2019年11月1日

カンコロの島紀行「野崎島 上」Goto Article 25

10月27日 毎日新聞朝刊 Mainichi Times Oct 27th

Mr.Seto, the last immigrants from Funamori, the Cathoric village in Nozaki island, now unhabittate island, told me the story of his childhood.
先月号は、無人島となった、現在の野崎島の様子を、書いたが、
その後、舟森から、最後に集団移転をした、瀬戸さんにお会いして、
今月は、
「人が、住んでいた時代」の野崎島の話を書かせてもらった。

瀬戸さんの話は、とても、おもしろく、1回では収まらないので、
2ヶ月に渡って、分けて、書くことにした。

私は、1年ほど前に、初めて、舟森に上陸してみたが、
あまりの傾斜の厳しさに、
「どれだけ、住むのが、大変だったか」
と、実感させられた。

舟森という集落は、江戸時代も末期近くに、
明日は処刑、という潜伏キリシタンを、
船問屋が救って、移住させたのが始まり、と言われている。
その土地の厳しさは、潜伏キリシタン集落の中でも、
際立っていると、言われている。

さぞかし、辛い生活だったろうな、と
想像をしていたのだが、
瀬戸さんの話は、明るさに満ちていて、
それが、瀬戸さんにとって、
美しくて、大切な、子供時代なのだと、伝わってきた。

電気がなくて、辛かった、ではなく、
炊事場に行って、ことぼしの灯りを頼りに
宿題をしたこと、
やってきた発電機のエンジンに、心躍らせた少年たち。
うす暗い早朝のミサのため、坂道を、子ヤギのように、
駆け上る、子ども達。
山では、小鳥を捕まえて、
海では、魚を獲った。

そもそも、人が住むには、厳しい場所だったため、
人が離れていくのは、止められなかったのかもしれない。
でも、人は、ただ辛くて、そこから、逃れて行ったのではない。
その時、不便さや、土地の厳しさがあっても、
それも含め、ここには、ここにしかない、物語を、描いていた。

話を聞くと、今は、石垣しか残らない集落跡に
人が確かにいたのだと、音や色を伴って、絵がよみがえってくる。

情報が溢れる、デジタルの時代に、
私には、800字程度の文字情報しか、記せない。
舟森に登り、当時を暮らした人に会って得た
「ああ、ここに、人の営みがあったのだ」という実感は、
伝わっているのだろうか。

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