べきれるわけのない皿数の食事だったそうです。そこで、食卓(何かしっくりこない表現ですが)の部屋の隣に、小部屋を作りでっかい甕を置いてそこに食べたものをもどすことをしてたようです。その時代の晩餐は、国力の象徴でもあったのでしょうから、自然な流れで、沢山の色とりどりの料理を並べ、自領の文化レベルの高さを誇示してたのでしょうが。また特殊なのは古代中国の宮廷料理で、本当に貪欲さがにじみ出てます。生きたサルの脳みそ、蛆がわくまで熟成させた生肉などが肯定の晩餐に並んだそうです。

その反面、その時代の禅宗の一部は、その贅沢を忌み嫌いトコトン人の真理を追い求めたそうですが。これも中国からちょっと離れた朝鮮半島で生き残ったって言う歴史も、興味あります。ざっと読みかじったり聞きかじった知識なので、間違ってるかもしれませんが…

メッセージは要らないですか…なにか、その違いが分かる気がします。ここまで言わんと解らんのかお前ら!!って言うことがほぼ三日おきに繰り返されるイタリア。アメリカも同じようなもんですか?まぁ、仲良くしてるやつからの助言では"ci parliamo e ci capiamo(お互い喋って、分かり合おう)"でした。文化、習慣の違いは大きくて日本的な”空気を読む”は通用しないみたいです。
逆に”自分の意見を表現する”能力は素晴らしいですが。その意見が、間違っていようとも…

最後に、観る人によって捕らえ方が変ってしまうのでしょうか、この作品は。テーマは間違いなくあるのはわかるのですが。
乱文失礼しました。

にしむらかえ Kae Nishimura さんのコメント...

剛さん

晩餐の歴史、おもしろいですね〜。権力の誇示としての豪華な食事になればなるほど、自然な食欲や生命活動から離れ、逆に他の欲ー顕示欲や権力欲も加わって、より悪趣味になっていく、ていう感じですね。なんとなく、この映画のテーマにも触れてる気がします。

「自分の意見を表現すること」に関しては、日常生活からして、日本と海外では、大きな違いがあると思います。子供の頃から、育っている環境が違うのでしょうね。もちろん、日本の日常生活が、平和に収まっているのなら、あえて個人の意見を言う文化の方がよい、とも言えないので、「違う」のだなあ、というだけなのですが。
ただ、世俗離れしている方が芸術性が高い、という考え方が日本の芸術家にはあるような、、、
社会の中で生きているのだから、ものを表現する人間が、その言葉を自分の世界だけにとどめているのは、どうかなあ、自分も含めて、反省する所です。
この映画のように、メッセージが読み切れない映画が存在するのは、これをネタに議論を交わす文化がバックにあるからかもしれませんね。それこそ、テーブルに座って、ディナーを囲む時に、「あの映画はこういうテーマじゃないか?」「つまり、今の政治はこうだ」とやや間接的に、政治問題や重たい根源的な話しが、できる。それが、作っている人間の意図している所のような気もします。問題提起、そして、「おおいに議論してくれたまえ。諸君よ」ということでしょうか。私は、この映画を観た後、アメリカで友人達と食事をしながら、議論した時間がなつかしくなりました。

Horacio さんのコメント...

I love the cinemas but here in japan i have been there just a couple of times....

(Crying)

Unknown さんのコメント...

なるほど!!問題提起がテーマですか!!!
何か、納得。多分、宮崎俊監督の”もののけ姫”もそんな気がしてしまいました。

さっきも、同僚とやり合ってしまいました。とても優秀なやつですが、愚痴が多くて…もう、そんな話は、聞きたくない!!!の一点張りで通しましたが。自分の意見を言わないやつは相手されない、っていう環境は、日本人には多少疲れますね。愚痴ですいません。

コックさんにも、そういう考え方が、ありますよ。とても、完成度の高い料理を作る人を指して、あの人しか見えない何かがあるんだ、って言う言い方するのです。才能とかもあるのでしょうが、結局、その人の積み上げてきたものと、積み上げる過程で作られた考え方で、構成した作品?なのでそんな、超能力みたいに切り捨てるのもどうかなと。
まぁ、コックを続けられる人は、変な人が多いですが。自分も!?

もし、自分の店をもてたとして、お客様が”大いに議論”してたら面白いだろうな~って、思いました。

力ずくの、コミュニケーションは疲れました。

にしむらかえ Kae Nishimura さんのコメント...

剛さん、

お疲れさまです。
愚痴ばっかりですか、、、
それは、同僚さんがまだ、若くて未熟なのかもしれませんね。結局は、内容の問題なので、、、
「伝えたい気持ちがあったら、ちゃんと言う」だと思いますが、伝えたい気持ちがないのに、捻出する必要はないですよね。きっと、わかる人はわかってくれてますよ。

先日、お誕生日ディナーに連れて行ってもらったのですが、こぢんまりしてるけれど、お客さんがちょうどいい活気で、みなさん会話を弾ませていました。音楽のボリュームや、席の配置、客層で、ちょうど会話が弾む雰囲気ってあるんだと思いました。人といろんな話しをしながら、食事をするのは、この世で一番、幸せな時間かも知れませんね。それを演出できるって、また幸せな職業なのでしょうね。
そんなステキなお店の常連になってみたいです。