2019年7月19日

通知表 No grading school

ナノカが私のためにデザインしたTシャツ Nanoka designed very simple T-shirts for me.
縫ってくれた She did embroidery
できあがり Done
 1年生の、初めての個人面談で、円グラフの学習習熟度の表を手渡された。

エクセルで作られたであろう、立派なグラフ。
テストごとに、全員分の入力だけでも、 どれだけ手間がかかるだろう。
先生のご苦労が伝わってきた。

でも、娘の特徴は、ここには表れてない、と感じた。
活字中毒で、言葉を多く知り、想像力が妄想レベルで、
思い込みが激しくて、うっかりミスが多い。

円グラフからも通知表からも、彼女の個性は伝わってこない。
点数を出してるか、提出物は出してるか、活動に参加してるか否か。

数値で表す、とは、こういう事なんだ。
学校社会の洗礼を受けた気がした。

これから先、ずーっと、こうやって、数値で、評価され続ける。
上に上がれば、上がるほど。

実際、娘の数値は、悪くなかった。
それを見て、ホッとしてしまう、自分もいた。

知らず知らずのうちに、高い点数で表されるものを、よさだと思い始める。
数値で見えるものに、だんだん、意識が行ってしまう。

娘は、おせんべいが2枚あったら、
1枚を、惜しげなく、隣にいる人に与えられる、気前のよい子だ。

これが、数値になるだろうか?

自分の感情や想像を、文章にする力が、すばらしいと思う。

数値で、それを評価してくれる場所は、まだない。

このまま、数値で表され続けていると、
彼女のよさを壊してしまう気がした。

数字で表せられない価値を、大切にするなら、
数字を、一度、捨てることも、必要なのかもしれない。
わが家は、通知表やテストから、一度、離れてみた。

大人の社会も、数字だらけだ。
学生が終わり、偏差値社会を脱っしても、
業務達成評価や、売上、所得、IQ、獲得顧客数、満足度、、、
と数字に直しては、並べられ、比べられる。
人は、グラフやスコアが好きなのだろうか。
自分の価値を、数値に表すサービスもできた。
それが、結婚や就職で有利になるとも聞く。
数字は、シンプルで、わかりやすい。
一定の判断基準になるんだろう。
数字から逃れて、社会を生きることは、できないのかもしれない。

抽象的なものを、数字に表すのは、難しい。
だから、数字の表には、もれているものが、いっぱいある。
もれているものの中に、大切なものがある。

その事は、忘れちゃいかんなあ、と思う。親として。

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