2019年6月30日

3D 2Dマイク 3D 2D microphone

She made the radio program named "Nano would hear you!" using her handmade 2D 3D microphone.
母になった時、山のような「〜ねばならない」「〜するとよい」が
自分の方めがけて、集まってきた。
それは、それまで、自由を謳歌してきた、私には、
とてもじゃないけど、応えきれないものだった。

他のママさんは、よくやっている。
その姿を見て、落ち込んだ。
でも、そうなりたいのか、と言われれば、そうでもない気もする。

考えてみれば、「個性」を大切にしよう、と、あらゆる所で言われてるのに、
なぜ、子育てする側の「母」の「個性」は軽視されるのだろう?
家族の形も、それぞれ「個性」があってもいいはずなのに。

私は、この40数年かけて、作り上げられてきたわけだけど、
子どもが生まれたら、それは、変わらなければいけないのだろうか?
自分は、自分のままで、母でありたい。
できないことをがんばって、苦しみながら、子どもと過ごすのではなく、
できることをいっぱい提供して、楽しく、子どもと向き合いたい。

私は、「クリエイティブな母」になろうと決めた。

夕食がいい加減になっても、
部屋の掃除が適当でも、ナノカが「粘土をしたい」と言ったら、
平日の夜に、30分だけでも、粘土をする母だ。

行事が近づくと、毎日、30分、少しずつ、作業をして、
1週間ほどかけて、作り物をした。
2歳なら、2歳なりに、8歳の今は、8歳の作り物をする。
大切なのは、彼女が、クリエイティブな気分を味わってること。

たとえば、バレンタインカード。
ハサミが使えない時代は、指でやぶらせ、ノリで貼らせる。
そして、次の年には、ハサミをつかい、鉛筆を使い、、、と作業を増やす。
今は、目の前で、私が、やり方を見せるだけで、「やりたい!」と
自分のアイデアをスケッチし、完成することができる。

彼女のその時の興味や、実力に合わせて、やれることを考えて、
用意してやる。
それが、できるのは、「クリエイティブな母」だから。
優しくて、賢くて、家事の上手な、テキパキママではないけれど、
喜ばせたことで、よしとしてきた。

ずーっと、優先順位は、
このクリエイティブな 日々!だった。

先日、娘が、ずっと机にかじりついてたので、何をしているかと思ったら、
マイクを作っていた。
平面の紙から作るのに苦心して、結果、
この平面(2D) と立体(3D)の中間みたいなマイクを編み出した。

娘のこういうところが、好きだ。
幸せそうで、ピチピチしている。

大切なのは、
きれいなマイクを作ってあげることではないし、
ましてや、本物のマイクを買ってあげることでもなく、
この自分の力で、作り上げた、この世界観を、
一緒に喜んであげることなのだと思う。

2019年6月26日

家族ミーティング 家庭内出版 Family meeting and publications

わが娘は、宿題のない学校に通っている。
じゃあ、その分、学校で、みっちり勉強しているかといえば、
1日あたり、正味1時間半ほどしか、机に向かっていないようだ。

2年生の今頃は、他の小学校は、九九をやってるのだろうか。
ナノカは、九九を覚えろとは言われないようで、何を聞いても、あやしい。
今まで覚えた漢字すら忘れ始め、
すべての文章を、ひらがなで書くようになった。
大丈夫か?
当の本人は、「結構、難しいんだから」と言う。

ある日、ふと、「今も、かけ算?」と聞くと、
「うん。でもね、昨日は、ふた桁だった」と答えた。
ふた桁?

試しに、12×5=と聞いてみると、
「58」と間違えて、私の顔を見て、
「60だった」と言い直した。

九九は裏覚えなので、計算ミスはするが、
「えっとね、10が5個で50でしょ。それから、2も5個で10だから」
と説明してくれた。
ふむ。

さて、宿題がない彼女だが、
家に帰ると、意外に自分の机の前にいる。
やたら熱心に何かをしていると思ったら、このようなものが
壁に貼られた。
Let's have a family meeting
post your theme to the meeting
「私、ちょっと、言いたいことがあるから」
と言っていた。
言いたい放題、なんでも、主張してる気がするが、
確かに、「無理無理無理」みたいに、
却下していることもあるかもしれない。
わが家にも、民主主義が必要な時が来たか。
これを「伊藤家の春」と呼ぼうか。

と思って、さっき、ポストを覗いたら、さっそく
ナノカの議題が入っていて、
「つむちゃんと、よさんをきめて、でかけたい」
と言うものだった。
家出の次は、「許可された冒険」でしたか。
News:Nanoka will publish Haiku book for 10yen. Sale day will be June 27th.
Her Haiku book work in progress.
 そして、そのためのお小遣い稼ぎなのか、
「俳句の本、出版予定」
というチラシが貼られていた。10円で、27日発売らしい。
気になって、机を覗くと、たしかに、俳句らしきものが、書かれた
小冊子が、作られている。

そういえば、私が、子どもの頃も、
学校ごっこと言って、テストを作って、友達に配ったり、
とてつもない迷路を作ったり、していたなあ。

小学校いっぱい、そんな生活してたけど、
今、それなりに、生きている。
遊んで、小学校時代を暮らしても、別に問題ない気がする。
まあ、もっと立派になりえたかもしれないけど、
その立派が、自分にとって、しあわせだったかも、想像つかない。

「遊び」は、すぐ見える結果は、(大人目線で)何もない。
いろんなゴミのようなもの(大人目線で)が大量生産され、
時間を無駄に(大人目線で)使い、
時に、大人も面倒(大人目線で)に巻き込まれる。

でも、じゅうぶん、遊んできた大人は、
きっと、わかる。

仕事や勉強の中にも、「遊び」がある。
遊びを知る人は、それを発見して、どこでも「しあわせ」になれる。
褒めてもらわなくても、人に勝たなくても、しあわせはある。

すごく、成功しなくても、意外に、しあわせなんだよ。
そう、言ってあげたら、
楽になる子ども、いるのかな。

2019年6月23日

8歳、おめでとう Happy 8 years old

おめでとう!

お泊りに来てくれた友達と、段ボールを使って、即興劇にいそしむ
てまき寿司
ナノカの希望の、ティラミス
お誕生日当日は、学校のお友達一家が来てくれて、ダンスパーティー
ずっとマンション暮らしで、保育園育ちだったので、
「お友達を呼んで、パーティー」というのが、
できなかった、わが家。

駐車場がない山の上のマンションは、遠方から人を招待するのも
申し訳なかったし、
保育園のお友達は、親御さんも忙しそうで、
長らく、ナノカが、「友達を呼んで、パーティーがしてみたい」
は、実現できないできた。

今年のお誕生日は、ナノカの一番やりたいことを、しよう。

学校帰りに寄ってくれた友達とは、ピザパーティをして、
グリーを見ながら、ダンスパーティー

次の日、夕方から来てくれた友達は、ママさんとお泊まり。
お風呂で大騒ぎ、布団で大騒ぎ、で12時まで眠らず、
朝は5時半から、2時間の散歩に行き、
即興劇を何個もした後、お昼からパーティーになった。

こんなに、飽きるほど遊んだくせに、帰る時間が近づいたら、
別れたくなくて、 二人で、家出をした。
そっから、1時間ぐらい、公園に居座った。

満足できましたか?

8歳の目標は、「お友達を、いっぱい、作る」だそうです。
放課中、一人で本を読んでるタイプだったナノカ。
おともだち、が大切な年齢がやってきたんだね。

8歳のティアラ Tiara for the 8

For every birthday, I made tiara for Nanoka to take her order.
This year's her order was Birds.
毎年、ナノカの希望に合わせて、ティアラを作る。
今年の希望は、「鳥」だ。

ナノカは、小さな頃から、鳥を見ると、
「私も、飛びたい」
と言っていた。
重力から自由になることに、小さな子が
興味を持つんだなあ、と不思議に思ってたけど、
今も、まだ、そう思ってるんだなあ。

そんな希望を受けて、
カラフルな、飛び回る鳥を、ティアラにしました。
厚紙に描いて Paint on the thick paper
切り抜く cut out
酋長感もある、ティアラ  a kind of primitive tiara
すでに、ティアラを超えたか。more than Tiara


2019年6月21日

パーティー三昧 Let's Party

鎖を、つくります making chains
昨日から、学校に宿泊のナノカ。
田植え終わったよパーティーだそうです。

今日は、おたんじょうび。
帰ってきたら、友達が来て、また、パーティーです。
さらに言うなら、明日、違うお友達が泊まりに来て、さらに、パーティー。

このおうちに生まれて、本当に「しあわせ」だと言ってました。
パーティー三昧だから?
「しあわせ」でいてくれて、うれしいです。

まだまだ、未熟なところもある、成長過程の2年生。
それでも、いろんな事に対して、心も体もめいいっぱい
オープンにし、乗り越えていってくれる、
明るくて、芯の強い、ナノカ。

私の方が、彼女に対して、尊敬の念を覚えることも、度々です。

引っ越しもして、転校もして、変化だらけのここ3ヶ月でしたが、
ここを基盤に、8歳も、ぐーーーーーーっと楽しく、過ごしたいね。

Today is Nanoka's 8th birthday.
We will have two parties as she asked me.
She said she was a happy girl.

She was still developing.
She is open her heart to the world
to experience everything and got over them.
I had respect her strength and brightness.

I wish your 8 year old  year would be fun!

2019年6月20日

ビック&リトルアーティスト「2つのひまわり」

Black and white to catch the tone 墨一色で描く
色の濃さ(トーン)を理解します
なかなか、面で色をつかむのが、むずかしいですね。
then tried to draw in color 次に色を使います
finding tones in the color トーンを操り始めてます
トーン、むずかしい!でも、おもしろい絵になりました。
 ものすごい昔に、静物画を、墨絵で描いてから、
色を使って描く、というプロジェクトをしました。
今回は、これを、花、でやります。
難しくはありますが、とーっても、勉強になります。
というか、自然に、楽しんで、絵を描いたら、
なんとなく、ちょっと、つかめたかも!てなるといいな、と思います。

2019年6月19日

オタマじっけん Tadpole Experiment

6月頭、田に水が入り、にわかに生き物にあふれる
オタマジャクシをカエルになる所を観察しようと、捕まえに行くと、化学肥料で半日で全滅していた。
化学肥料と生物の共存量を探るため、実験することを考えるナノカ。「でも、オタマジャクシ、実験中に、いっぱい死んじゃうね」
先日の、「半日で、オタマジャクシ(とタニシ)全滅」は、強烈な体験だった。

ただ「化学肥料って怖い!反対!すべて、オーガニックにすべき!」
と言うのは、簡単だけど、多くの兼業農家がひしめく日本で、
それは、今すぐには、実現不可能だろう、とも思う。

私が、直感として疑ったのは、「過剰に撒いているのではないか」ということだ。
また、水棲生物が一気になだれ込んだ時に、一気に撒くことで、全滅に至ってるのでは、とも思った。

その話を、車中で相方に、グダグダ話していたら、
聞いてないと思ってたのに、家に帰ってから、
「やっぱり、過剰っぽいね」と資料を見せてきた。

だいたいの化学肥料は、酸性によりがちな日本の地質を
アルカリ性にするために撒くのだが、水棲生物は、水に浸かっているため、
突然の酸性→アルカリ性の変化に、短時間で耐えられなくなる。
化学肥料の毒性というより、そこなのかな、と思った。
人間で想像してみると、突然、空気が吸えないものになったり、
身体中の水分が抜けたり、のような変化 なのかな、と思う。

「水棲生物が生き延びられて、収量も変わらない、
ギリギリのラインがあるんじゃないか」
というのが、私の考える、現実的な共存だ。
「時期をずらす。あるいは、2、3回に撒くのを分ける」
なども、負担が少なく、できそうな気がする仮説だ。

「春に牛糞を田に入れる」「レンゲを植える」「野焼きをする」などが
併用できたら、さらに、化学肥料の量は減らせるとか、
手間とお金で可能なラインが、それぞれにあるだろう。
でも、もう少し、きめ細かいガイドラインの指導があれば、
生態系を守る事にも、つながるはず。
わが家の日曜討論は、グダグダ続いた。

こうした大人のやり取りを、聞いていたようで、
ナノカが、「化学肥料について、調べてみたい」と言いだした。
自分も学校で、田んぼをやっているので、興味が出たようだ。
「どのぐらいの量までの化学肥料なら、オタマジャクシが生き延びられるか、
実験していったら、いいと思う。」と言った後で、
「でも、実験中に、いっぱい、オタマジャクシが死んじゃうね」と付け加えた。

農協は、農薬や種、苗などを売って、儲けを出す。
だから、その指導は、農薬+化学肥料を、多く売ることが前提となる。
農産物の集約、出荷も引き受けるが、生産するのは農家なので、
基本「お金」で動いている組織だ。
最近では、農産物よりも、保険や金融に必死になってる農協も多い。

という話は、離島で聞いた。
離島は、外へ農産物を出荷しても、輸送コストがかかるため、
もともと、外向け生産物を作ることが、ほとんどなかった。
ゆえに、農業は、自家用の野菜が中心なので、規格がなく(出荷するには規格がある)
わざわざ農薬・化学肥料にお金を支払う人もなく、無農薬に近い野菜が基本だ。
島の農協職員も、そうした個人のサポートをしてきた。
今は、指導ではお金にならないから、農協本部から、保険の勧誘ばかり
させられている、という裏話も、耳にした。
これを、国や農業のいく末として、本当に正しいのか、
考える人は、農政の中央にいないのだろうか?

ナノカと、帰り道に、畦道を歩いて、オタマジャクシのいる田んぼを探した。
この間、最後にオタマジャクシを取った田んぼにも、肥料が撒かれて、
死滅していた。どこも、タニシの死骸が大量にふちに重なっていて、
静かな、静かな、田んぼばかりだった。

私自身は、これをなんらかの形で、人に伝えるぐらいしか、できない。
でも、ナノカが、何かを実感し、自分なりの考えを述べてる様子を見ると、
子ども達は、これから、最前線に行き、仕事をしていくのだな、と思い直した。

多くの小さなハートに、
今起きている、さまざまな矛盾や、問題を、感じて欲しい。
そして、大人は、それを「しかたないんだよ」と潰すのではなく、
「残念だよね。どうしたらいいかな?」と、
考えたり、試したりすることを、応援する。

その子たちは、いずれ、研究者、発明家、ジャーナリスト、官僚、政治家、
先生、農家、商売人、IT社長、ユーチューバー、医師、会社員、になっていく。
どの職業の、どんな立場になるか、ばかりに親は必死になりがちだが、
大切なのは、ハートに刻んだ、原風景や、熱い思いの方じゃないだろうか。
そうであって欲しい。

死滅してしまった田んぼから、3匹だけ、救うことができたオタマジャクシ。
日に日に大きくなる。
これが、カエルになった時、きっと、なにかを感じるだろう。
なにも、強要する必要はない。
君は、きっと、世界を変える人になる。

2019年6月18日

リトル&ビッグアーティスト「やるね、クレヨン!」

6月16日、リトルアーティストで、クレヨンを使って
新しい表現にチャレンジしました。

まずは、ドガ、パウルクレー、ゴッホの作品などを紹介。
それから、3つの技法を、デモンストレーションを見て、
それぞれの気に入った技法で、作品に取り組みました。
クレヨンを絵の具ではじく方法です。
牧歌的なミカン畑。クレヨンが絵の具をはじくため、背景とミカンが混じることなく、鮮烈な色で描けています。
カラフルな海の生物を描いて、一気に海の色で塗りました。海の色を緑系の濃い色にして、とても、効果的に浮き上がって見えます。
ビックさんの作品。かわいらしい龍は、しっかりとクレヨンで塗り、一気に水彩でバックを塗りました。紫が効果的で、物語の中の1枚みたいです。
白で描いた絵が、水彩の中で、ぐっと浮き上がる。色が、自由に紙の上で混ぜられるのも、クレヨンで先にラインを描いているからですね
2つ目は、黒塗りして、削る技法の子達。
シンプルで、美しいラインで捉えた、元気なお母さんの姿と、バランス良く書かれたままへのメッセージが、とても、美しいです。 
花の実物を見ながら、真ん中にドーンと描いて、まわりに虫を配置しました。花だけ、ちょっと、太い線で描かれていて、しっかり、目立っています。シンプルな虫のラインが、活きますね。
年中さんのひまわり。太い線の、立派なひまわりが、花のところがちょうど、黄色になって、いい感じです。
しっかり面で削ったところと、線とのバランスが、たのしいですね。このまま、テキスタイルみたいに、布に印刷しても、楽しそう。
高校生の作品。繊細な線画が、この技法にぴったりですね。ちょっと神秘主義の頃の版画のようでもあります。真ん中のハートが、しっかり削られて、繊細な手のラインがかえって、浮き上がって見えます。
クレーの作品にインスピレーションを得て、しっかり、面で削ることで、迫力ある作品に仕上げました。面で削った時に、途中で色が変わる効果などが起きて、魅力的な作品になりました。下絵になったクレヨン画も、すでにクレーの作品のように、美しかったです。
3つ目は、塗り込んで、混色していく技法です。少ない色数のクレヨンを混ぜて、無限大の色作りにチャレンジです。
茶色の机に白の平たい貝、という難しいオブジェクトでしたが、一生懸命、何度も色を塗り重ね、近い色を混ぜることで、探し続けました。シンプル過ぎる故に、とても、難しかったと思いますが、最後まで、集中して、なにかをつかんだのではないかな、と思います。
水彩画が得意な女の子の作品。塗り重ねるクレヨンは、どちらかと言えば、油絵の習作に近いアプローチ。塗り重ねることに、戸惑いがありながらも、チャレンジし続けてくれました。本の色など、とても、いい感じで混色できています。
こちらは、紙いっぱいに、次から次へとあるだけのオブジェを描いてくれました。オレンジに緑を混ぜて、より、ナチュラルなミカンを描いてみたり、ナスの紫も、かなり混ぜて、自分なりの色を作ろうと、がんばりました。いろんな物を描きましたが、後ろのバックを余白で残すのではなく、白く塗ったことで、一つの作品としてまとまりました。現代アートみたいですよね。
今回は、ビックさんも参加。影をつけるのに、紫や青などを使って、明るく、カラフルな世界を描きました。クレヨン、楽しそうでした。大人の完成度は、子ども達に、いい刺激になります。

2019年6月14日

沈黙の田 Rice field in Silence

毎朝、田んぼを覗き込んでから、登校する。

田んぼの中は、びっくりするぐらい、にぎやかで、
オタマジャクシがおよぎ、タニシが這い回り、いろんな小さな生き物が
せわしなく、動き回っている。

このオタマジャクシ、なにガエルのオタマジャクシなのかな?
確かめたくって、
「今日、帰ってきたら、つかまえて、育てよう」
と朝、約束した。

夕方、網とビンを持って、田んぼに向かった、私たちは、呆然とした。

一匹も、オタマジャクシがいない。
タニシも沈んで、動かない。
つまんでみたが、反応がない。死んでいる。

たった半日で、明るい、のどかな田んぼの生き物が、死滅していた。
見ると、化学肥料らしき、赤い玉が、いっぱい撒いてあった。

他の田を見て回ったけど、どこも、化学肥料が撒かれて、
生き物は、見当たらなかった。
「朝、捕まえておけば、少しだけでも、助けられたのにね」
と、悲しくなった。

諦めきれず、遠くの田んぼまで、ずっと歩き続け、
やっと、まだ、水が入ったばかりの田んぼで、小さな小さな
オタマジャクシを見つけた。
もしかしたら、ここも、数日したら、化学肥料を撒くかもしれない。
3匹だけ、小さなオタマジャクシを捕まえて、飼うことにした。

そこの田んぼで、鳥の巣を見つけた。
家に帰って、パパに説明するために、ナノカが絵を描いた。
「ケリ」という鳥の卵みたい。
次の日、行くと、卵が一個増えていた。

農村に暮らすと、豊かな自然と、
そして、現代の社会の抱える問題を、身近に感じることになる。

先日、サツマイモの事を調べた時、
日本の田んぼの生産高は、化学肥料と機械に支えられている、
という話を読んだ。
石油の輸入がストップすると
その年の稲作は壊滅的になる、というぐらい、化学肥料に依存している。
経済と生産性と人手不足なんかを考慮すると、
日本の稲作や農業は、これがスタンダードなんだろう。

田んぼに行けば、オタマジャクシもカエルもゲンゴロウも
いると思っていた。
でも、春のこの作業を繰り返すことで、生き物は、毎年、確実に減っているし、
なんとか、生き延びている生き物も、いつか、世代をつなげることが
できなくって、消えていくのだろうな、と思った。

その夜、その事を思うと、胸がいっぱいで、眠れなかった。
それぐらい、のどかな日なたの水田と
半日後に現れた、沈黙の田は、恐ろしいほどの差だった。

都市部に住んでいる時は、実感することがなかった、
生き物の死滅していく様子。心がざわつく。
自然が近いからこそ、知らなくてはいけないという現実。

ナノカの心は、どう思っただろう?
子ども達は、どう感じるのだろう?

知らないままでも、生きていけるのかもしれないけれど、
知っている人に、社会を、託したい。
経験豊かで、視野が広く、思慮深い、人に、上に立ってもらいたい。

ファッションしんぶん Fashion Times

Fashion Times by Nanoka
Kids made own newspapers
先日、わが家に、子ども劇場の仲間が「ホタル」を見に来た。
残念ながら、ホタルは終わりがけで、4、5匹いたかな?ぐらいだったけど、
みんなで、ご飯食べて、即興の寸劇をやったりして、楽しそうにしていた。

途中、子ども達が、新聞を作り始めた。
最初は、ホタルのことを書く、と言ってたのに、
全員、ファッション新聞に、なったようだ。

最近、ナノカは、男の子になりたいらしい。
新しい学校で、女子のグループに入り損ねて、
男の子たちと遊ぶことにした、ナノカ。
馴染むために、「自分は、男だ」と主張し始めた。

好きな色は、青と緑に変更。
そして、あだ名は、「なのくん」だと自ら申告。
服も、いとこのお兄ちゃんのお下がりの中でも、
アディダス、とか、恐竜、とか、一番ハードボイルドなものを着用。

ある日、迎えに行くと、男の子たちに、
「ねえ、ナノカちゃんって、男なの?」と聞かれた。
すると、
「わしは、男じゃ!」
と杖をついた(ジェスチャーで)ナノカが、現れた。
男は男でも、おじいさん、らしい。

他の日には、
「おちんちん、ついてないんだろう」
と言われて、
「体は女でも、心が男、ていうのが、あるんだ。」
と、主張。

少ない人数のコミュニティの中で、居場所を求めて、
迷走するナノカ。

でも、やっぱり、「おひめさま」とか、出てきちゃうんだよね。
お疲れ様です。がんばってね。

2019年6月13日

一軒家 A house in the field

上五島にて、プロから、芋さしを指導してもらう We learn how to plant the sweetpotate.
登校前の畑のお世話 she took care of veggies before the school
なす、成長中 egg plant is growing
パパ、2週連続、イカをゲット Daddy fish the squid
干してみた dried it
上五島への取材旅行で、イモの苗、芋さし、を見せてもらい、
畑を中心に生活するおばちゃん達と交流したら、
家にも、芋がどうしても植えたくなった。
そこで、マルチをして、芋さしの道具も手作りして、植えてみた。
さて、ちゃんと、根付くだろうか。

3月に、一軒家に引っ越し、
朝から、すべての仕事が、ちょこっとずつ、増えた。
布団上げ、窓の数も多いから、窓の開け閉めも多いし、
畑の水やり、ちょっとした草抜き、など、どれも、ほんのちょっとだけど
合わせると、なんだか、時間を取られる。

さらに言うと、気が散ることが多い。
ここ数週間のうちに、周りの田んぼには、
一気に水が入ったのだが、
数日で、田んぼに、オタマジャクシなどの生き物が流入して、
通るたびに、気になって、のぞき込んでしまう。
毎朝、タニシが動くのを、5分10分、見てから、学校に向かう。

もう終わってしまったが、ホタルが飛び始めた時期も、
ボーッと、30分ぐらい、眺めていた。

今は、台所の窓にヤモリがやってくるのだが、
ショバ争いが激しく、ヤモリがヤモリを噛む瞬間も見たし、
カマキリを食べて、激しく暴れるヤモリもいた。
夫婦で、それを、30分ぐらい
「ドラマティックやねえ」と、眺めている。

昨日は、ナノカが、学校で田植えして、
クタクタで帰ってきたので、夕方のうちにお風呂に入れた。
明るいうちに布団を敷き、
日が落ちる直前の、桃色に染まった、農村風景を借景に、
ゴロゴロと二人で、本を読んだ。

贅沢だなあ。
 
同時に、私の頭の中のどっかに、
「たくさん経済活動をして、子どもに学をつけさせ、送り出さなきゃいけない」
という意識があるんだろう。
これは、怠惰かなあ、と、罪悪感も感じる。

こんな、ほんのささやかな、暮らしでさえ、
いけないことのように、感じる感覚って、合ってるのだろうか。

エンデが「モモ」で言ってた時間の話を思い出す。
子どものため、誰かのため、と思い、みんな時間泥棒と契約するのだけど、
生活からは笑いや楽しみが消えて、灰色の世の中になっていく。

上五島滞在中、ちょっとだけ会えた、さつきさんに、
「畑つきの、一軒家に引っ越した」
と告げると、
「よかったねえ。ナノカちゃんには、なによりだよ。
親子で、いっぱい、いい経験できるよ。楽しいね。」
と、何度も、言ってくれた。

今を楽しみたい。

I visited Goto island and saw several people
who lived with a little farm.
Then I wanted to plant the sweet potato as they did
then I did so after coming back home.

We moved from 13th floor building in the city
to the house in rural area of Nagasaki in March.
Now I got so much small things to do every day,
opened 20 windows, hold and put futon into closet,
watered the farm, etc.

Also we got so many small things to be curious,
rice field got water then so many lives came to there.
We watched them every time passing before going to the school.
Last month, we got fireflies. We watched them for 30 minutes in the night.

Yesterday, my daughter did rice planting at the school
then she was so tired that we took the shower right after dinner
and we went to bed before sundown.
The rice field and houses outside of window
was died pink and we read book watching them.

This moment was just something priceless, I felt.
But also I felt guilty since I felt I used time
to make no money.

We, the modern time people need so much money
to bring up kids to give them good education to survive.
In addition, Japan informed terrible suggestion to the citizen last week.
The Government told us that we need to save 20.000.000 yen
bofore retirement since the Government would not care older people anymore.

200.000.000yen meant 2.000.000 dollers.
Maybe some people can save with no problems?
But I had no idea how to save that amount of money besides bringing up and educating my daughter.

In this way, this kind of something priceless but cannot relate to the money
is disappearing from most of people's life-they are busy making money.
I thought about Momo by Ende.