誕生日の日、石垣島から、ステキなプレゼントが届いた。
歌人の松村百合子さんが訳した「エマおばあちゃん、山をいく」だ。
67歳のおばあちゃんが、11人の子育てを終えた後、
アパラチアントレイルを一人で歩き通す、お話。
私は、欧米の人が、淡々とトレイルを歩く習慣があることを、
思い出した。
1時間、2時間、風に吹かれながら、歩き続ける。
高校生や、20代前半だった私には、
無目的に(目的地があるわけじゃない)歩く意味が、
よく理解できなかったが、とにかく、よく散歩に誘われ、歩かされた。
それが、今、なつかしい。
子も大人も忙しい。
この時間と、あの時間の間に、空き時間があったら、
次の日の用事をこっちに持ってきて、明日の空き時間は、
さらにステップアップのブラッシュアップのアップアップ。
効率的に動こうと、パズルを組み合わせるみたいにしてるから、
思ってたピースがはまらないトラブルが起こると、イライラしてしまう。
なんだか、違う気はしてるのだけど、全体的に、そう回すようになってて、
どうも、ならないのだ。
日本には、あの「散歩」が足りない気がする。
一見、なにも、生み出さない時間。
でも、スケジュールの中で、カチカチになった心が、
本来の姿に戻り、人間らしくなっていく、大切な時間。
週末、1時間、海岸べたを歩き続けたら、
なんだか、その「どうも、ならない」から脱出できそうな気がした。
子がいることは、大きな喜びだが、
どうしても、ピースを組み合わせたような生活になる。
だから、時に、自分を取り戻す時間も必要だろう。
(そこに、子が、一緒に歩いていても、いい訳だし)
あの頃、まだ、携帯電話さえも普及してなくて、
カメラを持ち歩いてもいなかったので、
散歩の写真は一枚も残ってない。
でも、風の強さ、その時一緒に歩いた友人の姿、
寂しげな花、つゆで濡れた靴、そして、ぼんやりした時間の持つ空気。
全部、感覚に残っている。
カメラで切り撮られた「きれいな、できごと」より、
感覚の方が、残るものなのかもしれない。
今の時代、感覚の方を重視することは、
難しくなっている。
だからこそ、「ただ、歩きたい」と思う。
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