2013年2月28日
Girls 女子
I read through my old emails and essay book before writing article to check some local system of NY. It reminded me the life there and I deeply missed it.
I received an email from high school girl that told me that she was moved by my essay book, "To make my dream come true in NY" It was beautiful and well-written letter. This essay book got some fans of young girls-teenager to 20s who had dream and wishing going abroad to challenge their possibilities on the global basis. I already left NY and now lived in the rural area of Japan bringing up small kid and I felt a little uneasy to hear that the life in the book was their ideal. But I also felt glad that I wrote that if I encourage the young hopeful energetic talented girls.
I am believing that the young should challenge what they want since the experiences including failure in the young become their property for their life. On the other side, I know (I talked with my friend who spent same time in NY) how risky and foolish to be young through our experiences. After becoming Mom, we were not sure we could let my girl go. Still, we have to smile and watch their back to leave us for the world some day. So I just want all the girls to be wise enough to judge themselves to be safe. The world is just open air without any guard. You are the person to protect yourself. Listen to good advices from many people and medias.
Some day Nanoka will be the girl like this, who has big hope and dream, put her eyes outside, and worried a lot. Then somebody will push her to step forward, or some books will give her hint to solve, then she will start walking by herself, as this girl did, as I had done. It was all the girls steps and we had sympathy beyond the generations. I am so glad to have a girl.
仕事の原稿を書くにあたって、ニューヨーク時代の事を思い出さなくてはいけなくなり、古いメールをチェックしたり、自分の拙作を読み返したりした(このような、プラスαの思考ができるようになったのも、ナノカが保育園に通い始めたからだ。)自分の書いた物なのに、久しぶりに目を通した。なつかしい。
年末に、女子高生からメールをもらった。大人でも書けないような、まとまった、とても、きれいな文章だった。きっと、何度も推敲しながら、書いてくれたのだろう。感心してしまった。彼女は、「ニューヨークで夢をかなえる」で、勇気がわいた、と綴っていた。
このエッセイ本は、高校生〜20代ぐらいの、さまざまな夢と希望を抱えた女の子に支持があるようで、たまに、こうした反響をもらう事がある。私自身が、すでにニューヨークを離れ、日本の西の果てで、子育てに振り回されている状況で、こそばゆい気になるのだが、「私が、今、知りたかった事、言葉でした」と言われると、あの時、書いておいてよかったなあ、という気持ちになる。自分で読んでみても、これは、今となっては、思い出して書く事は不可能だ。その頃の生活、心意気、経験を愛しく思う。なによりも、若くて、やる気があって、可能性もいっぱいある女の子達を応援できてるなんて、夢のようではないか。
私は、若いうちは、エネルギーもあふれ、失敗や苦労でさえも、全部、財産に変える事ができるから、前向きにチャレンジしていくべきだと思う(私自身は、それでよかったと思っている)。一方で、同時期ニューヨークにいた友人とも話していたのだが、いかに自分達が若い頃、おろかで危なっかしかったかも、経験したからこそわかる。母親になった今、自分の子供が大きくなった時に、にっこり笑って、送り出せるかといえば、知っているからこそ、やはり恐ろしい。それでも、いつかは子供の手を放して、送り出してあげなければいけない日が来るのだろう。外へ出ていく女の子達には、いっぱい情報を集め、多くの先達からのアドバイスを聞きながら、賢明に、舵取りをしていって欲しいと思う。 やはり、そこは、未知の、だだっぴろい、「世界」なのだから。身を守るのは、自分の勘であり、そして無事に過ごすのは、自分の責任だから。
いつか、ナノカも、こうして目を外に向け、自分のいろんな可能性と限界を抱えて、いろいろ思い悩む事だろう(そんな時は、親には相談してくれない事もある だろう)。そして、誰かに肩を押してもらったり、何かから勇気をもらったりするのだろう。女子の縦のつながり、ではないけれど、世代を超え、共感するもの が流れている。女の子を産んで、よかったなあ、と思った。
2013年2月27日
Apai=Abu? アパイ=アブ?
On Monday, I got phone call from the school and they said that Nano got fever. I brought her back home and her temperature got 39℃ and we ran to the clinic. It was inflammation of the middle ear. I remembered that she told me that she had earache several days ago. She always showed me signs even though she had a little vocabulary and expression, but I ignored them,,,felt very sorry. 昨日、保育園で「ぐったりして元気がない。少し、熱もある」と呼び出され、家に連れ帰ったら、39℃まで熱がはね上がり、大慌てで病院に連れて行った。検査の結果、インフルエンザではなく、中耳炎だった。そういえば、「ミミ、いたい」と耳をいじっていた事があったかも、、、ナノカは少ないボキャブラリーと表現の中でも、ちゃんと信号を出してくれているのに、いつも、私が見落としてしまう。悪い事をした。
He had been insisted that "I have nothing to help even if I woke up. I could not give breastmilk" by now, but holding her on his back is now placing NO.2 of Nanoka's favorite. I eager him to do when I got beyond my limits.
ナノカは体調が悪いと、機嫌が悪くなり、ワガママも増える。私に対する執着も増えて、普段なら、相方でもできる着替えなどの作業も、「ママ!」と、べったりになる。食欲も落ちるからか、のどごしのいい(?)おっぱいの量が増え、下手すると、水分補給を全部おっぱいで済まそうとする。そこで、夜通し、おっぱいを吸い続ける、という状況になるのだが、いかんせん、ナノカが体調を崩してる時は、たいがい私も同じ風邪がうつって、体調不良なので、輪をかけて、辛い。夜中に、「もう勘弁して」「イヤ!アパイ!うえーん」というもめ事になるのだが、相方は、そ知らぬ顔でいびきをかいてる。男の人は、どうして、子供がこんなに泣いても寝ていられるのだろう、、、(動物学的に、そういうものらしい)
今までは、「どうせ起きたって、おっぱい代わりにあげられる訳じゃないし、、、」という、もっともな意見があったが、ここにきて、ママのおっぱいがなくなった時、パパのおんぶで機嫌が直る、という事がわかった。正確には、アパイ=アブではなく、まだ、アパイ>アブだが、それでも、なにがなんでも、おっぱい、じゃなくなっただけ、成長である。「体力、気力の限界」が来た時には、ぜひ、お願いしたいパパの仕事である。
When Nano was sick, she never stop having breastmilk for whole night. 体調が悪くなると、ナノカはおっぱいへの執着が激しくなり、一晩中飲んでいるようになる。 |
He had been insisted that "I have nothing to help even if I woke up. I could not give breastmilk" by now, but holding her on his back is now placing NO.2 of Nanoka's favorite. I eager him to do when I got beyond my limits.
ナノカは体調が悪いと、機嫌が悪くなり、ワガママも増える。私に対する執着も増えて、普段なら、相方でもできる着替えなどの作業も、「ママ!」と、べったりになる。食欲も落ちるからか、のどごしのいい(?)おっぱいの量が増え、下手すると、水分補給を全部おっぱいで済まそうとする。そこで、夜通し、おっぱいを吸い続ける、という状況になるのだが、いかんせん、ナノカが体調を崩してる時は、たいがい私も同じ風邪がうつって、体調不良なので、輪をかけて、辛い。夜中に、「もう勘弁して」「イヤ!アパイ!うえーん」というもめ事になるのだが、相方は、そ知らぬ顔でいびきをかいてる。男の人は、どうして、子供がこんなに泣いても寝ていられるのだろう、、、(動物学的に、そういうものらしい)
今までは、「どうせ起きたって、おっぱい代わりにあげられる訳じゃないし、、、」という、もっともな意見があったが、ここにきて、ママのおっぱいがなくなった時、パパのおんぶで機嫌が直る、という事がわかった。正確には、アパイ=アブではなく、まだ、アパイ>アブだが、それでも、なにがなんでも、おっぱい、じゃなくなっただけ、成長である。「体力、気力の限界」が来た時には、ぜひ、お願いしたいパパの仕事である。
2013年2月25日
Playing house 見立て遊び
子供にとっては、遊びが仕事で、遊びが全てである。とにかく、朝から晩まで、遊んでいるし、常に大人に、その遊びに付き合って欲しいと思っているが、親は自分の用事を済ましていかなければいけないので、なかなかゆったり付き合う気持ちになるのは、難しい。
何をして遊ぶか、は、それぞれ個性もあるし、子供の発達によって、どんどん変化して行く。最近のナノカは、「ごっこ遊び」が主流だ。やっているのは「ままごと」らしきものだが、まだ「料理をする」という段階には行かず、器(だと、ナノカが考えたもの)に「何か」を乗せたつもり、で、食べる仕草をする(させる)。最近は、さらに、ボールや、ボタンなど、物を乗せて、「これ、何?」て聞くと、「ごあん(ご飯)」と言うようになった。Playing is Kid's job and everything. From morning to the night, they have been playing and wanting the grownups to accompany with all the time. Grownups are busy on their business and difficult to have time to do though,,, Recently Nanoka playing housework play. She did not cook with tools, yet but prepare the dishes in air and gave to me to eat. Also she liked washing part. So I gave her real sponge and towel as her kitchen tools.
我が家では、「おままごと道具」を、買ってあげてないので(本当に、なんにも買ってあげてない、、、)、代わりに、使ってない調理道具やタッパーなんかをナノカの道具にしている。ままごとでも、まだ調理はしないで、「あわわ」(洗う事。ここでは、お皿洗い)が好きなので、未使用のスポンジと、ふきんを渡している。道具は実物だし、作業も所帯染みているし、で子供らしからぬ作業場のようになっているが、まだ本人は他の子と比べる事もないので、「私はいいものを持っている」と思って、楽しそうに遊んでいる。
いろんなものを「これは、ごはん」「これは、おふろ」のように、見立てて遊ぶ事は、このぐらいの年齢の子供の特徴で、大切な遊びらしい。ナノカは、その目的で作られたオモチャは持っていないが、代わりに、ボタンやら、端切れ布やら、ヒモ、なんかを私の棚から、引っ張りだしてきて、使っている。ボタンは、万能のオモチャらしく、まず、おはじきのように飛ばして遊び(相方とやっていたようだ)、他にも、容器に入れて振って楽器にしたり、 おままごとの「ごはん」と見立てて、器に盛ったりされる。私もボタンが好きだ。ツヤツヤしてて、色も形もさまざまで、美的に美しいと思う。 なので、ナノカがボタンを大事そうに握りしめてるのを見ると、「だよね〜」と思う。こうして、親の好みは、徐々に子供に、浸透していくのだろうか。Because they are originally real, it looks a little too realistic, not cute like kid's toys. Other girls must have cute wooden sets or good quality of system kitchen, but Nanoka did not know the others and she believed that she had good one and played happily. Instead of toys, I gave her my collection of buttons, pieces of clothing and strings. Buttons are good toys, actually. She played games with them, made temporary instruments putting them into the container and they became food in the house play. I love buttons from aesthetic point of view and I feel deep sympathy with her when she holds buttons in her small hands like valuable staff. The parent's value affected kids like this, probably,,,
何をして遊ぶか、は、それぞれ個性もあるし、子供の発達によって、どんどん変化して行く。最近のナノカは、「ごっこ遊び」が主流だ。やっているのは「ままごと」らしきものだが、まだ「料理をする」という段階には行かず、器(だと、ナノカが考えたもの)に「何か」を乗せたつもり、で、食べる仕草をする(させる)。最近は、さらに、ボールや、ボタンなど、物を乗せて、「これ、何?」て聞くと、「ごあん(ご飯)」と言うようになった。Playing is Kid's job and everything. From morning to the night, they have been playing and wanting the grownups to accompany with all the time. Grownups are busy on their business and difficult to have time to do though,,, Recently Nanoka playing housework play. She did not cook with tools, yet but prepare the dishes in air and gave to me to eat. Also she liked washing part. So I gave her real sponge and towel as her kitchen tools.
Nanoka put "something" into the container in air and handed to me saying, "here you go" 入れ物に、せっせと空で物を入れ(下から拾ってるようだが、砂だろうか?木の実?)、「はい、どーじょ」と手渡してくる。 |
She said, "rice" and I pretended to eat and said "delicious!" hundreds times in one day. ご飯だというので、ぱくぱく、と食べて、「おいしいですねー」と感想を言う。これを、1日に何十回とくり返す。 |
She loves taking care of somebody. She brought stuffed animals to the bed and let them sleep by accompanying. 何かの世話を焼くのも、好きなようで、よくぬいぐるみを、寝かしつけしている。布団に寝かして、トントンまでしてあげてたりする。 |
Nanoka's house play toys right now. ナノカの、寄せ集めの「ままごと」道具。他の子は、「木のままごと」とか、「本物みたいなレンジ」とか、持ってるんだろうなあ、、、 |
いろんなものを「これは、ごはん」「これは、おふろ」のように、見立てて遊ぶ事は、このぐらいの年齢の子供の特徴で、大切な遊びらしい。ナノカは、その目的で作られたオモチャは持っていないが、代わりに、ボタンやら、端切れ布やら、ヒモ、なんかを私の棚から、引っ張りだしてきて、使っている。ボタンは、万能のオモチャらしく、まず、おはじきのように飛ばして遊び(相方とやっていたようだ)、他にも、容器に入れて振って楽器にしたり、 おままごとの「ごはん」と見立てて、器に盛ったりされる。私もボタンが好きだ。ツヤツヤしてて、色も形もさまざまで、美的に美しいと思う。 なので、ナノカがボタンを大事そうに握りしめてるのを見ると、「だよね〜」と思う。こうして、親の好みは、徐々に子供に、浸透していくのだろうか。Because they are originally real, it looks a little too realistic, not cute like kid's toys. Other girls must have cute wooden sets or good quality of system kitchen, but Nanoka did not know the others and she believed that she had good one and played happily. Instead of toys, I gave her my collection of buttons, pieces of clothing and strings. Buttons are good toys, actually. She played games with them, made temporary instruments putting them into the container and they became food in the house play. I love buttons from aesthetic point of view and I feel deep sympathy with her when she holds buttons in her small hands like valuable staff. The parent's value affected kids like this, probably,,,
2013年2月22日
Everyday Celemony 毎日の儀式
Every time when I picked up Nanoka, she was running toward me crying. 迎えに行くと、ナノカはいつも大泣きで現れる。隣のテラス(午後はここで遊んでるみたいだ)から、泣きながら走ってくる。 |
昨日、ようやく風邪が収まってきたので、久々に保育園に行った。10時までの、たった3時間だった。迎えに行くと、ちょこん、と着替えのマットの上に座っていて、私を見つけると、「あ、ママだ」という感じで、ニコニコ走ってきた。はじめて、泣かなかった。数時間だと、「久しぶり、ママ!」という感動はなかったのかもしれない。多分、これぐらいが、今のナノカにとっては、最高なんだろうなあ、と思う(パパと朝から車でおでかけ。保育園で、外遊びをしたり、絵本を読んでもらったりして、遊んでもらって、ママが迎えにくる)。でも、そんな訳にいかないしねえ。もうちょっとがんばろう!
2013年2月21日
About Children's Books -Nanoka 1 and 8months 絵本考察 1歳8ヶ月にて
I read books like "actor or professional reader" in my mind-emotionally or like a play. Husband read with some comments. I think any way to read is good-kids will accept many ways of expression and they spread the world. Nanoka asked me to read same books again and again. I heard that kids had not so much interests in reading new books always. They wanted to read same books to make sure what they liked. So we just read as our patience allow us. Also they wanted us to read only some specific pages and we wondered if it was OK to read as they asked. I do not know, but adults want to read only their favorite pages sometimes and kids could not read by themselves, yet, so probably we should read for them instead.
Recently she got some books being read in the school. She said some words from that and I found she learned something from there. I actually did not think about the educational aspects of children's book really, but I see Nanoka learned many of her words and concept from the books. Small/Big is what she learned(I never taught her actually but she could say now)
Someday, we could read same books and correspond the opinion about them. I am already looking forward it! Books are one of the best things that make anybody's life rich culturally without much money. To think about it, I feel very peaceful and hopeful.
今日でナノカは1歳8ヶ月。随分、大きくなったものです。いろんな事で、「大きくなったなあ」と感じさせられますが、読んでいる絵本や、反応を見ていると、内なる成長がよくわかって、とても興味深いです。
ナノカは、何を読んでいるか、という話になると、私が昔からそろえてきたコレクションを、片っ端から、読んでいます。私が保育園時代に読んでいたペーパーバックから、編集さんに頂いたミドルグレード用のチャプターブックに至るまで、どれでも引っ張りだしてきます。対象年齢、と書いてありますが、こうやって雑多に与えていると、「あまり関係ないかな」という印象です。ともすると、大きめの洋服を買ったら長く着れるから、対象年齢が高い絵本を買えば、長く読んでくれるのでは?となるかもしれませんが、赤ちゃん絵本には、またその魅力があり、本当にお世話になったし、今でも、読みたがるので、短いものも、何個か手元において、オモチャと本の境界線のような感じで付き合うのも、やっぱり大事かなあ、とも思います。なんだかんだ言って、ナノカは絵本をほとんど破らなかったので、結局オモチャ以上に長く遊べたなあ、と思います(オモチャは全然、買ってあげてない、、、)
これぐらいの年齢になると、かなり長いものも、最初から最後まで聞いていられるようになります。先日「100万回生きた猫」も、通しで読み切る事ができました。読んでいた私の方が感極まって、涙声になったら、「えーん」と神妙にしていました。わかっているんでしょうか、、、とにかく、 意外にも、本の長さはあまり関係ないようです(短いと、結局5、6回読まされます)。その時の気分が本人にもあるようで、ばっと走って行って、その本を持ってくる事もありますが、どっちかと言うと、棚をいじっていて、手に引っかかったヤツを「これこれ」と(さも、ねらっていたかのように)持ってくる事の方が多いです。それを見てると、やっぱり、棚にずらーっと絵本が並んでるのは、いろんな絵本に出会えていいなあ、と思います。いっぱい持ってて、よかった。
先日は「トリゴラス」を、寝る前にずーっと読まされました。少し、怖いかな、とも思うけど、関西弁の音がおもしろいんでしょうか?他に最近、よく読んでいるのは、「ぼくのおふろ」「こぐまちゃん、おはよう」「ぐるんぱのようちえん」「おりこうバー二」「かさ」「おこちゃん」あたりでしょうか。大概、「もう一回」とアンコールされるので、2,3回は続けて同じ本を読む事になります。子供は大人と違って、新しい、読んでない本を読みたい、という欲求はないので、知ってる本を何度も確認しながら読むのが、心地がいいのだとか。だから、大人の根気が続く限り、くり返し、同じ本を読んであげればいいんだそうです。通しで聞ける事もあれば、好きなページだけ、何度も読んでもらいたがる時もあります。読まされる方は、「ワガママだな。これ、許していいんだろうか?」と思ったりしますが、よく考えれば、大人だって、読みたいページだけをくり返し読んだりしますもんね。そう思うと、自分で読めないんだから、読んであげればいいのかな、と思います。どう読んであげるか、に関しては、いろんな意見があるみたいですが、私は「ノリノリでよんであげ」ています。それはもう、劇団員かNHKの朗読の人になったぐらいの気分で。相方は「これは、何かな?」みたいなチャチャを入れながら、読んでますが、読む人、読む人に、個性があっていいかな、と思います。ヘタクソだったら、ヘタクソなりに、味があります。たくさんの人に、いろんな風に読んでもらうと、その分、世界が広がります。
最近は、保育園でも読んでもらっているので、家に帰ってきてから、電車を指さして、「がたんごとん」と言っていました。我が家には、「がたんごとん、がたんごとん」の絵本はないので、ああ、保育園で、読んでもらったんだな、と気づきました。絵本は、言葉や概念を子供が学ぶ、という意味でも、ちゃんと機能してるんだなあ、とはじめて思いました(もしかしたら、そもそも、それが目的なのかもしれませんが、意識した事がありませんでした、、、)考えてみたら、いつのまにか、「おおきい」「ちいさい」と言えるようになってたのですが、そういう概念も、多分、絵本からくり返し、学んでいた事なのかな、と思います(私が、特に、「これは大きい、これは小さい」と教えた事がある訳ではないですし)。ナノカが絵本から得ている情報は、すでに莫大なもので、人間にとって、「本」から学ぶってことは、こんなにも大きいんだなあ、と実感します。実感できるようになったのは、ナノカが成長して、コミュニケーションが取れるようになってきたからなのですが。
ここ数日は、「自分で絵本を読む」というのを、やろうとしているようです。知人の編集者さんに頂いた「ぱんぱんぱん」を開いて、「ぱんぱん」と言いながら、ページをめくって見せてくれました。どのページも、「ぱんぱん」なので、まあ、ご愛嬌ですが、「自分で読みたい」という気持ちの芽生えですもんね。
絵本を読み、反応している姿を見ていると、いつか、親子で同じ本を読んで、感想を語り合う、なんて事もできるようになるんだな、と今から、楽しみに思います。 世の中には、それほどお金をかけなくても、すべての人が平等に、文化の恩恵を受けて、豊かに生きられる面がいくつかあって、その一つが「本を読む事」だと思います(って業界の人間が言っても、宣伝じみて聞こえちゃいますかね?)。
2013年2月19日
Talking on the phone with Grandpa じじと電話
2013年2月18日
Mama should be perfect ママは万能で当たり前?
On weekend, husband went to work, and Nanoka and I spent days together. I found the pram blossom blooming and other spring arrival for the first time. Without her, I was ignorant those sensitive details of nature and so on. Ashamed at myself. However, gradually on Sunday, I became tired of Nanoka's endless demand and at the end, I said, "Wait!" or "Stop. Mom dislike it!" loudly.
Kids are immature creatures who are under developing themselves. They could not do much things yet and need so much help. The grown-ups around them should accept them with tolerant attitude like a mother land until they grown up. But in fact, when the baby was born, mothers were not perfect matured grown-ups. From that time, moms have to deal with taking care of much more immature creatures in conflict of their own immature. We know what is better-don't scold them emotionally, explain with patience, and so on, but so difficult to be a good mother for 24 hours since we were not perfect! I am still trying my "temporary" good mother attitude hoping that I would grow up to be some day.
また熱が出て、ナノカは今日も保育園を休んでいる。
土曜日は相方が出勤、ナノカと二人で久々に階段道を歩くと、しだれ梅が咲いているのに気づいた(一人で毎日、歩いてたのに、気づいてなかった!)。他にも、「ざー、ていってたね」と風の音を教えてくれたり、小さな春の訪れや、自然の音を感じ取ってるナノカの姿に、自分の日常を省みた。二人でいろんな物を感じながら、生活する事の、大切さが身にしみた。
日曜日も、相方は仕事で会社に行ってしまったので、午後はナノカと二人で過ごした。、、、が、体調が多分、日曜日の後半からすでに悪かったのだろう。あまのじゃくで、何度注意しても、わざと同じ事をするし、とどまる事のない要求(せっかちなナノカは、待てないで大声を出す)を聞いているうちに、追い詰められてくる。結局、「ちょっと待ってよ!」とか、「ママ、もうイヤ!」と大声を出してしまって、自己嫌悪に後で陥る羽目に、、、
子供は、少しずつ自分でできる事を増やしながら、人間らしい形に成りつつあっても、まだまだ未熟で、「やって欲しい」と今思いつけば、待てないし、不器用だから、莫大な助けを必要としている。その未熟さを受け止めるために、大人側は常に自分が、大地のような大きな受け皿でなければならないのだが、子供が生まれるまでに、成熟したしっかりした大人に完成してた訳ではないので、常に、自分の未熟さと向き合わされる事になる。育児の本に書いてあるように、「感情的に怒ったり」するのがいけないのはわかっているし、「できるだけ、子供の要求を汲み取ってあげ」たいと思ってはいても、実際、24時間いつも、やさしくて、頼りになるママでいる事の難しさよ、、、子育ては、自分の未熟さを、はりぼてでも、急場しのぎでもいいから、なんとか押さえつけて、より幼く、未熟な人間の世話をくり返しをしているうちに、無理にでも少しずつ、それっぽくなっていく事。いつか、私も、ちゃんとした母になれるのだろうか?と思いながら、今日も1日が、過ぎて行く。
2013年2月15日
Gauze Towel ガーゼのハンカチ
2013年2月14日
Happy Valentine's Day バレンタインデー
なんかバタバタしている。ナノカを保育園に預けたのだから、もっと余裕ができると思ったのだが、それでも、バタバタしている。私の行動には、なんらかの欠陥があるのだろうか、、、とにかく、毎日をちゃんと回そうという意識が強過ぎて、いつも焦ってしまうのだ。そのうち、慣れるのかな、、、
さて、バレンタインデー。このバタバタの中、どうしようかと思ったが、少し豪華なディナーと、これから帰ってきたナノカと、お菓子を手作りする事にした。しかし、このカードにしろ、お菓子にしろ、ナノカが目覚めているうちに、相方が目にする事ができるとは思えない。日本の会社がこんな平日に「ちょっと早めに帰れる」と言う事もないだろうし、9時、10時に疲れて帰ってきて、花も愛もあったもんじゃないよなあ、と思う。若いコを除いて、「愛の日」的な盛り上がりに欠けるのも、仕方のない事なのかもなあ、と思う今日この頃。
Nanoka has own desk and chair(it was coffee table from my old apt.)生意気にも、自分の机を持つ1歳児、ナノカ。使ってなかったコタツに子供椅子の足を切って、高さを調節。 |
I did it and maybe did it too much,,,sorry, it would make your motivation some day...横で見ていて、自分も作りたくなって、作りはじめ、ついつい、やり過ぎ、、、そのうち、ナノカ、やる気なくすかな、、、 |
2013年2月13日
Abu, Ako, Apai and Pan アブ、アコ、アパイ、パン
Nanoka speak a lot now. She understands most of what I am saying and tried to speak like I do. However her mouth is not moving as she expects. There are some sound she can not pronounce, yet.When she started to call her name, she said Ano, but she can say Nano in three days-N was not so difficult. But there were so many sound she cannot pronounce and she tried to communicate with what she can pronounce-she made up some "baby words" and they sound so cute and I felt I would love to say as she said, but it is better for adults to keep right pronunciation since kids should learn from that.
ナノカはよく喋るようになった。最初は発音できず「アノ」と言っていた名前も、3日程で「ナノ」と言えるようになったが(Nは難しくなかったようだ)、まだ発音できない音が他にもいっぱいある。例えば、サ行の発音はだいたい、タ行になる。「〜したい」は「〜ちたい」「カサ」は「カチャ」になる。この辺りは、もっと大きい子もなかなか発音できてないので、まだまだ時間がかかるのだろう。幼児語は、本人は聞こえた音をなんとか自分の口で再現しようと必死で話してるのに、やっぱり拙いので、とても、かわいい。思わずマネしたくなるが、大人が同じように話をしてしまうと、正確な音を覚えるのの邪魔をしてしまうので、大人は正しい発音で答えた続けた方がいいらしい。
ナノカはよく喋るようになった。最初は発音できず「アノ」と言っていた名前も、3日程で「ナノ」と言えるようになったが(Nは難しくなかったようだ)、まだ発音できない音が他にもいっぱいある。例えば、サ行の発音はだいたい、タ行になる。「〜したい」は「〜ちたい」「カサ」は「カチャ」になる。この辺りは、もっと大きい子もなかなか発音できてないので、まだまだ時間がかかるのだろう。幼児語は、本人は聞こえた音をなんとか自分の口で再現しようと必死で話してるのに、やっぱり拙いので、とても、かわいい。思わずマネしたくなるが、大人が同じように話をしてしまうと、正確な音を覚えるのの邪魔をしてしまうので、大人は正しい発音で答えた続けた方がいいらしい。
Sound O is replaced with A. For example she said, "A-pai" instead of Oppai(breast). Also she said "A-bu" instead of Onbu(holding on the back)「お」は「あ」で代用する。「おっぱい」は「アパイ」で、「おんぶ」は「アブ」だ。 |
Sound D is also replaced by A. She said A-ko instead of Dakko(holding in front)「だ」も「あ」になる。「だっこ」は「アコ」だ。 |
Recently we got so many products with Panda images and she became liking them. 最近、ナノカの身の回りにパンダグッズが増えてきて、ナノカもパンダを好んでいるようなのだが、、、 |
Then she called it, "Pan!" OK, she does not pronounce what she cannot-silence.「パンダ」のことは、「パン」と、発音できない「ダ」を省略している。なるほど、サイレンス、ていう手があったか。 |
Cotton pullover for the school ネコのトレーナー
Cat pullover with colorful frill. ネコの顔のアップリケとフリルのついたトレーナー |
保育園入所を戸惑っていた理由は、今思うと、ささいな事だ。例えば、園庭開放でワイルドな園児に圧倒されて、ナノカが私にしがみついていた事。慣れれば、ナノカもそのワイルドな一味にすぐ仲間入りしていくのだろうに、、、また、午前中は冬も園庭で遊ばせているのだが、みな軒並みハナをたらしていた事。私が気になって一人のハナをふいてあげると、次々と子供達が寄ってきて、すべての子のハナを拭く事になった。「ああ、自分で見ていると、常にハナは拭いてあげられるけど、保育園の子はみんな、ハナ出っぱなしなんだなあ」と切なくなった。親といれば、一対一だから、常に目を光らせ、身支度から何から何まで、用が足りてる事は確かだ。しかし、そんな事と引き換えに、また多くの経験を子供達が得ているのも、事実。ハナぐらい、なんだろう。結局、踏み出す事、手を放す事、で自分もナノカも得られるだろう、時間と経験を考えると、なんの問題もなかったな、と思う。ナノカは先生達を信頼し、ちょっとの緊張感の中で、立派に立ち回り、成長している。
さて、保育園に通う事が決まった時に、ちょっと切なかった、つまらないささいな事のもうひとつに、服装がある。保育園では、安全性や、着替えをシステム化させるために、服装が決まっている。この季節だと、「肌着、長袖Tシャツ、トレーナー、ぶ厚めズボンに、ジャンバー」である。ナノカは、このトレーナーにあたる物を持っていなくて、通うにあたってお古をいくつか譲ってもらい、また少し買い足そうと探してみた。ところが、トレーナーと言うアイテム、全然、気に入った物が見つからないのだ。男の子なら、ロゴ入りの物や、ちょっとヤンチャなのもかわいいかもしれないが、女の子のものって難しい、、、それも、下に合わせるのはスカートやレギンスではないので、シンプルなトレーナーを甘く着こなす、みたいな事はできない。保育園において、上下の組み合わせは、汚れるとシステム的に順番に着替えていくので、おしゃれに過ごす事は、もともと叶わない事なのだが、それでも、せっかくだから、「これ」と本人が喜ぶような物を持たせてやりたい(ナノカは、服装に結構、こだわりが強くて、これは今はイヤだ、とかがあるのだ)。
そう思い、新しいトレーナーを作ってあげようと思っていたものが、今朝、ようやく、仕上がった。給食袋を同じネコの顔と、モコモコの糸の飾り付きだ。はたして、気に入ってもらえるかな?
I had been wondering when I should let Nanoka go to the nursery school, but I had just started to looked around last September. I knew it was full and difficult to enter so I thought I did not have to make decision till the room was available. But soon in October, the President of the school asked me if Nanoka would enter since there was a child who would move out soon. I was forced to make the decision. Probably if there was the chance like that, I would never make decision by myself since there was no deadline for a freelancer.
There were several small silly things I had cared about Nanoka's going to the nursery school before-first, she was hesitated to the wildness of the kids there. She would get used to once she entered and she would be wild like that soon. Second was running nose problems-I saw all kids in the playground running noses and I wiped all the kids noses when I was there. I felt sad to feel that I would keep Nanoka's face clean all the time if I was always with her. But was it such a big problem?(They cleaned kids enough to keep health, of course) I guess that it was some kinds of mom's melancholy emotion about being apart from own child. Nanoka and I both would gain more time and experience by that and it would make us develop in different ways.
Another very silly point that I felt sad about it was fashion-at the school kids have to wear proper clothing-undershirt, long sleeve T-shirts, thick trousers and cotton pullover. Cotton pullover was not what Nanoka had. Then we got from second hand from old kids friend and I tried to buy some. But there was no good one for girls. Now at the school, she could not wear skirt or tights, but just simple trousers for safety and convenience of change systematically by teachers, so it was difficult to keep kids fashionable anyway, but I knew Nanoka had some opinion about what to wear and I wanted to give her as comfortable as possible there.
Then I made pullover for the school for her this morning. I put same cat face print of lunch bag and decorated with colorful frill. I hope she like it.
2013年2月12日
Boss! S田先生
2013年2月8日
This, Nano, This, Mama これナノ、これママ、、、
Before the Christmas, we bought a book named "Mine" and she learn to choose which is "Nano's" on the pages.先日買った「わたしの」を読んで、「ナノカのどれ?」と聞くと、「これ」と答えておもしろかったが、その本のせいなのか、そういう時期なのかわからないけど、、、 |
2013年2月7日
shopping bag project 風邪の日のショッピングバッグ
This is the bag that was pasted teared old drawings we made while ago.ちょっと前に作った、古い絵をリサイクルしたカバン。この時は、私が、手で破いて、ほとんどを、貼った。 |
This is almost what I made to show what I was going to do. You can see original mark...まず、今日はこんなの作るよ、ということで、やって見せると、 |
Simple one she did-I cut and she pasted.すぐにのってきた。ノリがブームのようで、自分で一生懸命裏にノリを塗り、貼る。これは、切ってあげたものを、ノリで貼ったシンプルなもの。 |
Some images(dog and cat) from old drawings.古い落書きから、具象(犬とかネコ)を切るように、ご指定。これは、何度か貼り直してるうちに、結構、まとまった。 |
Of course it became like this many times...she put images onto images which she likes. でも、大概の場合は、気に入ったものをどんどん貼っていって、こうなる。まあ、いいか。 |
She was struggling from using paste and images, but still very fun for her.本人は、いろいろ考えながら、貼ってるんでしょうねえ。 |
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