水路をつないでいく constructing the canals together |
水源の管理係 mentain the water supply |
しばらくすると、その場にいた、初めて会った子ども達も、加わり、
大きな、水路を、完成させた。
最初は、それぞれが、水を貯めたり、
穴を掘ったりしてたのに、
それは、つながっていき、
途中から、道具を融通し合ったり、
声を掛け合ったりと、水の流れを管理して、
それは、それは、見事な連携プレーとなっていった。
ただ、ぼーっとその様子を見ていて、
「遊ぶ」って、クリエイティブで、
協調性も必要で、
素晴らしいものだなあ、と実感した。
人間っていいな、とすら、思った。
「サルの子どもは、じゃれあって、虫や花にも興味深々だけど、
大人のサルは、自分に関係のないものには、興味も示さない」
と、ニホンザルの本に書いてあった。
子ザルは、遊びの中で、何が必要か、学ぶ。
一方、大人のサルになると、食べ物とか、縄張りとか、
実質的なもの以外には、見向きもしなくなる。
生きるためのノウハウを身につけたら、
ただ、必死で生きていく事に集中しなきゃいけない。
子どもの生活の中から、
大人の視点で、ムダを省いていくと、遊びは消える。
遊びがないと、そこで得られるはずだった経験を、
学びそびれたままになっていってしまう。
ふと、山のように、遊んだ記憶が、
思い出の中から、湧き上がってくる。
日が暮れるまで、裏山で、粘土掘って、
隠れ家作って、遊び倒してた。
大人になって、
自分が、いかに、遊びに集中できなくなってるか、
実感した。
あやとりにも、しりとりにも、おにごっこにも、
「仕方なく、つきあう」ことは、あるけれど、
何時間も、やり続けるなんて、とてもじゃないけど、できない。
大人の、用意した、1日なんて、
遊びが全然足りなくて、
ちっとも、おもしろくない。
小学校から、思春期に至る、さまざまな問題は、
大人のあさはかな計算と、あさはかな考えを、押し付けられた
ムリのある、子ども時代のひずみに思えてしまう。
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