さて、節分。手巻きの恵方巻きを、南南東(方位磁石で見つける)に向かって食べて、豆まきの時間。
順番に自分の作った鬼の面をつけて、自分の決めた鬼を追いやる、という形式。まずは、相方。そして、わたしの番。
じつは、鬼の面以外に、ナノカとわたしは「おふく」の面を作っていた。玄関外まで鬼の面で追いやられた後、おふくの面に付け替えて、「ふくが、きたよ〜」と入っていった。
「そう、来たか!」と、相方。ナノカも、同様にした。お話仕立てで、驚かせることもできて、楽しかった!
平安美人風のおふく。微妙にリアル。 |
なぜか、金髪のおふく。 |
そういえば、節分、保育園では、豆を煎るところから、みんなで準備して、毎年、楽しんでいたが、小学校に上がり、学年が上がるにつれて、簡素化していった。季節の行事は、年齢とともに、だんだん、日常から遠ざかっていくものだろう。
ふと、ターシャチューダーが、子ども達と家で、人形劇を催していたのを思い出した。家の中に、さまざまな本格的な遊びが存在していて、それは、ちょっと楽しむ、のレベルを超えたもので、たいへん、美しい。どれだけの熱とエネルギーで、ものごとを楽しむかは、家庭それぞれだと思うけれど、使ったエネルギー分、なにか残るものもあるだろうな、とも思う。
ちょうど、和菓子屋社長と、「コロナによる、行事の縮小」の話になった。スーパーの節分コーナーが小さくなったらしい。まとめ買いをする家庭が多く、スーパーに来る回数が減る。行事ごとにうっていたキャンペーンに広告費を出しても、それだけの効果が得られないので、小売の現場も縮小モードなのだそう。外からの刺激が減り、それが、家庭の季節感に影響していってる。
世帯収入は落ちている家が多いだろう。消費を控える気持ちになるのも、わかる。でも、必要以上に、縮こまっているのかもしれない。祝う気持ち、楽しむ余裕まで、縮小してしまい、なんだか、ぼんやりした日常風景だ。
わがやに、この「おふく」さんたちは、福をもたらしてくれるかな。
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