10月27日 毎日新聞朝刊 Mainichi Times Oct 27th |
Mr.Seto, the last immigrants from Funamori, the Cathoric village in Nozaki island, now unhabittate island, told me the story of his childhood. |
その後、舟森から、最後に集団移転をした、瀬戸さんにお会いして、
今月は、
「人が、住んでいた時代」の野崎島の話を書かせてもらった。
瀬戸さんの話は、とても、おもしろく、1回では収まらないので、
2ヶ月に渡って、分けて、書くことにした。
私は、1年ほど前に、初めて、舟森に上陸してみたが、
あまりの傾斜の厳しさに、
「どれだけ、住むのが、大変だったか」
と、実感させられた。
舟森という集落は、江戸時代も末期近くに、
明日は処刑、という潜伏キリシタンを、
船問屋が救って、移住させたのが始まり、と言われている。
その土地の厳しさは、潜伏キリシタン集落の中でも、
際立っていると、言われている。
さぞかし、辛い生活だったろうな、と
想像をしていたのだが、
瀬戸さんの話は、明るさに満ちていて、
それが、瀬戸さんにとって、
美しくて、大切な、子供時代なのだと、伝わってきた。
電気がなくて、辛かった、ではなく、
炊事場に行って、ことぼしの灯りを頼りに
宿題をしたこと、
やってきた発電機のエンジンに、心躍らせた少年たち。
うす暗い早朝のミサのため、坂道を、子ヤギのように、
駆け上る、子ども達。
山では、小鳥を捕まえて、
海では、魚を獲った。
そもそも、人が住むには、厳しい場所だったため、
人が離れていくのは、止められなかったのかもしれない。
でも、人は、ただ辛くて、そこから、逃れて行ったのではない。
その時、不便さや、土地の厳しさがあっても、
それも含め、ここには、ここにしかない、物語を、描いていた。
話を聞くと、今は、石垣しか残らない集落跡に
人が確かにいたのだと、音や色を伴って、絵がよみがえってくる。
情報が溢れる、デジタルの時代に、
私には、800字程度の文字情報しか、記せない。
舟森に登り、当時を暮らした人に会って得た
「ああ、ここに、人の営みがあったのだ」という実感は、
伝わっているのだろうか。
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